外伝之拾弐 王子殺しにされた令嬢⑪
「ここが聖サクラコ記念教会かえ。こりゃまた随分と荒れておるのぅ」
かつては立派であったろうと思わせる教会の成れの果てを見上げるゲルダにアンネリーゼが苦笑して答える。
「元は貧困者救済の配給所も兼ねていたそうですがね。黙っていても食い物と小遣いを持ってきてくれるものだから却って労働意欲が無くなっちまったそうで、それでは本末転倒だと配給を減らして働くように呼びかけたら誰も寄り付かなくなって今の有り様になったとか」
「人間、一度楽を覚えるとのゥ…」
溜め息混じりに首を振る。
改めて見ると荒れてはいるものの確かに人の出入りがあった形跡が見て取れた。
「扉の開閉された痕が残っておるな。しかも真新しい」
「善く見りゃ蝶番が新しい物と取り替えられてやす。誰かがここを利用していたのはまず間違いありやせんぜ。桜の木もある。フックスはここで殺されたに違いねェ」
「これを見よ」
しゃがんでいたゲルダが小さな白い物を拾ってアンネリーゼに見せる。
「こ、コイツは…」
「人の歯じゃ。フックスが最期の力を振り絞って桜の花弁が混じった土を齧り取った際に砕けたのであろう…これは是が非でも手掛かりを見つけねばな」
「へいっ!!」
有能な部下であり子分衆の纏め役でもあったフックスの仇を取ってやると改めて決意するアンネリーゼであった。
「ふむ、荒れている外観を比べて中は意外と小綺麗ではあるな」
「中に人の気配はありやせんね。逃げたにしては散らかってないし単に留守にしてるだけか?」
「或いは誰かが来る事を見越して罠を仕掛けているのかも知れぬな」
ゲルダ達は慎重に中を探索していく。
礼拝堂の壁から椅子に至るまで探っていくが手掛かりどころか罠すら見つける事ができない。アンネリーゼが魔力の風を行き渡らせて探査しても何も引っ掛かる事はなかった。
「奥に続く左右の扉…右が告解室で左が居住区域に続いていたと記憶しておりやす」
「折角じゃ。日頃の懺悔をして参ろう」
ゲルダは扉に罠が無い事を確かめると右の扉を開く。
中は狭く、小さな窓を通じて司祭に己が罪を告白するのである。
信者は司祭に取り次がれる形で神に罪を許され救済されるというが、ゲルダに云わせれば胸の内にある罪を告白する事で気持ちが楽になり、それを救われたと勘違いしているに過ぎない。
「おお、神よ。我が罪を告白致します」
ひざまずいて両手を合わせる姿はまさに神に許しを乞う乙女そのものであり絵になっていた。
「あー…カンツがいない事を良い事に日頃は一升に留めている酒を二升も飲んでしまいました。ついでにこれまで控えていた粗塩もかなりの量を肴にしてしまいました。ここ数日の頭痛は自分に甘くなったワシへの天罰なのでしょうか? おお、神よ。ワシの罪を許し給え」
するとゲルダが頭を抱えて苦しみ出したではないか。
その痛がりようにアンネリーゼが心配していると目に涙を浮かべたゲルダが更なる罪の告白をした。
「か、神よ、お許しを…本当は三升飲んでおりましたのじゃ…」
「三升も飲ンじゃ『水の都』を蝕む瘴気を浄化する『亀』の聖女といえどもアルコールを分解しきれるもんじゃないでしょうや」
天罰ではなく二日酔いに苦しむゲルダに流石のアンネリーゼも呆れるよりなかったという。
「おお、神よ…ワシは救われた…」
「今度は何でやす?」
急に滂沱の涙を流して神に感謝するゲルダをアンネリーゼはジト目で見る。
「ワシは天啓を得たぞ。アンネの親分、神が直接声を掛けて下されたのじゃ」
「普段から聖女である事を拒んでいる先生に神様がねェ? で、何と?」
