外伝之肆 王子殺しにされた令嬢③

 時は少し遡り、『獅子』の聖女グレーテは師の住まう『水の都』への途次にいた。

 『亀』の聖女ゲルダの指導は厳しく、文字通り血反吐を吐くものであったが、修行が終われば母や姉のように優しくしてくれたものだ。

 師は世界中の料理に精通していたが、それはどこの国に嫁いでも苦労をせぬようにとの配慮であった。事実、フレーンディアは絶海にあることから独特の食文化があり、師にフレーンディア料理を教わらなかった以前の自分であったなら馴染む事はできなかったであろう。

 よもや魚を生で食す習慣があろうとは思いもしなかった事だ。

 持つべきものは食いしん坊、あ、いや、食通の師匠である。

 師ゲルダに限らず歴代の『亀』の聖女は瘴気に汚染された『水の都』の浄化という過酷な使命を与えられているが、特に拘束されている訳ではない。

 だからといってゲルダのように冒険者に身をやつし世界中を旅して様々な珍味を堪能しているのは稀である。特に酒に目が無かった。

 使命の他にあらゆる病気や呪いを祓い多くの人を救ってきた事から六人の聖女達の中で最も尊いと崇敬されているが唯一の悪癖が酒である。

 普段から聖女に似つかわしくない貧乏徳利を片手に提げ、隙あらば酒を呑む姿から“酔いどれ”と呼ばれ、“このような者は聖女にあらず”と嫌悪する宗教家や信徒も少なくはなかった。

 ただ本人は気にもしていないし、面と向かって云われたならば、“おお、そうかえ”と笑って『水の都』を出て行ってしまうだろう。

 見た目は少女であるが実際には三百年以上も生きている傑物でもあるので生活費を稼ぐすべは心得ていたし、また過去にゲルダに救われた者の多くはその恩から個人的な支援者となっていたのである。

 ゲルダが聖女の任を解かれたとしても暮らしは安泰であり、むしろ優秀な癒やし手を追放した者達の方が自分の首を絞める結果となるだけであろう。


「ゲルダ先生はお変わりないでしょうか。カンツラー君も大きくなっているでしょうね。最後に会った時は赤ちゃんでしたから覚えてないかも知れませんね」


「先月、フレーンディアのワインをお贈りしたところ大変喜ばれてお礼のお手紙を頂きましたのでお元気の事と存じまする」


「そうですか。私も何度かお手紙の遣り取りをしていましたが、“その節は”とはその事だったのですね。私が贈ったものと思われたのでしょう」


 フレーンディアとの同盟国・聖都スチューデリアにある上屋敷の家令がグレーテの呟きに答えた。

 独り言のつもりであったので答えが返ってきた事に驚くと同時にワイン寄贈の手柄を奪ったようで恐縮する。


「いえ、グレーテ様のお役に立てたようで何よりでございます」


 グレーテの身がフレーンディアになく、夫ではなく家令と共に『水の都』に向かっているのには理由がある。

 十五年前、フレーンディアの第一王子を刺殺したヴァレンティアを目撃してしまいけつまろびつ夫である第ニ王子に報告した事が始まりであった。

 あの夜は夫から義兄に報告書を届けるように頼まれ快く引き受けたのだが、ノックをした時には第一王子の声・・・・・・で入室を許されたので扉を開けたのだ。

 そして次の瞬間には義兄の胸にサーベルを突き立てるヴァレンティアの姿を見てしまったのである。

 初めはヴァレンティアが兄を殺した事を夫は信じてくれなかった。

 あの二人の仲睦まじさは誰もが知るところでありグレーテも祝福していたものだ。

 しかし恐怖に駆られた妻の様子に護衛の騎士達を連れて様子だけでも見に行く事にした。実戦経験は無いがあの・・ゲルダに鍛えられた妻が怯えているのだ。見間違いや冗談の可能性は低いと思い直したのだ。

