第陸拾陸章 公爵の復讐

「ご無礼を致しました」


「ここは?」


 つい先程まで自分達はスチューデリア城の中庭に居たはずだ。

 しかし気が付けば周囲は墓石に囲まれているではないか。

 ここは聖都スチューデリアなのであろうか。

 それにしては蒸し暑い。春は近いがまだ肌寒い時期である。

 場所どころか季節まで変わってしまったかのようだ。


「ここはヴァイアーシュトラス家の知行地の一つ、スエズンですわ。加えて申せば街の共同墓地の一角に御座います」


「スエズン…体を光に変じる転移魔法を用いても数十秒はかかる距離を一瞬で…」


「我らが崇める地母神クシモ様のお力をお借りして霊脈を辿れば光より速く目的地に辿り着く事が可能ですわ。しかも態々その身を光に変ずるプロセスを必要としませんので体にかかる負荷はほぼ無いと申して良いでしょう」


「地母神クシモ…やはり貴方は慈母豊穣会の…」


 ヴァイアーシュトラス公爵家の領地とはいえ堂々と禁教の信徒であると明かすローゼマリーにヴァレンティーヌは驚きよりも呆れが先に来てしまう。

 しかし次の瞬間、首を掴まれて締めつけられてしまった。


「ぐがっ?!」


「異教の聖女が! 偉大なる地母神様を呼び捨てにするとは何と無礼な!」


 この細腕のどこにそんな力があるのか、右腕一本でヴァレンティーヌの長身を持ち上げられるローゼマリーの顔は憤怒に彩られていた。

 首を絞められる事より、今の今まで頬笑みを絶やさなかったローゼマリーが鬼の形相と化して罵声を浴びせてきた事に驚きを隠せない。


「あ…私とした事が何てはしたない。重ね重ねのご無礼、お許し下さいませ」


 すぐさま怒りの感情を消すやヴァレンティーヌを解放して頭を下げた。


「いえ、己が神を呼び捨てにされては誰もが怒るでしょう。今のは私が軽率でした。こちらこそお詫びを申し上げます」


 ヴァレンティーヌは自らの失態を恥じて頭を下げた。


「えっ?」


 頭を上げたヴァレンティーヌの目が点となった。

 何故ならばローゼマリーが一糸纏わぬ姿となっていたからだ。

 しかも腰から蝙蝠にも似た翼が生えており、頭には山羊を思わせる角が二本飛び出しているではないか。


「あら、いやだ…私ったら本当にはしたない…御免遊ばせ」


 翼や角が瞬時に消えるがローブは元には戻ってはいなかった。

 代わりに豊かな金髪が体に巻き付いてその身を隠す。


「貴方…よもや吸精鬼サッキュバスですの?」


「正確には地母神様より力を授かるのですわ。地母神様の信徒になった証として常人より優れた肉体と精液や血液から相手の力と知恵を得る能力をね」


 ローゼマリーは下腹部にて妖しくピンク色に光る紋様を愛おしげに撫でる。

 聞いた事がある。かつてクシモは地母神から淫魔へと陥れられた事があった。

 実り豊かなクシモの支配する土地を狙って星神教が攻め入った悪しき歴史だ。

 土地ばかりか穏やかに田畑を耕して暮らしていた信徒を悉く殺されたクシモは怒髪天を衝く勢いで怒気を発し、信徒の魂を自らの胎内はら吸精鬼サッキュバス吸血鬼ヴァンパイアに産み直して強大な軍団を創り出した。

 通常のサッキュバスと違う、否、恐ろしいところは相手から奪った精液や血液を糧にするだけではなく、力や知識、技能を奪う事ができた。

 星神教の望み通りに淫魔の王となったクシモと力を蓄え続けた淫魔軍は星神教に対して復讐戦争を仕掛けたのは前述した通りである。

 結果、淫魔王は勇者に斃され、封印を施されたが、あろうことか勇者の子である三池月弥によりクシモは復活を果たし、再び信徒を集めて強大な宗教組織を起ち上げてしまう。

 それこそが慈母豊穣会であり星神教にとって最大の禁忌となったのである。

 更には星神教の最高神である太陽神アポスドルファによる神罰を受けて星神教徒は全滅寸前まで追いやられてしまったという。

 自らの繁栄の為に他教とはいえ神を淫魔に貶め、その信徒を殺戮した罰だ。

 その故事から星神教は慈母豊穣会と争う事を禁じられ、総本山である聖都スチューデリアでは禁教にしたという経緯があった。

 ヴァイアーシュトラス家は元々地母神の信徒であり、スチューデリアから土地を奪われていたがスエズンを始めとした領土が返還された。

 しかしヴァイアーシュトラス家がかつて支配していたのは聖都スチューデリア全土であった故に返還されたと云っても極一部に過ぎず、しかも公爵の地位を与えられた事にこそ怨みの根源があった。

