外伝之弍拾壱 王子殺しにされた令嬢⑳
~十五年前~
「ロドルフ! これはどういう事だ?!」
「口の利き方には気を付けろ。今の貴様は兄でもなければ貴族ですらない。本来ならば
「貴様!」
シュピーゲルがロドルフに殴り掛かるが虚空から飛んできた竹に殴られて弾き飛ばされてしまう。
「あ…あああ…」
そんなシュピーゲルを蔑むように見下ろすロドルフの足元には一人の女性が横たわっている。
「ぐっ…ヴァレンティア…ぐあっ!」
シュピーゲルが女性に手を伸ばすが、その手をロドルフが踏み躙る。
「答えろ、ロドルフ…何故、ヴァレンティアの顔を剥いだ?」
倒れているヴァレンティアは惨たらしく顔を剥がされていた。
アラン王子暗殺の疑いをかけられたヴァレンティアは激昂したハイネス王子に処刑を云い渡されるも兄ロドルフに堀へと蹴り落とされて窮地を脱したかに見えた。
しかし堀から這い上がった直後に
かつてヴァレンティアを手籠めにしようとするも反撃されて鼻を喰い千切られたシュピーゲルではあるが、それでも妹がこのような目に遭わされて黙っていられるまで情を捨てた訳ではなかった。
「まったく知恵の無いのは相変わらずだな。良いか、善く聞け。ヴァレンティアがハイネスに捕らわれると都合が悪いのだ。ヴァレンティアには永遠に生きて逃げ続けて貰わねばならぬ。ヴァレンティアの死が確定してしまえばハイネスに王位を返さねばならなくなるからな。だからこうして顔を奪ったのだ。これならハイネスと擦れ違ったとしてもヴァレンティアとは気付くまい。そして万が一にもヴァレンティアが自ら名乗り出たとしてもこやつがヴァレンティアであると証明するものは何も無い。分かるか? これでハイネスは兄の仇討ちを成し遂げる事は叶わず、私の王位も安泰という訳だ」
有り得ない事だが仮にシュピーゲルがヴァレンティアに変装してアラン王子を殺したのだと告白したとしてもそれこそ証明のしようがなかったであろうと踏んでいた。
「貴様が俺にヴァレンティアの変装するように云ったのはこの為か。捜査を混乱させるだけだと貴様は云ったが、全ては王位を簒奪する為だったのだな。ヴァレンティアを永遠の逃亡者にする為に…」
「目撃者をグレーテにしたのは聖女になったばかりの小心者だからだ。人が殺される場面を目撃するという衝撃を受けた小娘では目の前の犯人が男であったことにすら思い至る事は無いだろう。そして予想通り、グレーテはヴァレンティアがアランを刺殺したと証言してくれたぞ。あのゲルダの薫陶を受けていた事が唯一の気掛かりであったが所詮は小娘、杞憂であったわ」
「そして凶器をヴァレンティアに押し付けてから堀の中へと蹴り落としたのか」
シュピーゲルの言葉にルドルフは口角を釣り上げる。
「詳しく調べられてはあのサーベルが偽物である事が分かってしまうからな。ハイネスの気性からその場で処刑を命じると想像するのは容易であった。だからこそヴァレンティアを塔から蹴り出す為の決闘、否、猿芝居に持ち込むことができたのだ」
全ては我が計画通りだ、とロドルフは嗤う。
それを今度はシュピーゲルが嘲笑った。
「何が我が計画だ。貴様ような知恵無しにこのような絵を描けるはずがなかろう。全ては竹槍の元締めの手による筋書きであろうが?」
「ふっ、元締めか。仙十をそう呼ぶという事こそ貴様が闇の住人に落ちた何よりの証。その貴様から何を云われようと何も思わぬわ」
「そうかよ」
シュピーゲルは立ち上がるとロドルフに背を向ける。
ロドルフに屈したのではない。憐れで見ていられないのだ。
(莫迦な男だ。元締めの雇い主気取りなのだろうが竹槍仙十はそのような甘い男ではない。仙十の策により俺とヴァレンティアを蹴落とし、当主の座どころか王位をも手に入れたと有頂天でいられるのも今の内だ。その事実はそのまま貴様の弱みとなる。そう遠くない未来、貴様が王位簒奪をネタに脅されて仙十の操り人形と化すのが目に浮かぶ。その時になって泣く事にならなければ良いな、ロドルフよ)
