外伝之伍 王子殺しにされた令嬢④

「次の仕事が控えてますので、私はこれにて」


「そうかえ…あ、いや、少し待っておくれ」


 “水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女への手紙を渡すという役目を果たした冒険者オイゲンがこの場を辞そうとするのをゲルダが呼び止めた。


「よく報せてくれた。少ないが、これをな」


 ゲルダが手の平を上に向けると、その真上に黒い渦のような物が現れて中から小さな皮袋が落ちてきた。

 それを受け止めるとオイゲンに手渡す。

 その重みから金である事は察したが、危険地帯とはいえ手紙を届けるだけの仕事にしては多すぎるとオイゲンは感じた。


「ゲルダ様、法外かと」


「気持ちじゃ。受け取っておくれ」


「はっ、では有り難く頂戴致します」


 引っ込める意思が無いと察したオイゲンは恐縮しながら去っていった。


「カンツ、出掛けるぞ。供をせい」


「母様、着替えなくて良いの?」


「一刻を争うでな。それに凶報を聞いた後に正装で行けば“こうなる事を待っていたのか”と勘繰られかねん。城に赴くのでなし、着の身着の儘に出向き、取るものも取り敢えず駆け付けたという姿を見せる事も肝要なのじゃ」


 実際に緊急事態である。

 グレーテが担ぎ込まれたのが最寄りの街という事もあり、道着の上に外套を纏って治療道具を詰め込めるだけ詰めると愛息と共に出発するのであった。









「お待ち申しておりました、聖女ゲルダ様。幾度か手紙にて遣り取りをさせて頂いておりますが、改めましてわたくしがフレーンディア王国に仕える家令にして聖都スチューデリアにて留守居役を仰せつかっております、トーマスと申します」


「丁寧な挨拶、痛み入る。グレーテの師、ゲルダにござる。して、早速ですがグレーテは如何に?」


 手紙が示すグレーテが担ぎ込まれた街に到着したゲルダは家令と挨拶を交わすと、すぐにグレーテの容態を訪ねる。


「御医師の話ではもう助からないでしょう、と…血を失いすぎたようです」


「左様か。会えますかな?」


「はい、こちらへ」


 病室に案内されたゲルダは一目見てグレーテが助からないと知れた。

 世界でも最高峰の癒やし手たるゲルダではあるが限度というものがある。

 天寿を全うする者。全身に癌が転移した者。グレーテのように致命の傷を負ってしまった者など、その手から取りこぼしてしまった命は少なくない。

 腕を斬り落とされたそうだが、その場にいたならばいくらでも救いようもあったし、なんなら腕を接合する事も出来たであろう。

 しかし血を失ってから時間が経ちすぎていた。


「どうしてお主ばかりがこのような目に遭うのじゃ」


 初めて会ったのはグレーテが八歳の頃であった。

 聖女の力を見出された彼女と引き合わされた時に思ったのは“不憫な”であった。

 貧しい下級貴族の娘であったが並外れて高い魔力を有し、しかも光属性との相性が抜群に良かった為に選ばれたそうである。

 だが聖女にするには些か幼過ぎるのではないかと思ったものだ。

 現に当時のグレーテは家族から離された上に『水の都』という瘴気に満ちた場に連れて来られたせいで不安に涙を湛えているではないか。

 聞けば神官達には“家族に楽をさせてやれる”だの“家柄に箔がつく”だの如何にも両親が喜んで送り出した風に云って聞かせていたという。


「グレーテ様が聖女となる事を拒まれてはご家族はさぞがっかりされるでしょうな」


 神官の言葉に唇を噛みつつ泣くまいとしている少女が尚更憐れで仕方が無い。


「聖女に選ばれる事は栄誉ある事なのですぞ。涙など以ての外です」


 そして必死に涙を堪えると分かっていながら“泣くな”という神官達の叱責が唯でさえ不愉快だと思っていたゲルダの怒りに火を着けた。


「漸く見つけた聖女の候補者を嬲るのがそれほど面白いかえ?」


「ゲルダ様?! わ、我々はただ聖女となる為の心構えをですな」


「男が聖女の心構えを説くなど片腹痛いわ。断るつもりであったが気が変わった。この娘はこちらで預かるゆえお主らは早々に帰れ」


「おお、お引き受け下さりますかって、帰れと仰せか? もはや夕刻ですぞ。今からでは最寄りの街でも到着が夜半を過ぎましょう」


 滅ぼされてはいるがゲルダや怨霊達による復旧作業により美しい姿を取り戻した宮殿に宿泊できると思っていた神官達は驚愕の表情を浮かべた。

 あわよくば冒険者達の間で噂になっている『水の都』でしか食べられない御馳走を期待していた神官達は渋ってみせたが、“纏めて叩き出されるのと素直に帰るのとどちらが得か考えてみよ”と睨まれてはすごすごと退散するよりないだろう。

