第五拾玖章 聖女と玄武衆

「ありがとう。助かったわ」


「何、私も買い物があったついでだ。気にしなさんな」


 本屋まで車で送ってくれた事にイルゼが礼を云うと三池流道場・玄武衆の一人、宮城飛鳥が笑って答えたものだ。

 三池流道場は街から遠い山野にある為、買い物に行くのも徒歩では厳しく車を出して貰えたのは有り難かった。

 一応、聖女三人は人質という立場であるが特に拘束されておらず労働も強制されてはいない。むしろ門下生達に稽古をつけてくれている事に感謝され、門弟達の指導料と称して纏まったお金を渡されてさえいた。

 ゲルダはこれ幸いと早速日本酒、洋酒を問わず購入して晩酌を楽しみにしているし、イルメラは仲良くなった若い門人達とよく遊びに行っている。近頃ではスイーツ巡りに凝っているようで、彩り鮮やかなフルーツや異世界では珍しいクリームがふんだんに盛られたパンケーキに感動しているそうな。

 今日も稽古が終わると三池月弥から友人に勧められて購入した自転車に乗って友達と一緒に意気揚々と出掛けて行った。

 初めはスカートでの漕ぎ方を知らずに下着が丸見えとなってしまい、見送った後にギョッとした三池月弥が「パンツ! パンツが見えてるって!」と必死に追いかけていったのは微笑ましい記憶だ。

 追いかけると云えば、今も必死に事件を追っているだろうヴァレンティーヌ達には申し訳ないとは思うもののイルメラくらいは友達と楽しく遊んでいても良いじゃないかというのがゲルダと共通する考えである。


「友と喜びを共有する。この経験は未来のイルメラにとって財産となろう」


 実際には四十路よそじを超えてはいるが、これまで世間と隔てられて生きてきたのである。せめて今だけでも子供の頃に味わえなかった喜びを感じて欲しいものだ。

 何よりイルメラに友として白虎衆を紹介したのが三池月弥であるのが嬉しい。

 人より老いの遠い半妖精である月弥は矮躯非力も相俟って幼い頃より非道い迫害を受けてきたからか、自分を理解してくれる友という存在を大切に思っているらしく、ある意味同じ境遇のイルメラにも友がいる喜びを味わわせたいそうだ。

 過去には、長命ゆえに人間と友達になっても先立たれてしまい苦しい想いをする事になるとして敢えて友を作らない時期もあったそうであるが、新たな友が出来ると“友との死に別れは確かに寂しいし悲しいものであるが、胸に残るのはそれだけでは無い。楽しかった思い出もまた確実に残っているはずだ。だから俺は何度友達に置いていかれても新たな友達を作り続けている”と悟ったとの事だ。

 その言葉に感じるものがあったのだろう。イルメラは聖女としてではなく、イルメラ本人として見てくれる白虎衆の手を取る事が出来たのである。

 ただ“男でも良い。むしろ男で良い。こんな可愛い子が女の子のはずがない。男の最高”とほざく一部のけしからぬ朱雀衆に対してはゲルダや月弥と共に厳しくガードしていくつもりだ。

 否、既に月弥から制裁として山籠もりを命じられてはいるのではあるが…

 一方で何故かイルメラと月弥が組んず解れつしているヤケに薄い本を見せてくるお姉様方もいるのでこちらも要注意だろう。昔、付き合いのあったゲルダならまだしも何でイルメラなんだと問い質そうとしたものの目が異様に爛々と輝いていて怖かったので思わず言葉を飲み込んでしまったのは仕方無いだろう。

 勿論と云って良いものか、ゲルダとも絡んだ本もあれば態々ゲルダを男にしたものもあったし、何ならイルゼも加わっている本もあって辟易したものである。

 三人でこれ・・なら聖女六人が揃ったらどうなるか想像するのもオソロシイ。

 中には自分の前世の姿である青葉武左衛門とゲルダの前世、仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうの絡みという地獄のようなシチュエーションもあって吐き気を催したものだし、武左衛門と吾郎次郎が月弥やイルメラを手籠めにするに至っては流石にフィクションといえども我慢がならずに薄い本を斬り捨てたものだ。