 そして、その手を血で染めたヴァレンティアを発見したのである。

 護衛騎士の中でも抜きん出ており、またヴァレンティアの兄でもあるギュンター卿が結果として彼女を取り逃がしてしまった事が更なる悲劇をもたらした。

 第一王子の仇を討つ為に第ニ王子である夫がヴァレンティア探索の旅に出なければならなくなったのだ。

 兄が殺された以上、弟である夫が王位を継ぐ事になるのだが、王家の面目を保つ為には兄の仇を討てない限りは家名を継ぐ事が許されなかったのである。

 グレーテと夫の間には既に二歳になる男児がおり、はらの中には新たな命が宿っていたがこのような事態になった以上は子と父が離れ離れになるのは仕方がないという事情があった。

 それから十五年の歳月が流れ、グレーテ親子はフレーンディアの小さな屋敷に匿われていたのだが、成長した長男が突如、火が着いたように激怒して母親を屋敷から追い出してしまったのである。

 本来ならば王位を継ぐ立場にいる自分が小さな屋敷に閉じ込められ、しかも父親が家にいない理由を母が王子殺しを・・・・・・・目撃したせい・・・・・・だと考えるに至ってしまったからである。

 その上、現在暫定的にフレーンディアの王となっているのが犯人であるヴァレンティアの兄ギュンターである事が怒りに拍車をかけていた。

 普通なら間違いなく連座で罰を受けるところであるが、公爵家が王家と連なる王族公爵である事とフレーンディアの財政が公爵家抜きではままならない事、貴族の主流派のほとんどが王家よりも公爵家を支持していた事、そして長男を失った事で失意に陥った先王が公爵家に王位を托してしまった事が逆に公爵家の繁栄に繋がり、事実上、後継者を失った王家が衰退してしまったのだ。

 こうしてグレーテこそが王家没落の原因とフレーンディアから追放されてしまうのだった。

 周囲はグレーテに罪は無いと諭してくれたが、多感な時期にある息子は思い込みが激しいところもあったのでグレーテは甘んじて追放を受け入れた。

 こうなっては長男は顔を合わせるだけでも激昂してしまいお互いに心が休まらないであろうとの判断であるが、グレーテ自身、フレーンディアに身の置き場が無いと悟り、家族のいる聖都スチューデリアに行く事を決めていたのだ。

 その際に心優しく親思いであった次男が母親に同行していた。

 しかし覚悟を決めてはいたがやはり辛いものは辛い。

 気落ちする日々を送っていたグレーテに師ゲルダから夕食の誘いが来たのはそんな折りであった。

 良い気分転換になると思った事もあるが久々に母、姉とも慕うゲルダの顔を見たかったという気持ちもあった。次男を紹介したいというのもあっただろう。

 数ヶ月ぶりに気分が晴れやかになったグレーテは次男クルトと家令をお供に師の待つ『水の都』へと向かうのであった。

 問題は生者を拒む瘴気と魔王に滅ぼされた怨霊達であるがゲルダに散々仕込まれた『身に纏う結界』は二人に伝授済みであるし、実際にはゲルダの従者となっている怨霊達とは顔馴染み・・・・である。

 後は瘴気から生み出される魔物であるが、ゲルダ親子が定期的に駆除しているし、危険な『水の都』も高ランクの冒険者達からすれば美味しい狩り場という事もあって意外と遭遇率は低かったりするのだ。

 魔王の瘴気から生まれるという事は云い換えれば魔王の子とも呼べる程強大であるが、それだけに斃す事が出来れば見返りは大きい。

 一匹斃すだけでも良い経験になるが、魔界の魔物から剥ぎ取れる部位は高性能な武具やアイテムの材料となるので実入りも良いのである。

 おまけにそこに住むゲルダ親子に気に入られれば中央にある王宮での寝泊まりが可能だ。住人がゲルダ親子を除けば怨霊だらけである事に目を瞑れば手入れが行き届いており、温かい布団で眠れる上に風呂にまで入れる。城主・・の機嫌次第では王様でも食べられないようなご馳走にありつけるとあって駆け出しの冒険者達にとっては憧れの探索スポットでもあるのだ。


