外伝之拾壱 王子殺しにされた令嬢⑩

「今日もハズレかねぇ…」


 黒駒一家の子分衆の一人、フックスがグレーテの夫でありヨアヒムとクルトの父親でもあるハイネスに張り込むようになってから既に十日が過ぎていた。

 ハイネスは一日の殆どを郊外にある荒れた教会の裏手にある小屋に籠もっており、出掛けたとしても街を適当に徘徊しては小屋に戻る事の繰り返しであった。

 確か数百年前に世界を襲った悪霊を鎮めた聖女を記念して建立された教会であったと記憶しているが、それもこんな荒れ放題じゃ聖女も泣くというものだ。

 肝心のハイネスは教会を拠点に兄の仇でも捜しているのか思ったがどうやらその様子ではない。むしろ何かを物色しているようで不気味ですらある。


「野郎、仇を捜すでもねぇ。かといって誰かと接触するでもねぇ。何の為に出歩いていやがる? 気晴らしに出掛ける距離でもねぇし面白い場所でもなかったが」


 ハイネスが向かった先は文具屋や両替商などの商店ばかりで、しかも用があるでも無く、塀の周りをぐるっと回ったり路地裏の壁に背を預けて休むくらいであった。


「取り敢えず野郎のねぐら・・・は突き止めたし、親分に報告するか? いや、あの不気味な行動が何なのか突き止めねぇ事には始まらねぇ」


 今、下手にハイネスを接触しても捕らえる理由は無いし、もしも裏に何かが潜んでいた場合は取り逃がす事にもなりかねない。

 やはり今は慎重に見張りを続け、尾行する以外になかった。


「あの…この教会に何か御用ですか?」


「うおっ?!」


 背後から声を掛けられてフックスは口から心臓が飛び出るほど驚かされた。

 長年アンネリーゼの元で目明かしとして働いてきたフックスは気配を消す隠形の術を身に着けており、また巧妙に隠された気配も見逃さない自信があった。

 その自分が張り込みに集中し考え事していたとはいえ、こうもたやすく背後を取られるとは油断しすぎたか。


「あ、アンタはここの尼さんかい?」


 聞くまでもないだろう。

 黒い修道服を纏ってウィンプルと呼ばれる頭巾を被っている。

 余程の物好きでなければそのような恰好で教会にいるはずもない。


「はい、この教会を預かる神父の娘でもあります」


「そ、そうかい…なら、ちと訊きたい事があるんだが、あすこ・・・の小屋に住んでるヤツについて何か知ってる事があれば教えて欲しいんだが…」


 フックスは十手を見せて問い掛けると若い尼僧の顔に警戒の色が浮かんだ。

 しまった。悪手だったか、とフックスは初手で十手を見せた事を悔やむ。

 十手は武器だけではなく『龍』の聖女の眷属である証明でもあるのだが、十手持ちの中にはそれを笠に着て専横な振る舞いをする不届き者がいるのも事実である。

 そのせいで世の人の中には目明かし・・・・を嫌う者も少なくはない。


「あ、いや、御用の筋には違い無いが、実は無頼に襲われていた御新造さんを助けたご牢人がいてね。それが名を名乗らずに立ち去っちまってな。御上としても何らかの褒賞を与えなけりゃ恰好がつかないってんで捜していたんだ。で、御新造さんから聞いた特徴のご牢人があすこにいるらしいと聞きつけたって訳さ。決して悪い話じゃないんだよ」


「ああ、そういう事でしたか」


 尼僧は漸く警戒を解いたのか、幽かな笑みを浮かべた。

 いささか苦しい云い訳だったが信じて貰えたようでフックスは安堵する。


「あの小屋…と云っても物置だったのですが、あそこには確かにハイネス様がご滞在されています」


 こいつは驚いた。本名を名乗るとはまた大胆な真似をしたものだ。

 確かに凶状持ちではないが人を殺めている身で大した度胸である。

 しかしハイネスがどうやって教会に取り入ったのか見当が付かなかった。


「それでそのハイネス様はどうしてこの教会に?」


 すると尼僧の表情が曇ったではないか。

 何か云いづらい事情でもあるのかとフックスは彼女の返事を聞かない方が良いのではと判断した。


「いや、さっきも云ったがハイネス様を捕まえるって話じゃないんだ。云いたくない事情があるのなら無理に聞くつもりはねぇよ」


「いえ、実はこの教会は半年前に盗賊に襲われまして…哀しい事ですが教会の中には弱き人々から搾取している所もあるようでして…我が教会もそのような不届きな事をして金品や食料を貯め込んでいると思われていたようなのです」