 これを描いた男性作家に、アナタは男色家なのか、と問い詰めると“いや、女性の多くはこういうのが好きなのだ。私は女性にモテたい為に男色を描いている”と渾身の示現流の一撃を人差し指一本で受け止めながら涼しい顔で答えている。

 世間では高名な漫画家らしいが、玄武衆にまで登り詰めた高弟達は何故か変わり者が多いのだ。


「ここが西南戦争から百数十年経った日本だなんて未だに信じられないわ。サムライの時代はもう完全に終わっていたのね」


「ショックかい?」


 何気なくこぼれた言葉に宮城飛鳥が訪ねる。

 一流派を奥義まで極めたそうであるが飛鳥はまだ二十七歳と若い。

 勿論、三池流の修得が容易い訳ではないが、かといって飛鳥本人がズバ抜けて才覚があるという話ではないようだ。

 極意を得るのに血の滲むような努力をしてきただけだと彼女は笑う。

 前述したように三池流は奥義を修得してからが真の修行のスタートラインだという考え方の流儀である。

 要はそれで満足せずに更なる高みにあるステージにいけるかを問う事こそが三池流の本質であり人生観なのだという。

 玄武衆に成功者が多いのは常に自分を高みへと押し上げようとする意識にあるのかも知れないとイルゼは思わずにはいられなかった。


「いいえ、過去と今を比べるなんてナンセンスもいいところだわ。明治は明治で“今時の若い者は”と云われていたものよ」


「そう、今は今で良い所も悪い所もある。明治もまた然りってね。ま、私も含めて玄武衆は変人集団って事は認めるけどな」


「認めちゃうんだ。確かにあの・・教皇ミーケをげんなり・・・・させているのだから只者だなんてとても云えないわね」


 飄々としている飛鳥にイルゼも苦笑を禁じ得ない。

 宮城飛鳥は元々は幼い頃より実家の道場で槍術を学んでいたそうな。

 飛鳥は二十一世紀において古風な性格であり槍術こそ武の極みと誇っていた。

 ある日、三池流道場こそが現代における武の象徴であると耳にしてしまう。

 今では失われつつある武士道を継承する唯一の流派だと評判を取っていたのだ。

 実戦に耐えうる槍術を伝える我が家こそ武門の誉れと自負していた飛鳥はその噂に激しく怒り、両親が止めるのも聞かずに槍を手に態々東京から栃木の片田舎に馳せ参じたのだという。

 警察に見咎められる事数回、何とか逃げきり三池流道場の門を叩いたのである。

 十代半ばと若かった飛鳥は同年代では負け知らずであったが、所詮は修行の途中である若造であった為にコテンパンに伸されてしまったそうな。

 しかも相手は当時、朱雀衆に昇格したばかりの高校生で、金髪にピアスと今風に云えばチャラい見た目ではあったが飛鳥の突き出した槍を有ろう事か竹刀で叩いて穂先が下がったところを踏みつけただけで槍を封じてしまう。