「二日酔いには梅干しをコメカミに貼り付けると良いらしい。これは良い助言を得たわえ。たまには信心するのも悪くはないのゥ」
「たまにはて…」
滅多に信心しないと宣う聖女に呆れたものか、効果が疑わしい民間療法を御告げにする神に呆れたものか、悩むアンネリーゼであった。
「だが懺悔した甲斐はあったぞ。見てみい」
「これは十手…血で汚れちゃあいるがこの紫の房はフックスの物だ」
「薄暗い部屋であったが膝立ちになったことで気付く事が出来た。懺悔をする気が無かったワシをその気にさせたのはフックスの導きかも知れんのゥ」
「決まりだ。ここがハイネスの
「それで間違いあるまい。死してなお手掛かりを遺すとはフックスは真に目明かしの鑑であるな」
二人は告解室を出ると神父や尼僧が寝泊まりしている居住区域に移動する。
荒らされた形跡は無いが人が生活をしていた形跡すら無かった。
ハイネスはここに住んでいたのではないのかと首を傾げる。
「?!」
その時、幽かではあるが二人の耳に人の呼吸らしき音が聞こえた。
「聞こえたな?」
「へい、大分弱っているが確かに人の声が聞こえやした」
ゲルダが右手を握り締めると水が溢れ出す。
水はまるで意思があるかのように動き出して周囲の部屋の扉の隙間に吸い込まれていった。扉に罠が仕掛けられていないかを確かめる意味もあるが、壁や床に隠された仕掛け扉を探す事にも役に立っている。
「こっちじゃ」
水が何らかの生命体に触れたのを察知したゲルダは慎重に扉を開ける。
かつては尼僧が生活していたと思しき部屋ではあるが扉を開けると檻のような鉄格子が填められていた。
「誰かいるのか?」
「あううぅ……」
「こ、こいつは…」
中にはまだ年若い少女が全裸でいたがアンネリーゼが戦慄したのも無理は無い。
なんと彼女の首から上の皮が剥がされていたのだ。
しかも彼女の首には枷が填められており、鎖で繋がれていたのである。
「待っておれ。今、助けてやるでな」
ゲルダの右手の指に付け爪のように氷が現れるとまっすぐ伸びて鋭い刃と化した。
それを一閃すると鉄格子はあっさりと斬り裂かれて人が通れるようになる。
「あううぅ……」
「恐れる事はない。お主を助けて進ぜよう。ワシはゲルダ、“水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女じゃ」
「せ、聖女様?」
「うむ、『龍』の聖女のアンネ親分も一緒じゃ。安心して良いぞ」
聖女を名乗る事で少女の警戒を解くと鎖から少女を解放する。
アンネリーゼに周囲の警戒を任せるとゲルダは手の平から治癒の効果のある光を手に宿して少女に翳す。
すると無惨だった顔の皮膚が瞬く間に再生して可愛らしい顔となった。
その際、頭髪も一気に伸びてしまったが整えるのは少し待って貰おう。
アンネリーゼはすぐに質問したかったがゲルダが右手で制する。
ゲルダは宙にお湯の球を作り出すと手拭いを浸して少女の体を清める。
垢まみれなのも可哀想だが明らかに男の精で穢されていたからだ。
「今から胎内を清めるでな。心安くして力を抜くのじゃ」
「んん…げ、ゲルダ様ぁ…」
「辛抱しておくれ。このままでは病気に罹るかも知れぬし、或いは望まぬ子が出来てしまう畏れもあるでな」
「は、はい…あん…分かり…うん…ましたあはぁ…」
清めの水で少女の胎内を清めているのは分かるが、背後で起こっている水の音と少女の声に妄想が掻き立てられて知らずアンネリーゼの頬が朱に染まる。
「気持ち悪くはないかの?」
「い、いいえ…むしろ…いえ、何でもありません」
「
「はい…ありがとうございます」
あらゆる意味で身を清められた少女は彼女の持ち物である修道服に身を包む。
