第㯃拾参章 戦争を止めろ・聖都軍・中編
女帝レティシアの自叙伝『聖都の月』より一部抜粋
その妖魔が山に出没するという噂が出始めたのはいつ頃だっただろうか。
今にして思えば、末の子とはいえ一国の姫が供を連れずに危険な山へと向かうことなど無謀以外の何物でもないが、どうしても
噂の内容とはこうだ。
『その妖魔から与えられた試練に打ち勝てばどのような願いでも叶う』
妖魔の容姿も、どのような試練なのかも、試練に打ち勝った者の話を聞いたこともないのに私は妖魔に会いたい一心で、闇の中、山を登ったのだ。
無謀を通り越して莫迦と罵られても文句は云えまい。
十二の娘が夜半に馬を駆るなど端から見ればそれこそ妖怪ではないか。
幸か不幸か誰とも擦れ違うことなく山へ辿り着けはしたが、お尻があり得ないくらい痛かったのを今でも鮮明に思い出せる。
さて、妖魔の出る山に着いたは良いが、木々の生い茂る闇を前にすれば流石の愚者も少しは怖じ気づこうというものだ。
私の手元にあるのは小さなランタンと護身術の稽古で使っている木剣のみだ。
繰り返しになるが、無謀である。莫迦である。
だが、そのお陰で
私は当時の自分を嘲ると同時に感謝もしているのだ。
私は“闇”と“安息”を司る『狼』の神々を称える聖歌を口ずさみながら山を登る。
立ち塞がる枝を木剣で払い、狼の遠吠えに怯え、小石に蹴躓いて生傷を増やしながら、それでも頂上を目指す。
目的の妖魔が出没する地点など知りもしない。ただひたすら足を動かした。
獣の遠吠えに怯え、袖を枝にひっかけ、虫に刺され、それでも必死に登っていると、やがて開けた場所に出た。
私はそこで眼にした光景を生涯忘れる事はなかった。
感嘆の念に支配されて声すら出せずにいたのである。
小さな泉があった。
私は見たのだ。満月の光に照らされながら泉で身を清めている銀の髪の妖魔を。
殆ど直感に近かったが、私はこの妖魔こそ捜していた妖魔だと確信した。
男か女かの判断はできなかった。胸には女性の象徴たる乳房は無かったが、腰は男性とは思えないくらい細い。しかし、
人の水浴びを覗いている。その事実に気付いた私は幼心に背徳感を覚えたが、同時にいつまでも見ていたいという欲望も芽生えていた。
欲が出れば失敗するのが世の常である。
私は小枝を踏んで大きな音を立ててしまった。
銀の妖魔がゆっくりと振り返る。
闇色の瞳に射竦められただけで私は一切の身動きを封じられた。
股間がギリギリ水面下にあったので、これでは男女の判別ができないな、と頭の片隅によぎったが、これは私が暢気なのではなく、ただの現実逃避である。
「誰?」
銀の妖魔が
予想に反してハスキーな声である。
同時に私は膝裏に衝撃を受け、強制的に跪く恰好にさせられた。
「誰?」
再び問われるが、生憎私の頭は混乱に満ちていて答えることができない。
今度は頭を掴まれ物凄い力で地面に押しつけられた。
耳元に生温かい息がかかる。明らかに人間の息遣いではなかった。
獣臭かった。同時に母様に抱かれた時のような良い匂いもした。
「誰?」
「次、答エナケレバ、頭カラ喰ウ」
頭上からの声に私は慌てて名乗りをあげる。
「わ、私はレティシア! 聖都スチューデリアの第十二皇女・レティシア=レイ=スチューデリアと申します!」
「そう」
いつの間にか泉から出ていた銀の妖魔は、大昔の神官が着ていたような古めかしいデザインの法衣を身に纏っている。
後ろ髪をゆったりとした一本の三つ編みにして左肩から前に垂らした姿は威厳と可愛らしさを調和させていた。
「では、レイと呼ぶ。良い?」
私に限らずこの国でのミドルネームは幼名である。
子供扱いされたみたいで少し抵抗があったが、それでも頷くことで了承の意を伝える。
「それでレイはこんな山奥に一人で何をしに来たの?」
だが抵抗もあるにはあったが同時に何故か銀の妖魔は私が幼い頃に亡くなった母上を思い出させてくれて、レイと呼ばれることに少なからず喜びを覚えていた。
「我ラガ主ノ問イヲ無視スルトハ、イイ度胸ダ」
私の頭に獣の牙が当たり、私はすぐに現実に引き戻された。
