第伍拾捌章 三池月弥という男

「そんな浮ついた気持ちで修行になるか! 真剣を使ってる自覚があるのか?! 怪我するぞ! それとも実際に怪我をしないと分からんか?」


「ヒィッ! す、すみません!」


「今から山ン中を走って来い! 頭が冷えるまで戻ってくるな!」


「わ、わっかりました!」


 道場から若い門弟達が追い出されて山の中へとロードワークに行かされる。

 それを三人の聖女が苦笑を浮かべて見送った。

 ゲルダ達聖女を三池流道場に招いてからどうも若手達の鼻の下が伸びてしまっているように思えてならないと慈母豊穣会・教皇ミーケこと三池月弥は溜め息をつく。

 両親が命懸けで封じた魔王を復活させてしまった月弥はその責任を取るべく神官となって王の手綱を握っているが本職は三池流道場の主である。

 吸精鬼サッキュバスの王にして吸血鬼ヴァンパイアの王である淫魔王を地母神に戻す事は当初から考えていた事だ。


 今も身の丈1メートル程度という幼い姿であるが、心まで幼かった五歳の頃、山の中で遊んでいる内に迷ってしまった事があった。

 普段から遊び慣れているはずなのにどこで道を間違えたのか、見覚えのない花に囲まれた妖しい場所に迷い込んでいた。

 やがて日も暮れてしまい、心細さから泣いていると何やら聞こえてくる。


『坊や、こちらへおいで。ここに来れば安全だよ』


 山の中で女の声を聞けば怪しむか或いは恐怖におののくものだが、闇の中で一人きりという寂しさの方が勝り、月弥は声のする方向のへと歩き出す。

 三池月弥は見知った道以外では極度の方向音痴であった。


「どこぉ?」


『そちらではない。こちらだ。右だ。ああ、ソッチは左だ。箸を持つ方…何、サウスポー? ああもう、そちらじゃなくて…花は良いからこっちに…わんわんじゃない。それは狼だ?! ちょっ?! 狼に跨がるんじゃない! どこへ行く?! そっちは崖だ!! って落ちたところを梟が助けたァ?!』


 幼い月弥を導く声が疲労困憊になった頃、何故か狼や猪、梟、栗鼠など野生動物を引き連れて目的地に到着した。


「わあ、変な石」


 月弥が見上げるその先には奇妙な岩があった。

 その姿はまるで女性のようであり、右手で乳房を、左手で股間を隠しているようで艶かしいフォルムをしていた。顔にあたる部分は白い布で覆われており、当時の月弥には理解出来なかったが魔封じの紋様が描かれている。


『よくぞ、いや、本当によくぞ来てくれたな、ツキヤよ』


 たびたび進路を変える月弥に対して少々皮肉げになるのも仕方ないだろう。

 美しい花、珍しい動物、兎に角興味を引かれれば導きの声を忘れてそちらに向かってしまうのだ。何度軌道修正をしたか数える気にもならない。


「うん、それで何の用?」


『何のって山道に迷った汝を助ける為に導いたのだ』


「そうなんだ。ありがとう」


『う、うむ…なんか調子狂うな』


 ぴょこんと頭を下げる月弥に戸惑いの声が漏れる。


『まあ良い。我は人々から忘れられた神。孤独のツラさは良く理解出来るでな。寂しかろうと呼んだのだ』


「そっかー。神様も寂しかったんだね」


『そうだ。これも何かの縁、ツキヤよ。我の為に祈りを捧げてはくれぬか? 一人でも祈ってくれる者がいてくれるなら我は寂しくはない』


「分かった。ボク、神様の為にお祈りするね」


 月弥は声に従って目を瞑って両手を合わせる。

 その純真な祈りはすぐに効果が現れて石に力が注ぎ込まれていく。


『くくく、いいぞ。これは拾い物だ。余を封じた勇者への意趣返しの意味もあったがヤツらの子は想像以上に力を与えてくれる。この分なら復活までそう時間はかかるまい。復活の暁には褒美として殺さずに余を崇める神官としてやろう』


