外伝之拾 王子殺しにされた令嬢⑨
「これは見事……何とも美しい技である事よ」
“闇”と“安息”を司る『狼』の聖女ミレーヌはカンツラーの披露する居合と呼ばれる美技の数々に感嘆の溜め息を漏らした。
母ゲルダが同じ聖女の中でも最も尊敬しているというミレーヌに“居合なる技を見てみたい”と求められては応えぬ訳にもいかず、カンツラーは会得している居合の初伝、中伝の技を抜いて見せていたのである。
ミレーヌは『獅子』の聖女グレーテとは親交が深く、彼女がフレーンディア王国から追い出された後には何くれとなく面倒を見ており、葬儀が終わってからもクルトの将来を案じて週にニ度は下屋敷を訪れていた。
母、『亀』の聖女ゲルダにより“暫く下屋敷に留まってクルトと共に稽古せい”、と命じられていたカンツラーと知己を得たのはその時である。
普段は『水の都』に引き籠もって瘴気の浄化を行っているだけに中々交流出来ずにおり、グレーテの葬儀でも互いに忙しく簡単な挨拶を交わす程度だった。
ミレーヌとしてはもっと積極的にゲルダと交流を深めたいところであったが、そもそもにしてゲルダは聖女と呼ばれる事自体を迷惑と思っている節がある。
よもや嫌われている訳ではあるまいな、と懸念していたが下屋敷を訪れた際にたまたま居合わせたゲルダと言葉を交わす機会があり“我が一子にござる”とカンツラーをにこやかに紹介してくれたので杞憂であったかと胸を撫で下ろしたものだ。
ゲルダとしても聖女として彼女をスチューデリアに取り込もうと画策している神官共と顔を合わせる事が煩わしくて何となく足が向かないだけであってミレーヌに思うところがある訳ではなかった。
むしろ六人の聖女の中にあって最長老であるミレーヌには尊敬の念を抱いているくらいである。
聖女はその高い魔力と神の加護により長寿を得て死の寸前まで若い姿を保っているが、余命が一年を切ると老化が始まるという。
ミレーヌも寿命が尽きつつあって老化が大部進んでいたが次代の『狼』の聖女が育つまではと引退せずに老骨に鞭を打っていた。
聖女といえども女である。老いた姿は体の自由が利かなくなっている事も相俟って人前に晒す事を嫌い引退するのが通例であるがミレーヌは敢えて老いた自分を衆生に見せて“聖女といえども人。そして人はいずれ老いて死ぬ”と最後の教えとしているのだという。
ゲルダもそんなミレーヌの教えの感銘を受けている者達の一人であり、過去に遺してきた偉業もあって敬意を抱いている。
故に嫌う事などありえない話であった。
「流石は音に聞こえた剣客ゲルダの子よ。その幼き身でよくぞそれ程の剣技を修めたものだ。これまで並ならぬ研鑽を積んで参ったのであろうなぁ」
ミレーヌは手を叩いてカンツラーを褒めそやした。
彼女自身もかつては偉大な武道家であった過去があり、老いた今なお素手で虎を屠る事が出来るとまことしやかに囁かれている程である。
その為か、一見すると幼いカンツラーの峻烈なまでの覇気を感じ取り、舞っているかの如き高雅な演武に唸らされた。
「ただ一つ良いかえ?」
「何なりと」
カンツラーはミレーヌの前まで進み出ると片膝をついた。
刀を脇に置いて害意が無い事を示す事も忘れない。
ミレーヌはその所作に感心する。ゲルダの教育が良い証拠である。
「先程見せてもらった居合なる美技はどれも素晴らしいものであった」
「はっ! 恐悦に御座います!」
聖女ミレーヌに物怖じしないのは母も聖女であるからではあるまい。
作法もしっかりと身に付いている。やはりゲルダの躾が行き届いているのだ。
「しかし一つだけ気になるところがあってな。確か『流水』という技であったか」
「左側面から斬り掛かられた場合を想定した技ですが何か不審がおありで?」
「要らぬ踏み込みがあるように思えてな」
「要らぬ踏み込みで御座いますか」
剣と無手の違いはあれど武の先達の言葉だ。
カンツラーはミレーヌの目をしっかと見据えて教えに耳を傾ける。
「そなたは先程こう動いたな」
ミレーヌは野天の道場としている下屋敷の庭にてドレスである事も厭わず芝生の上で正座をする。
『流水』は正座をした者の左から剣を振りかぶった敵が襲いかかってきたという想定で編まれた技であるとはいえ思い切りの良い事をするものだ。
襲われた者は素早く抜いた刀を敵の剣を擦り上げて受けると同時に右足を一歩踏み出して、すぐに刀を右肩の上に移して柄に左手を添える。
つまり中腰で刀を肩に担いだ格好となり、その時踏み出していた右足をもう一度トンと踏んで踵を左足と揃え、すぐさま体が流れている敵に詰め寄って強烈な一撃を浴びせるのだ。
この時カンツラーの足音はトーン、トン、トントントンと鳴った。