 聖都スチューデリアは解体されず、土地の返還は一部のみ、しかも公爵家にほうぜられた事で聖都スチューデリア延いては星神教の下に組み込まれてしまったのだ。

 ヴァイアーシュトラス家の怒り、憎悪たるや推して知るべしである。

 だからこそ彼らはその屈辱に耐えつつ虎視耽々と復讐の機会を狙っていたのだ。


「ヴァイアーシュトラス家の目的は無惨に殺された信徒の復讐と聖都から土地を取り戻す事にあったのですね」


「それは先祖からの宿願ですわ。しかしそれだけ・・・・ではありません事よ」


 ローゼマリーの表情かおから微笑みが消える。

 しかし先程のように激昂する事はなかった。

 怒りはあるが、それを堪えるように能面の如く無表情となっていたのである。


「それが私を墓地に誘った理由ですのね? 誰にも聞かれたくないのか、私を秘密裏に始末する為か、と勘繰っていましたが、貴方はヴァイアーシュトラス公爵の怒りの根源を見せると云った。それが墓地ここにあるのですか?」


「ええ、こちらへ…」


 元々の気質なのか生まれたままの姿であっても羞恥を感じている様子はない。

 魔女でも全裸にされれば身を隠すというのに対した度胸である。

 変な事に感心しながらヴァレンティーヌはローゼマリーに従って歩く。


「これは…無縁仏?」


 案内されたのは名を刻まれていない墓標が立ち並ぶ一角であった。

 ローゼマリーはその一つの前に跪くと髪が土に触れるのも厭わずに祈りを捧げる。

 ヴァレンティーヌもまた縁無き死者の為に両手を合わせて冥福を祈った。


「私の祖母ですわ」


「お祖母様? その方が何故なにゆえ無縁仏に?」


 立ち上がったローゼマリーは再び頬笑みを浮かべていたが、その顔はヴァレンティーヌには泣いているように見えてしまう。


「お祖母様は先代、つまりお祖父様の妻だった方です。それはそれは美しく、そして聡明で優しかった」


 善き思い出があるのか、ローゼマリーの微笑みには邪気が全く感じられない。

 目尻から零れる一筋の涙もそれを物語っていた。


「しかし、その美しさが悲劇を生んでしまったのです」


 ヴァレンティーヌは無言のまま頷いて先を促す。

 相槌を打つ事さえ憚られたのだ。


「貴方もご存知の事でしょう? 歴代の聖帝陛下が大変に色を好まれている事を」


 そういう事か、とヴァレンティーヌは察した。

 星神教の教皇には清廉を求められるが聖帝はその限りではない。

 ローゼマリーの祖母は人の妻でありながら聖帝の手がついたのだろう。

 それがヴァイアーシュトラス公爵の個人的な怒りか。

 否。ヴァレンティーヌはすぐさまその考えを振り払う。

 あってはならない事ではあるが母親が聖帝の手籠めにされたとして先祖代々受け継いでいた怨念を爆発させるには至らないと思い直したのだ。

 歴代聖帝の女癖の悪さは最早定評であり、母や妻を手籠めにされたなどという話は枚挙にいとまが無い。云い方は悪いが今更であろう。

 仮に怒りを爆発させるのであれば当代ではなく先代であるはずだ。


「聖帝陛下の御手がついたお祖母様はいつしか身籠もっていました。しかし子供を認知したくなかった陛下はお祖母様をヴァイアーシュトラス家へ戻し、お祖父様にこうおっしゃったそうですわ」


「めでたいな。これで貴公にも世継ぎが出来たか。祝福して進ぜよう」


 これほどの屈辱を受けても先代は何も云わなかったそうである。

 むしろ聖帝の祝福に感激すらしていたと云う。


「お祖父様は先祖より続く聖都への怨みをご自分の代で終わらせるおつもりでした。だからこそ妻を寝取られ、子を押し付けられても"自分さえ我慢すれば、先祖の怨みを後代に遺さなければ、ヴァイアーシュトラス家は安泰だ”と拳を握り締めて耐えてこられたのですわ」


