第㯃拾玖章 戦争を止めろ・慈母豊穣会・其の伍

『スリーカウント! 膝への低空ドロップキックで片膝をつかせてからのシャイニングウィザードで下田枢機卿の意識は飛んでいましたがきっちりフォール勝ちするところが実に教皇様らしい! 三十四分の激闘を制したのは教皇ミーケ様です!!』


『いやぁ、ジャーマンとブレーンバスターを連続で受けた時は下田枢機卿の勝ちと思っていましたが見事な逆転勝利でしたね』


 壇上(リングというらしいが)では勝利したミーケがレフェリーに高々と右腕を上げられて勝利を宣言されている。

 説法はどこへ行ったという疑問はどこへやら、ベアトリクスは会場内の信徒達に倣ってミーケの勝利を祝福した。

 最初は訳が分からなかったが、体の小さい、それこそ幼児並と云っても過言ではない小柄なミーケが倍以上はある巨漢を相手に打ち勝つ光景に感動を覚えたものだ。

 向井からはエンターテイメント性を持たせる為に試合の組み立てにはある程度のシナリオがあると聞かされてはいたが、決着そのものは真剣勝負であった事は百戦練磨のベアトリクスは理解していた。

 なるほど信徒達が熱狂するはずである。彼らは幼い姿の教皇が強大な相手に立ち向かっていく姿に感動し、またその強さに畏敬の念をいだくのだ。

 ましてやベアトリクスに取っては、共に火の大精霊フランメの試練に挑み、淫魔王と死闘を演じた友の息子である。感激も一入ひとしおであったに違いない。

 このプロレスという競技は敢えて相手の技を受けて己の強靱さを示す事も必要で、小さなミーケが下田とエルボーの打ち合いになった時は胸を痛めたものだ。

 八百長とそしるのは簡単だ。だが考えてみればよけられる攻撃を無防備に受けるのは苦痛であろう。

 事実、三池月弥は痣だらけの血塗れで見ていて痛々しいことこの上ない。

 しかも演出とはいえ下田に腕をフォークで刺される場面もあったのだ。

 真っ白だった道着は互いの血で真っ赤に染め上がっている。

 それでも最後まで勝負を捨てずに戦い抜いた彼を見て、信徒ファンは一層教皇ミーケに心酔していく事になるのだ。


『ああ、クソ…イテェな。下田の野郎、俺の腕に何度もフォークを突き刺しやがって…俺の腕はステーキじゃねェンだぞ、莫迦野郎!』


 息を整えたミーケのマイクパフォーマンスに会場から笑いが漏れる。


『おい、下田! おいって、おい!』


 シャイニングウィザードを受けて腫れ上がった頬を氷嚢で冷やしながら練習生に支えられつつ花道を戻っていく下田に声を掛ける。

 無言で振り返る下田に月弥は笑いながら云う。


『さっきのジャーマンは効いたぜ。受け身を取るいとまも無かったからな。その歳で技の精度を上げるなんざ、なかなか出来ねェよ。愉しかったぜ。またやろうや』


 下田は何も答えずに再び花道を戻っていく。

 しかし扉の奥に姿を消す前に右手をひらひらを振っていった。

 それでお互いに通じ合っているのだと信徒は感動して拍手を贈るのだ。

 余談であるが下田は凶器攻撃をするし小さなミーケ相手に容赦はしなかったがリングを下りれば礼儀正しく心優しい名士であると信徒は知っているので彼を嫌うどころか、益々心酔していくのである。


『どうだ、チビでも腕力が無くても勝てるって理解出来ただろ?』


 信徒達に問い掛けると会場は拍手と歓声に包まれた。

 思うツボと理解しつつもベアトリクスもまた口笛を吹いてミーケを称えている。


『剣術にしろ魔術にしろ三池流は弱いヤツが強いヤツに勝つ為の流派だ。天賦の才を超える為の技術と知れ。謂わば凡人でも胸を張って生きていける事を証明する為の道標みちしるべの様なものだと思ってくれ』


 三池流を学んでいる信徒達はこの言葉に感激して歓喜の声を挙げる。

 人権意識など低い異世界で貴族や強い者に虐げられるだけの庶民であっても誇りを持って生きて良いと云われて感動するなという方が無理な話だ。


『そこまで踏まえた上で云わせて貰うとだ』


 聴衆は教皇の次の言葉を待って静かになる。


『俺は『ノブレス・オブリージュ』って言葉が嫌いだ。元々は貴族とか高い身分の者にはその地位に相応しい重い責任があるって意味だが、昨今では勇者のように強い者にも使われるようになってきている。要は強いンだから弱い者を助けろって事なんだろうが、俺に云わせれば“クソ喰らえ”だ』


