第陸拾壱章 疑念と信頼、相反する心

「ではもう一度初めからだ。このおねえさん方に説明して差し上げろ」


 尾張柳生新陰流からの刺客、小野崎兄弟の襲撃から三日後の事である。

 彼らを預かっていた三池月弥から自供を始めたと連絡を受けたゲルダとイルゼは三池家が所有する蔵を訪れていた。

 だが蔵とは名ばかりで三池家或いは慈母豊穣会に敵対している者を捕らえた際に情報を得る為の場所である。所謂いわゆる拷問蔵だ。


「たったの三日で吐いたか。尾張柳生の精鋭を落とすとは流石は三池流よな」


「慈母豊穣会という名前からは拷問に長けているとは想像も出来ないけど、どんな方法を使ったのやら」


 この場にイルメラの姿はない。

 純真な彼からは拷問というおぞましい事から遠ざけたいというのがゲルダとイルゼ、そして月弥の共通した思いである。


「こ、告白をすれば我らを解放してくれるのであろうな?」


 下帯姿の小野崎金吾が慈母豊穣会・教皇にして三池家当主・三池月弥に問うた。

 外傷こそ見当たらないが汗にまみれ疲労困憊といった様子に相当責められたのであろう事は察せられた。

 憔悴しきった表情で懇願するように問い掛けている事から限界が近いのだろう。


「お前はさっき話した事を繰り返してりゃ良い。一言でもさっきの証言との食い違いがあればおかわり・・・・を喰うことになるから良く考えて話すンだな」


 それとも弟の様になりてェか、と三白眼で凄む月弥に金吾は震え上がる。

 その目は肉食獣に射竦められた小動物の如く怯えが見て取れた。

 柳生の庄で修行に明け暮れた高弟とは思えぬ姿である。


「ヒィッ?! い、嫌だ…助けてくれ」


 そういえば弟の姿が見えぬ。

 ゲルダが訝しんで居るのを察した月弥は親指で蔵の奥を指し示す。

 居た。壁に寄り掛かかって床に足を投げ出している。

 やはり褌姿でだらしない恰好をしている銀弥であったが様子がおかしい。

 目は虚ろで口の端から涎を垂らしており尋常ではない。

 呆けた表情で譫言うわごとのようにぶつぶつと呟いている。


「あったかいなり…おふとぅん、あったかいなり…」


「いや、本当に何をしたのよ?!」


「寒いだろうから布団・・を用意してやっただけだぜ。そんな事より聞きたい事があるンじゃねェのか?」


 イルゼの疑問を黙殺して月弥は金吾の背中を軽く蹴る。

 証言を促しているのだろう。


「わ、我らが令和という時代に遥々やって来たのは我らの意思にあらず。仕明しあけが慈母豊穣会に捕らわれたという情報を得た近藤源之丞様が天魔宗と談合した結果、我ら兄弟が刺客に選ばれたのだ」


「そんな事は云われんでも想像出来るわえ。聞きたいのはどうやってここまで来たという事じゃ」


「理屈は説明出来ぬ。確か十六夜いざよいと云ったか? 十大弟子の一人に巫女のような姿をした者がいる。常に宙に浮かんでいる不思議な娘だ。手枷、足枷、首枷を嵌められ、しかも鎖で繋がれているという異様な出で立ちであった」


 ゲルダの脳裏に同じく十大弟子のイシルとの決闘後に介入してきた麗しいかんばせの巫女の姿が像を結んだ。

 彼女の御陰でイシルを取り逃したが不可解なのは誰にも聞かせた事がない前世の幼名を知っているばかりか、前世かこの自分と親しげだったらしいという事だ。

 それはいきなり唇を重ねてきた事からもそれは察せられた。


「あやつか。それでその十六夜がどうしたな?」


 しかし今は十六夜の素性を思案している時ではない。

 気持ちを切り替えて金吾に意識を集中させる。


「あ、あの娘が四肢を広げると枷と鉄球を繋げている鎖が蛇の如く蠢いた。そして鎖が五芒星を描くと鉄球に書かれた木、火、土、金、水の文字が輝き光でできた円が現れた。我らはその円をくぐるように促された。得体の知れない光に我らは逡巡していたが近藤様に叱責混じりに促されて円をくぐったのだ」


 気が付けば自分達は二十一世紀の日本にいたと云う。


「十六夜にここが延享(1744年~1748年)からおよそ三百年近い未来の日本であると告げられた時の我らの気持ちが分かるか? しかも仕明を討ち取れれば良し。延享の日本に帰してやるが、それが叶わぬ内は異世界にも帰さぬと云われた絶望が分かるか? そして得体の知れない娘に縋るしかない惨めさが分かるか?」