 月弥に届かぬ声で淫魔王はほくそ笑む。

 しかし月弥の祈りは些か純真過ぎた・・・・・


「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」


 月弥の祈りと共に場の空気がピンと張り詰めて厳かな雰囲気を醸し出す。

 代々真言宗である三池家は幼い頃から般若心経を仕込まれる。

 勿論月弥も例外ではなく。言葉の意味も理解しているのだ。


『あのツキヤ? これ、下手な僧侶よりも霊験があるのだが?』


 月弥の魔力は勇者であり世界最高峰の魔法遣いであった母よりも絶大ではある。

 注がれてくる力も厖大であるが同時に身も心も浄化されていくのを感じたのだ。


『ちょっと待て。このままでは浄化されて復活どころか消滅してしまう?!』


 月弥に待ったをかけるが一心不乱に祈る彼は止まらない。

 一字一句丁寧にしんを込めて淫魔王の為に祈っている。

 そもそも自分の為に祈れと云ったのは淫魔王自身だ。

 魔力を吸収し糧とするつもりであったが僅か五歳の幼子が真剣に般若心経を学んでいたとは思いもしなかった事である。

 私達人間は全ての存在や現象を言葉で捉えようとするが、捉えきれないものもあり、それが即ち真言である。

 真言は言葉で捉える事が出来ないものであるが、そこには人智の及ばない真実と霊力があるから無条件で信じる事である。

 真言は仏と万物の関係の真実を示し限りない調和と慈しみを与えるものだ。

 それを象徴的に表したのが曼荼羅マンダラであり、大日如来を中心にした胎蔵界たいぞうかい曼荼羅、宇宙に遍満する一切の如来(真理)を表した金剛界こんごうかい曼荼羅もその内の一つである。

 般若心経の二百六十ニ文字自体が真言であり、真実の知恵を示す「般若波羅蜜多」が真言であり、「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」が真言である。

 この真言を信じて唱えれば一切の苦悩が取り除かれるのだ。

 少なくともこの時の月弥はそう信じて祈っていた。

 その純粋な祈りの前では凝り固まった煩悩と復讐心など押し流されるのみだ。


『あ、あははー…余の憎しみが薄れていく…』


「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」


 般若心経が終わる頃には復讐戦争や勇者の力であっても揺らぐ事がなかった悪感情はすっかり薄れていたものだ。


「さて、観自在菩薩とは観世音菩薩ともいって、つまり観音様の事を云うんだ」


『へ?』


 般若心経により浄化されかかった所によもやの説教が始まってしまう。

 月弥が如何に般若心経が素晴らしいかを語り終えた頃には邪悪な淫魔の王はその魂を擦り潰されてしまっており、神としても浅ましいと責められたようで完全にノックアウトさせられていた。

 確かに月弥から奪えた魔力は凄まじいものであったが魔王として失ったものは大きく、しかも奪われた本人はケロッと笑っているのだから堪らない。


『そ、そなたは疲れておらぬのか?』


「うん、なんか魔力が抜けた感じがしたけど、契約している精霊さんにあげてる魔力と比べたら全然だよ」


『全然て』


 れば確かに月弥に寄り添う精霊がいるのが分かる。

 流石は勇者の子。幼い内から魔法の英才教育を施されているようだ。

 精霊の力を借りて魔法を行使する精霊魔法の遣い手達は、精霊を契約しているだけで魔力を消費しているものであるが、先程奪った魔力よりもそっちの方が消費が多いのかと魔王は戦慄させられた。

 この日より淫魔王は毎日欠かす事無く朝夕月弥の祈りを捧げられる事となる。

 日毎に魔力は蓄えられていくが代償として魔王として失ってはいけないものを失っているような気にさせられたものだ。そうなると幼い子供を唆して魔力を奪っている事に後ろめたさと罪悪感も芽生えていくようになる。


