第陸拾㯃章 墓場での攻防

「はあっ!」


 先手はヴァレンティーヌだった。

 全身のバネを使い腕のみならず体を伸ばして攻撃を繰り出す。

 女性としては長身である彼女が全身の関節を最大限に利用して突けば威力だけに留まらず速度や間合いの利も得る事が出来た。


「何の!」


 ヴァイアーシュトラス公爵も三池流剣術の免許皆伝を許されている達人である。

 しかも宗家である三池月弥の薫陶を受けた高弟の一人だ。

 神速の突きを難なく捌いていく。


「並の騎士ならば蜂の巣・・・・にされよう。だが麿には通じぬでおじゃりまするぞ!」


 今度はヴァイアーシュトラスの方から斬り込んでくる。

 ヴァレンティーヌは咄嗟に左腕の装飾に見せ掛けた手甲で防御しようとして、


(これは受けてはいけない)


 と察して右足で地を蹴って後ろに跳んだ。

 しかしヴァイアーシュトラスは一度躱されただけでは攻撃の手を止めない。

 息もつかせぬ連続攻撃にヴァレンティーヌはやむなく両者の間に墓石が入るように移動する。


「甘いわ!」


「あうっ?!」


 何とヴァイアーシュトラスは巨大な墓石があるにも拘わらず剣の形を成している金色こんじきの髪を振り下ろした。

 するとヴァレンティーヌの右手の甲に鋭い痛みが走り鮮血が飛んだ。

 遅れて二人を隔てる墓石に亀裂ができて斜めに両断されたではないか。


「三池流極意『月輪がちりん斬り』…この極意がある限り、如何なる盾も防御の技も意味を為さぬ。悉く斬り裂かれる運命にあるのでおじゃる」


 基本的な技を覚え、それらを応用した技の全ての修得を認められた朱雀衆の中でも奥義取得に相応しい者が選ばれ、初めて奥義の存在を明かされる。

 そして青龍衆に組み込まれ、師範代の役目を与えられるのだ。

 そののちに極意である『月輪斬り』の修行を許されるという。

 ただし師からは「月を斬れ」という言葉しか与えられず、修行者は苦悩に満ちた日々を過ごす事になるだろう。

 中には月に向かって素振りを始めてしまい逆に悪癖がついてしまう事で剣士として致命となり挫折する者も少なくないそうな。

 現宗家である三池月弥とて修行時代は毎晩枕を叩き、悔し涙に濡れていたものであるが、ある日の事、友人に川遊びに誘われたという。

 修行が煮詰まっていた月弥は気分転換に誘いを乗ったがそれが僥倖であった。

 川面かわもに反射された陽光に目が眩んだ瞬間、天啓を得たのである。

 その晩から月弥は水面みなもに映る月を斬る修行を始めた。

 初めは水を叩いた飛沫に濡れるだけであったが、これこそが正解であると確信を抱いていた月弥は三年間、雨の日も雪の日も水を斬り続けた事でついに川面の月を両断する事に成功する。

 その頃には月弥の剣は洗練され無駄な動きも無くなっていたとされる。

 しかも形の無い水を斬り続けた事で水のみならず火や風も斬る事が可能となり、凡庸な剣を用いたとしても地を斬り、鉄をも斬り裂くに至ったという。

 森羅万象の全てを斬る事が可能とするこの極意こそ『月輪斬り』であり、更に極意を得ている事を前提とした奥義を学んでいくのである。

 ヴァイアーシュトラスは「月を斬れ」と月弥から命じられると瞬時にして水面に映る月の事だと理解したという。

 幼い姿の教皇が修得している事に加えて彼が下段の構えを善く遣う事から推理したとの事だがまさ正鵠せいこくを射ていた。

 一年の後、道場に姿を現したヴァイアーシュトラスを見た瞬間、月弥は彼にある試練を与えたそうな。

 それは一体の土人形を斬れというものだった。

 勿論、三池月弥がただの人形を用意するはずもなく、藁を巻いた孟宗竹を骨に見立てた芯を入れ、アラミド繊維を用いた防弾防刃ジャケットを着込み、更には強化アクリルの盾を持たせている特別製だ。