埃を被っていたがアンネリーゼが風で清めたので問題は無かった。
「お助け頂き、何とお礼を申し上げて良いのか感謝の言葉もございません。私はこの教会を預かる司祭の娘で尼僧のマリアと申します」
「マリアよ。痛む所はもう無いかえ?」
「はい、顔もお腹の方も違和感すらありません」
ゲルダによって顔を再生されたマリアは元来朗らかな人格だったようで残酷に顔を剥がされた事や犯された事を表面上は然程気にしていないように振る舞っている。
勿論、ゲルダとしてもこのまま彼女と別れるつもりは無く、じっくりと時間をかけてケアをしていく心積もりであった。
「それでだな、辛いとは思うがここで何があったか話してくんねェ」
ただマリアのケアも大切だが本来の目的はハイネスの手掛かりを得る事だ。
心を鬼にしてでもマリアから話を聞く必要があった。
「私は大丈夫です。お話させて頂きます」
マリアの話によれば父と三人の姉妹とで教会を切り盛りしていたそうな。
しかし半年前にフレーンディア王国から旅をしてきたというヴァレンティアと名乗る女とハイネスと名乗る少し険のある男が聖サクラコ記念教会を訪ねて来た。
話を聞けばハイネスの兄の仇が聖都スチューデリアにいるらしいとの情報を得て遥々やって来たは良いもの既に路銀が尽きようとしていた。
そこでこの教会の軒を貸して貰えないかとの事であった。
無事に仇を討てた暁には謝礼を十分にすると云っていたが父は“そんな物は良いから幾日でも泊まっていきなさい”と二人を受け入れたのだという。
元々貧民の救済を目的としていた教会であるが仇討ちは相手を討つまで家に帰る事は許されず、宛ての無い旅の末に命を落とす者も少なくない故に少しでも力になれればと思ったのだそうだ。
勿論、仇討ちの免状は本物である事を確認した上であったが、それが悲劇の始まりであった。
家族が寝静まる深夜に突如恐ろしい悲鳴が上がる。
これは父の声だと彼の部屋に駆け付けて見れば惨たらしく首を落とされた父の死体と
「見ぃたぁな~~~~~~~~~?」
「ひぃっ?!」
何故か父の生首に何度も接吻を落としていたヴァレンティアが振り返りおぞましい笑みを浮かべた。
「運が悪かったと諦める事だ。いや、このような運命を与えた神を怨めと云うべきかな? 教会ほど身を隠すに便利な場所はない。有効利用させてもらうとしよう」
「こ、ここは多くの信徒が集まります。乗っ取ったところですぐに悪事が知られてしまうでしょう」
「心配は無用だ。貴様の
ヴァレンティアが自らの顔を鷲掴みにするや海老の殻を剥くように簡単に顔を剥ぎ取ってしまった。
「そ、その顔は?!」
削がれたように鼻が低い
「そうだな。司祭だけでは怪しまれるかも知れぬ。ついでにお前の顔も頂こう」
「あ、あう…」
後退ろうとするマリアだったが後ろから何者かに抱きしめられてしまう。
鼻が曲がりそうな程に臭い息を荒げている人物に恐る恐る振り返れば血走った目を炯炯としているハイネスであった。
「しゅ、シュピーゲル殿……」
「早いな、ハイネス殿。十数年振りの女体は楽しめたかな?」
「だ、駄目だ…年齢が高すぎる…ぐ、グレーテのような若い娘が…」
「お、お姉様達に何をしたのですか?!」
全裸のハイネスを見れば予想が出来るが否定して欲しいという願いを込めて問う。
しかし答えは得られず返ってきたのは太陽も顔を隠さんばかりの口臭であった。
「そなた、歳は?」
「じ、十六……」
「お前も十代後半の年増か! だがグレーテの様に小柄だ…我慢しよう」
「ふむ、俺も愉しみたかったが貴公に譲ろう。ただし分かっているな?」
問い掛けるシュピーゲルにハイネスは叫ぶように返した。