「それは何とも…それで教会が荒れ放題だったのかい」


「はい、ここにはお金どころか食糧も信徒の皆様に分けてしまって殆ど何も無いとお父様も説得されたのですが、押し入ってきた人々は信じてくれずに教会を家捜ししたのです」


 そこで尼僧の目から大粒の涙が次から次へと止めどなく溢れてきた。

 厳つい顔に似合わず気の良いところがあるフックスは突然の涙に狼狽する。


「ど、どうしなすった?!」


「そして本当に何も無いと分かるや逆上した彼らはお父様を無惨に殺し、私に乱暴を働いたのです…」


「そ、そんな事があったのかい…辛かったな」


 フックスはまだ若いのに惨い目に遭った尼僧を慰めるすべを持たなかった。

 男に対して恐怖心を持っていたらと思うと肩に手をかける事すら出来ない。


「はい…でも陵辱されている私を救って下さったのがハイネス様だったのです」


 ハイネスは瞬く間に盗賊達を斬り捨てると尼僧に自分のマントをかけてくれたのだという。


「そうだったのかい。それが縁で…」


「ええ、それでハイネス様がおっしゃるにはお兄様の仇を討つべく行く当ての無い旅をしていらしたそうでこの聖都スチューデリアでの足場となる安宿を探していたそうです。なのでお礼も兼ねてハイネス様に教会に留まって頂くようお願いした次第なので御座います。ハイネス様は女一人となって心細い私の心境を察して頷いて下さいました。しかし同時に男と一つ屋根の下で暮らすのはまだ怖かろうとおっしゃって物置で寝起きされているのです」


「そいつはご立派な事をされなすったね。これは益々褒賞を受け取るべきだと俺は思うよ。ご牢人、いや、騎士様に取り次いで貰えないかね?」


 アンネリーゼの親分は我欲で人を斬っていると云っていたが、その血の臭いも盗賊共のものらしい。人を斬ったにしても人助けだ。

 これは珍しくアンネ親分の勘働きが今回に限っては外れたか?

 ならば事情をきちんと話せば聖女グレーテを殺した下手人を一緒に捜してくれるかも知れない。何と云ってもハイネス様はグレーテ様の伴侶なのだから。


「そういう事でしたら喜んで。ハイネス様も今はお戻りになっているはずです」


 尼僧は微笑むと案内するように・・・・・・・フックスの先を歩く。


「それでハイネス様がここにいらっしゃる事を知っているのは貴方だけ・・・・なのですか?」


「あ? ああ、ここにいるらしいと探り当てたのは俺だけだ。ただ確証が無かったから親分にはまだ報せてねぇぜ。だがこれで良い報告が出来そうだ」


「そうでしたか。それはそれは報告出来ると良い・・・・・・・・ですね」


「あん?」


 いや待て。俺は何で裏を取ってないのに彼女の言葉を信用した?

 尼僧だからか? 悲惨な事件に巻き込まれた事に同情したからか?

 それ以前に教会が襲われたなんて事件が起こったというのに黒駒一家に情報が一切入ってこないのは可笑しい。郊外とはいえ天下の聖都スチューデリアの城下町で起こった事件ことなのにである。

 そもそも、こんな荒れた教会に住んでいるのに身形が良すぎるではないか。

 善く観察すれば修道服の生地は上等だし風呂にも禄に入れていないだろうにあの独特の垢や汗のキツイ匂いが全くしていない。

 いや、それどころか、薔薇の良い匂いがする。これは香水か?