 『月輪斬り』修得の最低ラインであり、青龍衆からは『月輪許し・アラミド斬り』と恐れられていた。

 挑戦者はまずアクリルの盾に弾かれ、修行が足りぬと嗤われる屈辱を味わわされるという。

 修行を練り直し、盾を斬ったとしても防刃ジャケットに阻まれる。

 やっとの思いでジャケットを斬り裂いても人骨に匹敵すると云われる孟宗竹に刃を食い込ませて不合格を云い渡されるのだ。

 青龍衆の中には『月輪許し』を得る為に十年以上も費やす者もおり心を折られてしまう者も往々にしているらしい。

 『月輪斬り』を修得し、奥義を得た玄武衆に成功者が多いのは『アラミド斬り』を攻略する過程で鍛えられた精神の賜物という声があるのも頷ける話だ。

 そしてヴァイアーシュトラスは一度の挑戦で成功したと云われている。

 彼が水面に映していたのは月ではなかった。

 母を陵辱し、自分の人生を弄んだ聖帝の顔であると真しやかに囁かれている。

 しかし月弥は『月輪許し』を与え、手ずから奥義を伝授したという。

 試験に合格さえすれば水面に夢想するものが月だろうと怨み積もる敵の顔だろうと問題ではなかった。

 月弥とてたまには無茶な修行を課す先輩の玄武衆の顔を斬ったものである。

 こうしてグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラスは玄武衆の一員となり、異世界の公爵家という事もあって聖都スチューデリアに潜伏する慈母豊穣会の信徒を保護し導くスチューデリア支部・枢機卿の地位を与えられたのだ。


「ほっほっほっほっ、女をなぶる趣味は無い。一思いにその首を刎ねてくれよう。それともインゴのように唐竹割りにして進ぜようかな?」


「莫迦にしてくれますわね。要は斬られなければ良いだけの事ですわ」


 防御が出来ないのであるならば躱すまでの事だ。

 確かにヴァイアーシュトラスの斬撃は速いが躱せぬ程でもない。

 ましてや速さならば自分も自信がある。

 要は相手よりも先に自分の攻撃を当てれば良いのだ。

 自分の力量ならそれが可能であるとヴァレンティーヌは分析していた。


「『月輪斬り』が万物を斬るというのであれば私のサーベルは全てを貫きますわ」


「ほっほっ、これは面白い。ならばどちらが本物のであるか勝負と参ろうぞ」


 ヴァイアーシュトラスは切っ先を下げて右下段の構えに移行する。

 ヴァレンティーヌを斬り上げるという意図が隠されていない。

 しかも体を前傾させて右足に力を溜めている。

 あからさまに突進からの斬り上げへの連続技だという構えだ。

 対してヴァレンティーヌは弓を引き絞るように右手を捻っている。

 こちらも神速の突進から突きに移行する構えだがサーベルに回転を加える事で威力をも引き上げようとしていた。


「いざ!」


 ヴァレンティーヌが気を発する。


「尋常に!」


 勝負の気配を感じ取ってヴァイアーシュトラスが応える。


「「勝負!!」」


 ヴァレンティーヌが全身のバネを使って飛び出す。

 同時に捻っていた腕を伸ばす事でサーベルに回転を加えながら突きを繰り出した。


「許して下さい! 『獅子王閃爪剣』!!」


 いきなりの謝罪に一瞬だけ出遅れたがヴァイアーシュトラスも地面に足跡を残す勢いで突進して下段に構えていた剣を振り上げる。

 しかも最短距離の直線で来るサーベルと違い、弧を描く刀の方が速くサーベルの切っ先を斬り飛ばしてしまう。

 両者は擦れ違うが、その時にはヴァイアーシュトラスはすでに振り返っていた。

 更には斬り上げていた髪の剣は峰を返して振り下ろされていたのである。

 

