第㯃拾弍章 戦争を止めろ・聖都軍・前編

 聖都スチューデリア歴代唯一の女帝レティシア著

 『我が最愛にして永遠の友』より一部抜粋


 魔神は自らの罪に絶望していました。

 その日は自分を称える年に一度のお祭でしたが、それどころではありません。

 いえ、最初は楽しかったのです。

 魔神は天空に浮かぶ月の化身として崇められています。

 夜の間、地上に睨みを利かせているお陰で闇に潜む妖魔も悪いことができなくなり、安心して夜道を歩けると人々は感謝していました。

 ですから魔神を崇める人々は年に一度、三日掛けて感謝祭を催しているのです。

 第一日目は雅な笛の音や歌声で魔神の功績を称え、見目麗しい巫女達が舞を披露します。

 魔神は妙なる音楽と見事な奉納舞に心を癒し、気分を高揚させました。

 第二日目では山海の珍味や様々な美酒が神殿に奉納され、盛大な宴が開かれます。

 魔神は滅多に食べることができない数々の美味に舌鼓を打ち、歓喜に胸を震わせました。

 そして最後の第三日目にそれは起こったのです。

 魔神は人々に生け贄を求めます。

 一見すると残酷なようですが、魔神には必要なことなのです。

 魔神が――神が生き続けるには人々の信仰心が不可欠です。

 人々から忘れられた神は最早神ではありません。

 神でなくなった神は死ぬしかないのです。

 魔神は人々から忘れ去られた自分を想像してぞっとしました。

 人から崇められなくなった神に何の価値があるでしょう。

 事実、よその国では月を支配する女神が信仰されています。

 彼女もまた存在しているのです。

 会ったことはありませんが、しかし確実に居るのです。

 複数の月を司る神。

 魔神はいつ彼女に取って代わられてもおかしくはありません。

 だから信仰心を獲得する為に生け贄を求めるのです。

 矛盾するようですが、魔神は人々から崇められるだけではなく畏れられる為にも宗教にはこういった怖い部分も必要だと知っていたのです。

 何より魔神にとって人の血肉や魂は大の好物であり、力の源でもありました。

 そして魔神は生け贄が自分から進んで身を差し出すように工夫をしました。

 生け贄に選ばれた者の最期の望みを叶えてあげるのです。

 それはお金だったり、贅を凝らした山海の珍味に溢れた御馳走だったり、意中の異性或いは同性でした。

 魔神はそういった望みを夢に見せる事で叶えました。

 夢の中ではどのような望みも叶います。

 不老不死という生け贄が望むには矛盾した願望さえも叶います。

 生け贄達は夢の中で富豪となり、恋を成就させ、永遠の命を謳歌します。

 浅ましい幸福の中で生け贄は魔神のあぎとへと運ばれ砕かれるのです。

 生け贄の儀式に立ち会う神官達は幸せそうな笑みを浮かべて、恐ろしく鋭い牙に咀嚼されていく生け贄を見て、願いが叶ったのだと彼らの死を祝福しました。

 こうして毎年お祭が催され、生け贄が捧げられながらも信仰は盛んになっていったのです。

 しかし、ある年のお祭で生け贄に選ばれた子供が魔神の運命を変えたのでした。


『汝の望みは何か? 我にその身を捧げる報いに一つ願い事を叶えてとらせる』


 魔神は表情の無い子供に若干の不快感を覚えながらも抑揚を効かせて訊ねます。

 しかし、子供は何も云いません。

 魔神は訝しく思いながらも、もしや自分が怖いのかと今度はできるだけ優しく訊ねます。

 それでも子供は何も云いません。

 次第に周りの神官達がざわつき始めました。

 何故か魔神の胸もざわついてきます。

 子供は無言のまま魔神に歩み寄ると、そのまま魔神の大きな口の中に入ってしまったではありませんか。

 その顔には恐怖も怒りも悲しみもありません。無表情のまま淡々と真っ赤な舌の上を歩きます。

 魔神は困惑しました。

 今まで生け贄となった人達は皆、最期くらいは、と自分の欲望をぶつけてきましたが、子供は何も望まないのです。