 その後、どこの国の習慣なのか豪快に塩を撒くゲルダに呆気に取られていたグレーテであったが、ふと振り返った微笑みに目を奪われた。

 肩で切り揃えられた黒髪は艶やかで短くしているのが勿体無いと思える程だ。

 顔立ちも小柄な体同様に実に愛らしいが薄く化粧を施している為か、色香も見え隠れしている。

 聞けば三百年も生きているそうで、女らしさの中にも貫禄を同居させていた。

 何より金色こんじきに輝く瞳は魅入られたかのように目が離せない。


「よしよし、怖かったのぅ。だが、もう安心じゃよ。不逞の輩は追い払ったぞ。これからはワシが守ってやるでな」


 この日よりグレーテはゲルダの弟子となり、翌朝から扱かれる事となる。

 しかしグレーテは決して弱音を吐くことなく厳しい修行に耐え抜いたという。

 家族と離れ離れにされてしまったグレーテではあったが、ゲルダの美しくも気高い姿に幼心にすっかり魅了されてしまったのだ。

 これからはゲルダが自分を導いてくれるだという喜びの前では寂しさや不安などすぐに忘れてしまったものだ。

 ゲルダの指導は武術のみでは無い。世界各国の料理を教えてくれたし、実際にグレーテをあちこちに連れて行き彼女の世界を広げてくれた。

 礼儀作法の指導も厳しいものであったが面白いのは聖女としての心得については全くと云って良い程に触れていなかった事だ。


「身に着けた力を世の為人の為に使っておればそれで良い。聖女だ何だなどお主の行いを見て人が勝手に呼ぶだけじゃ。実際にワシなんて自ら“聖女で御座い”と名乗った事など無いわえ。人にとって都合が良ければ聖女、具合が悪けれりゃ魔女になると心得ておれば自然と己の行いを律するというものじゃて」


 そう云ってカラカラ笑うゲルダにグレーテは呆気に取られたものだったが、どこかで肩の荷が下りた気がした。

 それからは自らを高める事だけを考えるようになり、厳しい修行も半べそになりながらではあるが喰らい付けるようになったのである。

 端から見れば虐待とも取れる修行の日々であったがグレーテにとっては幸福の毎日であった。

 しかし、そんな暮らしも三年で終止符を打たれる事になる。

 急遽、グレーテがフレーンディア王国へと嫁ぐことになったのだ。

 元々グレーテはフレーンディア第ニ王子と婚約をしていたのであるが、聖女に選出された事で立ち消えとなったはずだった。

 だが正室となるはずの大国の姫が流行り病で亡くなるという惨事に見舞われる。

 そこへ神官達は王家とのパイプを得んが為にグレーテを売り込んだという。

 まだ修行の途中だとゲルダが突っぱねてくれていたが、なんと実家からもフレーンディアに嫁いでくれと手紙が来るようになった。

 恐らくは神官達が実家に手を回したものと思うが、自分が嫁げば実家の再興を許されるとの一文にグレーテは覚悟を決める事となる。

 自分が聖女に選ばれたばかりにお家が取り潰しになり家族も窮屈な生活を強いられている事に後ろめたいものを感じていたグレーテはゲルダに決意を伝えた。

 師は“子供が家の為に犠牲となる道理があるか”と激怒していたが、“私は貴族の娘で御座います”と真っ直ぐに彼女の目を見据えて云ってのけた。

 本気で怒ったゲルダは瞳が蒼銀に変わり、彼女を聖女に見出した雷神の力で封じていた“水”の力が溢れ出して周囲を凍てつかせてしまう。

 霜と雪と氷の世界に二人きり、暫く睨み合いが続いていたが、不意に師が目を閉じ極寒の世界が消滅する。

 再び目が開くと雷神に力を封じられた証拠である金色の瞳になっていた。


「頑固者め。一体誰に似たのやら…父も母もワシの気迫を受け止められるような器は無かったはずじゃ。その気概、どこで得た」


「たった三年、されど三年。私を鍛えたのは誰で御座いますか」


「云うようになったではないか」


 ワシの眼光に怯まないならどこでもやっていけよう、と最後は許してくれた。

 そして『水の都』から出て行く日に餞別として一冊の本を寄越すのだった。

 パラパラとページを捲ればこれまでゲルダと共に研究をしてきた世界各国の料理のレシピ本と知れた。


「その本はまだ半分も埋まっとらん。残りを埋めて完成させるのはお主じゃ」


 何よりの餞別にグレーテは堪らずゲルダに抱きついた。

 二人は別れを惜しむようにいつまでも抱擁し合っていたという。

 如何にも今生の別れのようであるが、再会の機会はすぐに訪れた。

 十一歳で嫁いだグレーテが翌年に子を産んだという報せを寄越してきた時は持てる能力ちからの全てを全開にしたゲルダによってフレーンディア王国が極寒地獄に堕とされる事になるのであるが、それは別の物語である。










