外伝之拾㯃 王子殺しにされた令嬢⑯
「引っ立てぃ!!」
「はっ!」
アンネリーゼの指示に子分衆が応える。
シュピーゲルはそのままフレーンディア王国の下屋敷に連行されて早朝には仇討ちの決闘場に引き出されるのだ。
失った右腕の出血は止められている。カンツラーは凍らせておけば十分だと云っていたが、流石にやり過ぎだとクルトが治療魔法で傷口を塞いでいた。
「甘いな。聖女グレーテも甘かったが息子も敵に甘いと見える」
「何とでも云え。これは情けだけではない。決闘には王家からの立ち合い人が来られるし、矢来の外には大勢の民が詰めかけよう。右腕の傷を凍らされた貴様を見て彼らが何と思うか簡単に想像出来るであろうが」
嗤うシュピーゲルにクルトは情けではないと返す。
只でさえ片腕を失うというハンデを負っているのにその傷を凍結させられた姿を見た見物人達の中には同情する者も現れるだろう。非情の殺し屋であったとしてもだ。
下手をすれば仇を討つ側であるはずのクルトの方が非難の的となるだろう。
そうなっては仇を討てたとしても家督を継ぐのは難しくなる。
仇討ちは只勝てば良いのではない。騎士の本分であり義務だ。それに相応しい勝ち方というものが求められるのである。
「決闘は翌早朝…精々鋭気を養っておくことだ。末期に欲しい物があれば云うが良い。可能な限り揃えさせよう」
クルトの言葉にシュピーゲルは哄笑を持って返した。
「末期とは笑止! 仇討ちが騎士の倣いならば返り討ちもまた騎士の倣い! 至高の剣客、ゲルダの息子には不覚を取って右腕を失ったがこのシュピーゲル、小童如きに遅れは取らぬわ!」
それに――シュピーゲルは穏やかな表情を浮かべる。
「それに貴様の兄に饗されたフレーンディア料理と貴様の父の心尽しによって俺の心身は充実している。何なら今ここで勝負してやっても良いぞ」
「シュピーゲル…殿」
「躊躇いがちに殿をつけるくらいなら呼び捨てにすれば良かろう」
複雑そうにしているハイネスにシュピーゲルはニヤリと笑う。
「云っておくがこのシュピーゲル、貴様の招待は純粋に嬉しかったのだぞ。生まれて此の方、友と呼んでくれる者は皆無に等しかったからな。ヨアヒム、貴様の料理も憎き仇の口に入ると承知していたはずだが微塵も邪念を感じなかった。美味かったが、それ以上にここまで心が穏やかに食事をしたのは何時振りであったか。それこそ黒駒一家に囲まれている事に気付けなくなるほどにな。流石は“光”と“希望”を司る『獅子』の聖女の子といったところか。一度は放蕩三昧に堕ちたとは思えぬ見事な料理であった。褒めてつかわす」
「料理こそが母上から受け継いだ私の最後の誇りだ。わざと味を落としたり害となる物を仕込むのは私の誇りが許さなかった。それだけの事だ。ただ貴様の賛辞は素直に受け取ろう」
ゲルダの喝があったとはいえ無頼から立派に立ち直ったヨアヒムは堂々とシュピーゲルの賞賛に返す。
戦えばヨアヒムに勝ち目は無いのは一目瞭然であるが、その立ち振る舞いは聖女と王家の子に恥じぬ冒しがたいものを周囲に感じさせた。
「クルトといったな? では早朝にあい
それからシュピーゲルは騒ぐ事も抵抗する事もなく連行されていく。
やがて夜の闇にシュピーゲルの姿が飲まれて消えるが、クルトはいつまでも彼が去った道を見詰めていた。
そんなクルトにカンツラーが近寄る。
「去り際のシュピーゲル、妙に落ち着いていたね。さっきまであれだけ必死に逃げようとしていたり斬られた腕を庇って喚いていたりしてたのにさ」
「もしかするとあれがシュピーゲルの本来の姿なのかも知れない。恐らくは父上の打算無き友情と兄上の心尽しの料理が『姿見』の殺し屋を人間に戻したのだろう」
