第陸拾肆章 山伏の死の真相

「例の山伏の残留思念を読み取る事に成功したって本当ですかい?」


「ええ、脳髄を割られていたので苦労しましたが完全な髑髏よりは鮮明に読み解く事が出来ましたわ。もっとも私だけの力ではなくエヴァさんのお力添えがあればこそですけどね」


「私は死霊操術ネクロマンシーで補助をしただけよ。私が手を貸さなくてもいずれは思念を読み解けたわよ」


「それはそうですが、独力ではもっと時間が掛かっていたでしょう。今は一秒でも時間が惜しいのです。エヴァさんの尽力は大きな助けとなっておりますわ」


 黒駒一家が所有する番所の一つにて、『獅子』の聖女ヴァレンティーヌはエヴァの助力もあってイルゼの実家で殺されていた山伏の残留思念を読み解く事に成功する。

 その報せを受けてアンネリーゼは番所に駆け付けた。


「それで山伏は誰に殺されていたんですかい?」


 アンネリーゼの問いにヴァレンティーヌは一瞬、云い澱む。


「お嬢?」


 聖女となる前の少女時代のヴァレンティーヌを知るアンネリーゼはつい“お嬢”と呼びかけてしまう。表情に若干の嫌悪があり顔色も悪くなったからだ。


「あ、申し訳ありません」


「それは良いが云いにくいヤツが下手人だったんで?」


「いえ、そういう訳ではありませんわ。山伏の最期の記憶を見るという事は彼の断末魔を追体験するという事、つい彼が味わった恐怖と苦痛を思い出してしまったのですわ」


 ヴァレンティーヌはハンカチで目元に浮かんだ涙を拭うと続けた。


「山伏の名はインゴ、その正体はヴァイアーシュトラス公爵の領地で捕縛された空き巣の常習犯です。彼は云われるがままに山伏の衣装を着せられてイルゼさんの生家に連れてこられたようですね。そして無惨に殺されてしまった……」


「ヴァイアーシュトラス? もしかして、そのインゴって野郎を殺したのは?」


 アンネリーゼはインゴを殺したのはヴァイアーシュトラス公爵家の手の者かと考えたが、それを察したヴァレンティーヌは首を横に振る。


「いいえ、インゴの命を奪ったのはもっとおぞましい…怪物でした」


「怪物ですかい? 一体いってぇどのような?」


 あまりの顔色にアンネリーゼは背中をさすってやるが中断する訳にはいかない。

 手をこまねいている内にローデリヒ皇子の身に何が起こるか知れないからだ。

 ゲルダより留守を預かっている身としては事件を解決に導くのは勿論、事態を悪化させる事だけは避けねばなるまい。


「薄暗い廃墟でインゴは怯えていました。一部、崩落していた屋根から光が差すとそこいたのは……ああ! 申し訳ありません。インゴが感じた恐怖をダイレクトに受けてしまったので……でも、もう大丈夫です」


 ヴァレンティーヌは目を閉じて何度か深呼吸を繰り返す。

 “光”と“希望”を司る『獅子』の聖女は他の聖女達が持つ能力を遣う事が出来る。

 本家のイルメラには及ばないが“安息”の力で自身の心を癒やしたのだ。


「大丈夫? 何ならインゴの記憶を私が引き継いで忘却の魔法をかけてあげるわよ?」


「いえ、もう大丈夫ですわ。お気遣いだけ頂きます」


 気遣うエヴァにヴァレンティーヌは丁重に断る。

 これは自分の役目であるし、これまでも悲惨な事件の被害者の記憶を見てきたし、これからも多くの記憶を見ていく事になるだろう。

 事件を解決に導き、不安に怯える人々を安堵させる事も聖女の仕事であるという自負がヴァレンティーヌに気丈な振る舞いをさせている。

 だからこそ、恐ろしい怪物・・を見た程度で怯えてなるものかと自分を奮い立たせるのであった。


「お待たせしました。今度こそインゴの記憶を説明致します」


「事件が事件だ。無理するなとは云えやせん。けど限界が来たら遠慮無く休憩しなせぇよ。心を壊してまで無茶するのは望んじゃぁいねぇ」


 ヴァレンティーヌは頷くと続きを語り始める。


「光が差した事で余計に闇を増した暗がりに浮かぶのは二つの瞳でした。それも憎悪と悪意を凝縮したかのような強い力を宿した真っ赤な瞳だったのです」


「記憶を見ただけのヴァレンティーヌどんをここまでビビらせるんでやすから相当なもんなんでしょうねぇ。だが、それだけで怪物・・なんて表現はしねェでしょう。何を見なすった?」


「赤ちゃん…」


「何ですって?」


「暗がりから無数の赤ちゃんが現れたのです。それも憎悪を瞳に宿していました」


 それは確かに怖い。

 頑是無い赤ん坊がこの世を憎みながら際限なく闇から這い出てくる様はおぞましいとしか云えないだろう。

 しかもそれだけではないとヴァレンティーヌは続けた。


「赤ちゃん達はじゃれ合うかのように体を密着させ四肢を絡ませ合いながら一つとなっていきました。まるで巨大な力に押し潰されているかのように肉が潰れ、骨が砕けようとお構い無しです。しかも、それでいて赤ちゃん達は笑っていたのですよ。憤怒に顔を歪ませながらも声だけは無邪気にね」