「三池流『三日月』!!」


 剣の軌跡が美しい弧を描く事から名付けられ、本来であれば前後にいる敵を素早く斃す技だ。

 前方の敵を斃しながらも後方の敵の気配を捉えおく高度な空間把握能力が求められる難易度の高い三池流奥義の一つである。

 今回は相手の剣を破壊して擦れ違い、振り返りざまにヴァレンティーヌに斬り掛かるように応用したのだ。


「なっ?!」


「遅いですわ!」


 しかし振り返った時にはヴァレンティーヌもまた転進していたのだ。

 ヴァイアーシュトラスは教皇ミーケが育て上げた高弟であると会話で察していたヴァレンティーヌは、自分の力量では如何に速度と威力を上げた所で三池流奥義には通用しないであろうと分析していた。

 しかし彼女の分析能力はその上で勝利の為の秘策を編み出していたのである。

 まず戦ってみて気付いたが、ヴァイアーシュトラスの全身に絡みついて鎧と化している髪が逆に動きを妨げているように感じられたのだ。

 テーピングでもガチガチに巻きつけてしまえば動きが制限されるというものだ。

 昔、ゲルダと共に怪我人を治療していた際に傷を少しでも塞ごうと包帯をキツく巻いてしまった事があり、それでは動けなくなってしまうぞ、と叱られたのを思い出したのである。

 ヴァイアーシュトラスの動きはさながら包帯を過剰に巻かれてしまった者特有の動きを想起させたのだ。

 全身を隙間無く覆い鎧のように硬質化した髪は隙が無いように思えるが、逆に云えば関節の動き、筋肉の動きを封じてしまっていた。

 ゲルダが教皇ミーケに捕らわれた後にヴァレンティーヌは三池流について調べた事があり、その修行には防具をつけないと知る。

 常在戦場を謳っている三池流は如何なる状況にも対処できるように稽古には防具をつけないのだという。

 逆に云えば鎧を装着する事には慣れておらず、ヴァイアーシュトラスのように全身を防具で包まれてしまえば動きが制限されてしまう弱点があった。

 つまり身軽さも売り・・である三池流の本領を発揮できないと云えた。

 そこで敢えて自分の武器を破壊させる事で油断を誘ったのである。

 『月輪斬り』という万物を斬る事が可能な三池流は敵の武器破壊も戦略の一つであるという。

 だからこそヴァレンティーヌもまた威力重視の奥義を遣う事で武器破壊を誘う。

 これによりヴァイアーシュトラスは勝利を確信し、動きに加えて心をも鈍らせる事になるであろうという捨て身の作戦だ。

 ヴァレンティーヌの謝罪は犠牲にする愛用の剣に対してだった。

 ヴァイアーシュトラスが擦れ違いざまに転進する事は想定済みであったが、ヴァレンティーヌの思惑通りにこちらが振り返るよりも遅かった・・・・のである。


「云ったはずです。お腹の赤ちゃんに危害を加えるつもりはありません、とね」


「ぐがっ?!」


 ヴァレンティーヌの肘がヴァイアーシュトラスの脳天に落ちる。


「ゲルダさん直伝、『髑髏割り』! 罪人とはいえ時間稼ぎの為に髑髏にされた方達の痛みを少しでも味わいなさいな」


 女性の身でも十分に威力を発揮する事が出来る肘打ちは武芸百般のゲルダによって考案された聖女達の切り札の一つであった。

 転生武芸者となって強化された身であっても頭蓋骨の縫合をズラされてしまえば一溜まりもないであろう。

 ヴァイアーシュトラスは脳天から血を噴水のように噴き出しながら白目を剥いて立ったまま意識を失っていた。

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