外伝之弍拾 王子殺しにされた令嬢⑲

「おのれ、聖女共!!」


 フレーンディア王国・現国王ロドルフは激怒して聖女連名による王位返還を迫る命令書をびりびりと破いた。

 兄、シュピーゲルを巧く遣い王位継承者二人の内、一人の暗殺に成功し残るもう一人も仇討ちの旅に出た事で後継者を失った王家は次期国王に自分を指名するしかなかった。全ては計画通りである。

 家の名を堕とす愚行ばかり起こす兄に世に出してはならぬ秘薬を用いて妹を襲わせて廃嫡に追い込んだ事で家督は自分が継ぐ事になったが、何故か心は満たされる事が無かった。

 常日頃から騒動を起こしては周囲への信用回復の為に奔走させられており、兄が目障りであった事は否定しようもない。

 そんな兄が家を継げば誇り高き公爵家は瞬く間に潰れていまうという思いもあったし、何より早くに生まれただけの剣術だけが取り柄の粗暴な兄が自分を差し置いて家督を継ぐという事実が許せなかった。

 だが、折角自分が次期当主となったというのに素直に喜べないのはどうしてか。

 そんな折り、竹槍仙十たけやりせんじゅうなる声のみで姿を見せぬ怪人が接近し、“国王になりたくはないか? それだけではない。目障りな妹をもニ度と這い上がれぬようにして進ぜよう”と云って来た時は激怒して討ち取ろうとしたが、姿が見えない上に無数の竹槍を自在に操る仙十に敵わず、最終的には兄と同じくして竹の檻に閉じ込められるという屈辱的な敗北を喫していた。


「な、何が望みだ?」


「何、愚鈍なる王家に仕える事に嫌気が差しているのだろう? そなたのその想いに応えたまでよ。そして一国の主には優秀な人間がなるべきである」


 自室の天井より聞こえてくる嗄れた声の言葉を否定したかったが出来なかった。

 それが公爵家を継ぐ事になって尚満たされぬ心の正体であったのだ。

 幼い頃から見てきたが、あの暗愚な兄弟では王は務まらないだろうと思っていたのは事実であったし、二人が失脚して自分が王となる夢は何度見たか覚えていない。

 しかも妹はまだ学生であった頃にフレーンディア王国の財政を立て直した策を献策した功績により名を上げており、その存在感を増していた。

 前国王から直々にお褒めの言葉を賜り、褒賞を与えられた事による父の喜びはまさに天にも昇るほどであり、祝いの席で“ヴァレンティアに家督を譲る事も吝かではない。そうなれば良き婿を選んでやらなくてはな”と云い出した時は信じられない思いをしたものだ。


「シュピーゲルはもうどうにもならぬ。後の頼りはそなただけだ。家督を継がせるのはそなたと決めた。良いな。決して期待を裏切るでないぞ」


 と、膝を突き合わせて云ったあの言葉は何だったのか。

 酒に酔った勢いでの発言ではあったが親戚や来賓が大勢いる中での言葉だったのでロドルフの内心は穏やかなものではなかった。

 後に国王自ら父に嫡男アラン王子の正室にヴァレンティアを迎えたいとの話が来た事で家督は予定通りロドルフが継ぐ事になったが一度芽生えた危機感はなかなか拭う事が出来なかったのである。


「俺、否、私が王になった暁には何を望む?」


「なぁに、簡単な事さね。アンタの後見にしてくれりゃ良い。以後も知恵を貸すし、アンタにとって邪魔なヤツらを一人残らず排除してあげるよゥ」


 ロドルフの問いに年増女の声が答えた。

 ロドルフとて莫迦ではない。相手の望みは新国王となった自分を傀儡かいらいとする事であると嫌でも理解させられた。


 だが――ロドルフの心は既に定まっていた。


(だが傀儡の何が悪い。アランやハイネスのような愚鈍な王子達が王となるよりも俺が王となった方がフレーンディアをより良く出来るはずだ。傀儡、大いに結構。むしろ俺の方がこやつらを手懐けて操ってやる)