「誰がいらん事まで云えと云った?」


「ぐっ!」


 月弥にキセルで頭を叩かれて金吾は声を詰まらせた。


「絶望と云う割りには丁髷に似合わないジャケットとジーンズを着ていたようだけど十六夜が用意したのかしら?」


「ああ、時代に合った服を着ろと云われてな。髷も解いてカツラを被せられそうになった時は流石にそれだけは抵抗したがな」


 金吾の言葉にイルゼは顎を擦って軽く唸った。

 どうやら十六夜も二十一世紀に順応しているらしい。

 同じ十大弟子として何度も顔を合わせてきたしコンビを組んで仕事をした事も一度やニ度ではなかったが二十一世紀の地球を知っている様子はおくびにも出していなかったはずだ。


「十六夜は今でも二十一世紀ここにいるの?」


「分からん。捕らわれてから何度も念話を試みたが一切応じてはいない。今回の作戦であやつとは意識と意識を繋げられており、魔法や特別な道具が無くとも念話が出来るようにされていた。十六夜曰く、妨害は不可能と申していたから、恐らくは繋がっている意識から我らの敗北を知り見限ったのやも知れぬ」


 金吾が絶望に彩られた表情で答えた。

 しかしイルゼが間髪容れずに返したものだ。


「それは無いわね」


「ほう、その根拠は?」


 ゲルダはイルゼに十六夜が小野崎兄弟を見限った事を否定した事から興味を抱いて続きを促した。

 イルゼの口から仲間であるはずの天魔宗の事がどれだけ語られるか試してみようという気持ちになったのだ。

 戦術家としての悪癖がまた顔を出した瞬間であったがゲルダは敢えてイルゼへの疑念を隠す事をやめたのである。

 イルゼがどれだけこちらに腹を見せられるか、また自分もどれだけイルゼに心を開く事が出来るのか、この質問を持って試金石にするつもりなのだ。


「小野崎兄弟が秘術『忘八剣ぼうはちけん』の概要を知っているからよ。必殺の策は秘してこそ最大の威力を発揮するものよ。そして彼らの口振りからして『忘八剣』は尾張柳生の切り札であるはず。その二人が虜囚の身となれば『忘八剣』の詳細が語られる事になる。それでは切り札としての価値は半減する事になるでしょう?」


「だから十六夜が小野崎兄弟の救出に来ると? こやつが『忘八剣』の内容を語って尾張柳生に不利益が出たとしても小野崎兄弟を刺客に選んだのはヤツらだぞ。天魔宗からすれば知った話ではないであろう?」


 ゲルダの疑問にイルゼは首を横に振った。


「天魔宗と尾張柳生の間には同盟の密約が交わされていたのよ。つまり十六夜は小野崎兄弟の監督者として尾張柳生に不利益が生じないようにする義務があったはずだわ。それに」


「それに?」


「十六夜はああ見えて情に厚いよ。小野崎兄弟が拷問に苦しめられているのを三日も放置している事こそが私には信じられない。十六夜がイシルを逃がす為に貴方の前に姿を見せたのだって弓術の奥義『流星三連』が破られて千々に乱れた精神状態ではいかに陰流かげりゅうの熟練者だとしてもゲルダを相手にしては討ち取られかねないと判断したからだと思うし」


「なるほどのう。小野崎兄弟を追い詰めた非情の術者に見えて裏を返せば人情の人であったという事か。だが、それを天魔宗の天敵であるワシに明かして良いのかえ? お主のしている事は利敵行為とはならぬのか?」


 イルゼを見詰めるゲルダの瞳は蒼銀と化していた。

 普段の黄金の瞳は雷神ヴェーク=ヴァールハイトにより強大な『水』の力を抑えられている証であり、蒼銀の瞳に戻ったという事はゲルダが封印を解いて真に能力を開放している事に他ならない。

 途端に蔵の中が冷気に包まれて裸同然の金吾は身震いした。


「さ、寒い! こ、これが生まれ変わった仕明の力なのか…」


 凍てつく瞳を真正面から受け止めながらもイルゼはゲルダの疑念も無理はないと思っていた。

 星神教と天魔宗、相反する宗教組織の双方に籍を置いている者など自分なら信用する事など出来ないだろう。


「アンタの云わんとしている事は分かるわ。勿論、アンタがアタシに疑念を抱いているのも薄々気付いてた。そのアタシが天魔宗と尾張柳生の事を語ったとしても100%信用出来ないのも理解しているわ」


「そうだな。ワシの信用を得る為にあえて小野崎兄弟と戦って見せた可能性も否定できぬ。もっと云えばお主の生家にあった山伏の死体…あの見事に人の頭を瓜の様に割ったのは示現流、つまりお前さんではないのかという疑念が拭えてはいないのじゃ」