「はい、お供え物♪」


 その上、雨晒しでは可哀想だと小さなものではあるが見事な社を独力で建ててくれ、自家栽培で育てた野菜や果物まで供えてくれるのだ。

 魔王を“守り神様”と呼んで慕ってくる月弥に真実を打ち明けようと思ったのは一度やニ度ではなかったが、未だ王と崇める眷属の為にも復活せねばならなかった事と事実を知った月弥が傷つくのではという恐れから何も云う事が出来なかった。

 十年もすると蓄えられた魔力は復活に必要な分どころか敗北する以前よりも強大なものとなっていたが何故か淫魔王は復活しようとはしない。

 見返りを求めることなく祈りを捧げ、供物を供えてくれる月弥と過ごす穏やかな毎日が捨てがたいものとなってしまった事もあるが、この十年ですっかり月弥に惚れ込んでしまったのである。

 一度、毎日熱心に祈ってくれるが何か願い事は無いか訊ねたことがあったが、そんなものは無いと云う。

 否、あるにはあるのだが、それは自らの力で手に入れるべきと考えているのだ。


「立って半畳、寝て一畳ってな。身の丈に合わねェ物を求めても身を滅ぼすだけだぜ。少なくとも俺は道場の師範代として得た収入だけで欲しい物は粗方買えちまう。むしろ高校生の身には過ぎた額が貯まってるよ」


 幼かった月弥もこの十年ですっかり大人びてきたものだ。

 エルフとドワーフの血を引く謂わば半妖精の彼は未だに姿形こそ幼いままであるが人間社会で生きてきた為に心無い嘲りや迫害を受けてきたものの道場で培ってきた精神力と技術で跳ね返してきた。

 御陰で見た目に反して反骨バリバリの無頼口調になってしまったものである。


『我が願い事を叶えてやると云ったら何を願う?』


「何も無いな」


 即答であった。


『力は欲しくないか? 望めば怪力も神速も思うがままぞ』


「鍛えりゃその内強くなンだろ。つーか、三池流は弱者が強者に勝つ為の流儀、怪力はむしろ邪魔になる。速さも制御出来なきゃ意味はねェ」


『富はどうだ?』


「道場の収入と畑で獲れるもんで充分だ」


『月弥を迫害し侮辱してきた者達への復讐は如何に?』


「くだらねェ。俺は修行や勉強で忙しいンだ。畑の世話もしなきゃならねェ。あんな連中にかかずらってる暇はないよ。仕返しなんてするくらいなら出世してやった方が応えるだろ。もし擦り寄ってきたら、“お前は誰だ”って忘れてやるのが最大の復讐だろうよ。違うか?」


 そうケラケラと笑う月弥に地母神はこれ以上は何も云わなかった。

 これは勇者以上の大物になると確信したのもあるが、その信念に感心したのだ。

 意固地と云ってしまえばそれまでだが、並の者なら神が力を与えてやると云えばすぐに飛び付くであろうに月弥は“じゃあ、何の為の修行だ”と笑い飛ばす。

 勇者とて神が与えた神器と呼ばれる文字通り神の力を宿した武具や道具を与えると云えば拒むまい。何なら遺跡に眠る聖遺物さえ発掘していたくらいだ。

 現に月弥の母が愛用している杖は太古の聖人が遺した聖遺物で魔力を増幅する機能を搭載しているばかりか、過去に失われた強大な魔法を記憶していた。

 月弥の父も神から授かった聖剣で魔王であるこの身に多大な傷を与えていた。

 彼らは誇らしげに使っていたが、月弥は“チート武器で強くなったと思い込ンでてみっともねェ。我が親ながら情けない。二人は俺に継承させたいらしいが死ンでも使わねェよ”と心底軽蔑した顔で云ったものだ。

 千日にも及ぶ戦いを繰り広げてきた宿敵であり万人から慕われた英雄であるが、その息子からすれば己を鍛えず武器に強さを求める愚物となるらしい。

 事実、父は竹刀同士であれば既に月弥の足元にも及ばない。

 母の魔法も月弥には通用しない。魔法の火球が迫ってくれば普通は水或いは氷の魔法で対処するものだが、有ろう事か月弥は母の最強魔法を一喝で消し飛ばしてしまうのだ。声に厖大な魔力を込めてはいたがあんまりと云えばあんまりだろう。