「せ、先生…ゲルダ…先…生…」


「おお、目を覚ましたか」


 遣る瀬無い思いでベッドに眠るグレーテを見詰めていたゲルダであったが、グレーテの瞼が幽かに動いて声を発した事で安堵の息を漏らした。

 半ば縋るように治療魔法の光を当て続け、同時に痛覚のみを麻痺させていたのだ。

 だがゲルダには分かっていた。これが奇跡ではなく、グレーテもまた自らに生命力を増大させる魔法をかけて体力を温存していたのだと。

 この健気な弟子は何が起こったのか、他でもない師ゲルダに伝える為に懸命に命を存えさせていたのだ。


「も、申し訳ありません。先生にご指導頂きながらこのような無様を…」


「良い。良いのじゃ。体を見れば分かる。ワシから離れた後も随分と鍛えておったな。だから腕一本で済んだのだと思う事じゃ。グレーテや、お主は真に自慢の弟子じゃよ」


「ありがとう存じます」


 グレーテの目から涙が零れる。

 嫁いでからも鍛錬を続けていた事に気付いてくれていたのも嬉しいが何より師ゲルダに褒めて貰えた事が望外の喜びだ。

 スジ・・は良くなかったが継続は力なりとは善く云ったものである。

 ゲルダの言葉で今日までの修行が報われた気がした。


「何があった? お主をこのような目に遭わせたのは誰じゃ?」


「す、全ては…十五年前で御座います」


「十五年前? フレーンディアの王位が親類の公爵家に譲られた事か?」


「いえ…その前…公爵家に王位を譲られる前…その原因…」


「原因とな?」


 その原因を聞こうとグレーテの口元に耳を近付ける。


「ああ、お許しください…ヴァレンティア…様…」


「ヴァレンティアとは何者じゃ?」


「ああ、私に勇気が足りなかったばかりに…お許しくださいませ」


「グレーテ?」


「お、お許しを…許してください…お許しくださいませ」


 グレーテはヴァレンティアとやらに許しを乞うばかりでゲルダの質問に答えようとはしない。


「ヴァレンティア様! 臆病な私をお許しください!」


「いかん! 興奮させてしもうたか」


 徐々に声が大きくなっていき、同時に右腕に巻かれた包帯が赤く染まっていく。

 このままでは大出血を起こしてしまうと考えたゲルダは眠りの魔法でグレーテを強制的に眠らせる。


「今は眠っておれ。落ち着いたらまた話そう」


「ああ…お許しを…」


 グレーテはすぐに大人しくなり、瞼が閉じられていく。


「さあ、眠れ。傷に障るでな」


「ヴァレンティア様…」


 グレーテは泣いていた。

 静かな寝息を立てる愛弟子の涙を拭ってやるとゲルダは席を立つ。

 自分がそばにいてはまたグレーテを興奮させてしまうと思えばこそだ。

 血が止まった事を確かめて包帯を巻き直すと病室から出て行こうとする。


「ゆっくり休め」


「先生…」


「グレーテ? 眠っておらなんだか?」


「先生…ヴァレンティア様は悪くありません…」


「そうか…お主が云うのだから間違いあるまい」


 ゲルダにとって知らぬ名ではあるがグレーテを落ち着かせる為にその場は話を合わせておく事にしたのだ。

 詳細は後でトーマスに聞けば良い。家令ならば事情を知っていよう。


「あれは…恐らくスガタミ…父様から聞いた事が…」


「スガタミな。重要な手掛かりじゃ。でかしたぞ」


「先生が褒めてくれた…嬉しいな…」


「いくらでも褒めてやる。だから今は休め」


「そうだね…明日も早くからマラソンだもんね…早く寝ないと」


「グレーテ?」


 どうやら記憶の混乱で現在と『水の都』での修行時代が交錯しているようだ。


「起きたらヨアヒムのお弁当を作らないと…先生、あの子、最近は熱心に剣の稽古をしているんですよ…」


「そうか、感心じゃな」


「クルト…明日は『水の都』におられるゲルダ先生…に…紹…介…し…て…」


 それきりグレーテは言葉を紡ぐ事はなかった。


「頑張ったな。ヴァレンティアとスガタミ…お主の遺した手掛かりは無駄にせぬ」


 ゲルダはシーツを掛け直してやる。

 懐紙を取り出し綺麗に半分に折り畳んで折り目をつけると顔を隠す。


「後の事は万事ワシに任せて安らかに眠れ」


 ゲルダは瞑目して合掌するとグレーテの冥福を祈る。


「お主をこのような目に遭わせたヤツをワシは決して許さぬぞ」


 目を開いたゲルダの瞳は蒼銀となっていた。

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