第玖拾伍章 三池流の新しい入門者

「ここが母上のおられる領域か」


 暴走した冥王プルーテスから逃れた一行はおシンが展開した強大な結界に守られた洞窟の最奥にいた。

 まるで神殿さながらに浄化された一帯は怨念どころか魔界の怪物でさえ侵入する事は不可能であると思われた。

 しかも岩壁はコンクリートと鋼鉄で補強されており、おシンの言葉を信じるなら多少の地震でも崩れる事はないと云う。

 聖都を蝕む怨念を吸収するという過酷な使命を押し付けられた母がいるにしては清浄にして近代的な光景にグレゴールことローゼマリーは半ば呆然と呟いたものだ。


「怨念の御陰と云っちゃァ語弊がありやすがね。人が近づかねェもんだから勝手にアジトを作らせて頂きやした。恰好良く今風に云えばセーフハウスってところでさ」


「ミーケも大概だがアンタもアンタだな」


 慈母豊穣会を禁教としている聖都の中に肝入りの病院を作ってしまった教皇ミーケにも呆れたものだが、ヴァルプルギス家が怨念を封印している洞窟に秘密基地を作るおシンの感性には呆れるよりも最早感心の方が勝っていた。

 冥王だった・・・怪物が暴れているにも拘わらず奥へと避難を促したおシンの意図を理解出来たアンネリーゼは溜め息をついたものだ。


「いざとなったら地母神様の力を借りて行使する土遁の術を施した脱出装置がありやす。岩盤を擦り抜けて地上へと逃げられるので御安心を」


「これで自爆装置があったら完璧だったな。冥王ごと埋められて一石二鳥だったンだがよ。カネにがめついおシンが折角のアジトをぶっ壊すなんてありえんか」


 補強だけでもどれだけの金が動いたのか計り知れない。

 おシンを知る月弥は自爆なんてできないだろうと嗤った。


「ありやすよ」


「あるンか?!」


「莫迦にしておくれでやすね。いざって時の備えを怠るほどやつがれだって吝嗇けちじゃありやせんや。それにカネの出処でどころは当主がんじまって宙ぶらりんになってたヴァルプルギス家の金庫なんでケチる理由はェって寸法でさ」


「威張るな、バータレ」


 自分の懐を痛めずに隠れ家を作ったおシンに月弥も呆れたものだ。


「そ、それで母上はいずこに?」


「会いたいでやすか?」


「む、無論だ」


 事件を動かす駒にされる程に憎まれていると知ったが、生きているというのであれば子として会いたいと思うのは当然だ、とローゼマリーは答えた。


「分かりやした。御案内いたしやしょう」


「う、うむ、頼む」


 一行は再びおシンの後をついて歩き出す。

 するとおシンがぐるんと首を真後ろに向けて嗤った。


「後悔は無しですぜ」


「最早後悔という感情は擦り切れた。たとえ会った瞬間に母上に喉笛を喰い千切られようとも悔いはなぎごっ?!」


 決意を表明したローゼマリーの語尾が乱れる。

 見れば彼女の顔が上を向いていた。

 理由は隣にいた人物にあった。

 月弥の右足が綺麗に180度振り上げられている事から顎を蹴り上げられたのだろうと察した。


「テメェが死んだら腹ン中の餓鬼はどうなる? 次、また莫迦な事を抜かしぁァがったらその口を針金で縫い合わすぞ」


 母なる神、地母神を崇拝する慈母豊穣会の教皇として身籠もっている身で死ぬなど言語道断である。


「死ぬならしっかり子供を産んだ上で乳母をきっちり手配して、成人するまでの養育費をちゃんと支払ってから死ね。無責任に死ぬ事は許さねェ」


「教皇殿、もう少しローゼマリーに優しい言葉をかけて貰えぬか? 絶縁したと云ってもローゼマリーは妊婦なのだ。子を産もうとする母親も守護対象であろう」


「姿や性別が変わろうと俺に取ってはどこまでいってもコイツは莫迦弟子だったユルゲン以外の何者でもねェンだよ。腹ン中の餓鬼だけはダメージがいかないようにきっちり守ってンだから文句云うねェ」


 ローデリヒの苦言など何処吹く風である。

 月弥はキセルに刻み煙草を詰めながら云ったものだ。

 すると指先に小さな火を灯した白い指が現れて火皿に詰められた煙草に火を着けたではないか。


「ふん、仁義を忘れちまってもこういうのは忘れないンだな」


 煙草に火を着けたのはローゼマリーだった。


「思い出します。一発で火を着けられなければ先輩から蹴りが飛んできたものでした。火が強すぎても弱すぎても煙草に火が着かないので必死に魔力の精度を磨いたのも今となっては良い思い出で御座います」


 三池流に入門したからには道場では貴族も騎士も平民もなかった。

 ユルゲンも入門したての頃は指導係に選ばれたバロン男色こと向井鞠男に厳しく躾けられたものである。

 自分がヴァイアーシュトラス公爵家の者であると云ったところで向井は態度を改める事はなく、"たかが生まれで調子に乗っている生意気な後輩”として先輩方に締められたのであった。

 世界が異なる日本に預けられていた為に実家へ帰ろうにも逃げるに逃げられず、毎日頭にコブを拵えながら稽古に励むしかない。

 こうして三池流では"所詮、人は五尺の糞ひり虫。老若男女美醜貴賤の違いで優劣をつけようなど愚かの極み”と教育されていくのである。

 しかし聖帝の嫡嗣が病を得て後継者問題が浮上するとユルゲンは聖帝の地位を欲するようになり、謀略を巡らせて後継者の席に座ろうとしていた事からも権力の持つ魔力は抗いがたいものがあるのだろう。

 もっともユルゲンに大きな野心があった事も理由である事は否めないはずだ。


「お前は白虎衆から修行をやり直せ。いや、お前のような性悪女は放っておいたら何を仕出かすか知れたもんじゃねェ。責任持って俺が躾けてやるよ。今日からお前は三池流の門下生だ。みっちり扱いてやるから覚悟しやがれ、ええと…そうそう、確かローゼマリー・・・・・・だったか?」


「ハハァ! あ、有り難き幸せ!」


 教皇ミーケは自分を見捨てるつもりは無かったのだ。

 そう悟ったグレゴール、否、ローゼマリーは大粒の涙を流して平伏した。

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