「母上、ゲルダ様とはどのような方なのですか?」


「とても厳しい方ですが恐ろしい方ではありません。剣術とはつまり殺人術。そのような技術を伝えるのですから指導が厳しいものになるのは当然です。しかし稽古から離れれば母のように姉のように接して下さいます。私が料理自慢でいられるのも優しく料理を教えて下さったからですよ」


 クルトの問いにグレーテは懐かしむように答えたものだ。


「料理…料理といえば兄上は今頃どうされているでしょう。きちんと三度三度食べていれば良いのですが…」


「あの子も十六歳です。幼い頃から家事は教えていましたし王家派の方達も面倒を見てくれているはずですよ」


「そうだと良いのですが兄上の御気性が…」


 残念ながらクルトの心配は当たっており、グレーテを追い出した後の長男ヨアヒムは屋敷に悪友を呼ぶようになり不逞貴族達のサロンと化していた。

 使用人もいない屋敷では掃除をする者がいない為にどんどんと汚れていき、瞬く間に世に云うゴミ屋敷となってしまう。

 おまけに無頼も居着くようになってしまい毎夜賭場が開かれるようになり、ついには娼婦を呼ぶ者まで出始めた事で混沌の場と化す。

 その時には流石に王家派と呼ばれる貴族達も彼を見限ってしまったという。

 暫くしてゲルダとクルトが踏み込んだ時にはゴミで足の踏み場も無く、やっと屋敷の奥に辿り着くと性病に苦しむヨアヒムを発見する事になる。

 ゲルダの治療で一命だけは取り留めるが、後の歴史にヨアヒムの名が登場する事は無かったそうな。


「さて、そろそろ瘴気が漂い始めてきましたし、『水の都』は近いですわよ」


 グレーテが防御結界を身に纏ったのを見てクルトと家令も結界を身に纏う。

 難度の高い技術ではあるが編み出した技や魔法を惜しげも無く伝授するゲルダの御陰で、昔はパーティー内では下に見られがちだった回復役やサポート役の地位も随分と向上してきていると話に聞いている。

 お世辞にも花形とは云えないが、パーティーにはなくてはならない名バイプレーヤーとなっているのは確かな事である。


「あら? あれは…」


 ふと何かに気付いたのか、グレーテが目を凝らしている。


「母上? 如何なされましたか?」


「いえ、ここで少し待っていてください」


「母上?!」


 クルトの問いに答えることなくグレーテは走り去ってしまう。

 ただ表情に先程までとは違う焦燥感が見えたような気がした。


「み、見間違いではなかったはず…」


 周りを見渡すばいつの間にか濃い霧に包まれていた。

 このままでは見つけるどころかクルトの元へ戻れなくなってしまう。

 その時、衣摺れに似た音を聞いた。


「あっ! やはり見間違いではなかった!」


 縦ロールにされた蜂蜜のような金髪に透き通るような白い肌。

 間違いないヴァレンティア嬢だ。


「ヴァレンティア様!」


 声を掛けるが彼女は聞こえていないのか、無視をしているのか、またも霧の中に身を隠してしまう。


「お待ちを! 待って下さい!」


 あの時、まだ十四の小娘だった事を差し引いても悔いの残る事件だった。

 何故、自分は第一王子を刺したヴァレンティアを見た時に逃げてしまったのか。

 逃げずに問い質しておけばまた違った未来があっただろうに。

 ヴァレンティアを逃がしてしまった事も失態だが、証拠となるレイピアもまた目の前にしておきながらギュンター卿に睨まれただけで動けなくなりみすみす失う事となってしまった。