「分かっている! 教会を襲った以上は貴公と私は一蓮托生! 決して貴公を裏切らぬと約束しよう」
「聞いての通りだ。その男は仇討ち成就の祈念と女房殿への義理立てから十年以上も女断ちをしておってな。相手をしてやってくれ」
「ひっ?!」
無惨にも修道服はハイネスによって引き裂かれてしまう。
「いいぞ。その小振りの乳房…アバラが浮き出るほどに痩せた脇腹…実に好みだ」
「いやあああああああああああああああああああっ!!」
覆い被さってくるハイネスにマリアの力では抗う事は出来なかった。
「以来、私達姉妹は鉄格子を填められた私室にてハイネス様の慰み者に……」
「あの野郎……名をくれてやった縁で多少は情をかけてやろうと思っていたが、これからは一切容赦しねェ……取っ捕まえて三尺高いところへ送ってやる!」
ハイネスの悪行を知ったアンネリーゼが吠える。
マリア達姉妹が受けた苦痛、神父殺し、教会乗っ取り、そして岡っ引き殺しの件、これだけでも重罪だが、あると予想される余罪を加味すれば死罪は免れまい。
王族だろうと手心を加える気は失せていた。
況してや片棒を担いでいるシュピーゲルはテメェの女房を殺した奴なのだ。
知らないのかも知れぬがあまりに情けない話ではないか。
「その前にマリアの姉も救ってやらねばな」
「いえ…お姉様達は既に…」
顔を伏せるマリアにゲルダは抱きしめてやる事しか出来なかった。
マリアの為にも一刻も早くハイネスを捕らえねばなるまい。
「そうであったか。では家族の菩提を弔ってやろうな」
「ありがとうございます。聖女様に弔って頂けるのでしたらお父様もお姉様達もきっと喜ぶでしょう」
「その為にもハイネスとシュピーゲルを捕まえなきゃならねェ。何か手掛かりになりそうなものに心当たりは無いかい?」
「そうですね…あっ!」
「どうしたい? 何か思い出したかい?」
「手掛かりになるかは分かりませんが……」
マリアが云うには教会を乗っ取られた後に仲間と思しき人物が何度か訪ねてきたそうで、その時の様子がおかしかったらしい。
「そのたびに云い争いになっていたのですが、どうも聞いているとシュピーゲルとヴァレンティアの声だった気がします。確かヴァレンティアはシュピーゲルの変装という事でしたよね。ならば彼は声色を使い分けて二人の喧嘩を演じていたのでしょうか…いえ、だとしても手掛かりにはなりませんよね」
ゲルダとアンネリーゼは思わず顔を見合わせる。
「シュピーゲルはいつもどの部屋を利用していたな?」
「声が聞こえてくる方角からして恐らくお父様の部屋かと。こちらです」
アリアの案内によりゲルダ達は教会の最奥に通された。
この世の地獄と化した教会にあって司祭の部屋は扉が閉まっている状態でも分かる程の怨念が溢れているではないか。
しかも腐敗臭まで漂っている始末である。
「マリアはアンネ親分の背中に隠れておれ。親分、風で結界を張ってマリアを守ってやれ。恐らく扉を開けた瞬間に怨念と悪臭が飛び出すぞ」
「へい、合点承知でさァ。任せておくンなせェ」
ゲルダは『姿見』の異名を取る殺し屋が我が物顔で利用している司祭の部屋の扉に手をかける。
「鍵は掛かってないな…開けるぞ。マリアは耳を塞ぎ、目を閉じておれ」
「は、はい」
部屋の中に忌まわしい物があると感じ取ったゲルダはマリアに中を見ないように命じた。
「開けるぞ」
扉はあっさりと開き中から無数の蠅が悪臭と共に飛び出してきた。
「コイツは思ってた以上に強烈だぜ!」
アンネリーゼは結界のみならず風を起こして蠅を教会の外へと追い払う。
「これが変装名人シュピーゲルの秘密かえ」
