外伝之拾伍 王子殺しにされた令嬢⑭

「グレーテ? 君なのかい? どうしてこんな所にいるんだ?」


 グレーテの死を知らなかったハイネスは困惑げに問う。

 それに答えずグレーテと名乗った女は意味有りげに微笑んでシュピーゲルを見詰めている。


「き、貴様…生きていたのか?」


「生きていた? どういう意味ですかな?」


 ハイネスの疑念に答える余裕も無いのか、どうなんだ、とシュピーゲルが叫ぶ。

 しかしグレーテは微笑むばかりで答えない。言葉すら発そうとはしなかった。


「な、何故答えない?! よもや化けて出たのではあるまいな?!」


「さっきから何を云っているのだ? まるでグレーテが死んでいるかのような口振り…シュピーゲル殿、貴公は何を知っている?」


 するとグレーテの口から含み笑いが漏れてきたではないか。

 自身の知るグレーテはそのような笑い方をしていなかったのでハイネスもまた困惑げにグレーテを見る。


「人の顔を剥がして自らの顔に被る冷酷な殺人鬼も死したはずの者が現れれば狼狽すると見える。その泡を喰った顔、この程度の男に殺されたのだと知れば母上も無念と思うに違いない」


 否、とグレーテは首を横に振る。

 その顔には自嘲の色があった。


「否、そもそもが母上を追放した私こそが元凶…貴様を嗤う資格など無いか」


「貴様、グレーテではないのか? 何者だ?!」


「ふっ、闇社会で変装の名人と謳われた『姿見』のシュピーゲルですらまだ見破る事が出来ぬとは私の変装も捨てたものではないらしい。もっとも私の場合は化粧だけであるし母上限定であるがな」


 その言葉にハイネスは漸く気付く事が出来た。

 師であるゲルダを真似て肩で揃えた金髪、穏やかそうな垂れ気味の金色の目、そしてハイネスを虜にした十代前半に見える幼い顔立ちはどれも愛する妻、グレーテそのものであったが、違和感があるとすれば目の前にいるグレーテと名乗る女は妻と比べて背丈があるように思えた。


「き、君は……」


 漸くグレーテはハイネスに微笑みかけた。


「お久しゅう御座います、父上。長年の仇討ちの旅、さぞ苦労をされた事でしょう。これまで父上が味わってきた辛苦は察するに余り有ります」


「よ、ヨアヒムなのかい?」


「はい、貴方の不肖の息子、ヨアヒムで御座います」


「そ、そうか…立派になって、と云いたいところだがその恰好は?」


 まさか長男が聖都スチューデリアにいる事にも驚かされたが、如何なる仕儀があって母親の姿となったのか問い詰めたいところであった。


「『龍』の聖女アンネリーゼ様より父上をこの店で見かけたと聞かされた私は黒駒一家の調査と並行して独自にこの店で張っていたのですよ。勿論、アンネリーゼ様のお許しを得ての事ですがね。ここで張り込めばいずれは母上を手に掛けた殺し屋、『姿見』のシュピーゲルが姿を現すだろうと。そしてその予想は当たっていました」


「シュピーゲル殿がグレーテを殺した? どういう事ですかな、シュピーゲル殿!」


「五月蠅いッ!!」


 問い詰めるハイネスであったが簡単にシュピーゲルに殴り飛ばされてしまう。

 シュピーゲルの中にあったハイネスへと友情は既に霧散している。

 ここにいるのは人の顔を奪う残酷な殺し屋でしかなかった。

 ヨアヒムは父を助けるでもなくシュピーゲルを睨みつける。


「何故、俺がこの店に姿を現すと? 俺は今日までこの店を知らなんだし、この店に来たのも今日が初めてよ」


 シュピーゲルの問いにヨアヒムの口角が僅かに上がる。


「簡単な事だ。かつて公爵家を出奔した不出来な長男がいたというのは有名な話だ。その男は剣技こそ天才的であったが性格に難があって人とのコミュニケーションが出来なかったそうだな。持って生まれた公爵家のプライドと云えば聞こえは善いが、人を見下してばかりいる上に剣の腕を驕り弱き人にだけ暴力を振るうような男と誰が友となるだろうか」


