第㯃拾㯃章 戦争を止めろ・慈母豊穣会・其の参

「チビのクセして化けもん染みた強さを感じていたが規格外にも程があるだろ」


 フレスコ画を見て回ったが殆どが教皇ミーケの偉大さを称えたものだった。

 タイトルは如何わしいものだが内容はごく真っ当である。


 『ダメだよ、教皇様。教皇のアブナイ剣術指南。教皇様、ボクの剣がこんなになっちゃった』というタイトルでは真剣を使った稽古が何故、十六歳未満の弟子には許されていないのか、真剣での稽古の心得が語られていた。

 真剣を用いて素振りをする少年を厳しい口調で止めるミーケ(と思しき長身の美青年)、それは厳しい叱責の中にも少年が怪我をしないようにという優しさが見えたものであるが、どうにも素直に見る事が出来ない。


「えい! せい!」


「そこの君、素振りをやめるんだ」


「あ、教皇様」


たいが曲がっているぞ。それでは怪我をしてしまうのがオチだ」


 扇子で叩きながら少年の悪癖を矯正していくミーケは良いとして、何故頬を染めるのだ少年よ。


「素振りはただ数をこなせば良いというものではない。常に気・剣・体の一致を心掛けて振れば自然と所作は美しくなるものだよ」


「はい、ありがとうございます!」


「クシモ様が見ているぞ。しっかり精進しなさい」


「は、はい!」


 微笑んで檄を飛ばした後に別れたミーケの後ろ姿を夢見心地で見送る少年の姿でそのフレスコ画は終わった。

 素直に見れば良い師匠なのであるがベアトリクスには耽美で倒錯的なものが感じられて鑑賞後にはげんなりとした表情を浮かべていたものである。


「こういうのが一部の女子に人気なのだ。若先生も初めこそご立腹されていたが今では理解を示されている。背丈を盛る事を条件にされた事には流石に苦笑を禁じ得なかったがね」


 ベアトリクスの背筋に悪寒が走る。

 いつの間にか背後を取られていた。

 ベアトリクスは生きている者の生命いのちそのものをる事が可能であり、たとえ背後を取ろうとしても察知する事が出来た。

 それこそ武芸百般の達人であり隠形おんぎょうの心得を持つゲルダであろうとも気付かれずにベアトリクスの背後を取る事は不可能であったのだ。


「聖女ベアトリクスだな? ああ、否定も肯定もいらない。ただの確認だ」


「な、何故?」


 少女に変身しているにも拘わらず云い当てられてベアトリクスは驚愕のあまり誤魔化す事さえ忘れてしまっていた。

 この事を知るのはカイゼントーヤ王と自分、そして実際に商談に来ていて今回の潜入に便乗させて貰っていた商人の三人だけだ。

 カイゼントーヤ王に裏切る理由は無いし商人の方もカイゼントーヤ王が太鼓判を押した身元、人格共に確かな人物である。

 二人から情報が漏れるとは考えにくかった。


「まさか……」


「安心してくれて良い。君を連れてきた商人は慈母豊穣会に取ってもなくてはならない人物だ。捕まえて拷問にかけるというマネはしていない」


「だったら何故?」


「異世界人の君には知る由も無い事だがな? 人の持つ網膜パターンには一つとして同じものは無いのだよ。それは一生涯変わる事も無い。そして網膜をスキャンした結果、君が聖女ベアトリクスである事が判明したという訳だ。上手く化けてはいるが文明の利器の前では無力だっただけの話さ」


 そもそも網膜とは何か分かるかね――背後の男がおどけるように笑う。


「眼球内壁を覆う膜だろ? メカニズムは説明できないが視覚情報を脳に送る重要な役目がある事だけは習ってるよ」


「ほう、迷信じみた民間療法が未だに根強いと莫迦にしていたが存外進んでいるじゃないか。しかも学府で教えているレベルとは驚いた。少し認識を改める必要があるな。いや、貴重な意見をありがとう」


「どういたしまして。それで見破ったアンタは俺様をどうするつもりだ?」


「そう警戒しないでも良い。別に取って喰ったりはしないさ」


 振り返っても構わないと男に云われて振り返って驚く事になる。

 中肉中背の中年がそこにいた。

 顔立ちはそこそこ整っているが裏を返せば特徴の無い顔とも云えた。

 では何がベアトリクスを驚かせたのかと云えば、男の足首から先が大理石の床の下に沈んでいたからだ。


「地母神クシモ様の力を借りた魔法で若先生は『土遁の術』と名付けている。豊穣の神は広義で云えば大地の神でもある。地母神の力を借りる事で地面に潜ることが可能となっていたのだよ。君が私の気配を察知出来なかったのは地下を走る霊脈の霊気に隠されていたからと云える。熟達者は霊脈に乗って遠方に一瞬にして運んで貰えるそうだが、私には才能が無くてね。地面に潜るのが精一杯だ」


「充分脅威だよ。地面に潜れて気配まで消せるのなら追っ手から逃げるのも警戒しているヤツの背後に回る事も自在って事じゃないか」


「全く持ってその通りだ。御陰で何かと締め切りに五月蠅い編集から逃げるのに大助かりでね。毎回、締め切りはちゃんと守っているのに期限が迫ると急かしてくるのは良くないとは君も思うだろう? そのせいで浮かぶアイデアも浮かばないしモチベーションも下がると云うものだ」