「さあ、我が手を取る意思、有りや無しや」


「有る!」


 ロドルフは逡巡する事無く答えたものだ。


「だが私を王にすると云うがまずはどう動くのだ?」


「まずは第一王位継承者であるアラン王子の名を落としまんねや。一番手っ取り早いのは女にまつわる悪評でんな」


 飄々とした中年男の策はロドルフに否定される事になる。


「女? それは難しいと思うぞ。アランは二十歳を過ぎたというのに未だに童貞を貫いている。本人が生真面目すぎるというのもあるが、モノあまりにも粗末・・でコンプレックスを持っていてな。人には見せたがらぬ。そのせいで結婚は遅れ、仮に嫁を得たとしても行為に及べるか疑わしい程なのだ」


「そこは心配いらぬ。今にも寿命が尽きつつあった寝たきりの老人を回春させて一度に十人の若い娘を悦楽に導いた実績のある秘薬があるではないか。そなたが兄を失脚させたのと同じ手よ」


 青年の声が後にハイネスとその息子ヨアヒムを貶めることになる秘薬の存在を示唆するとロドルフも驚きを隠せない。


「あれは跡取りがいないまま老いてしまった先祖が回春剤として作ったものの強力すぎて加減が出来ずに女達を責め殺してしまったが故に厳重に封印していたものだ。それを何故貴様が知っている?」


「ふふふ…この竹槍仙十に分からぬ事、知らぬ事は無い。そしてこの秘薬の存在を知る者はそなたしかおらぬ。当主も存ぜぬ秘薬をたまたま地下蔵で発見したそなただけの秘密よ」


 駄目だ――ロドルフはこの声だけの怪人には勝てぬと悟ってしまう。

 幼い頃、探険ごっこで地下蔵を漁っていた際に何重にも絡繰りで封印が施された箱を見つけ、好奇心から封印を解いてしまった恐るべき秘薬。

 うっかり臭いを嗅いでしまい未熟な生殖器に全身の血液が集まった事でズタズタとなり三日三晩も魘された地獄は忘れようにも忘れられない。

 後年、見つけた先祖の手記により回春剤の失敗作と知って忸怩たる思いをしたものであるが、同時に遣い方次第では有用であると気付いていたのだ。

 自分だけの秘密だったはずだが、天井裏から降ってくる無数の声は幼い頃のしくじりも含めて全てを知っているらしい。

 ロドルフはこの取り引き相手が悪魔であるかのように恐れたが、それも一瞬の事であった。どうせ傀儡となると心に決めたのだ。こうなったら毒を食らわば皿までだと開き直ったのである。


「ならば都合良く先日アラン付きになった若い侍女がいる。それも家柄は侯爵家だ。ヤツの名を落とすには格好の材料となろう」


 侍女を犠牲にしようと提案するロドルフの顔からは最早人としての善性を見ることはできない。


「ふふふ、侍女に限らぬ。護衛の女騎士、出入りの商人が女であればそれも襲わせよう。ついでに過日連れ合いに先立たれて寂しかろうメイド長の老婆も慰めて貰おうではないか。ここまですればアラン王子は女と見れば見境のない豚であるという悪評が立とうというものだ」


「これは拾い物かも知れんな。己が欲の為にここまでの非道な策を思い付くとは気に入ったぞ。我は今、仕え甲斐のある主を得た」


 老人の声は満足げであった。

 ロドルフは天井を見上げて笑う。


「貴様が味方でいる限り俺は傀儡に徹しよう。今後もよしなに頼むぞ」


 自ら傀儡となると口にしてはいるが、その笑みは獰猛な肉食獣のようであり、言外に簡単には操られぬと云っていた。


「良かろう。ロドルフよ、我が秘策にて王となれ」


 シュピーゲルが子飼いの殺し屋として竹槍仙十の左腕と呼ばれるようになったのなら、ロドルフは肝胆相照らす竹槍仙十の右腕となったのである。

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