 ただし山伏の死体はイルゼが斬ったと思わせる状況証拠が多すぎて逆に貶められているのではという疑惑もまたゲルダの中にあった。

 かつての主、徳川吉宗と尾張の継友・宗春兄弟との争いの渦中にいた仕明吾郎次郎にとって誰が敵で誰が味方か分からず、味方だと思っていた者が敵の間者であった事など珍しくなかった。

 吉宗の最後の盾として尾張からの刺客を迎え撃ち、数々の謀略を潜り抜けてきた戦術家だからこそ『虎』の聖女であり天魔宗の最高幹部・十大弟子の一人でもあるイルゼを信じきる事が出来ずにいたのである。


「ああ、待て待て。疑ったらキリがねェぞ。こういう時は一度思いっきりぶつかり合った方がお互いに理解し合える事もあるぜ」


 険悪になりつつある二人に待った・・・をかけたのは三池月弥だ。

 ヘラヘラ笑っているようでその三白眼には有無を云わせぬ凄みがあって二人の聖女を黙らせしまう。

 流石は慈母豊穣会の教皇にして魔界の重鎮であると云えよう。


「思いっきりぶつかり合うとは戦えと云う意味か?」


「幸いここには道場がある。どちらも我が強いからな。話せば話すほどドツボに填まっちまうのは目に見えている。だったら剣客同士、お互いに全力を出して戦った方が後腐れもなく有意義な会話・・が出来るってもんだろ?」


「ふむ、確かにこのままでは水掛け論になりかねん。戦えば見えてくるものもあるというのも一理ある。ワシとしては望むところではあるな」


「そうね。疑念を晴らす以前にアタシも本音を云えばゲルダと本気で戦ってみたいと思っていたわ。いい機会だし乗ってあげるわ」


 剣客としてのサガと云うべきか二人の聖女は躊躇う事無く決闘に同意した。

 このまま口論をしていては埒が明かないというのもあっただろう。

 こうして二人の対決は朝稽古が始まる前の早朝に決まった。


「名勝負を期待しているぜ。直心影流じきしんかげりゅう対薩摩示現流なんてなかなかお目にかかれないからな門下生も勉強になるだろう」


 月弥の言葉にゲルダとイルゼは同時に頷くのであった。


「ところで金吾はどういう事なの?」


「どうも暑苦しくなってきたと思っておったが何をしとるんじゃ?」


「ああ、お前達が口論に発展しそうになった時に隙ができたと思ったのか逃げようとしてたからな。それならまだ可愛いで済んだが弟を置いて逃げようって根性が気に入らなくてよ。布団のおかわり・・・・・・・をくれてやったんだ。さっき寒いと云ってたし丁度良かんべ」


 金吾は数人のふくよかな男達にもみくちゃにされていた。


「布団て…この人達は誰なの?」


「おいどん達は力士でごわす」


 ふくよかな男達の一人が答えた。

 ふくよかと云っても脂肪の下に鍛え込まれた筋肉が隠れているのがよく分かる。

 まわしを締め、頭に大銀杏、紛う事なきお相撲さん・・・・・である。


「ごわすて」


 金吾を包み込む餅のような柔肌は汗が滲み照明を受けて光っていた。

 冬の冷気を蔵から追い出すかのように立ち上る湯気は幻想的である。


「た、たしゅけ……」


「はい、おかわり追加!」


 弱々しくゲルダの方へ手を伸ばす金吾を更なる肉の布団が埋め尽くしていく。

 彼らは力士達と違って筋骨隆々であり何故か黒々と日に焼けていた。

 しかも布地が少ないビキニパンツがまた嫌過ぎる。

 こちらも汗とオイルで全身から光沢を放っていた。

 更に湯気が増え蔵の中は蜃気楼の様に揺らめいて幻想的である。


「こちらは…」


「ボク達、ボディービルダーさ!」


「いや、爽やかに云われても」


「プロレスラーです」


「柔道家ッス」


「ここ、剣術道場よね? 剣客以外が多すぎない?」


 次々と男達が現れて金吾を押し包んでいく。

 もはや金吾の姿は見えず、声すら届かない。

 むくつけき男達の汗は光輝き、湯気の中で蠢くシルエットは幻想的である。

 ちなみに金吾の状態を分かりやすく説明すると、


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 となっている。


「これぞ三池流道場名物『男布団』さね。どうだ、今日は特に厳選した男前揃いだぞ。見ろよ。金吾のヤツ、悦びで声も出ないようだぜ。羨ましいぞ、この面食いが」


 ケラケラと笑う幼い教皇にゲルダとイルゼは奇しくも同じ事を思っていた。


(月弥だけは絶対に敵に回すまい)


 勝負を前に早くも心が揃いつつある聖女二人であった。

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