第㯃拾捌章 戦争を止めろ・慈母豊穣会・其の肆

「す、凄い熱気だな」


「それはそうだ。年に数回有るか無いかという教皇様直々の説法だ。ボルテージが上がるのは無理もない。大人しくしていろと云う方が酷というものだ」


 教皇ミーケが説法を行う壇上の目の前にしつらえられた席に案内されたベアトリクスは熱狂的なまでに教皇コールをしている信徒達に若干引き気味となっていた。

 しかし隣の席に座るバロン男色こと向井毬男は、いつもの事と落ち着いている。

 それは分かるが説法である。いくら人気があるとはいえ熱くなり過ぎだ。

 星神教の教皇が直々に説法するとして聴衆は集まだろうが、ここまで興奮する事はあるまい。いったい何が彼らを駆り立てているのやら。

 ベアトリクスは教皇が上がる壇上を見る。

 不思議な作りだ。広く四角い台座があり、四隅には鉄柱が立てられて四方を三本のロープが張られている。

 ここで教皇ミーケはどんな説法をぶつというのであろうか。


「そろそろ時間だな。教皇様の入場だ」


 向井が左手首に巻かれた小さな時計を見て云った。

 ミーケや、数多の勇者、聖女が生まれているとされる異世界は随分と物を小型にするのが好きらしい。懐中時計だってもう少し大きいものだ。

 それでいて性能は高く、時間が狂う事も少ないという。

 俺様も欲しいな、と思った矢先に同じく放送席に座る男が声を張り上げた。


『お待たせしました。教皇ミーケ様の入場です!』


 途端に信徒達の熱気が更に高まり、ミーケコールが会場を揺るがせた。

 比喩ではなく数千もの聴衆の魂からの叫びが空間を振動させているのだ。


『さあ、カイゼントーヤ支部枢機卿・下田丑之助を伴って教皇ミーケが今まさに姿を見せました!!』


 会場内は歓声と熱気の坩堝るつぼと化した。


「えっ? 何で?」


 ベアトリクスが戸惑うのは無理もない話だ。

 あの小さな教皇は何故かサーベルを手にして肩を揺するようにのっしのっしと歩いており、下田とかいう枢機卿は上半身裸で竹刀を肩に担いでいたからである。

 しかも荘厳な賛美歌を流すならまだしも会場内は聴いた事のない楽器によって激しくも不気味な音楽が掻き鳴らされていた。


『サー◯ル・タ◯ガーの曲に乗って歩く姿は人とは思えません! 見て下さい! あの見ただけで人を殺せそうなまでに剣呑な三白眼! まさに野獣であります!』


 口元にある機械で声を大きくしているらしく男の声は音楽と歓声の中にあっても掻き消されることはなかった。

 だが教皇を紹介するのに良いのか、そんな言葉を使っても?

 しかし教皇ミーケは気にすることなく信徒を睥睨しながらゆっくりと歩いているので問題は無いのかも知れない。


「教皇様!」


「あっ?!」


 熱狂しすぎたのか、花道を歩くミーケに信徒が触れたその瞬間の事である。

 なんとミーケはサーベルの護拳で信徒を殴りつけたではないか。


「あ、あいつ、何を?!」


 それを見て危険と思ったのはベアトリクスだけではなく司会の男も声を張って信徒に避難を呼びかけた。


『あーっと、これはいけません! 危険です。信徒の皆様、逃げて下さい! 危険ですので教皇様には近づかないで下さい!!』


 それでも信徒はミーケの体に触れようと手を伸ばす事はやめようとせず、ミーケはそんな信徒達を護拳で殴り飛ばしている始末だ。


「と、止めないと!」


「必要無い」


 ミーケの凶行を止めようと腰を浮かせたベアトリクスの肩を向井が掴んで無理矢理座らせる。

 なんという腕力かいなちからだ。それだけでベアトリクスは動きを封じられてしまう。


「何故? 教皇が信徒に暴力を振るっているんだぞ?!」


「殴られた信徒を善く見てみろ」


「あん?」


 善く善く目をこらしてみると殴られた信徒達は喜んでいるように見えた。


「見たか? 今、俺、教皇様に殴られたぞ!」


「教皇様! 俺も殴ってくれ!」


「こ、こいつはいったい……」


「あれこそが慈母豊穣会流のコミュニケーションなのだよ。殴られる事で信徒は教皇様との触れ合いを喜んでいるのだ。しかも、ただ殴られた訳ではない。あれによって気合が入り、その上、体の中に溜まった邪気を払う効果もある。禅でいう警策、相撲でいう四股といったところだ」


 教皇の拳は惰気・眠気を醒まし、悪い気を叩き出す事で運気が向上し病に罹りにくくなるのだそうな。


「いや、だからってサーベルだぞ?」


「そりゃ刃で突いたら怪我どころでは済まないが若先生はそのようなヘマはしない。もっとも刀身は竹光であるし先端はゴムでカバーしてある。護拳も遠目では堅そうに見えるだろうがボクサーグローブと同じ作りだ。万が一にも怪我をさせるものかよ。それに信徒だって教皇様に近づかんと大なり小なり三池流を学んでいる。ちょっとやそっとの事では怪我などしないよ。むしろ鼻血の一つでも出た方が下手な勲章を貰うより嬉しいだろうさ」