 魔神は逡巡します。このままこの子供を食べてしまっていいのかと何度も自問しました。

 しかし、儀式は滞りなく進めなければなりません。

 それに魔神は気付いたのです。今、口の中にいる子供は今まで食べてきたどの生け贄よりも大きな力をその小さな体に秘めていたのでした。

 もう魔神は我慢ができません。

 この子供の持つ霊力はとても魅力的だったのです。

 そして、ついに魔神のびっしりと並んだ巨大な牙が子供に襲いかかりました。

 その時です。


「父様と母様に会わせて」


 それは蚊の鳴くような声でしたが、魔神の耳にしっかりと届いていたのです。

 しかし、勢いよく閉ざされようとしている牙はもう止まりません。

 なんということでしょう。

 魔神は初めて生け贄の望みを叶えることなく、胃の腑に収めてしまったのです。

 そして知ってしまいました。

 子供の血が魔神に教えてくれたのです。

 仮令たとい牙を止めたとしても子供の望みは叶わない事を。

 魔神は六年前に食べた少女のように美しい少年を思い出します。

 その年の生贄に選ばれた少年はまだあどけない顔をしていましたが、もうすぐ父親になろうとしていました。

 その少年の望みは、残される妻と産まれてくる子の幸せでした。

 魔神は自分が支配する土地に生きるものは皆幸せだと思っていたので、夢を見せるまでもなく口約束だけをしてそのまま少年を食べてしまいました。

 その翌年に選ばれた生け贄は少年のように凛々しい少女でした。

 少女は既に一児の母親になっていましたが、その血と肉と魂は処女おとめよりも清らかで美味だったと驚かされたので、魔神はよく覚えていました。

 その少女の望みは、一人で生きていくことになった我が子の幸せでした。

 魔神は自分が支配する土地の者ならば幼子おさなごを放ってはおくまいと思っていたので、やはり夢を見せずに口約束だけで少女を食べてしまいました。

 魔神は生まれて初めて愕然としたのです。

 今、食べた幼い子供の血と肉は少年と少女を思い出させました。

 恐らく――否、間違いなくあの子供は少年と少女の子なのだと確信しました。

 神は信徒の幸せを守る象徴であってこそ信仰を得られるのです。

 魔神は、末期まつごの望みを叶えることと引き替えに糧とするはずの生け贄を三人も裏切っていたのでした。

 魔神は少年の望みであった妻と子の幸せなんて守っていません。

 魔神は少女の望みであった我が子の幸せなんて守れていなかったのです。

 ましてや魔神に子供の望みであった両親に会わせる事なんてできっこありません。

 恐らくあの子供は両親の顔を知らずに一人で生きてきたのでしょう。

 知らないものを、記憶にないものを夢に見せることなど如何に強大な力を持つ魔神でも無理なお話なのです。

 ただ自らの欲の為に三人もの生け贄を裏切り、叶えられたと思われていた望みもただの夢と知れた魔神は瞬く間に人々からの信仰を失いました。

 魔神はたった三回の裏切りで手の平を返した人々を責めることはできません。

 神は人間あってこその神なのです。人間を裏切った神は捨てられる運命なのです。

 魔神は自らに罰を与えることにしました。

 それが神でなくなった彼女にできる唯一のケジメだったのです。

 魔神は満月の夜に自らの心臓を抉り出すと、ゆっくりと飲み下しました。

 神の死。

 魔神は月光に溶けるように姿を消していき、最期の最期で気付いてしまいました。

 魔神のたった一つだけ心残りがあったのです。

 それはあの子供の名前を聞いていなかったことでした。


『腹中の子よ。願わくは我に汝の名を聞かせてたもれ』


 自らを生け贄とした魔神の願いは叶うことはなかったのです。

 完全に消滅する寸前に零した一滴の涙こそが、彼女が唯一この世に遺したものでした。









「軍は出さない」


「何故ですの?」


 『獅子』の聖女ヴァレンティーヌが聖都軍を束ねる大将軍に面会を求めると、意外にもすんなり話が通って面会を許された。