竹槍仙十が邪魔になったとしても彼を始末する方法は皆無だ。
誰にも姿を見せぬのは勿論、声色をいくつも使い分けており、どの声が本当の仙十の声であるのか悟らせぬ徹底ぶりである。
用心深さもここまでくると感心するよりない。
或いは竹槍仙十は一人ではないのかも知れぬな、とシュピーゲルは睨んでいる。
複数の意思が組織の方針を決定し運営しているのではあるまいか。
その中心にいる者達の総称こそが竹槍仙十ではと勘繰っているのだ。
根拠は今日フレーンディアにいる仙十が明日には聖都スチューデリアにいたなんて事があるからだ。仙十に空間転移の術が無い限りは不可能である。
ならば竹槍仙十が複数いると考えた方がまだ現実味があるのだ。
仮に竹槍仙十の正体を知る事ができて殺害する事に成功したとしても首領格の一人を討っただけで仙十そのものを斃した事にはならないだろう。
つまり万が一にもロドルフが竹槍仙十に背いたとしても、あっさりと斬り捨てられて終わる未来しかない。
そして今度はロドルフに変装したシュピーゲルを玉座に据えるだけだ。
(俺は元締めの配下となり、ロドルフは元締めを雇った。だが、そこに何の違いがあるというのだ。竹槍仙十に逆らえぬという立場に違いはなかろう)
「では後は手筈通りにな。如何に貴様が愚かとて仙十の命令通りに動く事は出来よう。ヴァレンティアの治療が済み次第、国外へ逃がすのだ」
「ああ、任せておけ」
嗤いながら去っていくロドルフを見送るとシュピーゲルは足元へと視線を向ける。
「ううう…」
美しい顔を奪われた妹が見上げていた。
どれだけ美しかろうと顔を剥いでしまえば皆同じではないか。
あれだけ見下され、母の愛情を独占されて一時は憎んだ妹であるが、今の姿となった事で憎しみが消えた。
だが愉悦からの感情ではない。
王子暗殺の罪を被せられて立場を失った挙げ句に顔までも失った今こそヴァレンティアが愛おしくて堪らないのだ。
愛情と憎悪が表裏一体とは善く云ったものである。
「しっかり致せ。今、助けて進ぜよう」
「お…おに…い…さま…」
「まだ兄と呼んでくれるか」
シュピーゲルの手がヴァレンティアに翳される。
「水の精霊よ。その慈悲の一片を分け与え給え。『|癒やしの水《ヒール・ウォーター』…」
彼の手から優しい光が散りばめられた水が滴りヴァレンティアの顔を覆う。
すると皮膚を剥がされた痛みが和らぎ、出血も止まっていく。
「俺の魔力では失った皮膚や鼻、耳までは再生できぬ。だが俺は嬉しいぞ。これで俺達は本当の兄妹になれた気がする」
「お兄様…私、お兄様に治療魔法の心得がある事に驚きました。私は貴方の事を何も知らなかったのですね」
「父が違うからな。見下されていたとしても仕方無い」
シュピーゲルは公爵家の血は引いていなかった。
元々母親はある騎士の
妾腹ゆえに乳飲み子共々追い出され途方に暮れていたところ、それでも失っていなかった美貌を公爵に見初められて後添えとなった。
子を得られぬまま本妻を亡くしていた公爵は美しいだけではなく健康な赤ん坊を産んでいた彼女に白羽の矢を立てたという事情もあったという。
間もなく公爵家には男児と女子が生まれた。
これにより母親は公爵との間に生まれたロドルフとヴァレンティアに愛情を注ぐようになりシュピーゲルは蔑ろにされた事実があったのだ。
非情にも自分を追い出した騎士の血を引いている事もあったのかも知れぬ。
そんな母親の態度は弟と妹にも伝わり、シュピーゲルは立場でこそ長男であったがロドルフとヴァレンティアから家人のように扱われていたのだ。
生来も気性もあったであろうが、この事によりシュピーゲルが荒れた青春時代を過ごしていたのは無理もないといえよう。