 云われて落ち着いて見てみれば確かに教皇と信徒達はじゃれ合っているようにも見えなくもない。ミーケの手加減も巧いが殴られる信徒も受け流しが巧みであった。


「あー…つまりミーケが信徒を襲っているってのは」


「あの事だろうよ。会場に潜入した星神教だかプネブマ教だかの密偵の目には逃げ惑う信徒に教皇様が襲いかかっているように見えたに違いない」


「アホくさ」


 ベアトリクスはパイプ椅子にもたれ掛かった。

 変に気を揉んで損した気分になったのである


「そう云うな。あれほど信徒に愛されている教祖もそうはいないだろう」


 確かに星神教の教皇や枢機卿、プネブマ教の大賢者は崇敬されてはいる。

 だが人々が殺到する程に慕われているかと問われれば首をかしげるだろう。

 そもそもにして護衛によって近づくことすら出来まい。

 しかし、ミーケは自分の力量に自信があるのか、ある種、乱暴な歓迎を受け入れているように見える。もっとも乱暴なのはミーケの方でもあるが。

 やがて下田に耳打ちをされたミーケは促されたのだろう。再び花道を進む。

 下田とやらはブリーチした短髪に口髭と厳つい印象を受けるが、これで枢機卿というのであるから畏れ入る。


「下田さんは教皇ミーケとタッグを組んで戦える稀有な実力者だ。若先生の戦闘技術は私やグレゴールなど足元にも及ばぬが、小兵こひょうの哀しさ、腕力と持久力に乏しい。それを補うのが下田さんの耐久力と剛力なのだ。その上、二人は八十年以上の付き合いで阿吽の呼吸だ。同じ小兵で剣客同士とタイプが似ているゲルダとも相性は良いが互いの弱点を補完し合う下田さんとの相性も抜群なのだよ」


「八十年…エルフの血を引くミーケは分からんでもないがシモダってのは人間じゃ無いのかい? いや待て、この気配はドワーフか?」


 下田から感じられる“生命”をたベアトリクスは彼の正体がドワーフであると看破した。


「流石はベアトリクス殿だな。『不死鳥』の聖女を名乗っているのは伊達ではないという事か。如何にも下田さんはドワーフ族の出身だ。日本で暮らす為に若先生に戸籍と日本人の名を与えられたとの話だ」


「お前達の世界にもドワーフはいるのか? ゲルダの兄弟から聞いた話ではドワーフはいなかったはずだぜ? エルフも含めてドワーフ、精霊、悪魔、神、それらは幻想の中にしか存在しない事から纏めて幻想種と呼ばれていると記憶しているぞ」


「その通り、我々の世界には幻想種は存在しない。若先生の御母堂、アルウェン女史がエルフとドワーフの混血児である事は聞いているな?」


「ああ、アルウェン当人からな。ハイエルフの王子とドワーフ族の姫君が仲違いしている両種族の橋渡しにと望んで生まれたのがアルウェンだ」


 アルウェンと面識があるというベアトリクスに向井は目を見開く。

 腹立たしい程に冷静な男であったが、この事実はどうやら彼を驚かせるに充分な情報であったらしい。


「火の大精霊フランメと契約するのに俺様が一役買っていたんだよ。だいフランメがいる領域は炎で満たされて常人なら近づく事さえできない。あっと云う間に灰になっちまう。いや、灰すらも残らん。そこで“火”を司る聖女である俺様の出番ってワケさ」


 フランメの領域の炎を鎮め、彼女からの試練を乗り越える為にベアトリクスは一時的にアルウェンのパーティーに在籍していた事があるそうな。

 つまり勇者アルウェンの恩人であり仲間でもあったのだ。

 そのアルウェンから教皇ミーケこと三池月弥が生まれている事を考えればベアトリクスが慈母豊穣会に趣いたのは縁であり必然だったのかも知れぬ。


「思い出した。アルウェンとコンビを組んでいたもう一人の勇者、ミーケにどことなく懐かしさというか面影があるように思えたのはアイツ・・・がミーケの父親だったのか。フレスコ画の教皇ミーケ、あれはミーケを成長させた姿を想像して描いたというより父親をモデルにしていたと云われた方がしっくりくるぜ」


「アルウェン女史を知っているのなら大先生も知っていて当然か。いかさま、あの漫画のモデルは大先生、三池おぼろ様に他ならない」


 ベアトリクスとミーケの意外な接点に向井は楽しそうに笑ったものだ。


「話を下田さんに戻そう。お二人はクシモ様を追って我らの世界に渡られた。そして淫魔王様に勝利し封印を施した後、結婚をして子を設けたのだ」


「俺様も一緒に異世界に行くつもりだったが、その直前に二人に止められたんだよ。当時の俺様は第十子を妊娠していたからな。それはそうとシモダの話に戻ってないと思うんだが?」