 やがて赤ん坊達は巨大な姿となったという。

 全身に赤ん坊の顔を貼り付けていながら頭部の無い巨人は馬の首をも斬り落とせそうな程に巨大な刀を手にしていた。

 まさに怪物・・であった。


「は、話が違う! この恰好になって、ある場所に行けば解放されるんじゃなかったのか?! 何なんだよ、この化け物は?!」


 ヴァレンティーヌの口からインゴの恐怖そのものが飛び出した。

 語っている内にインゴの記憶がオーバーラップして自身と区別がつかなくなってしまったのだ。

 釈放されるものと思っていたのに誰もいない廃墟で怪物と対峙させられたインゴの心境は如何ばかりであっただろう。


『その通り……そなたは死して罪から解放されるのだ』


「死して?! い、嫌だ! た、助けてくれ! たかが空き巣じゃないか! 何で俺が殺されなきゃならないんだ?!」


『時を……』


「え?」


『そなたの死で確実に時を稼ぐ事ができる。恐るべき戦術家ゲルダも聖女イルゼの生家で山伏の姿をした死体と皇子の名を刻んだ髑髏を見れば困惑するに違いない。二月ふたつき、せめて二月の時を稼ぐ事が出来れば良い。それで我が願いが成就するのだ』


「あ、アンタの願い?」


『そうだ。聖都スチューデリアに奪われたモノを全て取り返すのだ』


「そ、その為に俺に死ねと? 何を奪われたか知らないが何で俺が?」


『許せとは云わぬ。たまさか手に入った天涯孤独の罪人がそなただっただけの話だ。そして、天狗の如きその立派な鷲鼻はゲルダを更に惑わすだろう』


「ヒッ?! 助けてくれ。頼む。俺はまだ死にたくねぇ……」


『せめて痛みを与えずに死なせてやろう』


「なっ?! は、離せ!」


 いつの間にかインゴの体に赤ん坊達が纏わり付いており動きを封じてしまう。

 インゴは赤ん坊を振り落とそうとするが、彼らの指は万力のように強力で引き剥がす事が出来ない。


『恐れるな。事が成就した暁には我らが神の手により幸福な来世を賜るであろう。喰うや喰わずの生き地獄でせこせこと盗みをする必要が無くなると思えばむしろ幸運であると云えよう。違うか?』


「ふ、巫山戯んな! 来世なんてあるワケが?!」


 インゴの反論を封じるように巨大な刃が振り下ろされる。

 インゴの頭部は瓜を割るように左右に分かれ、衝撃で眼球が飛び出した。


「ヴァレンティーヌどん! ヴァレンティーヌどん!」


「はっ?! わ、私は……?」


 断末魔の叫びをあげるヴァレンティーヌの身を揺さ振って正気を取り戻させる事に成功したアンネリーゼは額の汗を拭って安堵の溜め息をついた。


「こ、これが山伏ことインゴの死の真相ですかい。まさか動機が時間稼ぎにゲルダ先生を惑わす為だったとは…」


「ですが、そのせいでゲルダさんはイルゼさんを疑うようになり、私達もインゴの死の謎を解く為に奔走する事になりましたわ。『神を見限った者達』の殲滅に費やした時間も加味すれば充分に時間を稼ぐ事に成功したと云えるでしょう」


「なんてこった。じゃあ意味有りげな髑髏もインゴと同じく天涯孤独な罪人の成れの果てというワケでやすかい?」


 天を仰ぐアンネリーゼにエヴァが答える。

 彼女もまた苦虫を噛みつぶしたような顔になっていた。


「でしょうね。今にして思えば、ご丁寧に片仮名・・・で二人の名前を書いているあたり如何にゲルダを警戒していたのかが分かるわ」


 髑髏に呪詛の一つも感じられない事から意味が無いのではと勘繰っていたが、ここまで振り回された事を思えば呪いよりもタチが悪い。

 否、相手の思惑通りに右往左往して行動を操られていたのだから、やはり呪いなのだ。


「で、たかが時間稼ぎの為に何人も殺して敵は何をしようってんだ?」


「さあてね。あの不気味な巨人は二月も稼げれば充分と云っていたそうだけど、私達がイルゼの生家でインゴの死体を見つけて一月半、残るは半月か。半月後に何が起こるのやら見当がつかないわね」


 思案投げ首にしていたアンネリーゼとエヴァであったが、一方でヴァレンティーヌが口元を手で押さえて全身をわなわなと震わせていた。


「半月後…いや、まさか…」


 インゴの追体験以上に顔色を失っているヴァレンティーヌに只事では無い気配を感じて二人は訝しむ。


「ヴァレンティーヌどん? どうしやした?」


「何か分かったのなら教えて頂戴。今は些細な情報でも必要なの」


 エヴァに促されたヴァレンティーヌは今にも泣きそうな顔で答えた。


「イルゼさんがお城を出て行く原因となったローゼマリーなんですが」


「あの阿婆擦れがどうしやした?」


「ローデリヒ皇子の子を妊娠していまして…その出産予定日が…」


「ま、まさか?」


 アンネリーゼの言葉に頷く。


「ローデリヒ皇子の子の出産予定日がまさに半月後なのです」


 三人の脳裏にヴァイアーシュトラス公爵の高笑いがこだました。

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