 案内された大将軍の執務室は驚くべき事に全ての窓が塗り固められていて真っ暗闇であったのだ。

 灯りが灯されていない事から、留守なのではありませんか、と苦言を呈するヴァレンティーヌに部屋の奥から入室を許す声がした。

 目を凝らすと仄かな青白い光が二つ浮かんでおり、声はその位置から出されたように思えた。


「大将軍閣下ですの?」


「うん、そう云う君は『獅子』の聖女だね」


 女のようであり男のようにも聞こえる声で入室を促される。


「失礼致します」


 扉が閉まると一切の光が無くなり完全に闇の世界となってしまう。

 その上、どこからかは分からぬが獣のような臭いが鼻をついた。

 何かの剥製でも飾っているのか?

 だとしても、こんな暗闇では意味が無いように思えた。


「座りなよ」


 椅子を勧められると、何故か椅子が何処にあるのか認識できており、一礼をして椅子に座った。

 青白い光が近づいてくるとカチャカチャという音がし、次いで紅茶特有の芳醇な香りがヴァレンティーヌの鼻腔をくすぐる。


「どうぞ」


「頂きます」


 変わらず暗闇のままであったが、やはりティーカップの位置は正確に感じ取れて問題無く紅茶を手に取る事ができた。

 光源は二つの青白い光であるが部屋の中を照らす事はない。

 しかも人の気配はまるで感じる事ができずにいた。

 だがテーブルを挟んだ正面からはカップを取る音と紅茶を啜る音が聞こえるので確実に誰かはそこにいるはずである。


「それで今日は何の用があって来たの?」


 大人のように落ち着いているようでもあり幼くも聞こえる声で今日の来訪の目的を問うてきた。


「今日は折り入ってお願いがあります」


 ヴァレンティーヌは今日こんにちまで起こった事の全てを包み隠さず打ち明けた。

 ローデリヒ皇子に近付いたローゼマリーの正体がグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス公爵である事や公爵の復讐の理由、そして彼の後ろ盾には慈母豊穣会を初めとしてカイゼントーヤ王国や天魔宗が存在している事も含めてである。


「スエズンに待機しているというカイゼントーヤ艦隊を牽制するだけでも構いません。どうか正規軍をスエズンに派遣して頂けないでしょうか?」


 聖都軍が戦ってしまえば、それこそ戦争に突入してしまうが、スエズン付近に待機して貰うだけでも状況は大分変わってくる。

 カイゼントーヤ軍には既に動きは察知されており、一揆勢を滅ぼしたとしても進軍は不可能であると思い知らせる事ができるだろう。

 ましてや大将軍の旗印である狼の紋章を見せれば出張ってきているのが聖都最強である大将軍だと分かり、あわよくばカイゼントーヤ艦隊は撤退してくれるかも知れないという期待もあった。

 撤退しなかったとしても艦隊の総大将であるヴァイアーシュトラス公爵を討つ、或いは望みは薄いが説得する余裕が出来るだろう。


「軍は出さない」


「何故ですの」


 しかし大将軍の答えはこの通り無情なものである。

 しかも出せない・・・・ではなく出さない・・・・ときた。


「ボクの役目は聖都を外敵から守る事。聖都が滅ぼされないようにする事だよ」


「でしたらなぜ? カイゼントーヤ艦隊がスエズンにて待機している今こそ動かないでどうするのですか?」


「それだよ。カイゼントーヤ艦隊はスチューデリア領に・・・・・・・・・入っていない・・・・・・。だから聖都軍は出さない」


 大将軍はカイゼントーヤ艦隊が運河で待機している事を知っていたのだ。

 だがスエズンから見える位置に停泊していても一隻たりとも聖都の領地に足を踏み入れたりしない限りは軍を動かす必要がないとの事らしい。


「な…何を悠長な! もし一揆勢がカイゼントーヤ王国に被害を出したら、戦争待った無し、なのですよ?! 聖都に不利益を出すというのでしたら一揆勢を止めるというのは如何ですか?」