司祭の部屋の中には無数の髑髏が転がっており、一様に腐った血肉でドス黒く染まって鼻を覆いたくなるような悪臭を放っていた。
天井付近には吊り紐が張られており、おぞましい事に人の顔から剥ぎ取られた皮が何枚も吊り下がっているではないか。
「シュピーゲルの野郎……人から奪った顔を
「なんて事を……神よ、彼らの魂を救いたまえ」
かつて幾度も凄惨な事件を見てきたアンネリーゼですら戦慄を覚えるおぞましい光景にマリアは十字を切って犠牲者達の冥福を祈る。
「ふむ、色々と薬品が並んでおるが皮を加工する為に使う訳ではないらしいな」
「先生?! 毒かも知れないンだし迂闊に触らない方が…」
「構わん、構わん。ワシに毒は効かん。ついでに何の為の薬か確かめてやろう」
「こ、コイツが悪名高いゲルダ先生の『男識別』ですかい」
「悪名高いとは失敬な。まあ、見ておれ。面白い事が分かるやも知れんでな」
司祭の机の上に所狭しと並んでいる瓶を手に取ってゲルダは観察する。
不用意に瓶に指を突っ込むゲルダにアンネリーゼもギョッとするが毒が効かないと当人が云うので任せる事にしたようだ。
ゲルダの体内にはあらゆる薬品や毒素のデータが揃っている。
その上、魔界の瘴気を体内で浄化する事が出来るゲルダにとって薬品の分解・分析・識別など朝飯前だ。
毒や酸への耐性も高いので取り込んだところで然したるダメージも無い。
加えて呪いも効かないので呪われていると疑わしい武具も敢えて装備して呪いの有無を確かめていたし、呪いの武具の中には呪われているからこそ高い能力を有する物もある事から、そのまま使用していたそうな。
その様があまりに男らしいので冒険者の間では『男識別』と呼ばれている。
「お? 早速当たりを引いたか」
「どうしやした?」
「この薬は不味いぞ。ここにいるのが女だけで良かったわ」
「と云いやすと?」
アンネリーゼの問いにゲルダは意地の悪そうな笑みを浮かべたものだ。
「これはのゥ。一滴飲むどころか匂いを嗅いだだけで男のイチモツがはち切れんばかりになって女を抱かずにはいられなくなる。否、
「男専用の強力な媚薬ですかい? 何だってそんなモノを?」
「恐らくはハイネス様に私達を襲わせる為ではないでしょうか? 夜な夜な私達を犯す以外のハイネス様は理性的で私達に何度も涙ながらに謝罪されてましたから」
マリアの推察にアンネリーゼは得心して“
ハイネスに教会の子女を襲わせて、その罪悪感で縛り付ける策と察したからだ。
そこである事に気付く。
「ちょっと待っておくンなせェ。匂いを嗅ぐだけでそこまで効果があるンならシュピーゲルの野郎はどうして無事だったンですよゥ? 野郎はマリアどんを襲いはしなかったンでやしょう?」
「ええ、ハイネス様には何度も犯されましたがシュピーゲルには一度も…ゲルダ様が手にされている薬、確かに襲われる時はそれと同じ甘酸っぱい匂いがしましたからハイネス様が薬で操られていた可能性は大きいですね」
「はて…シュピーゲルが自分だけに解毒剤を用意したのか、何かしらの要因で奴にだけ効かぬのかは分からぬ。じゃがこれでハイネスに酌量の余地が出てきたのではあるまいかね、親分? お主とて内心では
「私もハイネス様に純潔を奪われましたし、お姉様達も瀕死の状態でも犯され続けた挙げ句に命を落としていますので怨んでいないと云えば嘘になります。しかし過酷な仇討ちの旅を長年強いられて心身共に擦り切れてしまっていた所にシュピーゲルに操られてしまった事に関してだけは情状を汲んで差し上げるべきだと思います」
「他ならぬマリアどんにまで情けをかけると云われては考えを改める必要がありやすね。やつがれとしてもヨアヒムやクルトの今後を考えればハイネスを打ち首や磔刑にするよりは礼を尽くして腹を切らせた方が良いと思っておりやした」
