外伝之拾参 王子殺しにされた令嬢⑫

「死ねぃ!」


 白装束の一人が突進しながら振り上げた刀を振り下ろす。

 ゲルダ達を慰める・・・と云いつつ衒いも何もない見事な斬撃だ。


「ほう、善く鍛え上げられとるわ。只の賊ではあるまい」


 迫る一撃を前にしてもゲルダは笑みさえ浮かべていた。


「じゃが、まだまだワシには届かぬよ」


「ぐえぇ…」


 凶刃がゲルダに触れる寸前に胴打ちが男の脇を強かに打っていた。

 峰を返していたとはいえ鉄の塊で殴った事には変わりない。

 手加減はしていたがゲルダの峰打ちは男のアバラを数本折っていた。

 男は苦悶の声を上げ、口を覆う布が瞬く間に赤く染まる。

 暫くは動く事さえ適うまい。


「おのれ!」


 次に槍を持った男が突いてきたが、なんと千段巻から穂先が落ちてしまったではないか。槍や薙刀の先端を斬るゲルダの秘剣『なかご斬り』である。


「や、槍が…」


「莫迦者! その程度で狼狽えてどうする!」


「はっ?!」


 首領に叱責されて我に返った時にはもう遅い。

 ゲルダの跳躍しての一撃を脳天に受けて男は昏倒した。


「善く鍛えられてはいるが勝負慣れはしておらぬようじゃな。折角の腕も悪事に遣っておるから錆付くのだと思えい!」


 ゲルダが獅子吼ししくした。


「流石は先生! 俺も負けちゃいられねェ!」


 ゲルダを賞賛しつつアンネリーゼは自分に向けて振り下ろされた刃を見る事なく十手の鉤に絡め取っていた。

 それを下に向けると相手は腕を捻られながら両腕を下げられる事になる。

 刀から手を離す間もなかった。瞬く間に縄で縛り上げられてしまう。

 決して素人ではない剣術遣いを抵抗も許さずに縛り上げてしまうアンネリーゼの捕縛術は百年以上の年季もあって畏るべきものであった。


「なんの! この程度の縄!」


 しかし、どれだけ力を入れようとも光沢のある黒い縄はビクともしない。

 見かねて仲間が小刀で斬ろうとするもまるで歯が立たなかった。


「無駄だぜ。その縄は俺の髪に魔力を込めて編んだ特別製だ。ドラゴンに齧られたって切れるもんじゃねェし、そのドラゴンをふん縛る事も出来るンだぜ? 暴れても縄が食い込んで痛い思いをするだけだからよ。大人しくしとくンだな」


「おのれ……」


 ニヤリと笑うアンネリーゼに白装束は悔し涙を流した。

 それを見てアンネリーゼは安堵する。白装束達は闇の世界で鍛えられた精鋭だろう。闇社会に棲む者は感情を殺すように教育され、自分が犠牲になろうとも作戦を遂行するようになるものだ。しかし、捕縛されて悔しがるという事は感情があるという事であり、即ち更生の余地がまだあるという証左である。