「それでも必要無い。彼らはただ集まって聖都への不満を述べているだけ。それに何の罪があるの?」


「集合罪というものがあるでしょう?」


「それを取り締まるのは警備の仕事…軍の管轄じゃない」


 過去に何度も貴族連盟なる集団を捜査しているそうであるが、やっている事は貧乏貴族がサロンを開いて、今の聖都への不満を述べて、ああでもないこうでもないと討論しているだけだったという。

 集合罪とは、二人以上の者が他人の生命、身体又は財産に対し共同して害を加える目的で集合した場合において、凶器を準備して又はその準備があることを知って集合する事である。

 何度調べても鉄砲の一挺も見つかっていないそうな。

 サロンを開く程度の事で罪に問う事はできない。

 むしろ討論する事で少しは気が晴れるというのであれば御の字である。

 そう云ってのけた大将軍をヴァレンティーヌは信じられないものを見るような目を向けざるを得ない。

 といっても闇の中に小さな二つの光があるばかりでしかないが……


「あ、呆れて物が云えないとは、まさにこの事ですわ。ヴァイアーシュトラス公爵は聖都を攻める切っ掛け、つまりローデリヒ皇子の蹶起けっきを今か今かと待ち構えているというのに聖都軍を束ねる大将軍ともあろう御方が何を暢気な事をおっしゃっているのですか」


 貴方は聖都スチューデリアを愛していないのですか――思わず叫んでしまったが無理もない話だろう。


「愛? ボクが? 聖都スチューデリアを?」


 優しげでもあり悪意が隠されているようにも聞こえる声で云ったものだ。


「ボクはこの国を愛してなんかいないよ」


「はい?」


 よもや何十年以上も聖都スチューデリアを外敵から守り抜いてきた大将軍の言葉とも思えなかった。


「ボクがここにいるのはレティシアに頼まれたからだ。“聖都スチューデリアを守護まもってくれ”とその身を差し出した・・・・・・・・・からこそボクはスチューデリアを守護っている」


 青白い光がヴァレンティーヌの鼻先まで足音ひとつ立てずに近づいてくる。

 しかし闇の中とはいえ、それでも大将軍の顔を見る事は出来ない。

 そして思い出す。自分は大将軍の顔・・・・・を知らない・・・・・のだと。


「あ、貴方は……」


「ボクがこの国に入り込んだ敵を滅ぼしているのは、レティシアとの契約を履行・・・・・しているからに過ぎない。そしてレティシアとの契約・・には聖都に敵が入る・・・・・・・のを防ぐ事・・・・・は含まれていない。それだけの事だよ」