「私は噂になっている貴方に会いたくてここまで来たのです!」
「噂? ボクが?」
眠っているかのように細い眼をした妖魔は可愛らしく小首を傾げる。
しかし私は頭を咥えている何かの機嫌を損ねないように今度はトリップしなかった。
「貴方から課せられる試練に打ち勝てばどのような願いも叶う、というものです」
「何故、そんな噂が? ボクにある霊験なんて厄除けを始めとして、泥棒・悪客除け、狼・熊除け、妖魔除け、後は知る人ぞ知る程度に妊娠除け、つまり避妊くらいだよ?」
人差し指を顎に当てて考え込む銀の妖魔に、頭上の何かが答えた。
「主、十年前ニ助ケタ男ノコトデハ? 森ヲ彷徨イ餓死シカケタトコロヲ救ッテヤッタデハアリマセヌカ」
「あの人? 確か軍師志望と云っていたから、助けるついでにボクの知る兵法を教えてあげたけど、それが今頃になって噂になる?」
「分カリマセヌゾ。余程、良キ軍師トナッタノカ、奴ノ名ハコノ山奥ニマデ聞コエテクルデハアリマセヌカ。恐ラクハ、師ハ
「それに尾鰭がついて噂になったと?」
あれこれと予測を立てる二人(?)を余所に私の心は穏やかではなかった。
ここまで聞けば噂が事実無根であることは明白であり、私の願望は永遠に叶わないと知れたからだ。
沈黙する私に気付いたのか、議論を止めた二人が私に声をかける。
「レイは何かお願いがあって来たの?」
「コレモ何カノ縁。聞クダケハ聞イテヤロウゾ」
警戒を解いたのか、私の頭を齧っていた獣も牙を離し、声もどこか優しげだ。
私は暫く逡巡していたが、意を決してかねてからの願望を言葉にした。
「私を…私を
「……はい?」
私の願望は妖魔でさえ呆気にとられるものであったらしい。
(中略)
銀の妖魔と出会ってからの私の人生は実に楽しいものだった。
勿論、辛いこともあったし、死ぬような思いをしたこともある。
だが老いてしまえばそれらも素敵な宝物として想い出という名の宝箱に大切に仕舞われている。
気が付けば私はもうしわくちゃのお婆ちゃんになっていた。
結果として私は女のままだし、銀の妖魔の試練をちゃんとクリア出来ているのか甚だ怪しいが、私はこうして真の願いを叶えている。
暗愚で放蕩三昧の兄達を帝位に就かせては聖都スチューデリアが滅ぶと危惧していた私の本当の願いは、勿論、男になる事ではない。
私が聖帝となって民に安息を与えることだったのだから。
私にできることはただ一つ。銀の妖魔の試練を乗り越えるだけ。
「君が死ぬまでに聖都スチューデリアの民の涙を減らし、笑顔を増やす事」
銀の妖魔の試練に私は打ち勝てたのだろうか?
私の隣で、もう動かない私の手の代わりに泣きそうな顔で筆を取ってくれている大切な友人を横目に思う。
「約束通りボクはずっとこの国にいる。聖都スチューデリアが滅ぶまでレティシアの
初めてファーストネームで呼んでくれた銀の妖魔が私の頭をそっと撫でる。
そうか。私は勝ったのか。
ほっとしたのか、私の意識が薄れていく。
もう殆ど眼は見えなくなったが、額や頬にかかる温かい涙の感触は判る。
意外と泣き虫な銀の妖魔の優しさを感じながらゆっくりと意識を手放していく。
そして最期の最期で一つだけ気がかりが残されている事に気が付いた。
「ねぇ、貴方のお名前は?」
それが
「せやっ!」
ヴァレンティーヌの神速の突きを受けて戦斧を振り下ろさんとしていた傭兵が消滅するもその巨体に隠れていた少女がナイフを手に迫っていた。
「詰まらない小細工ですわ! 『
突き出した手首を返して横薙ぎに移行し少女の喉笛を裂いた。
突きから素早く横薙ぎに変じさせる事で反撃される隙を無くす秘剣だ。
大将軍に操られている怨霊とはいえ若い少女を斬る事に若干の罪悪感と嫌悪感を覚えるがヴァレンティーヌの動きは止まらない。
「見事だね。流儀・獅子王聖光剣、フレーンディア王国でも限られた者にだけが修得を許される
「出し惜しみをして勝てる相手ではあ! り! ま! せん! もの!」
語尾が途切れ途切れになりながらも速射砲の如き連続突きで騎士の全身を守る甲冑の隙間を突いて斃す。