 待て! 薔薇の香水だと? しかも安物じゃねぇ。上物の香水の匂いだ。

 思い出した。親分が云ってたじゃないか!


『薔薇の香りには気を付けろ』


 ああ、そんな、まさか……この尼僧は……


「ぐぶっ?!」


 腹に灼熱が宿り口から大量の血が溢れてくる。

 足に力が入らない。膝が震え、ついには腰砕けに膝をついてしまう。


「あらあら、これでは報告は出来そうにありませんわね? この…間抜けがっ!!」


 尼僧の右手には剣が逆手に握られており、先端がフックスの腹を貫いていた。


「て、テメェ…まさか…」


「漸く気付いたか。黒駒一家といえども大した事はないな」


 尼僧は愛らしい顔を愉悦に歪ませて男の声で嘲笑う。


「シュピーゲル殿! 我らを探る者が現れたとしても殺さずに捕らえ、事が済むまで軟禁するはずであったではないか?!」


 小屋から不精髭を生やした金髪の美男子が飛び出してきた。

 ああ、やっぱりここにいやがったのか。

 フックスがハイネスを睨みつけるとその怨嗟に満ちた眼光に彼は一歩退いた。


「しゅ、シュピーゲル殿、話が違うではないか」


「ハイネス殿、この男は黒駒一家の手下だ。今、聖女アンネリーゼに目を付けられてはヴァレンティアを討つどころか捜す事すら困難となるぞ。そうなっては長年の苦労が水の泡だ。ここは必要な犠牲と割り切って貰おう」


「し、しかし…」


 フックスを始末する事に躊躇うハイネスの肩に尼僧、否、『姿見』のシュピーゲルの手が乗せられる。


「それとも産湯につけ、名まで与えてくれた大恩ある聖女アンネリーゼに今の貴公の姿を見られても良いのか? かつて王族であった頃の姿はどこにも無く、今の自分は大金がありそうな商家を探ってはその詳細を盗賊に売って生計を立てておりますとアンネリーゼに胸を張って名乗れるのかね?」


 そうか、盗賊稼業の中には商家の子細を探り、家族構成から奉公人の数、家の間取り、蔵の中にどれだけの金があるのか、蔵の鍵はどこにあるのか、などを詳細に記した物を盗賊に流すスパイ役がいるがハイネスがそうだったのか。

 それなら態々遠く離れた商家の周りをうろついていたのも説明がつく。

 過酷な仇討ちの旅で擦り切れていたとしても落ちるところまで落ちたものだ。

 グレーテ様はある意味幸いだ。愛する夫が盗賊の手下になっているのを知らずに済んだのだから…


「ふ、フレーンディアの王子様も…お、零落おちぶれたもんだな…」


「くっ……」


 とうとうハイネスはフックスから目を反らしてしまう。

 フックスに指摘されるまでもなく自身が惨めである事は自分が善く分かっている。


「だが、それを知ったところで貴様はアンネリーゼに報告する事は叶わずにここで死ぬのだ。その運命からは逃れられぬ」


「畜生…」


「ま、待ってくれ。ここは私に預からせて欲しい。ヴァレンティアを討った暁には黒駒一家に出頭する。勿論、貴公の名は決して出さない。だからこの者の命だけは奪わないでくれ。この通りだ!」