「れ、レティシア……女帝レティシア?」


 歴代の聖帝の中で女性が即位したのは一度だけだと歴史書には記されている。

 そして女帝レティシアが君臨していたのは二百年も前・・・・・の事である。


「大将軍閣下……貴方は何者なのですか?」


 紅茶で潤ったはずの喉がひどく渇いている。

 ひりつく喉で生唾を飲み込み、何とか湿らせながら問う。

 すると青白い光から優しげな笑い声が聞こえてきた。

 だが、如何に優しい声であろうとヴァレンティーヌは一つも安心できない。


「今更かい? 今更、ソレ・・を問うのかい。二百年以上も聖都軍を指揮していたボクに何も疑問をいだく事もなかったのに今更になって訊くのかい」


 途端に執務室の中が強い獣臭に満ち満ちている事に気付く。

 剥製なんかではなかった。獣臭いのは・・・・・大将軍・・・その人・・・だったのだ。


「ボクはね…存在していない・・・・・・・んだ」


「存在していない?」


「ボクには名前が無い。正確に云うと親につけて貰った名前を知らないんだ。名前が無い者は存在しないと一緒さ。そうは思わないかい?」


 否、仮令たとい名前が無いとしても大将軍は今この場に…

 そこまで考えてヴァレンティーヌは青白い光の下、光の位置が目としたら胸があると思しき所に手を伸ばす。


「無い…何も…」


 執務室には自分以外の者は誰もいなかった。

 少なくとも青白い光には実体が無かった・・・・・・・のである。


「聖都スチューデリアを守護する代償として歴代の聖帝達はボクに魂と肉を捧げてきた。特にレティシアは美味しかったなぁ……」


 獣の臭いが強くなっていきヴァレンティーヌは思わず袖で鼻や口元を覆った。

 その上、耳元には獣の息遣いまで聞こえてくる。


「レティシア以来、女帝が出現しなかったのは才ある女性が生まれなかったからじゃない。ボクに食べられないよう適齢になるとみんな嫁いでしまうんだ。この国を変えようとレティシアのような女帝を目指す姫は大勢いたんだけどね。聖帝になればボクへの貢ぎ物とならなければならないと知った途端にお嫁に行ってしまうのだから気骨が無いにも程がある。そうは思わないかい?」


 生臭い息がヴァレンティーヌの顔、否、全身にかかる。

 ねっとりとした視線を感じるが情欲は一切感じない。

 この獣・・・はひどく腹を空かせているのだろう。


「私を食べるおつもりですか?」


「まさか…代償を貰わずに食べる事なんて出来ないよ」


 問いの答えは意外にも否定であった。


 但し――大将軍は期待を込めて続ける。


「但しだ。話を最初に戻すけど聖都軍を動かして欲しいんだよね?」


「ええ、それで軍を動かす為の“但し”とは?」


「分かっていて訊くのかい? 勿論、答えは決まっている。軍をスエズンに派遣する代償として……」


 ヴァレンティーヌのドレスが引き裂かれて、陰で絶壁・・と人々から揶揄されている薄い胸が露わとなる。

 巨大な爪に襲われたようであるがドレスが破られただけでヴァレンティーヌの体には傷一つついてはいない。

 それどころか、ドレスを裂かれた瞬間、何も彼女には触れてはいなかった。

 空気の流れすら感じる事もなかったのである。


「ボクのあぎとにお入り」


 砂漠の熱風のような灼熱の息がヴァレンティーヌの目前に迫る。

 しかし見えぬ獣の前で裸身を晒しているにも拘わらず臆する事なく彼女は深々と溜め息をつきながら云ったものだ。


「呆れた御方ですわね。私は同意を示した覚えはありません事よ?」


 ヴァレンティーヌは修復したばかりの愛刀を手にする。

 ゲルダの養母セイラから贈られたサーベル『エペ・デ・リュミエール・セイラ』はゲルダの『水都聖羅すいとせいら』同様に生きており、治療魔法で修復する事が可能であった。

 ただ、生きているという事は意思もあるという事でもある。

 先のヴァイアーシュトラス公爵との戦いで犠牲にしてしまった事で斜めとなった機嫌を直す為に色々・・とさせられていたという。


「同意が無いという事は契約が為されていないという事。そして契約も無く、仕事もしていないというのに代価を要求する事は詐欺に当たります。“光”と“希望”を司る『獅子』の聖女として大将軍閣下の詐欺行為を見過ごす訳には参りませんわ!」


 フラットな胸を反らしながら悠然とサーベルを突き付ける。


「それもそうだね。ここ数年は何も食べてなかったからか、お腹が空いていてね。少々、早合点してしまったようだ。お詫びをしよう」


「では軍を動かして頂けますので?」


「いや、それはない」


 あくまで聖都軍を動かすには代償を要求するつもりらしい。


「ドレスの弁償なら結構ですわよ? あれ・・は私の魔力で構成していましたので」


 ヴァレンティーヌの体が光輝き、その光はなんと物質化して黄金の甲冑となる。

 胸に獅子の意匠を凝らした鎧を纏った姿は威風堂々としており、聖都軍の頂点を前にしても決して引く様子は無かった。

 しかし、これほど強い光であっても執務室を支配する暗闇を照らす事はない。

 未だヴァレンティーヌは大将軍の腹中にいた。


「私の要求は只一つ! 聖都軍を動かして頂きたい。それだけですわ! 私に詫びるとおっしゃるのであれば、決闘する権利を頂きましょう! 私の裸を見て良いのは、未来を担う若き・・少年少女だけですわ! その代償こそ大きいと思し召し遊ばせ!」