「もし、そうならボクが腕を斬った時よりも手強くなっているかも知れないよ? 武術は体と技術だけじゃない。心、精神の有り
「むしろ望むところだ。母上、そして伯父上の仇を討つならば見苦しく泣き喚く悪党を斬るよりも剣士同士の決闘の方が良い。御二人の名誉にも関わる事だからね」
そう云って明日の決闘に臨むクルトの顔は美しかった。
美醜の話ではない。決意と覚悟を胸に秘めた者の顔は老若男女美醜貴賤の区別無く美しいものだ。
「クルト…」
自分の面影を色濃く受け継いでいる次男をハイネスは眩しそうに見詰めていると不意にクルトが近寄ってきた。
クルトはハイネスを真っ直ぐに見据えると一礼をして踵を返す。
言葉は無かったが初めて相対した親子は十数年の溝を埋めるかの如く存分に語り合っていた。少なくともハイネスにはそう感じたのである。
「グレーテ…感謝する。私がいなくとも我が子達を大きく育ててくれていたのだな」
病が無くとも最早自分ではクルトの足元にも及ばないだろうと悟ったハイネスは、ここまで子供達を育てた亡き妻と妻の死後にヨアヒムを立ち直らせ、クルトを導いてくれたゲルダに感謝の念を抱いた。
「さあ、行くぜ。その体じゃシュピーゲルとは戦えねェだろ。ましてや盗賊に堕ち、教会を襲ったお前を仇討ちの場に出すワケにはいかねェ」
促すアンネリーゼにハイネスは頭を下げる。
「アンネリーゼ様…ハイネスという名を頂いた御恩に報いるどころか人の道から外れてしまいました。如何様なお裁きも甘んじて受け入れます」
「いい覚悟だ。お前の裁きはグレーテどんを除いた聖女全員で下す事になった。云っておくが楽に死ねるとは思わねェ事だな」
「ははっ! 尼僧の三姉妹を手籠めにし、その内の二人を責め殺した罪、盗賊と共に商家を襲った際、用心棒とはいえ六人の命を奪った罪、その他余罪も有りますれば厳しき沙汰をお願い申し上げまする」
自分の罪は打ち首や絞首刑では生温いと考えていたし、たとえ聖女達の命じた罰が火炙りであろうと車輪刑だろうと受け入れるつもりでいた。否、刑は残酷であればあるほど相応しいだろう。
「ハイネス様、こちらへ」
「ああ、ありがとう」
ハイネスは黒駒一家が用意した黒く塗装された鋼鉄性の馬車に乗り込む。
窓には鉄格子が嵌められ、分厚いカーテンで中が見えなくされており、罪人の扱いを受ける父を不憫に思うヨアヒムだった。
「判決が下るまでは罪人じゃねェ。ありゃ外から見えないようにって配慮だと思え。意外と内装は広くて横になれるし、ゲルダ先生も乗っていなさるからむしろ快適に過ごせると思うぜ」
「ゲルダ様が…ご配慮に感謝致します」
「ふん! 被害者のマリアどんが情状を汲ンでくれていたからこそだ。じゃなきゃ普通の乗り合い馬車に蹴り込ンでるところだぜ」
「そうは云うておるがな。態々寝台付きの馬車を用意したのはアンネの親分じゃぞ? しかもどんな悪路でも中に振動が伝わりにくい特注品を大枚叩いてガイラント帝国から購入してな。いやはやマリアからハイネスが死病に取り憑かれているのでは、と聞かされてから常にそわそわしておったのはどこのどいつであったかな?」
「先生!!」
カーテンを開けてゲルダがニマニマとした笑みを見せるとアンネリーゼは顔を真っ赤にして叫んだ。
「おお、怖や怖や」
「さあ、行ったり、行ったり。先生、頼ンましたぜ!!」
「合点でさ!」
「おうよ、任せておけぃ」
アンネリーゼがシッシッと手を振ると馭者は笑いを堪えながら馬車を動かした。
ゲルダもカンツラーに手を振ってからカーテンを閉める。
「母様、また明日ね~!」
馬車が夜陰に紛れて見えなくなるまでカンツラーは手を振って見送った。
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