「黙れ! 知った口を利くな! この鼻のせいでどれだけ苦渋を舐めさせられたか、貴様のような小僧に分かるか?!」


 顔を覆っていたハンサムな青年の皮を剥ぎ取ったシュピーゲルは削がれたように低い鼻を晒して怒鳴り散らす。

 それをヨアヒムは鼻で嗤った。


「自業自得ではないのか? その鼻、幼き日のヴァレンティア様を手籠めにしようとした際に反撃されて齧り取られたそうじゃないか。正確には、その事に激怒された公爵様に取れ掛かった鼻を治療されずにそのまま削がれて廃嫡になったと聞く。貴様の諸々の悪事に苦慮されながらも、それでも家族だからと愛されていた公爵様だったが実の妹を襲うような男に家督を継がせる気は失せたそうだからな」


 シュピーゲルは自分が人から愛されないのは鼻のせいだと思い込んでいたが、実際には自身の行いで人が離れていっただけの話であった。

 鼻が無いのも数々の悪事の積み重ねる彼への罰であったのだ。

 それでも最後の情けで家督を継ぐ次男の補佐としての仕事を与えられていたシュピーゲルであったが、その鬱屈した心を謎の怪人、竹槍仙十たけやりせんじゅうに見透かされ甘言にあっさりと乗って公爵家から出奔したのが真相であった。


「出奔したとはいえ故郷の味は忘れられないものだ。過酷な仇討ちの途次である父上がこの店に何度もおでになられているのが何よりの根拠だ。ただ、その父上が貴様を友と呼んで招待された事は複雑であったがな」


「ヨアヒム…」


 ハイネスは自分が腑甲斐無かった。

 いくら人生のどん底に落ちた自分を救ってくれた恩義があったと云っても最愛の妻の命を奪った男と友誼を結んでいたとはあまりにも情けない話ではないか。


「父上、腑甲斐無いのは私も同じで御座います。私も前王であられたお祖父じい様に化けたシュピーゲルに唆されて母上とクルトを屋敷から追放してしまったのですから…」


 シュピーゲルは王宮を追われて尚グレーテがヨアヒム・クルト兄弟に対して優しい母親のままである事に業腹となった。自分は母親から見放されたというのにこの兄弟は変わらずに母の愛情を受けている事実に激しく悋気に駆られたのだ。

 そこでシュピーゲルは思春期を迎えて反抗心が芽生えつつあったヨアヒムに近付くと、如何にも彼が不遇な人生を歩んでいるのか懇々と説き、王宮を追い出された元凶こそグレーテであると刷り込んだのだ。


「そんな…私の愛する家族が…」


 自分が不在であるせいで共にあるべき家族が離れ離れになっていた上にグレーテも既に泉下せんかの客となっていた事実にハイネスの心は絶望に彩られていく。

 しかし辛うじて絶望の沼に嵌まる寸前で踏み留まる。

 絶望に苦しんでいるのは自分だけではない。ヨアヒムもまたシュピーゲルの陰湿な策により家族を追い出すという罪を背負っているのだ。

 善く見ればヨアヒムの目が揺らいでいるではないか。

 親であるならばすぐに気付かなければならぬというのに本当に駄目な父親だ。


「ヨアヒム、全ては兄を殺された怒りに任せて裁判すらせずにヴァレンティアを犯人だと決めつけた父の罪だ。このハイネスの不徳だ。その場で処刑を云い渡さなければ少なくともヴァレンティアは逃亡しようとは思わなかっただろう。そして私も仇討ちの旅に出る事はなく家族も離散する事はなかったに違いない。許せとは云わぬ。だが、どうか君は君自身を許して絶望の沼から抜け出しておくれ」


「父上」


 自分を抱きしめる父の腕の力は驚く程に弱く、体も恐ろしく軽かった。

 しかも、この生臭い口臭は病気を患っているのではあるまいか。


「父上…内臓を病んでおられるのですか?」


「ああ、ある人の紹介でかかった医者の話では“後半年も生きられれば良い方だろう。旅を続けているのが、否、立っていられるのが不思議だ”そうだ」


 病に冒され、盗賊の手先にも落ちてまで旅を続けていたのはひとえに兄の仇を討ち果たし、王位を継ぐ、否、この上は王位など問題ではない。

 全ては家族の元へ帰りたい一心であったのだ。


「父上、お喜び下さい。伯父上の仇もまたヴァレンティア様の姿となった『姿見』のシュピーゲルだったのです。漸く仇を討てますぞ」


「なんと?! 全ての元凶がここに…」


「はい、シュピーゲルが如何に優れた暗殺者といえども屈強な護衛が守護する伯父上を誰にも気付かれずに殺害するのは不可能です。いたのですよ。シュピーゲルが伯父上を殺し、ヴァレンティア様に発見させるまでの間、伯父上のいる塔の警備を空にした共犯者が」