針の穴を通すかのような精密さこそが獅子王聖光剣の極意であり、加えて神速の動きと威力も上乗せするヴァレンティーヌの剣は恰好だけの優美な剣とは異なり、実は過酷な修練を続けていた極めて実践的な剣法であった。
本人も深窓の令嬢の如き可憐な外見でありながら裏では手のマメを幾度も潰す激しい修行を今日まで積んできたのである。
その四肢は鍛え上げられて絞まっており、腹も世に云うシックスパックと呼ばれるまでに仕上がっていた。
一見すると細身に見えてしまうのは丁寧に鍛えていながらも見世物小屋の筋肉男のような鑑賞用の無駄な筋肉が存在せず剣術に特化した特殊な鍛錬を続けていた賜物であるといえよう。
一つ弊害があるとすれば食事もまた修行であるとして、高タンパク、低カロリーをと気を使っていたが為に胸が“絶壁”と揶揄されるまでに真っ平らになってしまった事であるが、その御陰でバランス感覚は非常に優れており、足場の悪い場所や狭い場所でも安定して戦う事が可能であった。
事実、彼女は聖帝の命を狙った暗殺者を追って天井に張り巡らせた梁の上で戦った事があり、暗殺者さえも身を竦ませるような高所で危なげなく渡り合い。しかも殺す事なく召し捕っている。
余談ではあるが、彼女が
落ち込む彼女を力づける為にベアトリクスが船上娼館に招待したところ、大人なんてどうせ胸ばかりでしょう、と捨て鉢気味でヤケ酒に酔っていたヴァレンティーヌは、なんと
しかし水揚げして間も無い彼らはそれでも拙いなりにヴァレンティーヌを慰め、扁平な胸にも頓着せず丹念に愛撫をした結果、酒以上に彼女を昂ぶらせ、純潔を散らす際も痛みよりも悦びの方が大きかった事もあってヴァレンティーヌは女としての尊厳を取り戻す事が出来たそうな。
以来、ヴァレンティーヌは房事の中であっても純粋な御稚児こそが至高と考えるようになり、船上娼館に来ては少年少女を総揚げして年季が早く明けるように援助をし、独立後には就職の世話をした上で嫁ぎ先、或いは婿入り先まで面倒を見ていたようである。
一度、ベアトリクスには、自分の婿にはしないのか、問われた事もあったが、聖女である自分は既にこの世界そのものに嫁いでいる、と寂しそうに笑ったという。
寿命も老いの早さが違う彼らと夫婦になっても不幸な擦れ違いが起こるだけだとヴァレンティーヌは悟っていたのだ。
決して大人になった彼らを毛嫌いするようになった訳ではないという事だけは彼女の名誉の為にも誤解無きよう願いたい。
「ふむ、有象無象が敵う相手では無いか」
掠れているようであり澄んでいるようにも聞こえる声で呟くと怨霊達は黒い渦の中へと戻っていく。
だが、当然ながら敗北を認めた訳ではない。
彼が有象無象と呼ぶ老若男女入り乱れる混成部隊が消えると今度は漆黒の甲冑で統一された集団が規律正しく足並を揃えて出現した。
先頭の騎士が持つ旗には狼を象った紋章が刺繍されている。
その旗印を見たヴァレンティーヌは驚愕せざるを得なかった。
「では、そろそろ本気を出していこうか」
「狼の旗印……そうでしたか。聖都軍最強を誇る大将軍直属のエリート騎士団、通称『ティンダロス』もまた貴方の一部であったのですね」
ティンダロス騎士団は聖都最強部隊である都合から団員の名前から住所、家族までもが機密扱いとされていたが、大将軍の秘密を知った今なら分かる。
無敵の軍団の正体が怨霊であるなどと知られる訳にはいかないだろう。
彼らがひとたび出撃すれば常勝不敗、誰一人として犠牲者を出す事すらないと謳われていたが、それも当然である。
怨霊がニ度死ぬ道理は無い。傷すら負う事も無いのだ。
『水の都』を守護する人形兵団や船上娼館クラーケンを守る船幽霊海賊団に匹敵、或いは陵駕する大戦力だ。
まさに無敵の軍団である。
但し――
「“光”に特化した私こそがティンダロス騎士団の天敵ですわ。如何に多勢といえども、如何に強大な騎士であろうと、聖なる光の前では無力です事よ」
ヴァレンティーヌがサーベルを頭上に翳すと切っ先に光の球が生み出された。
それは勢い良く膨れ上がり、たちまち堅牢な城をも飲み込む程に巨大となる。