「君のいう未来を担う少年少女は若すぎる・・・・と思うけどね」


 どうやら大将軍はヴァレンティーヌの性癖を承知のようである。


「まあ、いいや。たまには聖帝以外と遊ぶのも悪くない。その決闘、受けてあげるよ。君が勝ったら無償で聖都軍をスエズンに送ってあげようじゃないか」


 ヴァレンティーヌは執務室の闇が深くなっているように感じた。

 いや、そうじゃない。“闇”が凝縮しているのだ。


「お見せしよう。何故、聖都が今まで他の部族や国、そして魔界から侵略を受ける事がなかったのか。その理由を君は知る事になるだろう」


 “闇”が一点に凝縮された事で執務室を包んでいた暗闇が薄れ、ヴァレンティーヌの鎧から発せられる光によって室内が照らし出された。

 あるのは使い古された丸いテーブルと椅子、そしてアンティークのティーセットがあるだけで他には何も無かった。

 それどころか、彼らがいるのは執務室ではない。

 崩れ去った家がぽつんぽつんと見える大昔に滅んだと思しき村であった。

 滅んだといっても焼き尽くされたのではない。

 ただ人が住まなくなって地図から消えた過疎の村なのだろう。

 現に人はいないが、怨念の類も無い。

 寒々しい光景があるばかりだ。

 否、まだある・・・・

 村の中央に大きな黒い球体が渦を巻いて存在していた。


「さあ、決闘だ。ここ・・は外界から遮断されている。どれだけ暴れてもスチューデリア城には被害が及ばないから思う存分かかっておいで」


「こ、これが大将軍閣下の正体……?」


「逆に云えば、どれだけ泣き叫んでも誰も助けになんて来てくれないけどね。けど、ボクとの決闘を申し込んだのは君だ。今更、文句は受け付けないよ」


 “闇”から何が這い出ていた。


「そういう事でしたか…ヴァイアーシュトラス公爵が何故、復讐をするのにあれだけの手間を掛けたのが理解出来ましたわ。ただ武力に訴えただけではカイゼントーヤ軍の力を借りても簡単に踏み潰されてしまうでしょう。公爵が十年以上もかけて国力を低下させた理由は貴方を弱体化・・・させる事にあったのですね」


「ただ。ちょっと困った事がある。決闘というからには名乗りをあげるのが礼儀というものだけど、生憎、さっき云ったようにボクには名前が無い。どう名乗ったものかな?」


 続々と・・・這い出てくる決闘相手にヴァレンティーヌの頬が引き攣る。


「そうだね、こんなのはどうかな?」


 ヴァレンティーヌに向けて各々・・武器を構えて名乗りをあげた。


「ボクは成れの果て・・・・・! 軍の派遣を賭けて全力でお相手しよう! ボクが勝ったら君には贄になって貰うよ!」


 女帝レティシアが! 先代聖帝が! 先々代が! そのまた前の聖帝が!

 雄々しく剣を振り上げる騎士が! 弓を構える軽騎士が! 傭兵が!

 農具を武器にした農夫が! 銃を持った商人が! 懐剣を構える娼婦が!

 職人、貴族、果ては敵国の隠密に至るまで老若男女美醜貴賤の区別なく、闇からでてヴァレンティーヌに襲いかかった。


「聖都スチューデリアの守護神と謳われた大将軍閣下の正体が怨霊の集合体だったなんて笑い話にもなりませんわ!」


 大剣を振りかぶった騎士の一撃を搔い潜りながら胴を薙ぐと断末魔をあげて騎士は消滅した。

 光属性に特化した力を持つ愛剣『エペ・デ・リュミエール・セイラ』はこの世に強い怨みを持つ怨霊や悪魔に対してこそ威力を発揮する。


「我が名はヴァレンティーヌ! 聖都に潜みし怨霊に救いをもたらしましょう!」


 こうして『獅子』の聖女と聖都軍を纏めている大将軍との決闘は幕を上げる。

 彼らの頭上では血腥ちなまぐさい未来を嗅ぎつけたのか、月が血のような禍々しい光を放っていた。

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