 動かない槍に四苦八苦している内に小柄に見立てた小さな竹刀を投げつけられ、眉間に受けて昏倒してしまったそうである。

 目を覚ました飛鳥は三池月弥の前で両手をついて弟子入りを乞い、許されたという経緯があった。

 飛鳥は両親を説得して栃木県の高校に転校すると三池流を学びながら自身の槍術にも磨きをかけていったという。

 そして奥義を修得して免許皆伝を許されると玄武衆の仲間入りを果たしたのだ。

 ちなみに玄武衆は自分の修行のみならず師範として後進を育てる義務が発生するものの特典が無い訳ではない。

 道場内に自分の教室を持つ事が許されており、飛鳥は希望者に槍術を教える資格を与えられている。

 つまり間借りする形ではあるが自分の道場を持つ事が出来たと云う事なのだ。

 元々親は代々受け継がれていたから惰性で槍術道場を開いていただけで本業はサラリーマンである。

 早い話、飛鳥ほど熱心ではなく、飛鳥が継がなければすぐにでも畳んでしまおうと目論んでいたくらいなのだ。

 故に三池流道場で槍術道場を与えられたのは飛鳥だけでなく親にとっても幸運なことであったようで、飛鳥が栃木で槍術道場を開くと報告した日には、これ幸いと早々に道場を畳んで本業に専念してしまったというオチがあった。


「それで三池流道場はあのようなカオス・・・な状況になっているのね」


 イルゼがカオスと称するのは無理もない。

 時代の流れなのか、玄武衆が開く道場、教室は多岐に渡り、中には料理教室を開く者もいればサッカーやパソコンを教える者もいて闇鍋のような有り様であったのだ。

 月弥も玄武衆になれた特典程度に考えていた為に殆ど当人に丸投げであり、知らぬ間に三池ドッジボールクラブなるものが県大会で優勝したとして地元紙からインタビューを受けるハメになった月弥が面喰らう場面もあったそうな。


「教皇ミーケも懐が深いのか、いい加減なのか」


「ふっ、母なる大地の女神、地母神を崇拝する団体の教組に相応しいといえば相応しいのではないかね?」


「違いないわね」


 イルゼと飛鳥は笑い合った。

 やがて飛鳥の車が三池流道場の駐車場に入り、二人は各々の荷物を持って車から降りる。


「誰?!」


「ここが三池流道場と知っての事かね?」


 降りた途端にイルゼ達は荷物を放って身構える。

 すると立派な門の陰から二つの影が飛び出した。


「ちっ、『虎』の聖女ではないか。探索役もいい加減な」


「もう一人も仕明しあけではないな」


「何者…なんて訊くまでもないわね」


 待ち伏せしていた者達が何者であるかを見抜いたのには訳がある。

 隠れていた二人は頭頂部を剃り上げて後ろ髪を結って頭に載せるという二十一世紀ではまず見ない髪型をしていたからだ。


「貴方達、尾張柳生よね? 何で二十一世紀の日本にいるのか、説明して貰えるかしら?」


「というか、門に曲者が隠れていたのに道場の連中は何をやってるのだ? よもや気付かなかったなんてあるまい。さては面倒臭がって外出していた私達に対処を押し付けたか?」


 飛鳥は後部座席に置いてある木刀をイルゼに投げ渡し、自分も木刀ならぬ木槍を構えた。


「まあ、良い。『虎』の聖女を斃せば仕明も自ずから出てこよう」


「それもそうだな。こやつが悲鳴を上げれば酔い潰れていたとしても目を覚まそう」


 二人の武士は不敵に笑いながら刀を抜いた。


「尾張柳生七人衆が三番手・小野崎金吾!」


「同じく四番手・小野崎銀弥!」


 同姓であり金と銀である。

 顔の形が似ているので兄弟かとイルゼは推察した。


「仕明でないのはちと残念ではあるが、こやつは薩摩の御留流を遣うと聞く。秘術『忘八剣ぼうはちけん』が仕明に通じるかの試金石となろう」


「うむ、やるか、兄上」


 銀弥が跳躍して金吾の肩の上に立った。

 二人は両手を広げて不気味な含み笑いをしている。


「参るぞ、『虎』の聖女よ。秘術『忘八剣』を受けてみるが良い!!」


「秘術? 秘剣ではなく?」


「行くぞ、銀弥! 抜かるなよ!」


「応よ! 任せい、兄上!」


 如何なる奇策であるのか、弟を肩に乗せたまま兄が走った。

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