第陸拾伍章 虎穴に入った獅子

「これはこれは『獅子』の聖女ヴァレンティーヌ様、直々の御運びとは光栄ですね。この『虎』の聖女ローゼマリー、歓迎致しますわ」


「冗談も過ぎれば笑えません、といつか申した記憶があるのですが、もうお忘れですか? 我々聖女は貴方が聖女になった事を認めてはおりません事よ」


「あら、非道いおっしゃりようですわね。私が聖女である事は教皇様、枢機卿様、そして聖帝陛下の認可を受けての事ですわよ?」


 聖都スチューデリアは聖帝のおわす白亜の宮殿、スチューデリア城にてヴァレンティーヌとくだんの令嬢ローゼマリーが対峙している。

 ヴァイアーシュトラス公爵の目的がローゼマリーの出産までの時間稼ぎであると推理した聖女達は真意を問い質すべく、すぐさま行動を起こしていた。

 ヴァレンティーヌは登城とローゼマリーとの面会を要請する。

 正式な聖女であるヴァレンティーヌであれば要請は不要であるがローゼマリーを詰問するにあたって少しでも反撃の隙を減らそうという考えからだ。

 仮にローゼマリーが何らかの陰謀に加担していると認めたとしても、後々に"急に現れて詰られてしまった事で狼狽し、糾弾されるままに罪を認めてしまった”などと云い訳をされては面倒な事になるからである。

 二人の面談に選ばれたのは陽当たりの良い中庭に設けられたテラスであった。

 妊婦であるローゼマリーに階段を上り下りさせぬよう慮ったである。


「その御三方の認可が何だと云うのです? 聖女とは神に選ばれた者のみが拝命できるのですよ。なりたいからなれるというものでもはありません。たとえ教皇様や聖帝陛下の推挙があろうと神から認められなければ名乗る事さえ許されないのですよ」


 況してや枢機卿は罷免され、教皇もまた天魔宗に唆されて星神教を裏切り、転生武芸者と呼ばれる人ならざるものに転生してしまっているのだ。

 余談になるが、星神教の教皇であったキルフェはベアトリクスの船上娼館にて海上で隔離されている。

 教皇ともあろう者が枢機卿オリバーの傀儡かいらいであった事も問題であるが、枢機卿の支配から逃れる為に罪の無い秘書を犯して母胎にし、転生武芸者という怪物に成り果てているのを世間に知られる訳にもいかなかったからだ。

 当人も六十路むそじを過ぎて童貞の戒律を守り続けてきた反動か、セックスに傾倒しており、常に五人ほどの娼婦をはべらせておけば大人しいものである。

 そんな事情から彼らの認可など無効となってしまっていると云っても良いだろう。

 聖帝の推挙にしても神の意思の前では意味も無く、ローゼマリーがいくら『虎』の聖女で御座います、と名乗ったところで只の酔狂で済まされてしまうのだ。

 それどころか聖女を詐称したとして罪に問われる可能性まであった。

 これまで彼女が無事だったのは次期聖帝と目されている第一皇子ローデリヒの婚約者であり、彼の子を身籠もっているからでしかない。

 しかも臨月を迎えている事もあり、少なくとも出産までは罪に問うどころか逮捕すら免除されているのが今の状況である。


「そこまで踏まえた上でお訊きします。貴方の、いえ、ヴァイアーシュトラス公爵の目的は何なのですか? イルゼさんを貶め、追放までした意図はどこにあるのです? 答えなさい」


 口調こそ丁寧だがヴァレンティーヌの眼光は鋭く、虚偽は勿論、黙秘すら許さぬと云わんばかりの凄みがあった。

 伊達に生き馬の目を抜く聖都スチューデリアの中枢に居を構え、王侯貴族や元老院といった魑魅魍魎共の相手をしてはいない。

 ヴァレンティーヌもまたゲルダら不良聖女とも五分の付き合いが出来るだけの傑物であるのだ。


「ふふふ……」


 対してローゼマリーは怯むどころか、微笑んで見せたではないか。

 それは父の威光や皇子の子を孕んでいるという余裕からくるものではなかった。

 ローゼマリー本人も、内心では怒りを燃やしている『獅子』の聖女を相手に平然と相対するだけの器量を持ち合わせていたのである。


「流石に『獅子』の聖女に選ばれるだけはありますわ。確かインゴだったかしら? 彼が味わった苦痛と恐怖を追体験して尚、正気を保っていられるとは些か侮っていたようですわね」