「共犯者?」


「そうです。当時、父上と伯父上の護衛をしていた騎士達の責任者がね」


「ま、まさか…」


 思い当たる人物がいる事にハイネスが愕然とする。


「そうです。かつての王室護衛騎士団団長であり、今やフレーンディア国王ロドルフ陛下。彼こそが伯父上から警護を遠ざける事が出来た人物です」


「莫迦な…ロドルフは親類であり、幼き頃から我ら兄弟と共に学び、共に遊んだ竹馬の友なんだぞ。それに王家への忠誠心も高い立派な騎士だったんだ」


「しかしヴァレンティア様を伯父上殺しの犯人として裁判を通り越して処刑なされようとする父上を諫める事ができた人物でもあります。そして彼がヴァレンティア様を堀に落として逃がした事で父上の苦難が始まったのです」


「信じられん。ロドルフは何故裏切ったのだ…彼は次期国王となる兄上にも忠誠を誓っていたのだぞ。そこに偽りなど欠片すらも見出す事は無かったはずだ」


 驚愕の事実に愕然とする父にヨアヒムは更なる現実を突き付ける。


「先程も云いましたがシュピーゲルはヴァレンティア様の兄、それは取りも直さずロドルフ陛下の兄という事です。全てはロドルフ陛下をフレーンディア王国の王とするシュピーゲルの策略…いや、母上の顔を見ただけでここまで狼狽えるような男には描けぬ絵でしょう。黒幕がいるに違いありませぬ。どうだ? 図星ではないか? 殺し屋に堕ちた元貴族の男、シュピーゲルよ」


 シュピーゲルは答えない。

 しかし憎悪を飲んだ瞳と聞き苦しい歯軋りが全てを物語っていた。


「無念だ。まさか兄の命を奪った真犯人が一度ならず友と呼んだシュピーゲルであったとは…しかも最愛の妻もそのシュピーゲルの手にかかっているという」


 十五年という生き地獄にも似た過酷な旅の末にやっと仇を見つけたが、その仇に良いように操られて自分は教会を襲い、罪も無い若い尼僧達を穢してしまったのだ。

 きっと自分は地獄に堕ちるに違いない。

 否、その前に司法の手によって死罪となるのは明白である。

 これまでの人生は何であったのかとハイネスの目から涙が零れた。


「父上、貴方は強力な媚薬によって操られていたのです。何よりマリア様も父上の情状を汲んで貰えるよう司直に発言して下さるそうです。残る余命が半年という事も考慮されるでしょう。死ぬだけが償いではありませぬ。事件の真相をつまびらかにし最期の日まで共に償って参りましょう」


 ヨアヒムの言葉にハイネスは顔を上げる。

 そうだ。自分の罪は死ぬ程度であがなえる程軽いものではない。

 生きている内に犯した罪を少しでも償わなければ、それこそあの世でグレーテに合わせる顔がないではないか。


「立派になってくれたな、ヨアヒム。我が妻グレーテは我が子を大きく育ててくれたようだ」


「立派なものですか。私も『亀』の聖女ゲルダ様に喝を入れて頂かねば享楽にふける自堕落な営みを今も続けていた事でしょう。私もシュピーゲルの媚薬によって操られていたとはいえ恥の多い人生を歩んできたのです」


 ヨアヒムは父の体を支えてシュピーゲルと対峙する。


「しかし懺悔は後にしましょう。今はまず…」


「そうだな。やる事は一つだ」


 ハイネスはサーベルを抜刀してシュピーゲルに突き付ける。

 我が子に支えられながらではあるが、その目には病を得た男とは思えぬ気迫が蘇り、闇の世界にいた時の澱みも消え去っていた。


「我こそはフレーンディア王国・元第ニ王子ハイネス=ジャン=フレーンディア! 我が兄アランと我が妻グレーテの魂の安らぎを与える為、シュピーゲル! 今こそ貴様を討ち果たす! いざ尋常に勝負!!」