「知らないよ。そもそも締め切りって何の話だ?」


 聞けばこの男は漫画家であるらしい。

 漫画そのものを知らない訳だが、展開を動的に絵で表現し、言葉を文字にしてフキダシという枠で囲って表現していると簡単に教えられた。

 絵を区切っていた白い線はコマ割りのようなものであるという。


「それで? さっきも訊いたが俺様をどうするつもりだ?」


 聖女ベアトリクスと見破っておいて「御手間を取らせました。では引き続き神殿見学をお楽しみ下さい」で終わるはずが無いであろう。

 すると案の定、漫画家は人を喰ったような笑みを浮かべたではないか。


「何、聖女様に折角お越し頂いたのだ。我らが若先生、おっと、教皇様の説法を特等席でご覧頂こうではないか。そういうお誘いだよ」


 漫画家が手を差し出して頬笑みかける。


「申し遅れたが私は三池流道場四天王の一人、バロン男色。勿論、ペンネームだ。女にモテる為にホモ漫画を描き続けている紳士さ。では御手をどうぞ、レディー」


「バロン何て?」


 呆れつつもベアトリクスには嫌が応でも分かってしまう。

 この男、巫山戯ているようで強い。

 吸精鬼サッキュバスの姿となったヴァイアーシュトラス公爵と遜色無い強さを感じずにはいられなかった。


「特等席…ね。最前列にでも案内して下さるのかしら?」


 呑まれてなるものか――ベアトリクスもおどけてバロンの手を取った。

 伊達に獰猛な海賊や残酷な海魔を相手に大立ち回りを演じてはいない。

 咬み砕かれる前に口中の急所を握るのがベアトリクス流だ。

 ここ一番の勝負度胸は聖女の中でも光一ぴかいちである。

 すると彼はニコリと笑みを深める。


「ああ、迫力ある放送席に案内しようじゃないか」


「迫力? 放送…何だって? 説法なんだよな?」


 ベアトリクスは思い知る事になる。

 自分は既に胃の腑の中に落ちていたのだと。


「気を付けよ。無責任な巷説に過ぎぬと思うが月に一度、説法の日に教皇ミーケは信徒に襲いかかるとの噂がある。地母神クシモは神に返り咲いた今も尚、魔界に籍を置いているとも聞く。生まれてもいなかった余は知る由も無い事だが百年前に世界を滅ぼさんと席巻していた淫魔王クシモの恐ろしさは貴方にも覚えはあろう」


 カイゼントーヤ王から忠告を思い出す。

 あの時はまさか・・・と思い笑っていたベアトリクスであったが、一気に信憑性が増してきた。


「君も理解する事だろう。『東洋の残酷なクルエル龍』『地球テラ生まれのTさん』との異名を取るフェアラートリッター筆頭、三池月弥の圧倒的な強さをな」


「フェアラートリッター…人の身でありながら魔王に魂を売った裏切りの騎士達か! その見返りに魔王から力と呪われた武具を授かった謂わば地獄の勇者達」


 人類の裏切り者として自虐を込めて自らフェアラートリッターと名乗ってはいるが武に生きる者達からは“武の到達点の一つ”と羨望と畏怖を集めていると聞く。

 強すぎるが故に人類に見捨てられた者、才があるにも拘わらず蔑まれて人の世に居場所が存在しない者、平穏な世界に飽き刺激を求めて魔界へと渡った者、理由は様々だが総じて云える事は人が持つには強大過ぎる力の持ち主である事だ。

 有事なら勇者として歓迎されたであろうが平穏な時代では厄介者でしかない。

 魔王達はその隠れた実力者達をむしろ積極的に引き抜いていったのだ。

 教皇ミーケは魔界に堕ちた騎士の中でも抜きんでいる存在であるという。


「そうだ。教皇様はかつて復活しようとしていた淫魔王に対処する為、異世界より送り込まれてきた六人の勇者と六人の聖女、計十二名を悉く打ち破ったまさに地獄の勇者よ。しかも、その当時の若先生はフェアラートリッターとして魔王の加護を得る前であったと聞いている」


「はは…笑いしか出てこねぇ…」


 では今のミーケの力はどれ程のものであるのだろうか。

 もはや想像すらできない。


「教皇ミーケが信徒を襲うという噂は本当なのかい?」


 願わくば弟子の口から否定の言葉を聞きたかった。

 しかし世の中というものは無情に出来ているらしい。


「ああ、本当だとも。しかも信徒の方から喜んで身を差し出しているくらいだよ」


 ベアトリクスは絶望に心が折れそうになる。

 なんてこった。地母神は淫魔王のままであるばかりか、その眷属であるミーケは信徒を襲う事で力を増しているのだろう。

 信徒から得るのは血か淫液かは分からないが相当な犠牲が出るに違いない。

 聖女としてミーケを止めなければなるまいと覚悟を決めるしかなかった。

 欲を云えば慈母豊穣会の協力を得たかったが仕方が無い。

 教皇の皮を被った悪魔を止められるのは自分しかいないのだ。

 今やベアトリクスの目にはバロンが死神に見えていた。

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