 先代は生まれた子にグレゴールと名を与え、嫡男として大切に育てていたそうな。

 しかし先代の忍耐を嘲笑うかのように事件が起こってしまう。

 次期聖帝と目されていた皇子が大病を患い、代わりの皇子が必要となったのだ。

 当時、皇子は一人だけで他の子は皆、姫君であった。

 貴族達はここぞとばかりに自分の子を姫の婿に売り込み、あわよくば次期聖帝にしようと躍起になったという。

 浅ましい貴族達に辟易していた聖帝はもう一人男子がいる事を思い出した。

 そう、グレゴールである。

 しかしグレゴールの母は聖帝に陵辱されただけならまだしも、まだ幼い我が子と引き離されるのだけは御免だとグレゴール、幼名ユルゲンを抱いて公爵家から出奔してしまう。


「我が子を連れ戻せ! 邪魔をするなら女は殺しても構わぬ!」


 怒り心頭の聖帝より発せられた勅命を受けた先代は妻と子供を捜し当てる。

 いや、見つけてしまったと云った方が良いのかも知れぬ。

 聡明とはいえ妻が頼れる場所は皆無に等しく、彼女は実家に匿われていたのだ。

 子を抱きしめて拒む妻に先代は剣を抜く事で応えた。


「陛下の勅命である」


 血に濡れて鬼気迫る顔をした先代が赤ん坊を抱いて謁見の間に現れたのはその翌朝の事であった。


「しかし当代いまの聖帝陛下は…」


「ええ、父ではありません。大病を患いながらも皇子は生還されたのです。そしてお后を娶られ、男子にも恵まれました。そうなると父は用済みです」


 後継者争いに負けたグレゴールはほぼ追放される形で城から出されたという。

 彼はヴァイアーシュトラス家を継ぐ事を許されたが内心は怒りと屈辱で燃え上がっていた。


「母上の仇!」


 家に戻されたグレゴールは先代をなますのように刻み殺した。

 幼かった彼にとって最初の記憶とは、まさに母に刃を振り下ろす父と息絶えるまで微笑み続けた母の子守唄であったという。

 しかも母は聖帝の子を拐かした狂女として公爵家は当然の事、実家の墓にも入れて貰えず無縁仏として葬られているのだ。

 とてもではないが許せるはずもなかった。

 しかしグレゴールが親殺しの罪に問われる事はなかったそうな。

 グレゴールへの罪滅ぼしのつもりだったのかは分からぬが、その程度で怒りの炎が鎮まるはずもなく、グレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラスは復讐の鬼と化したのである。


「こ、これがヴァイアーシュトラス公爵の怒りの根源…」


「そうです。自分を子供と認知しなかったクセに、いざとなったら母を殺してまで連れ戻しておいて、しかし皇子が健在となればあっさりと捨てる。許せる方が可笑しいとは思いませぬか?」


 紅い瞳に睨まれてヴァレンティーヌは言葉に詰まってしまう。

 否定も肯定も出来ない。いや、公爵の怒りはもっともであるし、先代聖帝と先代当主、そして聖都スチューデリアそのものに復讐したいという気持ちも分かる。

 しかしやり方には賛同しかねるのだ。

 その為に娘を皇子に抱かせているし、禁教である慈母豊穣会である事が発覚すれば命は無い。


「あ、貴方はどうお考えなのですか」


「どうとは?」


「貴方はお父君の復讐の道具にされる事に何も感じないのですか? 怨敵である皇族に純潔を捧げ、未来に待つのは禁教徒としての死です。ご自分が犠牲になる事に何とも思われないのですか?」


 復讐をやめろとは云えない。

 訳知り顔で復讐からは何も生まないと云うつもりもない。

 だが、その復讐に巻き込まれて不幸になる者がいる以上は聖女として、否、人として止めねばなるまい。


「ふふふふ…」


 ヴァレンティーヌの問いへの答えは不気味な含み笑いであった。

 ローゼマリーは愛おしげに大きくなった腹を撫でている。


「ええ、勿論、喜んでこの身を捧げますわ。この子はいずれ台風の目・・・・となる。帝室に禁教徒の血が入るなんて愉快ではありませんか」


「あ、貴方…そうですか。公爵がインゴや髑髏を使って時間稼ぎをしていたのは帝室の中に、あまり使いたくない言葉ですが、忌み児・・・を産み落とす事にあったのですね? 次期聖帝の嫡嗣が禁教徒の子であると発覚すれば、それだけで世界に混乱を招く事が出来る。如何に忌み児でも皇子の子であれば異端審問会でも闇に葬る事が出来ない。その子に何かがあれば民衆は星神教へ疑念を抱くのは必至。先の蝗害で多くの農民が離散して力が弱った星神教と聖都ではそれを押さえきる事は不可能…疑念は膨れ上がり、いつしか憎悪へと変わり…」