しかも光は巨大化しながら変形しライオンの頭部を形作っていく。
『エペ・デ・リュミエール・セイラ』は光属性に限定されてはいるが魔法を遣う際には触媒となり魔法構築の補助をし魔力の増幅まで行うツールでもあった。
いや、光属性一辺倒であるからこそ魔力を極限まで消費するとされて常人、否、どれだけ才能があろうとも人間である限りは使用が不可能とされている光属性最強の魔法も遣う事が出来るようになっていたのである。
「受けてみなさい! 我が最大の魔法! 怒れる太陽神の咆哮を! 『ジャッジメント・ロアー』!!」
獅子の口から悪魔すら怖じけて身を隠すであろう咆哮と共に光が放たれた。
獅子の叫びは規律正しく軍靴を響かせて進撃している漆黒の騎士団の足を止め、全てを覆い尽くさんばかりの巨大な光は奔流となって騎士団を悉く飲み込んだ。
一瞬後、筆舌に尽くしがたい大爆発が起こり、ティンダロス騎士団を吹き飛ばしてしまったのである。
かつて地母神クシモの信徒を虐殺し実りある大地を略奪した星神教徒に神罰を下した太陽神アポスドルファの怒りをそのまま再現したかのような大魔法は数千もの軍団をも一瞬にして殲滅して見せた。
しかし聖女の身でありセイラから贈られた至高の愛刀の補助があったにせよ、神罰を魔法で再現した代償は安くはなかったようだ。
ヴァレンティーヌの魔力は完全に枯渇してしまい、魔力で構築されていた黄金の鎧は消滅して全裸となってしまっていた。
だがヴァレンティーヌは息も絶え絶えでサーベルを杖代わりにしているが、それでも自分の足でしっかと立っていたのである。
「わ、私の勝ちですわ。や、約束通り、スエズンに聖都軍を派遣して下さいませ」
折角、綺麗に巻いた髪も解けてしまっているがヴァレンティーヌは不敵な笑みを浮かべて更地となった大地に佇む“闇の渦”に云ったものだ。
肝心のティンダロス騎士団を自ら吹き飛ばしておいて云う台詞ではないと思われるであろうが、初めから彼らの戦力を当てにしていたのではなく、カイゼントーヤ艦隊に対する牽制を目的としていたので問題は無い。
加えてティンダロス騎士団も顕現する力を失う程のダメージを受けてはいるが存在そのものは滅ぼしてはいなかった。
寡兵どころではないたったの一人で数千の怨霊の軍隊に勝つ為に自身が持つ最大の魔法を駆使して先手を取ったが、この世を
極限の状態まで魔力を放出しながらも一兵として犠牲が出ないよう威力を調節しているところに“希望”の聖女たる
「君の勝ち? 約束? 聖都軍の派遣? 君は何を云っているの?」
しかし返ってきたのは
「なっ?! 大将軍ともあろう御方が約束を反故にするおつもりですの? 怨霊といえども許される事ではありませんわよ」
「
けどね――黒い渦が更に凝縮して“闇”の密度が濃くなっていく。
「けどね? ボクはまだ負けたつもりはないよ?」
“闇”が歪み、飴細工のように徐々に形作られていく。
「流石は歴代最高にして最強の『獅子』の聖女と謳われたヴァレンティーヌだ」
だが反比例的に存在感が増していき、ヴァレンティーヌに重圧を与える。
かつて慈母豊穣会・教皇ミーケと対峙した際に彼から放たれるプレッシャーに押し潰されそうになったが、今の
知らずヴァレンティーヌの頬を冷や汗が伝い、歯の奥が鳴っている。
「けど、些か迂闊だったね。ティンダロスに最強の魔法をぶつけて斃したまでは賞賛しよう。いや、実に見事だ。感服したし素直に尊敬しようよ」
ヴァレンティーヌの目の前には男とも女ともつかぬ中性的な美貌の存在がいた。
月光を思わせる銀の髪は地面についていてなおも余って渦を巻いている。
一糸纏わぬ体は白磁のように白くガラスのような透明感がある。
一見すると華奢のようであるが四足獣のような力強さが同居しているようだ。
乳房は無く平らではあるが女性的な柔らかさも確かに存在している。
生殖器は無い。男性器も無いが女性器も無い。排泄に使う穴すら無かった。
「だけど魔力は尽きて立っているのもやっとの有り様ってところだね」
後先考えないからそうなるんだ――銀の瞳がじっと見据える。
銀の妖魔が五指を広げると