「焦るな。封印されたクシモ様は心まで幼かった頃の若先生を唆して朝に夕に祈りを捧げさせたそうだ。若先生の魔力はアルウェン女史のソレを大きく上回っている。十年もする頃には敗北以前よりも強大な魔力を得ており、復活も間もないところまできたのだが、そこで問題が発生した」


「問題? いや、クシモの復活も大問題だが、ここでの問題ってのはミーケにとっての問題という意味か」


 淫魔王の復活の兆しを察した神々がクシモの復活を阻止する為に六人の勇者と六人の聖女、計十二名の英雄を送り込んだのだという。

 淫魔王が席巻していた時はアルウェンと朧のニ名のみだったのに十二名とは多すぎやしないか。否、多いわ、とベアトリクスは不審に思わずにはいられない。

 しかも異世界にそれだけの数の精鋭・・を送っている事などベアトリクスも知らない事である。ゲルダやアンネリーゼすら知るまい。


「勇者は良い。良くはないがひとまず良いとしようよ。だが、一緒に送られた六人の聖女とやらはどこのどいつなんだ?」


「簡単な話だ。星神教は万が一・・・に備えて聖女の候補を幾人も確保しているそうだ。彼女達は聖女と名乗ってはいるが実際は、その候補者との事だ」


「何でまた?」


「実際に復活するかも分からん・・・・淫魔王を調査する為に危険かも・・・・知れない・・・・異世界に貴重な聖女を送る訳にもいかなかったのさ。だからこそ・・・・・犠牲になっても良いように候補者達から選りすぐったと云うのが真相なのだろうよ」


「道理で俺様達の耳に入らなかったワケだ。聞いていたらゲルダのあにぃも黒駒の兄弟も黙っちゃいない。天界に乗り込んででも止めたに違いないさ」


 納得して、より深く背もたれに寄り掛かって右足をはしたなくぶらぶら揺らしてはいるが目を見れば怒りを堪えているのが善く分かる。

 戦争を止めるという使命が無ければ今にもここを飛び出して天界に捩じ込みに行っていたに違いない。


「下田さんはその時にドワーフから選ばれた勇者だったのだよ」


「ああ、そこに着地するんかい。なるほど、確かに話は戻っているな」


 下田は太陽神アポスドルファの神力ちからを宿した戦斧を用いてクシモが封印されている石像を破壊しようとしたが“守り神様”を守らんとする三池月弥に阻止されてそのまま戦闘になったという。


「三池流で培ってきた技術を捩じ伏せる圧倒的なパワーと邪悪なる者を許さぬ太陽の光によって窮地に立たされた若先生の脳裏に女性の声が響いた。そう、地母神に戻る前の淫魔王クシモ様だ」


 手も足も出ない月弥にクシモはこう呼びかけたという。


“汝は力を欲するか。勇者に負けぬ力を”と。


「それでミーケは?」


「単純明快さ。“これは俺の喧嘩だ。アンタの出る幕じゃねェ。しゃしゃり出て余計なマネしやがったら俺がアンタをブチ殺すぞ”と返したとよ」


「本当かよ?」


「他ならぬ地母神様から聞いた話だ。若先生の見栄でもなければ広報が勝手に作った教皇ミーケの伝説でもない。純然たる事実だよ。あの人は他人から借りた力で勝つくらいなら裸一貫で負ける方を選ぶ人さ。そして拷問されようが釜を掘られようが形振り構わず生き延びて、見苦しかろうが無様だろうが何度でも何度でも食らい付いて、最後には勝つ。それが三池月弥という男だよ」


 見たら目が潰れる太陽神の光の中で右目をカッと見開き、下田の戦斧を叩き斬る事で月弥はドワーフの勇者に勝利したという。


「ミーケの右目はその時……」


「うむ、隻眼となってしまったが、それでも残心の構えを解かずに勇者を見据える誇り高い姿に下田さんも素直に敗北を認め、生涯、三池月弥の右目の代わりに働くと誓ったそうだ」


「なるほど、地母神クシモやゲルダの兄ぃが惚れるのも頷ける話だわな。じゃあ星神教から送られてきた勇者ならぬ十二人の刺客共は」


「戦いの中で唯の一度も相手を殺した事がない。酒の席でも自分の手柄話を一切しないあの人が口にする唯一の自慢話だよ」


「そりゃ百年足らずで慈母豊穣会を星神教やプネブマ教にも引けを取らない組織に成長させられるはずだぜ。教皇キルフェや『七大賢者会議』が敵う相手じゃないよ。お偉方がミーケを毛嫌いするのは地母神を崇めているからじゃなくて、自分には出来ない生き方をするミーケにいだいちまった憧憬の裏返しなのかもな」


 ベアトリクスは友アルウェンの息子が立派に成長している事を嬉しく思いながら説法を打っているだろう壇上を見上げる。

 そこでは何故か下田丑之助と手四つになって力比べをしている三池月弥がいた。


「おい、何で二人が戦ってるんだ?!」


「そりゃ今日の説法のメーンが若先生と下田さんの六十分・一本勝負だからだよ」


「説法のメーンって何だよ? 折角、理解しかけていたのに理解不能な事しないでくれ……」


 下田に4の字固めを仕掛ける月弥にベアトリクスは頭を痛めるのであった。

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