 教皇ミーケの言葉に信徒達はざわつく。


『勘違いすんな。貴族なんて地位だけで責任を果たしてねェだろとか、強いからって面倒を押し付けるなって云いたい訳じゃねェ。力が弱い庶民だって誰かの力になれるって事だ。胸を張って生きていけってのはそういう事よ』


 ミーケの優しげな声に信徒達は静まり返る。

 教皇の言葉の意味を理解しかけているからだ。


『どうやら分かってきているようだな。これは綺麗事や御題目で云ってるワケじゃないぜ。手にした力で莫迦やるヤツもいるだろう。勿論、そんな困ったちゃんは俺が責任を持ってニ度と悪さが出来ねェように躾け直してやるが、一方でそれもまた人の弱さだと思っている。寂しいが否定できない事実だ』


 けどよ――教皇の説法は本題に入っていく。


『けどよ、誰かを助けてだ。“ありがとう”って云われたら嬉しいもんだろう? 『情けは人の為ならず』ってのは、ありゃ本当だ。人に情けをかければ巡り巡って自分に返ってくるものさね。逆に人から貰うばかりで与える事をしないヤツが最後に誰からも相手にされなくなるのと同じ事だと俺は思っている。俺だってそうさ。さっきは力を誇示していたものの実際の俺は弱い。人様から助けて貰ってどうにかこうにか生きているのが現実さね。だからこそ俺は出来る範囲で人を助けているんだよ』


 幼い姿で非力だからこそ教皇ミーケの言葉は信徒達の心に響いていく。

 人より劣っていても強くなれる事を証明しつつ、やはり個人の力ではどうにもならないと説いているのだ。

 三池流で得た力で人を救えと大仰な事を云っているのではなく、人間は助け合ってこそ生きていけるのだと、与えられたければまずは自分から与えろというのが今回の説法の意義なのだろうとベアトリクスは理解する。

 プロレスは教皇の力を誇示している意味も勿論あるだろう。

 しかし本質は別の所にあったのだ。


「慈母豊穣会は地母神の力で信徒は恵まれているのだろう。だが、どれだけ豊かになろうと不満というものはどこにでも出てくるものだ。あの試合は信徒の日頃の鬱憤を晴らすだけではない。不満が解消された聴衆に耳を傾けさせる事に狙いがあったんだな。そして力を示す事で幼い教皇の言葉に深みと説得力を持たせたのか」


『買い被り過ぎだよ。俺は俺でプロレスを愉しんでいただけだぜ。ただ信徒達のガス抜きでもあったのだけは当たりだ』


 見上げればミーケがベアトリクスに向かってニヤリと笑っていた。


『いつぞや以来だな。あの時にはアンタが親父とお袋の恩人だって分かってたンだが、ちと事情があって挨拶が出来なかったンだ。悪く思わないでくれ』


「教皇ミーケ…いや、ツキヤと呼ぶべきか?」


 ミーケはリングから降りるとベアトリクスの前まで寄ってくる。


「好きに呼んでくれて構わないさ。それにしても海賊姿も良いが今の姿も可愛らしくて良いな。改めてまして、勇者アルウェン、勇者おぼろが一子、教皇ミーケこと三池月弥だ。宜しく、お嬢さんフロイライン


 ベアトリクスの右手の甲に恭しくキスをする小さな教皇にベアトリクスは勇者アルウェンとの出会いを思い出さざるを得ない。


『キミが『不死鳥』の聖女ベアトリクス嬢だね? 炎の様に激しい人物と想像していたが、よもや凪いだ海のように穏やかな麗人だったとはね。ボクはアルウェン。みんなは勇者と呼ぶが、自分はそんな器ではないと思っている。ボクの事はただアルウェンと呼んでくれたまえ、麗しのお嬢さんフロイライン


 百年以上も生きるベアトリクスをフロイラインと呼んで憚らず、様子を褒め、手の甲にキスを落とすこのキザな仕草は間違いなくアルウェン譲りだ。

 ハイエルフやドワーフから捨てられた過去を持つが、育ての親の趣味で王子様のように育てられた小柄な勇者の面影を残すミーケに苦笑するしかない。

 父親に似る部分が多いと思っていたが、黒髪に闇色の瞳以外にも目を向ければ、吊り目がちの目や白くキメの細かい肌はアルウェンの遺伝であろう。


「用件は分かっているよ。莫迦弟子の事を聞きたいンだろう?」


「話が早くて助かるぜ。しかも、こうして自分から来てくれたって事は話してくれると解釈して良いんだよな?」


 するとミーケは何故か左目を指で広げて云う。


「トランキーロ、あっせんなよ。ここじゃ落ち着かないから河岸かしを変えようじゃねェか」


 会場は教皇が手にキスをした謎の少女に騒然としていたのであった。

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