 そうか。そういう事だったのか。

 ヴァレンティーヌは漸くスチューデリアで起こっている事件が全て繋がっている事に気付いた。


「イルゼさんを標的まとにしたのは『虎』の聖女の肩書きが欲しかったからではなく蝗害からの復興を妨害する為だったのですね? いえ、そもそも飢饉だというのに貴族が揃って自分の領地の農民を虐げているのが可笑しな話だったのです。これも仕込みだったのですね?」


「ほっほ……ほっほっほっほっ、漸く気付いたでおじゃるか」


 ローゼマリーが髪の毛で扇子を作り、口元を隠して上品に嗤う。

 さっきまでとは様子がまるで違う。

 この雅な仕草はまさか?


「貴方はまさか……」


「ほっほっほっほっ、麿が転生武芸者であると明かした時に気付くべきでおじゃったな? 戦術家・ゲルダであればすぐに気付いたであろうが、流石は教皇ミーケ様でおじゃる。見事な援護射撃でおじゃりまするな」


 たおやかに微笑むローゼマリーにヴァレンティーヌは愕然とする。

 ローゼマリーなど初めからいなかったのだ。

 出生届は出されているが、公爵家ならその程度の絡繰りは容易いだろう。

 或いは実際に生まれてはいたが幼くして命を落としたかのいずれかであろう。


「ふっ、その通り、我が娘が数年前に夭逝した折りに今回の策を編み出したのよ。天魔宗の存在は既に察しておりましたからな。スチューデリアでの布教の後ろ盾になる事を条件に転生武芸者となったのでおじゃる」


「貴方は腹違いとはいえ兄の子、つまり甥にその身を捧げたのですか」


 ヴァレンティーヌの問いにローゼマリー、否、ヴァイアーシュトラス公爵は愉快そうに笑った。


「目的の為なら怨敵に抱かれる程度の事に躊躇いは無いでおじゃる」


「く、狂っている…」


「麿にとっては最大の褒め言葉よ。教皇ミーケ様の教えに「狂」というものがおじゃる。誤解されても困るので簡単に説明してやるが、この「狂」とは固定概念に捕らわれず常識を打ち破る勢いで信念に従って突き進めという教えでおじゃる。つまり一心不乱に自分の道を信じれば事を成し遂げられるという有り難い教えよ」


 公爵は両腕を広げて高らかに云う。


「聖都スチューデリア滅ぶべし!! 既に国のもといである農民の心は離れ、『神を見限った者達』によって各地に配備された近代兵器によって一揆の勢いは止まらぬ!! 聖女よ。そなたらは逃散百姓を救えば一揆は起こらぬと思っているようでおじゃるが甘いわ!! 不満分子は農民だけに非ず!! この数年で陥った不況に苦しんでいるのは商人も同じよ!! それだけではないぞ!! 貴族、騎士、職人、無宿の者共!! 聖都に怨みを持つ者は大勢いる!! この多種多様な反乱分子をとどめていられるかな?」


「止めてみせます! その為なら私はいくらでも非情になれます事よ?」


 ヴァレンティーヌが愛用のサーベル『エペ・デ・リュミエール・セイラ』を抜いて切っ先を公爵の鼻先に向けた。右足を出し腰を落とす半身の構えとなる。

 左手は剣と反対側に伸ばしてバランスを取る。


「まずは貴方を拘束させて頂きます。勿論、お腹の子には危害は一切加えませんわ。その上で生まれた子は忌み児ではなく普通の子として平穏な暮らしをさせましょう。決して貴方の復讐の道具になどさせません。ローデリヒ皇子には死産であったと伝える事にします。我が子の誕生を心待ちにしているローデリヒには可哀想ですが生涯我が子を抱く事も会うこともないでしょう」


「ほっほっほっほっ、面白いでおじゃる。そなたの血煙をもって我が復讐の狼煙のろしにして進ぜようぞ」


 ヴァイアーシュトラス公爵の体に絡みついた髪が硬質化して鎧に変じ、右手に絡んだ髪が伸びて一本の刀となる。


「慈母豊穣会・スチューデリア支部・枢機卿にして三池流剣術・玄武衆が一人、グレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス! 推して参るぞ!!」


 人気の無い夕闇迫る墓地にて二人の淑女が激突しようとしていた。

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