外伝之拾陸 王子殺しにされた令嬢⑮

「お怪我は御座いやせんでしたか、坊っちゃん」


「この通り、掠り傷一つ無いよ」


 料理屋に入ってきたアンネリーゼは腕の傷を押さえて喚くシュピーゲルの頬を十手で殴り付けて黙らせると、子分に捕縛を命じてカンツラーの安否を確認した。

 カンツラーは両手を広げて笑って答えたものだ。


「でも流石は歴戦の殺し屋だね。『流水』は左からの斬撃を受け流す事で相手の体勢を崩す事に極意があるんだけどさ。まさか一歩で踏み留まるとは思わなかったよ。狙ってはいたけどテーブルにぶつかってくれたのも運任せだったし、ミレーヌ様に足捌きを矯正されてなかったら反撃されてたかもね」


「結果として坊っちゃんの勝ちでやしたが、見ているこっちは冷や冷やしやしたぜ。野郎がテーブルに突っ込ンで息を詰まらせたのを見た時は流石に神様ってヤツに感謝しやしたね」


 安堵の表情を浮かべるアンネリーゼに対してカンツラーは不機嫌な顔になる。


「親分さん、坊っちゃんはやめてっていつも云ってるよね?」


「癖みたいなもんでやすよ。それにやつがれ・・・・だって赤ン坊の頃の坊っちゃんのオムツを何度も換えたし、お乳だって飲ませてたんでやすよ。乳母みてェなもんだ」


 アンネリーゼはカンツラーの頭を撫でて笑う。

 大抵は幼い頃の話をされては羞恥に大人しくなるところであるが、カンツラーはジト目になって彼女を見返していた。


「その子供にチンチロリンや丁半博打に花札を仕込んで母様に怒られてたのは覚えてるよ。ボクが壺振りやってるところを母様に踏み込まれた時の親分の顔も昨日の事のように思い出せるし、何ならお仕置きに三日三晩メイドにされた親分の事も思い出してあげようか?」


 普段は聖都スチューデリアの治安を守る為に働いているアンネリーゼであるが、やはり不良聖女と呼ばれるだけあって“社会勉強”と称してカンツラーを悪所に連れて行き、挙げ句の果てには賭場で壺振りまで経験させていたのだ。

 またカンツラーも強面の博徒に囲まれながらも堂々と壷を振る姿を見せて無頼達からも“こりゃ大物になる。将来が楽しみだ”と一目を置かれていたものである。


「あん時の先生は怖かったねェ…あの全てを凍てつかせる蒼銀の瞳に射竦められて“メイドと冥土、好きな方を選べ”と云われちゃあ従うしかねェやな」


 苦笑してはいるが『水の都』でメイドとして働きながらもカンツラーを寝かしつけるのに昔の出入り・・・を語って聞かせていたのであるから呆れた話だ。

 しかし、愛息を悪所に連れていったアンネリーゼに激怒していたゲルダであったが、その時の経験が後に軍事国家ガイラント帝国に仕官した際に大いに役に立ったのであるから世の中というのは分からないものである。

 政治の世界で生きるには時として清濁併せて呑み込む事も必要であるという割り切った考え方はこの頃から既に培われていたのだと云えよう。


「カンツ! 無事かい?!」


 その時、料理屋に飛び込んできた者がいた。

 純白の騎士服に身を包んだクルトである。


「あれ? クルト兄様、下屋敷で待機してなきゃダメじゃない」


「カンツ、君が捕り物について行ったと聞いてじってしていられるものか。何でそのような無謀な事をしたんだい?」


 ヨアヒムからハイネスとシュピーゲルが現れたと連絡を受けてアンネリーゼが捕縛に向かうと同時に下屋敷でも決闘場が急遽設営されていた。

 シュピーゲルを捕らえた後、下屋敷にて仇討ちが行われる手筈であったのだ。

 仇討ちの作法で白い騎士服に着替えたクルトであったが、どこを捜してもカンツラーの姿が見えない。

 家人に聞けばシュピーゲルの捕縛に同行しているというではないか。

 居ても立ってもいられずにクルトは料理屋に向かったのである。


「だって十歳じゃ助太刀どころか介添えも出来ないっていうんだもん。じゃあ料理屋で食事をしていたらシュピーゲルに襲われたので身を守る為に迎撃したってていでいけば問題無いかなぁって思ってさ。それにクルト兄様との決闘の前に少しでもシュピーゲルにダメージを与えたかったんだ。クルト兄様には勝って欲しかったし」