「うむ、賊として処されるよりは良かろう」
実際には捕らえた後のハイネスの出方次第だがマリアの言葉を信じるなら薬の効果が切れている時のハイネスはまだ
どの道、全てはシュピーゲルとハイネスを捕らえてからだ。
「それにしてもシュピーゲルは香水といい甘い匂いが好きなようじゃな。この麻痺毒なんぞバナナに似た匂いがするわえ。子供なら我から飲んでしまうぞ」
ゲルダは識別しながら薬品が入った瓶を次々に鞄に入れていく。
「甘い匂いの中に感じ取れる生臭さは…魚か?」
「先生、こりゃ鰯油の匂いだ」
「そうそう、鰯の油じゃ…って油?」
いつの間にか教会の中が暑くなっていた。
否、それどころか煙が教会内に充満しているではないか。
「シュピーゲルの奴め! 証拠隠滅の為に火を放ちおったな!」
「チクショウ! 漸く尻尾を掴ンだってのに、このままじゃ灰になっちまう! 先生、手掛かりは惜しいが命あっての物種だ。早く脱出しやしょう!」
「そうだな。我らは焼け落ちるギリギリまで探索出来るがマリアが持たぬ。致し方あるまい。引き揚げじゃ」
現在地が最奥とはいえ小さな教会である。
ゲルダ達は水と風の結界で自分らを包み、マリアに傷一つつけることなく脱出する事に成功した。
「ふぅ、怪しそうなのを持ち出せるだけ持ち出したが連中の居場所に繋がる物があれば良いのゥ」
「まったくで。フックスが命を捨ててまで遺した手掛かりを無駄にしたくはねェ」
「そんな中、家族の遺品まで集めて下さった事に感謝致します」
マリアの手には生前家族が身に着けていたロザリオや聖書があった。
「それは良い。じゃが一難去ってまた一難じゃ」
「えっ?」
「ふっ、証拠諸共…となればめっけ物と思ったが流石は音に聞こえたゲルダよな」
「アンネの親分、どうやら手掛かりが向こうから来てくれたようじゃぞ」
不敵に笑う白装束の男を無視してアンネリーゼに話しかける。
「ええ、飛ンで火に入るなんとやらだ」
燃える教会を怪しげな集団に取り囲まれているがアンネリーゼは慌てるでもなく十手を構える。
「訊くまでもなくシュピーゲルの手下じゃろう。一人も逃がすでないぞ」
ゲルダは刀を抜くが峰を返している。
そして炎に手を翳しながらニヤリと笑ったではないか。
「春先とはいえまだ夜は冷える。ありがたい事にこれで体が温まるわえ」
「だが火遊びは感心しねェな。御陰で教会が燃えちまったじゃねェか。番所でこっぴどく絞ってやるから覚悟しやがれ!」
アンネリーゼも悪餓鬼を叱る口振りで云うものだから白装束達の間で怒気が迸る。
「巫山戯た事を……
「ふん! いい歳こいて火遊びがどれだけ危険か分からぬ莫迦者共め! キツイ仕置きをくれてやるわえ!」
「運がねェな、お前らはよ。俺だけじゃなくゲルダ先生まで相手にしなきゃいけねェンだからよゥ! さあ、神妙に御縄を頂戴しやがれ!」
「お前達! 聖女とはいえ長い事
「応ッ!!」
リーダー格の男の言葉にゲルダの哄笑が響き渡る。
「聞いたかえ? この兄さん達が独り寝の寂しいワシらを慰めてくれるとよ」
「それじゃあ、満足させて貰いやしょうよ! テメェら一発二発で萎えたら承知しねェからな! 今夜は全員帰さねェし寝かさねェと思いやがれ!」
アンネリーゼも獰猛に笑う。
「かかれぃ!!」
怒濤のように白装束の男達が突っ込んでくる。
二人の聖女は先程の笑みが嘘のように表情を消すと静かに迎え撃つのであった。
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