第陸拾章 秘術『忘八剣』

「行くぞ、『虎』の聖女!」


 尾張柳生からの刺客、七人衆の三番手・小野崎金吾が駆ける。

 その肩に乗るのは金吾の弟にして同じく四番手の小野崎銀弥である。

 二人とも両手を真横に広げており、とてもではないが今から攻撃を繰り出せるような構えではない。

 そもそも構えであるのかすら疑わしい。

 しかも小野崎兄弟はこれから行う攻撃を秘剣ではなく秘術と云っていた。

 確か『忘八剣ぼうはちけん』と称していたか。

 忘八と聞いて思い浮かべるのが女郎屋もしくはその主人である。

 八徳即ち仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳を失った事を指す。

 女を買い取り妓楼みせで客を取らせる。まさに忘八者の所業といえよう。


「我らが剣を受けてみよ!」


 弟を肩に乗せているとは思えぬ素早い金吾の寄り身は旋風はやてを思わせた。

 銀弥にしても激しい突進にも拘わらず兄の肩で微動だにしてない。

 それだけで金と銀の兄弟がこれまで行ってきた鍛錬の凄まじさが知れよう。

 しかも両者の腕は未だに広げたままであり攻撃の予想を困難にさせている。

 ふと銀弥の腰が僅かに下がったのをイルゼは見逃さなかった。


(跳躍の気配! 上下からの同時攻撃か!)


 イルゼはこの一瞬で小野崎兄弟の狙いを看破した。

 下にいる兄がまず攻撃を仕掛け、こちらが防御、或いは回避しようとした隙に上の弟が上空から襲う事に極意があると見たのである。


(嘗められたものね。こんな子供騙しが私に、いえ、ゲルダに通用すると思っているのだとしたら尾張柳生も落ちものね。剣客の誇りを捨てた、まさに忘八の剣ね)


 『忘八剣』の絡繰りを見抜いたイルゼはもう金吾・銀弥の兄弟を敵として見做す事をやめてしまう。

 ならば秘術とやらの出鼻を挫いてしまおうとイルゼは跳躍した。

 渾身の力を秘めた薩摩示現流の一撃に落下の勢いをも乗せる事で威力を倍増させるイルゼの秘剣『流星落とし』である。

 天に向かって構えた木刀を銀弥目掛けて振り下ろす。

 その威力は切っ先に真空の楔を生じさせて破壊力を増大させ、木刀に甲冑さえも斬り裂く截断力までも与える程であった。


(まずは弟を仕留めてから兄を斃す。悪いけど飛鳥に出番は無いわね)


 その秘術を看破されながら銀弥はそのままイルゼに向かって跳躍をしたのだ。

 まさか技が破れた事が分からない程に愚かなのか?

 否、違う。銀弥は笑っている。それも勝利を確信した笑みだ。


「捕った! 薩摩示現流、破れたり!!」


 なんと銀弥が広げた腕をそのままにイルゼに組み付いたのだ。

 よもや剣士が初めから攻撃を捨てて拘束する事に意図があるとは思ってもいなかったイルゼは間を外されてしまい剣を振り下ろす事も出来ずに銀弥に抱きしめられる恰好となった。


「重っ?!」


 しかも銀弥の体重は痩身にも拘わらずかなりの重量がありイルゼはそのまま地面に押し倒されてしまったではないか。

 金属の擦れる音に銀弥が服の下に鎖帷子を仕込んでいるのを察した。

 それも幾重にも重ねて着ているようだ。


「兄上!」


「でかした、銀弥! そのまま離すでないぞ!」


 重量も然る事ながら銀弥は巧みな柔術やわらの技術を用いてイルゼの動きを完全に封じてしまう。

 そこへ金吾が刀を抜いて走り寄ってきた。


(抜かった! 『忘八剣』の本質は二段構えの攻撃ではなかったのか! まずどちらかが身を捨てて相手を拘束し残った方が仕留める事に極意があったのね?!)


 確かにこれ・・では秘剣とは呼べまい。

 敵を屠る為に剣客としての恥をかなぐり捨てるよこしまな術である。


「礼を云うぞ。これで秘術『忘八剣』が仕明にも通用すると証明された」


 イルゼは何とか拘束を逃れようとするが両腕を閂に極められしまい動かせそうになかった。


「礼に痛みを与えずに屠ってくれよう!」


 突進の勢いを乗せた金吾の剣がイルゼの顔面を貫こうとしていた。


「私を忘れてくれては困るな。イルゼ女史は三池先生の大事な客人、目の前でむざむざと討たれては破門どころか絶縁されてしまう」


 しかし間一髪、宮城飛鳥の槍が金吾の突進を止めた。


「小僧! 邪魔立てするな! 命が惜しければ引っ込んでおれ!」


 金吾が一喝するが、それがいけなかった。

 その言葉が飛鳥の逆鱗に触れる事となってしまったのである。


「誰が『おっぱいの無いイケメン』だ?! 掴む事が不可能な貧乳で悪かったな!! 我が自慢の槍で釜を掘るぞ、コラ!!」


 小僧と呼ばれた事が飛鳥の中で男呼ばわりされた事となってしまったらしい。

 かつて朱雀衆に慎ましい胸を揶揄われて変な渾名をつけられた事があり、それはそれはキレ散らかして、なんと朱雀衆を真槍を持って追いかけ回した事があったのだ。


「云ってないって…というか怒り方が師匠そっくりね。流石は師弟といったところかしら?」


 今、置かれている状況を忘れて思わずイルゼは突っ込んだ。

 幼いと云われただけで“誰がゴマツブだ”とキレていた月弥を思い出す。

 というより『おっぱいの無いイケメン』とは何だ?