 剣を振り下ろそうとするシュピーゲルをハイネスが止めようとする。


「ふんっ!」


「ぐええっ!!」


 しかしシュピーゲルは無慈悲にもフックスの右手を斬り落とす。

 その手には十手が握られていた。

 フックスはこの絶望的な状況の中、シュピーゲルとハイネスの二人を捕らえる事を諦めてはいなかった。自身が生き残る事も含めてである。


「し、神妙にしやがれ…大人しく縄を受ければ…お、御上にも慈悲があらぁ…」


「この期に及んで下らぬ事を…状況が分かっておらぬのか?」


 フックスを見下ろす尼僧の目は飽くまでも冷酷であった。


「いや、そうだな。ならば俺の方からも慈悲をやろう」


「おお、シュピーゲル殿! 分かって下されたか!」


 ハイネスの表情に些か明るいものが見えた。

 しかしシュピーゲルの目は変わらず絶対零度の暗さを保持したままである。


「勘違い召されるな。この男はここで死ぬ。それは揺るがぬ」


 シュピーゲルはフックスを蹴り転がして仰向けにさせる。

 途端にフックスの目に薄墨色の儚げながらも美しい花が映った。


「見えるか? この美しき花は数百年前に異世界より召喚された聖女が植えたサクラというものだ。その昔、冥界から蘇った邪悪なる悪霊の王を勇者と共に斃し平和をもたらした記念に植えられたと伝説にある。聖都スチューデリア、否、世界でもここにしか無い花を見納めにあの世に逝くとは幸せ者よ」


 シュピーゲルの哄笑と共に風が吹き、桜の花が散っていく。

 まるで死にゆくフックスを嘆くかのように桜吹雪は激しさを増していった。


(親分、すんません。俺はここまでのようです)


 受けた傷は致命傷だ。助からないのは自分で善く分かっている。

 だが犬死にはしない。シュピーゲルとハイネスがここにいた証を遺してみせる。

 たとえ二人がここから逃げたとしても必ず痕跡を残すはずだ。

 そして、それを見逃すアンネリーゼ親分ではないと信じている。


「お、親分! 後は頼んます!!」


 フックスは最期の力を振り絞って俯せになるや、桜の花弁が積もる地面に思い切り齧りついた。歯が折れようとお構い無しに齧って齧って口の中に石や花弁の混じる土を満たすと飲み込んだのである。


「死を前にして狂ったか? 憐れな奴! 今、楽にしてやろう!」


 無慈悲に振り下ろされた刃がフックスの首を截断した。









「話は聞いたぞ、親分。子分衆の一人が殺されたとな」


「ゲルダ先生…来て下さいやしたか」


 やや憔悴しているがアンネリーゼは番屋に駆け付けたゲルダを出迎えた。


「どうやら敵に見つかったようでね。下手人がシュピーゲルかハイネスか、まだ分かりやせんが首を斬られた上に裸に剥かれて川に投げ捨てられておりやした」


 首無し死体が寝台に載せられている。

 検死は既に済んでいるらしく一度開かれた腹が縫い合わされていた。


「子分達はね、もし身元が分からなくなるくれぇ非道い殺され方をしてもすぐに黒駒一家と分かるように刺青をしていたんでさ。フックスは右胸に狐を彫っていたからすぐに野郎だと分かりやした」


 子分の無惨な死に怒りとも悲しみともつかぬ感情が全身を焦がしていたがアンネリーゼは努めて冷静を装って云ったものだ。

 それが分かるゆえにゲルダは黙ってアンネリーゼの肩を抱き寄せた。


「フックスはもう三十年以上も十手を預かっていた古株だ。判断力も知恵も、いざって時には窮地を脱するだけの腕っ節もあったし十手の遣い方も上手かった。だからこそハイネスの動向を探らせていたんでやすよ」


「そうかえ…惜しい男を亡くしたな。これからはグレーテのみならずフックスの弔い合戦と相成ったのぅ」


「へい……」


 フックスの仇も討つと云ってくれたゲルダに流石のアンネリーゼも鼻を啜った。


「でもね、先生…」


「何だな?」


「フックスを褒めてやって下せぇ。あの野郎、自分がどこで殺されたのか手掛かりを遺していやがったンでやすよ。殺される寸前という極限の中でコイツを飲み込んでいたンでさ…おい!」


 アンネリーゼの声に子分の一人がバットに入れられた土をゲルダに見せる。

 それを見てゲルダの目が見開かれた。

 土に混じって桜の花弁があるのを見逃さなかったのである。


「フックスは真に黒駒一家の宝であったな」


「ええ、世界広しといえども桜が咲いている場所はあそこしかねぇ」


 ゲルダとアンネリーゼは頷き合った。


「聖サクラコ記念教会…必ず手掛かりはそこにありやす!」


「うむ、行こう。必ずシュピーゲルとハイネスを追い詰めるぞ」


 シュピーゲルに殺されはしたがフックスは勝っていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る