外伝之陸 王子殺しにされた令嬢⑤
「話を聞いて飛んで来やしたぜ」
「おお、急に呼び出してすまんのゥ」
聖都スチューデリア城下町の片隅にある安酒場で一人ちびちびと呑んでいたゲルダの対面に一人の女性が座った。
腰まである黒髪をポニーテールに結わいた二十歳そこそこに見える若い女だ。
吊り目勝ちの緑の瞳がゲルダとはまた違う神秘性を醸し出している。
彼女もまた聖女の一人であり、“風”と“運気”を司る『龍』の名を冠していた。
名をアンネリーゼといい、聖女である傍ら聖都スチューデリアにて百年以上も博徒や無宿人達を束ねてきた暗黒街の大親分という一面も持っている。
それというのも彼女は悪鬼・悪霊・悪魔に穢された空間を風で祓い清めて運気を呼び込む事から『幸運の聖女』とも呼ばれている一方で賭け事に目が無いという悪癖を抱えていたのだ。
アンネリーゼの遊び方は聖女らしくそれは綺麗に遊んだものである。
勝てば喜び、負けても悔しがりつつもスリルを愉しんだ。
それでいて身を持ち崩すまでにのめり込む事は無かった。
しかも其の実、鉄火場で揉め事が起これば一手に引き受けるという気っ風の良さも持ち合わせている。
が、結局は喧嘩っ早い上に腕っ節もべらぼうに強い為か大抵は話し合いでは終わらずに腕力で収めてしまう事も珍しくない。
いつしか『拳骨聖女』との異名を取るまでに名が広まると彼女を慕う者も当然のように現れて気が付けば一大勢力を築き上げていた。
しかしながら聖女とはいえ、ならず者を率いて肩で風を切って歩くアンネリーゼを危険視する者が現れるのもまた当然の成り行きであろう。
アンネリーゼは徒党の解散か国外退去の二者択一を迫られると躊躇う事なく子分衆を率いて三度笠を被っての股旅渡世を選択するのであった。
子分を見捨てられなかった事もあるが表社会から弾かれて生きてきた者達をそのまま解き放つ事が如何に危険であるかを理解していた為だ。
そんな彼女に居場所を提供したのが聖都スチューデリアであった。
勿論、『龍』の聖女の獲得する目的もあるが、聖都スチューデリアもまた
早い話が“毒を以て毒を制す”の理論であるが、この目論見は見事に当たり、アンネリーゼ率いる
更に黒駒一家は十手と呼ばれる鉤のついた鉄棒を用いてスチューデリアの治安維持に貢献していく事になる。
これは武器であると同時に黒駒一家の身分証明ともなった。
こうしてアンネリーゼは世界を風で清め、無法を持って法を守護する聖女にして暗黒街の顔役という相反する立場を矛盾する事無く勤めてきたのだ。
ちなみに彼女にも
即ち聖都スチューデリアでの賭博を一手に任されるという事であり、アンネリーゼは懐には莫大な財産が転がり込んで来たという。
この潤沢な資金の御陰で黒駒一家は無宿人や裏社会にしか居場所が無い者達の受け皿を用意する事が可能となり、この事も犯罪率の低下に繋がっているそうな。
余談であるがゲルダが“酔いどれ”と呼ばれる程に「飲む」聖女でアンネリーゼが賭場を仕切る「打つ」聖女なら当然(?)ながら「買う」聖女も存在し、退役した軍艦を改装した船上娼館を運営してこちらも莫大な利益を上げているそうで、彼女達三人を指して三大不良聖女と称されている。
そもそも六人しかいない聖女の半分が不良というのもオソロシイ話だ。
「まさか
「であるな。しかも何百年と生きてきたワシら
「まったくで」
ゲルダとアンネリーゼが杯を掲げる。
「「献杯」」
二人は暫く無言のまま手酌で酒を飲んだ。
グレーテを偲んでの涙酒である。
「それとお問い合わせのヴァレンティアとスガタミで御座ンすがね」
「何か分かったかえ?」
程良く酔いが回った頃にアンネリーゼが本題を切り出した。
グレーテがあれだけ謝罪を繰り返すのだ。余程後ろめたい気持ちがあったのでなければ記憶の混乱の中でその名を連呼する事はあるまい。
アンネリーゼを呼んだのも
そして、その期待は裏切られる事はなかった。
「先生は十五年前に起こったフレーンディア王国の王位譲渡をご存知ですかい?」
アンネリーゼはゲルダを先生と呼ぶ。
しかしグレーテのようにゲルダの弟子ではない。
ゲルダが探索が必要な時にアンネリーゼを頼るようにアンネリーゼもまた他国の暗黒街の元締めと交渉をする際にゲルダを用心棒として頼りにしているのだ。
聖女二人が交渉に趣けば相手が恐縮するというのもあるが、戦力としても相手を萎縮させるだけの力があった。
このように二人は親密な間柄と云えよう。
また六人の聖女達の中でも腹を割って相談する事が出来るのも不良聖女ならではであり、愛息カンツラーの命名に悩んだ時もアンネリーゼの言葉で腹が決まったようなものであった。