「今からでも遅くはねェ! 神妙にすれば御上にも慈悲があるぜ!」


 その時、弓弦が鳴る。

 次の瞬間には十手の鉤に矢が絡め取られていた。

 しかもアンネリーゼは矢を射かけられた方向を向いてはいない。

 そのまま十手を振り下ろすと絡んだ矢は射った者の左手に突き立った。


「あぐっ?! 化け物か!」


「その声の高さ…餓鬼か? おいおい、子供まで使うとかろくでもないヤツらだな」


「誰が餓鬼だ! 俺は十五だぞ!」


 左手を庇いながら叫ぶ少年にアンエリーゼは笑う。


「ハッ! 餓鬼と云われて怒るようじゃやっぱり餓鬼だよ」


「黙れ!」


 少年が匕首を手に迫るがそのような一撃を喰らうアンネリーゼではない。

 たちまち十手に絡め取られて匕首が飛んだ。


「弓はそこそこだがドスの遣い方はまるでなっちゃいねェな。人を刺すのは簡単にはいかねェよ。基本を疎かにしてると逆に怪我をする事になるンだぜ」


「チクショウ! 殺しやがれ!」


 匕首を飛ばされた際に手首を捻ったのか、右手を腫らして嘯いた。


「悪いが殺す気は無ェよ。お前はこれからきっちり裁きを受けて償いながら更生するンだ。勿論、闇の組織からも助けてやる。分かったら大人しくしろィ!」


 少年を縛り上げようとしたその時、何かが巻き付いて少年共々拘束されてしまう。


「ぬおっ?!」


 そして、そのまま燃え盛る教会へと引き摺られていく。


「あ、兄貴っ?!」


 見れば教会の中で鎖を引いている者がいた。

 無論、アンネリーゼ達に巻き付いている鎖である。


「兄貴、何を?!」


 既に白装束が炎に包まれている男に少年が叫ぶ。


「知れた事! 聖女、いや、黒駒のアンネリーゼを討つ千載一遇の勝機! 我ら諸共に焼き尽くしてやる!」


「や、やめてくれ! 兄貴?!」


「臆するな。俺も一緒だ。何も怖くはない」


 業火に焼かれながらも男の声は穏やかであり、それが不気味であった。


「だあ、クソッ!! 無駄に気合が入っていやがるから闇社会の連中は嫌なんだ!」


 アンネリーゼは僅かに腕を動かし辛うじて鎖を掴むと踏ん張った。


「おい、坊主! 弓の威力からして腕力に自信はあるンだろ?! なら俺が合図したらお前も鎖を引っ張れ! このままじゃお前も兄貴も御陀仏だぞ!」


「えっ? でも……」


「心配すんな! さっきも云ったがどんな組織だろうとお前達を守ってやる! どんな悪党だろうとどんな境遇だろうと公平な裁きを受ける権利と更生の機会を与える。それが黒駒一家の矜持だぜ」


 迷いを見せる少年を叱るではなく安心させるように二カッと笑う。

 そんなアンネリーゼに少年の心も定まったらしく表情から動揺が消えた。


「本当に信じて良いんだな? 俺も兄貴も助けてくれるんだな?」


「応よ。全て黒駒のアンネリーゼに任せておけ!」


「分かった。命を預けた、親分!」


「よっしゃ! 引けェ!!」


 二人が同時に体ごと鎖を引くと教会から男の体が一気に釣り上げられた。


「何ぃ?!」


「根性は認めてやるが兄貴なら弟を巻き込むンじゃねェ!!」


 緩んだ鎖から素早く身を抜くと飛んでくる白装束の頬にアンネリーゼの掌底が撃ち込まれる。同時に掌から螺旋状の突風が噴き出して男諸共炎を吹き飛ばした。


「ぐああああっ?!」


 衝撃で少年の兄は錐揉みしながら真上に飛んで行き、やがて重力に引かれて地面へと落ちたのであった。


「ふぅ……喧嘩殺法『龍旋掌』、手加減はしてやった。きっちり反省しやがれ」


 アンネリーゼの本来の戦闘術は長年磨いてきた喧嘩殺法に風の魔法を組み込んだものである。魔物が相手ならまだしも並の人間相手に遣おうものなら加減が出来ずに粉々にしてしまう恐れがあった。