 それはもはや只のイケメンではないのか?

 しかも自慢にしている槍で何をするですって?

 突っ込み所の多い飛鳥の言葉にイルゼの思考は変な方向にシフトしつつあった。


「訳の分からぬ事を…もう一度云う。我が剣の錆になりたくなければ早々に失せろ。今ならば見逃してやるぞ、小僧」


 次の瞬間、飛鳥の右のコメカミが弾けて血が噴き出した。

 これにはイルゼのみならず金吾も言葉を失ってしまう。

 そればかりか銀弥すらイルゼを拘束する技が緩むほどであった。


「一度ならずもニ度までも…もう許さん! そこまで云うなら私とイルゼの愛の合体殺法を見せてやろうじゃないか! 覚悟しろ!」


 いや待て、色々云いたいがまず云わせて欲しい。

 愛の合体殺法って何? いつアタシとアンタが愛を育んだというのか?


「お前はもう終わりだ。尾張だけにな」


 そう云うや飛鳥は木槍を真横で垂直に立てた。

 なんと槍で示現流の構えを取ったのである。

 しかし槍をそのように構えて振れるのか?

 というより電線に引っ掛かりそうで見ていて怖かった。


「飛鳥、アンタ、酔っ払ってるの?」


 いや、どこぞの“酔いどれ”じゃあるまいし第一、先程まで車の運転をしていたではないか。


「行くぞ! 三池流示現流奥義!」


 三池流なのか示現流なのか、どっちだ?

 イルゼの頭からは既に脱出という選択肢は忘れ去られていた。


「必殺!」


「来るか?!」


 動く気配を見せる飛鳥に金吾が構える。

 すると飛鳥は折角のトンボの構えを解き、有ろう事か石突きを口に咥えたではないか。


「ほぎょぷ?!」


 次の瞬間、金吾は珍妙な声を上げると後ろに引っくり返って動かなくなった。


「兄上?!」


 動揺する銀弥が隙だらけになったのを見てイルゼは漸く我に返り、銀弥の股間を掴んで思いっきり握り締めた。


「ぱぴょん?!」


 イルゼの怪力に急所を握られた銀弥はこれまた奇怪な声をあげて気を失った。

 加減はしたつもりなので潰れてはいないであろうが銀弥は泡を吹いて痙攣していた。


「助かったわ、飛鳥」


 銀弥の体をどけて立ち上がるとイルゼは礼を云った。

 しかし彼女が如何にして金吾を斃したのか疑問が残る。


「ところでアンタは金吾だったかしら? アンタは金吾にどうやって勝ったの?」


「ふふん、三池流は勝つ為なら手段を選ばないのさ」


 不敵に笑いながら飛鳥は木槍の先端をイルゼに見せた。


「この穴は…まさか?」


 石突きを咥えるという飛鳥の奇行を思い出したイルゼのコメカミを一筋の汗が流れる。


「その通り、この槍は三池家伝来の痺れ薬を塗った吹き矢が仕込んであったんだよ。これぞ三池流投毒術『毒蜂』さね」


 三池流は剣術だけではないと聞いていたが、まさか吹き矢を躊躇い無く遣うとは思いもしなかった事である。

 果たしてどちらが八徳を忘れた忘八者なのか分からないではないか。


「アンタ、自慢の槍はどうしたの? アタシとの愛の合体殺法とやらはどこに行ったのよ?」


 要は金吾に吹き矢を悟らせない為の三味線だったのであろう。

 だからと云って槍でトンボの構えはやり過ぎだ。

 アタシが不快にならないと思ったのであろうか。

 聖女といえども人間である。誇りにしている示現流を虚仮にされて面白い訳がなかった。


「ふむ、それもそうか…」


 飛鳥とて三池流や槍術を莫迦にされたら許せはしないであろう。

 すると何を思ったか飛鳥は木槍を垂直に立てた。


「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」


 まだ巫山戯るのかと激昂する間も無かった。

 猿叫をあげてイルゼの真横に槍を振り下ろしたのである。


「これで無礼を許して貰えるかな?」


「……そうね。許すしかないわね。助けて貰った恩もあるし、この謝罪・・を受け入れてあげるわ」


 イルゼは苦笑しながら大地から魔力を借りて飛鳥のコメカミの傷を癒やした。


「そう云ってくれると思ったよ。寛大な心に感謝だ。愛してるよ、イルゼ女史」


「調子の良い事云わないの」


 イルゼの真横には飛鳥の木槍によって斬り裂かれたアスファルトの傷が大きく横たわっていた。

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