外伝之玖 王子殺しにされた令嬢⑧

「親分、お疲れ様でございました」


「おう、また何かあったら何時でも頼りな」


 この日、場末の酒場に『龍』の聖女アンネリーゼの姿があった。

 酒場街から安酒場を一掃して新たな料理屋を作ろうと目論んだ貴族が地上げの為に無頼を遣って嫌がらせをしているのだという。

 アンネリーゼが暗黒街の顔役として睨みを利かせていても死角というものはどうしても出てくるもので、時折こういったやんちゃ・・・・を仕出かす世間知らずが現れるのだ。

 今回もヤクザ者に唆された貧乏貴族が酒場街の乗っ取りを企んだのだが、聖都スチューデリアの闇に君臨している大親分の存在を知らなかったらしい。

 ヤクザ者も聖都スチューデリア進出を目論み、足場として料理屋を作ろうとしていた他国の者達であった。

 しかし同じヤクザでもアンネリーゼは聖女でもあり、人の世から悪霊・悪鬼・悪魔を祓うのが使命である。当然ながら人の悪意も含まれている。

 どのような小さな嫌がらせでも困っている者がいればすぐにアンネリーゼの耳に入り素早く解決に動くところが他のヤクザと違うところだ。

 そもそもにしてアンネリーゼ率いる黒駒一家はスチューデリアに住まう無頼や無宿人を取り締まる側であり、庶民の味方である。

 勿論、俗にいう“みかじめ料”を取るという事もしていない。


「一応、風で酒場街を清めたから悪意ある者にとって入りにくくなっているはずだ。だがお前さん達にだって悪い所が無ェ訳じゃねぇ。場末とはいえ汚すぎだぜ。だから良からぬ考えを持つ者を呼び寄せちまうんだ。今後はまめに掃除しな。道や店を掃き清めるだけで今回みたいな悪縁をある程度は防ぐ事ができるからよ」


 店を綺麗にしているだけでも疚しい性根の持ち主には隙が無いと思うものだ。

 加えて汚らしい飲食店は客も入りづらいものである。


「はい、心得まして御座います」


「じゃあな。また今度来る時までには清潔にしとくンだぜ。アンタの芋酒は絶品だがゴキブリやネズミを眺めながらじゃ不味くなるからよ」


「お恥ずかしい限りで」


 応、と答えてから遠巻きにこちらを見ている私娼達に声を掛ける。


「そうそう、アンタら、明後日の夜は立たねェ方が良いぜ。警備兵共が私娼・街娼の取り締まりを強化するって云っていたからな。仲間にも伝えてくれ」


「は、はい!」


 これはその手間賃と明後日の稼ぎ分だ、と銀貨を渡してアンネリーゼは縄を打たれたヤクザ者達と共に去っていった。

 見送る私娼達は涙を拭っている。

 

「聖女様ってくらいだからどれだけ気取ってるのかと思えばお優しいねぇ…アタシら私娼は一晩どれだけ頑張っても銅貨しか稼げないよ」


「しかも垢光りするアタシらの手を嫌な顔ひとつしないで手に取って一人一人銀貨をを渡してくれたよ。あの親切は本物だ。人間扱いされたのはいつ以来だろうねぇ」


「黒駒一家のアンネリーゼ親分…女じゃなかったら放っておかないよぅ」


 私娼達は仏様を拝むようにアンネリーゼの背中に手を合わせるのであった。

 聖女として尊さ、暗黒街の顔役としての怖さ、強さだけではない。

 弱者に寄り添う優しさこそがアンネリーゼが庶民から慕われる秘密である。









「親分、コイツらはあっしらに任せて昼飯を食ってきてはいかがです?」


「何だい、藪から棒に」


 子分衆の言葉にアンネリーゼは怪訝な表情を浮かべる。


「だって朝に握り飯一個食べただけでずっと『姿見』を捜し続けて、昼になったら休む間もなく地上げ騒動だ。お疲れで御座ンしょう」


「腹の虫が鳴きやがると思ったらもう八つ時か…けど休ンでねェのはお前らもだろうが? 縄は俺が持つからお前達こそ何か食ってこい」


 風属性に特化した『龍』の聖女は大気中を漂う魔力を吸収することで体力を回復する事が可能である。

 それ故にある程度は空腹にも耐えられる為に自分よりも子分衆を優先させる嫌いがあった。


「親分が身を粉にしているのにあっしらが休める訳ないでしょうよ。仮に休んでも申し訳なくって尻がむずむずしちまう。飯は食いにくいし昼寝も出来やしない」


「気にする事ァねェだろと云いたいところだが分からねェでもねェ。流行病はやりやまいでゲルダ先生一人が忙しくしている中で、“お主ら、手透きになったら飯でも食ってこい。腹が減ってはなんとやらじゃ”と笑われた時、俺も気まずい思いをしたからな」


