外伝之拾肆 王子殺しにされた令嬢⑬

「ほう、ここがハイネス殿が贔屓にしている店か。俺も聖都スチューデリアは長いがこの様なところにフレーンディア料理を食わせる店があるとは知らなんだ」


「うむ、私もたまたまこの道を通った折りに知ってな。内陸地ゆえ流石に生魚は食えぬが干物は干物で味が凝縮されていて良いものだ。燻製もまた酒に善く合う」


 フレーンディア料理と上質の酒が安く味わえると評判の料理屋の前に二人の男の姿があった。一人はグレーテの夫であり、ヨアヒム・クルト兄弟の父、ハイネスだ。そしてもう一人は目鼻立ちの善い青年のを被る変装名人の殺し屋、『姿見』のシュピーゲルであった。


「しかし善く誘ってくれたものだ。俺はてっきり嫌われているものとばかり思っていたのでな。些か驚いている」


「心外だな。私に貴公を嫌う資格は無いし、そもそも初めから嫌ってはおらぬ。むしろ食い詰めて盗賊に善いように使われていた私を救ってくれたと感謝していたくらいだ。血を嫌う性質たちゆえに度々意見をしていたからそう思われていたか」


 それに――ハイネスは続ける。


「それにシュピー…おっと、今はレクター・・・・殿でしたな。貴公もかつてはフレーンディアで生まれ育ったと二度三度口にしていたと記憶している。だからであろうなぁ、この店を見つけてからというもの、同郷の友と故郷の料理に舌鼓を打ちつつ一献を傾けたいという願望が持ち上がっていたのだ。日頃世話になっていながら私の我が侭に付き合わせるのも如何なものかと思わぬでもなかったが、つい堪えきれずに誘ってしまった。迷惑であろうが今宵だけでもお願い致す」


 頭を下げるハイネスに見目麗しい青年が笑った。

 いつもの人を愚弄する嫌らしい笑みではない。

 純粋にハイネスの招待が嬉しかったのである。

 削がれたかのように低い鼻のせいで家族からは蔑まれ、友人も一人としていなかったシュピーゲルにとって打算の無い誘いを受けたのは初めての事であった。

 素顔を見ても驚くことなく、悪の道に違いはないとはいえ盗賊の手先という境遇から救ってくれた事に感謝の念を向けてくるハイネスにシュピーゲルもまた友情めいた気持ちが芽生えつつあったのやも知れぬ。


「なんのなんの、迷惑などと思うものか。こういう誘いならいつでも受けよう。俺も久しくフレーンディア料理を口にしていないのでな。むしろ楽しみですらある」


「そ、そうか! 料理の味は保証しよう。貴公の期待を裏切るつもりはない」


 顔に喜色を浮かべてシュピーゲルに顔を近づけようとしたハイネスであったが、不意に弾かれたように彼から離れて袖で口元を押さえる。

 シュピーゲルの香水に辟易したのではない。自らの口臭を思い出したのだ。

 ハイネスは自分の口臭が酷い・・という自覚はあった。

 長年に渡る仇討ちの旅で歯の手入れが行き届いておらず虫歯だらけというのもあるが、何より過酷な旅はハイネスの体を蝕んでおり、既に彼の内臓の殆どが悲鳴を上げている状態だったのである。

 恐らくこの場にゲルダがいてハイネスを診察したとしても無言で首を横に振るほどに病に冒されていた。

 ゲルダ達はハイネスが捕らえられたら獄門か善くて切腹と話していたが、どの道、ハイネスに未来は無かったのだ。


「では参ろうか。支払いは私が持つので心配はいらぬ。最後の筋目として盗賊ギルドに渡した薬種問屋のデータが“微に入り細を穿つ”と云われてな。蔵の鍵の型を取れた事もあって店の者に気付かれる事なく盗みをする事が出来たそうだ。それでギルドの首領ドンも大層気を良くして寸志と称して使いに大金を持たせてくれたのだ」


「そうであったか。では遠慮無く馳走になろう」


 二人は肩を並べて暖簾をくぐる。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、ハイネス様。奥の部屋に御案内致しますね」


「何? 部屋まで取ってあるのか。豪気よな」


「たまにはな。流石に綺麗どころは呼べぬが貴公とは差し向かいでゆっくり飲んでみたかったのだ」


 裏表の無い顔で笑うハイネスに流石のシュピーゲルも感激した。

 大金を手にしたと云っても料理屋の部屋を取るなど決して支払いは安くなかったはずだが、そうまでして自分を持て成そうとしてくれるハイネスに感動するなと云うのが無理というものだ。


「ささ、まずは一献」


「うむ」


 ハイネスに勧められてシュピーゲルはワインを口にする。


「これは…美味いが」


 明らかに高級なワインであると分かってシュピーゲルは驚かされた。

 思わず出掛かった、無理はしてないか、と続く言葉を辛うじて飲み込む。

 実際に無理をしていたとしても指摘するのは野暮であると思い直したのだ。


「まずは先付けで御座います。本日は湯引きした鯉の皮とそうめんの酢の物となっております」


 こうして二人は差しつ差されつ本格的なフレーンディア料理を楽しむ。

 どの品も料理人の心尽しを感じられて美味かった。


「いやぁ、美味かったぞ、ハイネス殿。これ程のフレーンディア料理は本国でもなかなか味わえぬぞ。店主はフレーンディアの生まれであろうか」


「レクター殿の口に合ったようで何よりですな。ただ店の主人の生まれはここ聖都スチューデリアであってフレーンディアの料理は師匠に仕込まれたのだそうです」


 久しぶりに味わう故郷の味に満足した二人は店の主人に挨拶をしたいと給仕に申し出ると、なんと料理の大半は流れの庖丁人が臨時で作ったというではないか。


「流れでも構わぬ。その料理人を呼んできてくれ。直接礼を云いたい。長らく離れていた我らに郷愁の念を抱かせてくれたのだからな」


「ああ、特に椀物だ。出汁といい、塩加減といい、絶妙で何故か懐かしさを覚えたものだ。対面に友がいなければ涙を流していたやも知れぬ」


「分かりました。では少々お時間を頂きます。すぐに呼んで参りますので」


 給仕が去って、そう待たされる事なく扉に気配が立った。


「お待たせ致しました。本日の料理を担当した者で御座います」


「ああ、遠慮しないで入ってきてくれ」


「では失礼致します」


 扉を開けたのは意外にも女であった。

 一瞬、驚いたが二人はすぐに笑顔になって招き入れる。


「やあ、良く来て…くれ…た…ね?」


 ハイネスが入ってきた料理人を労おうとして硬直したように動きが止まる。


「お…お前は…何故…」


 シュピーゲルもまた料理人の顔を見て固まった。


「お客様のお召しにより罷り越しました」


 女は姐さん被りにしていた手拭いを取ると二人に微笑みかける。


「流れ庖丁人の…グレーテ・・・・で御座います」


 『獅子』の聖女と寸分違わぬ一見すると幼くも見える姿に二人、特にシュピーゲルは大口を開けて呼吸をする事すら忘れていた。


「お客様? 私の顔に何か・・・・・・憑いているのですか・・・・・・・・・?」


 グレーテと名乗った女料理人は妖しく口角を釣り上げていた。

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