しかしミレーヌの演武ではトーン、トン、トントンであった。
カンツラーが斬り付ける際に踏み出した最後の左足の一歩を省略した形である。
「斬り付けた相手は体がつんのめる恰好となり大きな隙が出来ていような。だが熟達者であれば一瞬で立て直す事が出来よう。充分に間合いを詰めて必殺としたいのは分かるが三歩も要らぬ。要らぬどころか迎撃される可能性がある。隙は小さいに限る。体の小さきそなたでも二歩あれば致命の一撃を与えられるはずだ」
指摘を受けたカンツラーはすぐさま正座をして踏み込みを一歩減らした『流水』を実践して見せた。
脳裏に浮かんだ敵が上段から打ち掛かってくる。
カンツラーは座したまま抜き付けて剣を受けると同時に膝立ちとなり、肩に担ぎながら足を揃えた。
たたらを踏んでいた
カンツラーは
切っ先は想定敵の腰を見事に捉えていた。
三歩より浅いが
カンツラーはミレーヌに向き直ると地に手をついて礼を述べた。
「トーン、トン、トントンの足の運び、理に適って御座います。御指導、まことにありがたく存じまする!」
「覚えておくが良い。“師を模する者は死に、師に似する者は生きる”だ。師から教わった事をそのまま用いても成長は出来ぬ。更に自分なりの工夫を凝らして初めて成長出来るのだと心得よ。ゲルダの子には釈迦に説法と思うがな」
「いえ、初めて聞くお言葉です。有り難き教えに御座います」
そもそもにしてゲルダの教育は子や弟子達に考える余地を与えるものである。
言葉そのものは知らなかったがカンツラーは既に実践してきている。
仮に知っていたとしても先人の顔を立てる事はゲルダから厳しく躾られていた。
姿形は小さいがカンツラーもまた一廉の人物になるよう教育されており、その姿がミレーヌにはゲルダ本人を見ているようで『亀』の聖女の、否、ゲルダの系譜が完成しつつあるのだと嬉しく思うのであった。
「時にクルトが一心不乱に稽古をしているのは母者の仇討ちの工夫かえ?」
「はい、居合の型の一つで『稲妻』と申します」
クルトは柄に右手を添えて前屈み気味に走りながら抜刀して
突進しながら間合いを詰めて斬撃を加える技である。
近年では
当然ながら一撃で終わる話ではなく、敵を斃すまで攻撃は続くのだ。
故にカンツラーは一の太刀に続くニの太刀を備える『稲妻』を伝授したのである。
抜刀が躱されたとしても、否、むしろ躱してもらって油断したところにニの太刀を見舞ってやろうという目論見があった。
抜き付けてから敵も感知出来ぬ程に素早く頭上に振り上げる事に極意がある。
敵は一の太刀を躱して勝機を見ると同時に稲妻の如き一撃を受けるのだ。
「グレーテ小母様は二十年以上も剣の修行を怠らなかった努力の人。そのグレーテ小母様を斃した仇は並の剣客ではないと思います。稽古はしていたものの護身術の域を出ていないクルト兄様が勝てる相手ではないでしょう」
「確かに時折『姿見』のシュピーゲルとかいう暗殺者の噂を聞くが、話の中だけでもクルトに勝ち目は万が一にも無いであろうな。だからこその『稲妻』か」
「はい、今現在居合の術理を正確に知っているのはボクと師匠だけです。シュピーゲルは達人と聞いていますが居合については噂程度にしか知らないと思いますから」
「ふむ、クルトに勝機があるとすれば居合は“抜いたら終わり”という先入観をシュピーゲルが持っているかも知れないという不確かな可能性のみか…ほぼ無きに等しいのではあるまいか?」
「だからボクも悪足掻きしてみようかと」
「悪足掻きと? 助太刀は許されぬぞ。そなたは十歳、仇討ちをする当人ならまだしも助太刀を許される年齢ではない。聖女であるゲルダも許されぬであろうな。家令のトーマス殿は許されるであろうが歳が歳ゆえに戦力になるかどうか……」
顎を擦るミレーヌの耳朶を低い笑い声が打った。
見ればカンツラーが含み笑いをしているではないか。
「当方に秘策有り…です」
ミレーヌは思い知る。この子、否、この男もまた剣客であった、と。
幼い顔を獰猛に歪ませるカンツラーにミレーヌは戦慄と共に頼もしさを覚える。
「秘策か。いや、聞かんでおこう。秘策というものは内容を知る者が少ない程良いからな。だが
「ありがとうございます。その時はお願いしますね」
カンツラーは礼を云いつつ仕込みはゲルダに任せていた。
ゲルダもその策に賛成してくれている。
「さて、『左腕』が動く前に正体が分かってる『右腕』をやっつけないとね。細工は隆々、後は仕上げをご覧じろってね」
『右腕』こと『姿見』のシュピーゲル退治の準備は着々と進んでいた。
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