「お兄様…私、悔しゅう御座います」
「案ずるな。噂では『水の都』におわす『亀』の聖女ゲルダ様はどのような傷も癒やしてくれるという。ゲルダ様に縋れば顔は元に戻ろう」
「そうではありませぬ。ロドルフお兄様、いえ、ロドルフの策にかかり、このような辱めを受けた事に御座います」
「ヴァレンティア…」
その憎悪を孕んだ目を見て気性の激しい母を同じくする妹であると実感する。
「ヴァレンティア、そなたの顔、この兄に預けてくれぬか?」
「どうなさるおつもりですの?」
「何、ヤツらの望み通りヴァレンティアを永遠の逃亡者にしてやるのだ。ただし、その役目は兄が引き受けよう」
悪党にも情というものがある。このまま利用されて終わるものかよ。
ロドルフがヴァレンティアの顔を奪ったのは生死を曖昧にしてハイネスの仇討ちを永遠に終わらせない為の小細工でしかない。
ならば妹に成りすまして状況を引っ掻き回してやろうじゃないか。
世界各地をヴァレンティアの姿で練り歩き衆目を集めるのだ。
目撃情報を得て世界を右往左往する事になるハイネスには気の毒だが、裁判にもかけずにヴァレンティアを処刑しようとした自分の短慮を怨むが良い。
だが同時にロドルフも敵持ちであるヴァレンティアが大手を振って天下の往来を歩いている事に肝を冷やすに違いない。
アラン王子暗殺の真相を知るヴァレンティアが公の場に引き出されたらロドルフは身の破滅だ。心休まる日など永遠に訪れぬであろう。
それでもヴァレンティアが生きているとなればロドルフも追っ手を差し向け、ハイネスを援助しなければなるまい。
指を咥えたままでは無能と呼ばれるであろうし怪しむ者も出てこよう。
ロドルフは自らを殺す爆弾を自分で探す事になるのだ。
「こんな面白い趣向はあるまい。全ては自分が撒いた種よ」
「しかしロドルフは何故私の命を奪わなかったのでしょう? それで私の死を隠せば簡単な話だと思うのですが」
「それがロドルフの限界なのだ。普段は豪放磊落に振る舞っているが根は小心者よ。アラン王子暗殺の件だけで内心はすっかり怖じけているのだ。そなたの命を取らなかったのは情けではない。これ以上人を殺せばヤツの心が持たないと無意識に悟っていたのだ」
「あのロドルフが…」
「ヤツが去る時に何度も振り返っていた事に気付いていたか? あれは俺が怒って追いかけてこないか確認していたのよ」
本当は走って逃げ出したかったのだがそれをすれば嗤われる。
だから怖いのを堪えて歩み去るしかなかったのだが、何度も後ろを確かめる事だけは我慢が出来なかったのだろう。その姿はシュピーゲルは勿論、仙十の手下達から見ても滑稽極まりないものだった。
「あの調子ではあやつの未来は元締めの傀儡しかないだろう。我が弟ながら憐れよ」
シュピーゲルは打ち棄てられていたヴァレンティアの顔を拾う。
「つまり俺がヴァレンティアを演じている限りはハイネスや追っ手はそなたを見つける事が出来ぬという事だ。その間に傷を癒やせ。後の事は今は置いておけ」
「お兄様…」
「ではな、闇の世界に浸りきった俺と違ってそなたの道にはまだ光がある。ニ度と会う事はあるまい」
シュピーゲルはヴァレンティアの顔を自分の顔に被る。
それは不思議とフィットしてまるで自分の顔のようであった。
「お兄様!」
「では、御機嫌よう」
人から剥いだ顔を被っても覆面をしているのと変わらない筈であるが、その時のシュピーゲルはヴァレンティアと瓜二つであった。違和感すら皆無である。
その衝撃にヴァレンティアが呆然としている内に、シュピーゲルはヴァレンティアの声で別れを告げて夜陰に紛れるように走り去っていった。
「まるで姿見を見ているようでしたわ」
変装名人『姿見』のシュピーゲルの誕生であった。
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