「同じくハイネスの子にしてグレーテの子ヨアヒム! 母の仇を討つ!」


 病に冒されているせいで揺れる切っ先を見てシュピーゲルが嗤う。

 腰の剣を抜くとハイネス親子に立ちはだかった。


「一度は闇に堕ちた死に損ないが! 使えると思って拾ってやった恩を忘れおって! 巫山戯た親子め! 剣もろくに握れぬ重病人と未熟者、纏めて斬り捨ててやる!」


 シュピーゲルは口上を終えると鞘を投げ捨てた。

 同時にヨアヒムが叫ぶ。


「シュピーゲル、敗れたり!!」


「何を云うか?!」


「そ、そうだぞ。シュピーゲルは鞘を捨てただけではないか」


 困惑する二人にヨアヒムは“合図ですよ”と笑った。

 途端に周囲から幾人もの声が上がる。


「「「「「御用だ! 御用だ!」」」」」


 ヨアヒムが料理を提供している間に店は黒駒一家に囲まれていたのだ。

 勿論、店の者も客も避難済みである。


「黒駒のアンネリーゼである!! 殺し屋『姿見』のシュピーゲル!! 聖女グレーテ殺害の詮議を致す!! 神妙に縛につけぃ!!」


 外を覗けば夕闇の中に御用提灯がいくつも浮かんでいる。

 その中心には陣笠を被ったアンネリーゼが腕組みをして仁王立ちしていた。


「ハイネス! 今は手を貸せ! ここは斬って抜けるぞ!!」


 先程までの遣り取りを忘れたかのように厚顔無恥にも逃げるのに協力しろと喚くシュピーゲルにハイネスが笑う。


「今更生き延びようとは思わぬ。それ以前に兄と妻の仇を逃がすと思うのか?」


「莫迦な! 捕まれば貴様も只では済まぬのだぞ?!」


「私は自らの罪と向き合う覚悟を決めた。司直が貴様と共に獄門台へ行けと云うのであればそれもまた善し! 貴様の方こそ覚悟するが良い。アンネリーゼ様の手からは逃げられぬぞ!」


「おのれ!! 悔やむ事になるぞ!!」


 ハイネスの協力を得られぬと悟ったシュピーゲルは部屋から飛び出す。

 司直の狗となったヤクザ共になんぞ負けぬ、と吠えた。


「ん?」


 料理屋の入口近くで暢気に茶を啜っている小さな影があった。

 見れば子供である。逃げ遅れたか?


「よし! ついてる・・・・ぞ!」


 シュピーゲルは子供を人質にして囲みを抜けてやろうと算段を立てる。

 逃げる事に必死なシュピーゲルはこの騒ぎの中で店の中に子供が取り残される事などあり得ないだろうという所まで知恵が回っていなかった。


「おい! 小僧! こっちに来い!」


 しかし、子供はちらりとシュピーゲルを見ただけで再び湯呑みに口をつける。


「聞こえてないのか?! 死にたくなければ俺と一緒に来い!」


 子供は煩わしそうにシュピーゲルを見ると呆れたように云った。


「やーだよ。ボクは評判のなめろう・・・・を食べに来たんだもん。オジさんの云う事を聞く義理は無いよ」


「巫山戯るなよ、小僧! この剣が目に入らないのか?」


 怖がりもしなければ云う事も聞かない子供に一瞬虚を突かれた顔になったが、すぐに悪相となって剣を見せながら凄む。

 しかし子供はケラケラと笑うではないか。


「そんな鼻の無い間抜け顔で怒ってもちっとも怖くなんかないよ。『姿見』ってくらいなんだから鏡で今の自分の顔を良く見たら? オ・ジ・さ・ん」


「この餓鬼!!」


 激昂したシュピーゲルが座ったままでいる子供の側面から斬り掛かる。

 目にも止まらぬ早業とはまさにこの事であろう。

 子供は飛燕の如く抜き付けてシュピーゲルの剣を受け止めていた。

 抜刀どころか帯刀している事にすら気付いていなかった殺し屋は目を見開く。

 だが流石に闇社会で名を馳せた殺し屋だけあってか、余った勢いで一歩踏み出しただけであった。


「ぐがっ?!」


 しかし、一歩であっても体勢が崩れた事には違いない。

 しかもその一歩の先にはテーブルがあった。

 強かに腹をテーブルに打ち付けて殺し屋に大きな隙が出来る。


「せいっ!!」


 その隙を見逃す道理などない。

 刀を担ぐ恰好となっていた子供がトントンと進んで振り下ろす。


「ぐええええええええええええっ?!」


 一切の容赦無く刀はシュピーゲルの右腕を截断したのである。


「うん、『流水』の足捌きをトーン、トン、トントンに変えて正解だったね。流石は母様が尊敬しているミレーヌ様だ。後でお礼に好物って云ってたプリンを作って持っていってあげようっと」


 腕を失った激痛いたみにのたうつシュピーゲルが目に入ってないかのように『亀』の聖女の一人息子、カンツラーは笑ったものだ。

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