 何より聖女として毅然と対処していれば夫ばかりかヴァレンティアを十五年以上に渡って放浪の身にせずに済んだはずなのだ。

 私のせいだ。終わりの見えない仇討ちの旅を続ける夫。それから逃げるハメになったヴァレンティア。衰退していく王家に遣り場のない怒りに身を焦がす息子。

 皆が不幸になっていく。私が臆病だったから。判断を誤ったから。

 思い返せば現場を発見した時から可笑しかった。

 ノックの返事を王子が出来るはずがないのだ。

 何故ならその時には胸を刺されて絶命していたのだから。

 それに犯人がヴァレンティアなら見つかった時に逃げるべきであったのに、彼女は何故か夫を呼んで帰ってくるまで部屋の中にいた。

 それに胸を刺した時には返り血一つ浴びていなかったのだが戻って来た時にはまるで王子の検分したかのように血にまみれていた。

 いや、実際に検分していたに違いない。

 頭の中で『何故?』で埋め尽くされていく。

 それをグレーテは頭を振って追い払う。

 兎に角、今はヴァレンティアと話をするべきだ。

 十五年前に何があったのか、彼女にしか知り得ない情報を聞き出そう。

 もう間違えない。間違う訳にはいかない。

 思い出すだけでこれだけ不審な点が見つかったのだ。

 思い出す。そうだ。あの時に嗅いだ香水の匂い。

 噎せ返るような血の臭いの中で幽かに薔薇の香りがした。


「ヴァレンティア様!」


 全力で追いかけても距離は一向に縮まらない。

 ヴァレンティアは追い付かれそうになると霧の中に消え、立ち止まると少し先で再び姿を現す事を繰り返している。

 魔力で身体能力を上げているのに一向に掴まえる事が出来ない。


「ヴァレンティア様! あの時! 十五年前に何があったのですか?!」


 必死に追いかけるあまり注意が散漫になっていたのだろう。

 追う身が追われる身となっている事に気付く事はなかった。

 ふと覚えのある香りがグレーテの鼻腔をくすぐる。


「薔薇の…香水?」


 背後から強烈を通り越してキツく感じるほどの臭気がグレーテを襲う。


「がっ?!」


 次の瞬間、グレーテの右腕が宙を舞う。

 傷口を押さえて蹲るグレーテに近付く者がいた。


「ヴァ、ヴァレンティア…」


 見事な縦ロールの金髪の女性がグレートソードを手に立っていた。

 血に濡れた切っ先を見るに右腕を奪った得物はそれか。


「あ、あなたは…」


 記憶にあるヴァレンティアはレイピアを得意としていた。


「あなたは…」


 ヴァレンティアは香水が苦手だった・・・・・・・・はずだ。


「誰なのですか?」


 グレーテの問いには答えずヴァレンティアは剣を振り上げる。


「母上ーーーーーーっ!!」


 そこへ母が心配になり捜しにきたクルトの声がした。


「ちっ、だがその出血では助かるまい」


 ヴァレンティアは舌打ちをすると霧の中へと姿を消して戻ってはこなかった。


「母上?! 腕が!」


 クルトが血にまみれた母親を見つけて狼狽する。


「王子! 今は狼狽えている場合ではありませぬ!」


「ああ、そうだな」


 家令に叱責されて治療魔法を施すがクルトの実力では截断された右腕を繋ぐ事はできなかったが血を止める事には成功する。


「ゲルダ様を頼ろうにも結界が張れぬ今のグレーテ様を『水の都』に連れて行くのは危険でございます。最寄りの街へとお運びしましょう」


「そうだな。母上、今、お助けします!」


 グレーテは近くの街へと運び込まれるのであった。

 しかし失った血が多く、助かる見込みは少ないと医者に宣告されてしまう。


「一か八かゲルダ様をお呼びしよう」


 こうしてゲルダの元へ凶報が届けられたのである。

 この時、グレーテは朧気ながら意思があった。

 立ち去る寸前に聞いたヴァレンティアの声は明らかに男のものだ。


(やはりヴァレンティア様は冤罪だったのですね。でも何故、今になって偽のヴァレンティア様が動き出したのでしょうか? 私の口を封じるにしても今更ですし…)


 グレーテは既に自分が助からないと察している。

 ならばクルトの呼びかけにゲルダが応じる事に一縷の望みをかけて話すべき情報を彼女に伝えるべく残る魔力の全てを体力の温存の為に遣うのであった。

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