 彼女が十手を武器に遣うのは実はこれこそがアンネリーゼ流の手加減であるというのであるから笑い話にならない。


「坊主、ちと手荒になっちまったが兄貴は助けたぜ。後でゲルダ先生に…おい、坊主? どうした?」


「や…やわらか……」


「お、おい! 坊主、しっかりしろィ!」


 見れば少年はアンネリーゼの胸に顔が埋まっている恰好であり、顔を赤くして全身が硬直させていた。

 幼い頃から戦闘や暗殺を仕込まれてきた少年は異性と接した事は皆無であり、女体に免疫は無かったのだ。


「ほう、早速若い燕・・・を見繕ったか、アンネの親分? よもや本気で慰めて貰う気でおったとは畏れ入ったわえ」


「ゲルダ先生?! いや、これは…」


「そこな坊主も幸せ者よな。『龍』の聖女に愛されれば幸運に満ちた生涯となる事は間違い無しじゃ。精々可愛がって貰え」


「だから、こいつはそんなんじゃ!」


 ニヤニヤ笑うゲルダにアンネリーゼは否定したかったが半ば自失状態の少年を放り出す訳にもいかずに抱きかかえ続けるしかなかった。


「冗談じゃ。真に受けるでない」


「せ、先生…そりゃねェでしょうよ」


「許せ、許せ。戯れじゃ」


 ゲルダは呵々と笑ったものである。

 随分と暢気にしていると思われるであろうが、既に首領格を残して全員が気を失うか縛られるかされており戦闘の続行は不可能であった。


「さて、残るはお前さんだけじゃがどうするね? 素直にシュピーゲルらの本拠を教えてくれれば手荒な真似はせんと約束するが」


 ゲルダの問いに返ってきたのは含み笑いであった。


「それは出来ない相談だな。闇に生きる者が組織を裏切ったらどうなるか想像出来ない訳ではあるまい。ねぇ、親分?」


「あん?」


 話を振られてアンネリーゼが訝しむ。

 それに親分・・だって?


あっし・・・で御座ンすよ、親分」


「そ、その顔は……」


 覆面を取った男の顔はフックスのものであった。

 首を斬られていた事からフックスの顔も奪われているのではと予想してはいたが実際に目の当たりにすると流石のアンネリーゼの心も千々に乱れざるを得なかった。


「そうか、テメェが『姿見』のシュピーゲルか?!」


「何を云ってるんです? あっしですよ。フックスで御座んすよ」


「巫山戯るな!!」


「落ち着け、親分」


 激昂するアンネリーゼの肩を掴んで止める。

 フックスの死を愚弄されても冷静でいられるゲルダを睨みつけるが、分厚い瓶底眼鏡から覗く蒼銀の瞳に冷水を浴びせられたような心持ちになった。

 ゲルダもまた怒っていたのである。

 ただ暴風のようなアンネリーゼの怒りに対してゲルダの怒りは絶対零度の冷酷さをはらんでいたのであった。


「随分と悪趣味な事よな。で、シュピーゲルは・・・・・・・どこにおる・・・・・?」


「先生? 何をおっしゃってるンですかい? シュピーゲルが人の顔を奪って変装しているのは、さっき先生も見たじゃありやせんか」


「剥がされた顔は見たが実際に変装をしているところを見た訳ではあるまい」


「それはそうですが…」


 するとゲルダがフックスの顔を被る者に瓶を投げつけた。

 フックスが手で払うと地面に落ちた瓶が割れて甘い匂いが漂う。

 途端に白装束の男達が股間を押さえて悶え始めたのにフックスは平然としているではないか。


「やはり効かぬか」


「これってハイネスを操っていた媚薬ですかい?」


「この薬がシュピーゲルに効いていなかったとマリアから効いた時にピンときた。あらかじめ解毒薬を飲んでいたとしてもこれ程の強力な薬じゃ。すぐには分解はしまい。多少は効果があったはずじゃ。では始めから媚薬の効果が無かったとするならば男のモノが無いか、或いは…」


「まさか、女?」


「であろうな」


 ゲルダはフックスの皮を被る男、否、女を指差す。


「十五年前、フレーンディア王国の第一王子を殺したとされるヴァレンティア…じゃが、その下手人もグレーテの最期の言葉により『姿見』のシュピーゲルだったのではないかとの疑いが浮上してきた。なればよ。ヴァレンティアは冤罪という事になる。そして彼女もまた追っていたのではあるまいか、シュピーゲルをな」


「じゃあ、まさか…コイツは?」


「ふふふ……」


 フックスが女の声で笑う。


「流石は至高の聖女と謳われたゲルダ様ですわ。善くぞ見破られました」


「ではお主はやはり…」


「ええ、ご推察の通り、私はヴァレンティアで御座います」


「何てこった! いいや、待ってくれ。何でシュピーゲルを追っているヴァレンティアが奴の変装道具を使っていなさるんで? しかもフックスは殺されたばかりだ」


「それは盗まれたからですわ」


「盗まれた? って、ああ、まさか…」


「その通りです」


 ヴァレンティアはフックスの顔を脱ぐ。

 その素顔は……


「私の本当の顔は我が兄シュピーゲルの手にありますわ」


 マリアと同じく無惨に顔を奪われていた。

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