「貴方!」


 知っている。ローゼマリーはインゴが山伏に姿を変えられ、おぞましい怪物の手によって無惨な最期を遂げた事を存じており、その上でヴァレンティーヌが彼の残留思念を読んだ事まで把握しているのだ。

 改めてローゼマリーの姿をつぶさに観察する。

 蜂蜜のような光沢のある美しい金髪を背中に流し、純銀製のティアラを頭に載せている様は既に妃気取りとなっているのであろう。

 臨月だけに腹はかなり大きくなっており、ゆったりとしたローブを纏っている。

 歳は十六と若く、顔立ちも幼げではあるものの、ヴァレンティーヌの眼光を受け止めながらも微笑みで返していている碧眼は歳不相応の貫禄さえ見て取れた。

 聖女を自称ならぬ詐称・・していながら堂々としている事からも実年齢は相当高いのでは、と疑念を抱かずにはおれぬ。


「ヴァレンティーヌ様? 何やら失礼な事を考えていらっしゃるようですが、私は正真正銘の十六歳ですわ。そしてローゼマリー本人です。決して魔女でも別人でもありません事よ」


 見透かされたか、とヴァレンティーヌの顔色が変わる。

 対してローゼマリーは変わらず微笑んだままだ。


「ローゼマリー、貴方は何者なのですか? いえ、貴方は誰の敵なのです?」


 ヴァレンティーヌは今更まがら単身で乗り込んだ事を悔いていた。

 スチューデリア城で面会すればローゼマリーも無茶な事は出来ず、ヴァイアーシュトラス公爵も介入できないと踏んではいた。

 しかしローゼマリーから漂う得体の知れない何かにヴァレンティーヌは気圧されていたのである。

 人の目もあり、大勢の兵士もいる城の中は安全地帯であると思っていたがとんでもなかった。

 今、自分がいるこの場こそ虎穴ではあるまいか、そう思わずにはいられない。

 ローゼマリーが人を喰い殺す恐ろしいに見えてしまったのだ。


「ふふ、そう怯える事はありませんわよ。私ももうじき母親となる身です。お腹の子の将来が傷つく事などする訳がないではありませんか」


「どの口がそうおっしゃるの? 貴方はインゴの死に様を知っていた。つまり犯人を知っているのではなくて?」


 あの怪物・・・・の正体も知っていると核心を持って問う。


「七人ミサキというのをご存知でして?」


「何ですって?」


 微笑みを絶やさぬまま目を閉じたローゼマリーの言葉にヴァレンティーヌは思わず聞き返す。


「災害や事故で命を落とした亡魂ですわ。その名の通り、七人の徒党となってこの世を彷徨っている憐れな存在です」


「ええ、ゲルダさんから聞いた事がありますわね。確か彼らと遭遇してしまった人は取り殺されてしまい、彼らの仲間にされてしまうだとか。そうする事で元の七人の内から一人が成仏できるのだという恐ろしいお話でしたわ」


 それが何か、と問おうとしたヴァレンティーヌの口から小さな悲鳴が漏れる。

 開かれたローゼマリーの目が異形へと変じていたからだ。

 強膜は黒く染まり、碧眼が紅くなっている。しかも瞳孔は四角だ。


「て、転生武芸者?! ローゼマリー、貴方は?!」


「少し歩きませんか?」


 驚愕しているヴァレンティーヌに対してローゼマリーは穏やかなままだ。

 七人ミサキの話を振り、転生武芸者としての正体を露わにしながら散策に誘うとは如何なる了見であるのか、ヴァレンティーヌには皆目見当がつかない。

 しかし真相を究明するにはこの誘いに乗るしかなかった。


「ええ、お供しましょう。しかし貴方は身重、無理はいけませんよ」


「あら嬉しい。この期に及んで私の心配をして下さるとは思いもしなかった事ですわ? それとも心配なのはローデリヒ様の御子だけ…でしたか?」


「貴方!」


「冗談ですわ。お気を悪くされたのなら謝ります」


 目を閉じ、腹に負担をかけぬ為か、浅く頭を下げる。

 再び目を開けると元の、否、擬態である碧眼が現れた。


「ではご覧に入れましょう。ヴァイアーシュトラス家が何をしようとしているのか。そしてグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラスの怒りの根源を」


 ローゼマリーはさながらダンスに誘うかのように右手を差し出す。


「ええ、お願い致しますわ」


 ヴァレンティーヌは些かの躊躇いを見せずにその手を取った。

 次の瞬間、ヴァレンティーヌの身が落下する。

 床を擦り抜け、地面に飲み込まれてしまったのである。

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