「名の候補が二つ有って決めかねておる」
「カンツラー、首長を意味する良い名じゃないですかい。こりゃ出世間違いなしの目出度い名前でさ。それにしなせぇ。それにしなせぇ」
「左様であるか」
こうして愛息の名が決まったのであるが実はオチがあった。
実際に名の候補が二つあったのは嘘ではないがゲルダの考えた名は周囲から止められていたりする。むしろ悪評といっても差し支えはない。
これも“滝を登って龍となれ”と子の出世を願っての名であったが、流石に『鯉吾郎』は無いだろうと反対されていたのである。
納得がいかないゲルダは親友に相談を持ち掛けたのであるが、アンネリーゼが迷いを見せる事なく“カンツラーが目出度い名だ”と誉めそやした事でゲルダも未練がましく“鯉吾郎も悪くなかろう”と訊く事が出来なかったそうな。
アンネリーゼの問いにゲルダは“噂程度ならな”と返した。
フレーンディア王国には二人の王子がいたが家督を継ぐと思われていた第一王子が暗殺されてしまうという痛ましい事件が起こる。
その第一王子を殺したのが彼の婚約者である公爵家の令嬢であった。
「それがヴァレンティアとやらか」
「左様で。彼女はその場で処刑される事になったそうですがね。その役を命じられたヴァレンティアの兄貴が逃がしたのか逃げられたのか、まんまとフレーンディアから脱出しちまったそうでやすよ」
「恐らくは逃がしたのじゃろうな。それで次男坊が仇討ちを命じられたか」
「その通りで。結果、跡継ぎを失った王家は親類筋の公爵家に王位を譲るしか無かったようですぜ」
王子を暗殺したとされる公爵家が咎を受ける事無く、後継者を殺された王家から禅譲されるというのも奇妙な話ではあるがフレーンディアの系譜を途絶えさせる訳にはいかなかったという事情もあった。
「それで今のフレーンディアの国王というのがヴァレンティアを逃がした兄貴という訳でさ。この話を誰が聞いたとしても
「そりゃあな。王位継承候補の第一位が殺され、犯人に逃げられたせいで唯一残った王子も仇を討つ為に宛ての無い旅に出なければならぬじゃ。それで一番美味しい思いをしたのが誰かと考えればのゥ」
ヴァレンティアの兄は剣士として優秀であったが、どうやら王器も備わっていたらしくフレーンディア王国を良く治めているという。
妹のように卓越した知恵は無いものの才ある者達を身分を問わずに重用している為に国そのものは巧く機能しているそうだ。
「ただ悪い噂が無いワケじゃないようで」
「公爵家による国盗りに見えなくもないからのぅ。仕方なかろうて」
「いえ、そうじゃないんでさ」
「ほ? そうじゃないとは?」
「国家運営の批判ってのは巧くいってようがなかろうがどうしても起こるもんでやす。ただね、噂の発起人、つまりは云い出しっぺは例外なく死んでいるんでさ」
「殺されておるというのか?」
「それが馬車に轢かれただの、崖から飛び降りただの、一見すると事故や自殺のようなんでさ」
ゲルダはアンネリーゼの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「
「へえ、実際に飛び降りたと思しき崖の上で遺書がめっかっておりやす。けどね、そいつの女房殿の話によると亭主は字が書けないんだそうで」
「そういう事かえ。流石は親分じゃ。僅かな時間で善くここまで調べたものよ」
「で、ここからがグレーテどんが遺したもう一つの手掛かりでさ」
「スガタミか?」
アンネリーゼがぐぐっと身を乗り出して口元に右手を添える。
他の客達に聞かれたくないのであろう。
そう察してゲルダも身を乗り出す。
「ええ、グレーテどんの云っていたスガタミは十中八九『姿見』のシュピーゲルの事で御座いやしょう」
「ほぅ、『姿見』のシュピーゲルと。何者じゃ?」
ゲルダに答える前にアンネリーゼは周囲を見渡す。
聞き耳を立てている者がいないか確かめているのだ。
酒場の中を魔力のそよ風を巡らせて悪意を持つ者が隠れていない事、隠し部屋が無い事を確信すると、より控え目の声で云った。
「話の流れでお察しと思いやすがね。殺し屋でさ。異名の通り鏡に映したかのようにそっくりに化ける事が出来る変装の名人にして、鏡のように敵の技を真似る事が出来る武術の達人で御座ンす」
聖女というより暗黒街の首魁の顔でグレーテの命を奪った者の名を告げるアンネリーゼにゲルダの背筋がぶるりと震えた。
愛弟子を殺した強敵の出現にゲルダもまた剣客の顔となり、聖女としての慈悲が塗り潰されていくのを感じたのである。
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