「さあ、君の健闘を称えてお見せしようじゃないか。ボクに身を捧げる時を迎えた聖帝以外では君が初めての目撃者だよ」
右手の球体が大剣と化し、左手の中の光は小刀となって逆手に握られている。
「そ、その構えはまさか、かつて滅びた幻の兵法、牙狼月光剣?!」
ヴァレンティーヌは驚愕に目を見開く。
かつて地母神の信徒と共に滅ぼされ、ただ大剣と小刀を用いた剣法であったと漠然としか伝わっていなかったが今尚継承されていた事実に愕然とする。
「最後の勝負だ。流儀・牙狼月光剣を秘やかに継承してきた一族の末裔……」
銀の妖魔が身を低く構える。
それは餓えた獣が獲物に飛び掛かろうとしている様に似ていた。
「地母神信仰を秘やかに守り安息の地を求めて旅を続けてきた夫婦の末路……」
銀の妖魔が獣のような唸り声を上げ始める。
途端に強い獣臭がヴァレンティーヌの鼻を突いた。
「しかし、やっと辿り着いた辺境の村でも受け入れられず、家族の安堵を条件に神への貢ぎ物にされ……けど結局は父も、母も、遺された子供さえも生贄にされてしまった家族の
「あ…ああ…ああああ……」
ヴァレンティーヌは小柄な銀の妖魔と重なるように巨大で美しい銀毛に覆われた獣の姿をはっきりと見てしまう。
「そして人々から 忘れ去られた惨めな神の
銀の妖魔が音も無く飛び出す。
それは餓狼が獲物に悟られることなく襲いかかるようであった。
「はっ!」
なんと息も絶え絶えだったはずのヴァレンティーヌであったが、サーベルの護拳(ごけん:サーベルの柄に付属している柄を握る手を守る部具)が牙獣の牙を想起させる大剣を受け止めていた。
しかもライオンの意匠の護拳は刃をしっかりと牙に咥え込んで離さない。
「まさしく成れの果てですわね。貴方の正体が妖魔に堕ちた神にして妖魔と化した悲しい魂だったとは……」
「余力があるようには見えなかったけど、首を落とすつもりで振るったボクの剣を善く受け止めたね?」
ヴァレンティーヌの推察に答えず、銀の妖魔は気力体力共に尽きていたはずなのに自分の一撃を受け止められた理由が分からず首を傾げる。
「あら、乙女の秘密を詮索するのは無作法ですわよ? 偉大なるレティシア帝のご友人にしては些か礼儀に欠いているのではなくて?」
ヴァレンティーヌは優雅に微笑んではぐらかす。
すると銀の妖魔は鼻をひくつかせる。
「君から真新しい精水(せいすい:精液の意)の匂いがする。和合(わごう:セックスの意)で得た魔力を予備の力として子宮に隠していた?」
「流石は常勝不敗の大将軍ですわね。ええ、考えも無しに最大の魔法を放つ莫迦はおりませんわ。貴方と戦う事は想定していました」
だから――ヴァレンティーヌは大剣を絡め取っていた獅子の口を支点にして切っ先を銀の妖魔の首筋目掛けて振るう。
「だからこそ事前に無垢なる十五人の少年少女から精力を分けて頂いてましたの」
しかし切っ先は小刀によって阻まれていた。
「なるほど、大剣による攻撃と小刀による防御で構成された攻防一体の剣法でしたのね。流石は伝説の牙狼月光剣、一筋縄ではいかないようですわ」
大剣を噛んでいた獅子の牙が外れて両者が離れる。
「お互い相手を見縊っていたようだね」
「ええ、仕切り直しといきましょう」
裸のまま二人は剣を構える。
どうせ誰にも見られる事のない二人っきりの勝負、服や鎧の構築に魔力を使うくらいなら全て攻撃に回した方が有用であると判断したのだ。
まさに獅子と狼、獣同士の勝負であると云えよう。
「では、そろそろ牙狼月光剣の神髄をお見せしよう」
「ならば、その礼にお応えして獅子王聖光剣の玄妙さを披露させて頂きますわ」
両者は少しずつにじり寄って攻撃の間合いを計っている。
やがて間合いが一間半(約2・7メートル)を切ると両者の目が見開かれた。
「いざ!!」
銀の妖魔が叫ぶ。
「尋常に!!」
『獅子』の聖女が応える。
「「勝負!!」」
お互いの間合いを破って黄金の獅子と銀の狼、二匹の獣が同時に駆けた。
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