「でがしょう? 親分が休んでくれない事にはあっしら子分衆も休みづらいんでさ。ここはあっしらを助けると思って休んでやっておくんなせぇ」


 頭を下げる子分衆にアンネリーゼは苦笑する。

 申し出もありがたいが、無頼同然だった連中がここまで気遣いができるまでに成長していた事が何より嬉しい。


「分かった。ありがとうよ。じゃ、ちょっくら休ませてもらわァ。お前らもソイツらを番所へ送り届けたら適当に休んでおけよ」


「へいっ!」


 アンネリーゼは子分衆に背を向けると目の前の料理屋へと入っていった。

 だが、そこは“風”のみならず“運気”も司る『龍』の聖女といえよう。

 持ち前の強運か、日頃の行いか、事件に関わる出会いがあるとはアンネリーゼ自身、思ってもみなかった事である。


「ごめんよ」


「はぁい! お好きな席へどうぞ!」


 腹が膨れれば何でも良いと入った店であったが、そこは美味いフレーンディア料理を出すと評判の料理屋であった。

 厨房から何やらリズミカルに叩く音がして何とも耳に心地良い。

 昼を大分過ぎていたが客の数は多く、店の者達は忙しそうに動いている。

 アンネリーゼは椅子代わりにしている樽に腰掛けるとメニューを開いた。

 絶海の孤島であるフレーンディア王国は魚料理が豊富だ。

 魚を生で食べる事もあると云われているが流石に大陸の中央にある聖都スチューデリアでは干物や燻製となっていた。


「こいつは魂消た。内陸の聖都スチューデリアで海の魚が食えるのか。流石に刺し身は無いようだが…おい、姐さん、この“なめろう”っていうのは何だい?」


「親分、“なめろう”を御所望かい?」


 厨房から声を掛けられたので顔を上げると日に灼けて赤銅色した顔の老爺おやじがニヤリと笑っていた。

 知らない顔だが向こうはこちらを承知らしい。

 見なせぇ、という老爺の言葉に厨房を覗き込む。


「こいつは三枚に卸した魚を調味料と合わせて叩いたものでね。今日は新鮮なアジが一杯入ったんでコイツが主役だ」


 老爺は捌いたアジを細かく刻み、その上に味噌とシソ、ネギ、生姜、茗荷を乗せて程良く混ぜると両手に持った包丁で叩いていく。店に入る前から聞こえていたリズミカルな音の正体はこれだった。


「こうして粘りが出るまで叩いていくんだ。このトン、トトンという拍子が肝でね。客の前に出せるようになるまでには千匹のアジを叩かなくちゃいけねぇ、と師匠は云っていたよ」


「ほう、コイツを温かい飯に乗せたらさぞ美味ェだろうなァ」


「そりゃ堪えられねぇ。氷水に取って冷たい汁にしても夏場には最高だ。“水なます”ってんだがな」


「なるほど、暑さで食欲が落ちた時にピッタリだな」


「あとは“なめろう”を焼いた“さんが焼き”も美味いぞ」


「やめてくれ。午後も働かなきゃいけねェのに酒が呑みたくなる」


 親分と老爺は旧知の仲のように笑い合ったものだ。

 その後、“なめろう”を始めとして水なますやさんが焼きを肴に般若湯・・・を愉しむアンネリーゼの姿があったという。


「美味かったぜ。また近くに来たら寄らせて貰うよ」


 咥え楊枝のアンネリーゼの手にはゲルダや子分衆への土産にと笹の葉で包んだ“なめろう”と握り飯があった。


「毎度あり。またご贔屓に」


 思い付きで入った店であったが当たりであった。

 “なめろう”も美味かったが酒も美味いし勘定も良心的だ。

 何より元は船乗りだったという老爺との会話が愉しく、つい夕刻まで長っ尻をしてしまったのだ。

 老爺の言葉ではないが贔屓にしようと思うには充分である。


「ごめん」


 アンネリーゼと入れ替わるように入ってきた男に彼女の目が見開かれる。

 男の顔に見覚えがあるどころではなかった。

 樽の椅子に腰掛け、二合の酒と“なめろう”を注文する男から死角になる場所に隠れると目明かしの顔となって観察する。


「老爺」


 何故かアンネリーゼと同じ場所に隠れた老爺に問う。


「何だね?」


「あの男はいつも来るのか?」


「いつもというか、たまに来る程度だぁね。常に素寒貧だそうでカネが手に入った時だけウチに飲みに来るだぁよ。何でもフレーンディア王国の出身だとか云っていたかねぇ。初めはお喋りだったがね。俺が聖都スチューデリアの生まれで、フレーンディア料理も師匠に教わっただけだと云ったら愛想が無くなったよ。親分、知り合いかね? それとも御用の筋かい?」


「まあ、両方だな」


 偶然と思うには話が出来すぎている。

 フレーンディアを追放された聖女が聖都スチューデリアで殺され、その夫が・・・・聖都スチューデリアに・・・・・・・・・・たまたまいた・・・・・・なんて偶然があってたまるか。


「それにあの荒んだ顔…ありゃ人を何人か斬ってやがるな。それも正義を為したのではなく我欲の為だ」


「やっぱりな。船乗りや料理屋の主として沢山の人間を見てきた俺だが野郎が善人に見えた試しがねぇ。だが苦労の末に悪党に落ちたのも分かったからな。大人しく酒と飯を喰らって勘定を払っている内は見逃してやろうと決めてたんだ」


 宛ての無い旅を長年強いられた苦労からか、元は細面ほそおもての貴公子だったのが、今では不精髭を生やしてすっかりワイルドな面持ちに変わってしまっている。

 だが昔、縁があって取り上げて名前までつけてやったのだ。見間違う訳がない。


「変わっちまったな…仇討ちの旅はそこまで過酷だったか。なあ、ハイネスよ」


 かつてのフレーンディア王国・第ニ王子にしてグレーテの夫、そしてヨアヒムとクルトの父親を複雑そうに見詰めるアンネリーゼであった。

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