「親父とお袋はチート武器を手に入れちまったせいで弱くなった。いや、折角の才能を高める事をやめちまったのさ。RPGで王様がしょぼい武器となけなしの金だけ渡して勇者を送り出すのは意味があるンだよ。スタートの時点で聖剣を貰ったのが親父の不幸さね」


 供物の中から無造作に大根を取っておやつ代わりに齧りながら云ったものだが、なるほどと納得させられたものである。

 云われてみれば二人の勇者が修行している姿を見た記憶は無い。

 勇者は所謂天才肌で、実戦は理論を陵駕するとは善く云ったものだが、感覚で技を繰り出す為に歪みが生じていていた。

 矮躯かつ非力で武の才能が無い月弥であるが、それだけに基礎の基礎を徹底的に磨き上げてきた事で繰り出す技は安定しており、父の放つ大味な技が通用しないのも道理であるといえよう。

 魔法にしても同様である。こちらは強大な魔法力を誇り、魔法を行使するに力を借りる精霊に愛されている事から才能はあり余っているが、やはり基礎をしっかりと固めているので魔法を遣う姿は武人の如く威風堂々としている。

 況してや武道で鍛えられた精神力は威力、精度を桁違いに上げているのだ。

 そう、精神力、即ち心の強さこそが三池月弥の強さの根元であると云っても過言ではあるまい。

 後に復活しようとする淫魔王を斃す為に異世界より送られてきた十二人の勇者と聖女を悉く滅ぼすという大悪行にして偉業を達成する事になるのだが、ここでは割愛させて頂く。


 心技体の全てが基本という柱で支えられた月弥の指導力もまた評価されるべきだ。

 感覚で技を覚えている上に奥義に到達していない父は人に教える事が壊滅的に下手であり、指導力の低下により弟子に見限られて一時期は道場を畳むかというところまで追い詰められていた。しかし祖父が彼を廃嫡して月弥に道場を継がせ、三池家の当主にした事で指導力が復活して弟子を再び呼び戻す事に成功する。

 三池流は入門を許されると白虎衆と呼ばれる集団に入れられて体力作りと基礎を徹底的に叩き込まれるのは前述した通りだ。

 入門三年以上かつ十五歳以上になると基礎の型が出来ているか試験を受ける事が可能となり、合格すると朱雀衆に昇格する。

 朱雀衆になると稽古に真剣を用いる事が許されるようになり、より複雑で高度な応用技の伝授を受ける事になる。

 そして全ての技を会得した者達の中から奥義を得るに相応しいと判断されると青龍衆に組み込まれ、そこで初めて奥義の存在を明かされて極意、つまり『月輪がちりん斬り』の修行を命じられる。

 また青龍衆となった時点で指南料が免除されて、代わりに師範代として白虎衆や朱雀衆の指導をするようになり、給金も支払われるのだという。その意図は後進の指導をする事で復習になるというのは勿論だが、責任ある仕事をさせる事で人格形成の修行も兼ねているのである。

 『月輪斬り』を修得し、奥義を得ても修行が終わる事はない。

 奥義修得こそがスタートラインとして更なる修行に邁進するのだ。

 彼らは玄武衆と呼ばれ、門下生から尊敬と畏怖の念を受ける事となる。

 基礎を練り直す者、新しい技を開発する者、後輩の指導に精を出す者、様々な者がいるが、いずれも三池月弥を想定敵として彼の打倒を志しているのだ。

 これは造反するとか、道場を乗っ取ろうとしているとかではなく、月弥に勝つ事こそが最大の恩返しになると考えての事である。

 つまりは強くなった自分を見て欲しいという愛情の表れなのだ。

 当然、月弥も門下生達を愛している。


「ったく、折角直心影流じきしんかげりゅうと薩摩示現流の達人が揃っているってのにプラスになるところを吸収しようと思わないのかね。無邪気に稽古をせがむ分、白虎衆の方が余程上等だよ」


 そして冒頭に戻る。

 朱雀衆を追い出した月弥は呆れたように首を振るのだった。

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