「カンツ!」


 日頃から穏やかな振る舞いをしているクルトが怒鳴った事でカンツラーは呆気に取られた表情となった。


「クルト兄様?」


「カンツラーがあの恐ろしいシュピーゲルと戦うつもりだと聞いて私がどれだけ心配したと思ってるんだ! 確かに君は私より強い。ゲルダ様とアンネリーゼ様の御墨付きもあったのだろう。けど一歩間違えれば命を落としていたかも知れないんだよ」


 これ以上、大切な人を失うのは沢山だ――クルトはカンツラーを抱きしめた。


「クルト兄様、苦しいよ」


「罰と思って我慢しろ」


 カンツラーの苦情も意に介さずクルトは抱きしめる腕の力を強める。


「ああ、温かい…生きている…」


 カンツラーはクルトの手助けをしたくて今回の作戦を思いついて決行したのであるが、自分を抱きしめて震えているクルトにばつが悪い思いをしたものだ。


「クルト兄様…ごめんなさい」


 ぼそっと謝るカンツラーにクルトは漸く解放する。

 その顔は涙で濡れていたが、いつもの穏やかな優しい顔であった。


「君が私を思っての行動だというのは理解している。君を叱るのではなく、まず感謝をするべきだというのも分かっている。今回、無茶をしたのだってそもそも私が弱いのが悪いのだろう。けど何度も云うが心配したのも確かなんだ。もうニ度とこのような恐ろしい事はしないでおくれ」


「分かったよ。けど、これだけは云わせて? クルト兄様は何も悪くないからね。クルト兄様が弱いとも思ってない。ただ少しでも御手伝いがしたかったんだ」


「分かっている。ありがとう」


 再びカンツラーを抱きしめるが今度は親愛を込めた優しい抱擁だった。

 まるで両親に抱かれているかのような温もりにカンツラーも嬉しそうにクルトに抱きついたものだ。


「改めて思いますよ。その立ち振る舞いを見れば分かります。クルトはもう私の手の届かないところまで行ってしまっているのだとね。カンツラーと共にした修行は一月ひとつき程度と聞いていますが、享楽に耽っていた私と比べてこれだけの差ができる程強くなっていたのですね」


「今はこうして立派に立ち直っているのだから自分をそう卑下するものではない。これからは料理人として生きていくと決めたのだろう? ならばそちらの修行を邁進するだけの話ではないか」


 弟を眩しそうに見詰めるヨアヒムの肩を抱いて父が力づける。

 料理の修行もまた剣術の修行と変わらぬ厳しさがあるに違いない。

 剣を包丁に持ち変えたとはいえヨアヒムも一人前の男として生きて行かなくてはならないのだから胸を張れと檄を飛ばす。


「父上…そうですね。母上から仕込まれていたとはいえ本職の料理人と比べればまだまだ覚えねばならない事がおお御座います。弟に劣等感をいだいている暇など無いのでしたね」


「その意気だ。この後、司直にどのような裁きを下されるのかは分からぬが、命がある限りはお前を見守っていこう。勿論、クルトもな」


「はい…」


 ただ――急に父が難しい顔となって腕を組んだものだからヨアヒムは訝しむ。


「ただ、あの子が生まれる前に旅立ったゆえに私の顔を知らぬのは無理もないが、目の前に父がいるというのに、ああも見せつける事はないとは思わぬか?」


「ははは…それを云えば私も同じ気持ちで御座いますよ」


 父と兄を差し置いてまるで兄弟のように仲睦まじくしているクルトとカンツラーにハイネスとヨアヒムは複雑そうに苦笑いを浮かべるのであった。

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