外伝之参 王子殺しにされた令嬢②

 一口に聖女と云っても色々な者が存在する。

 正式に認定されている聖女は世界でも六人しかおらず、フレーンディアの第ニ王子の妻が“光”と“希望”を司る『獅子』の聖女と呼ばれているのなら、『水の都』と呼ばれた廃墟には“水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女が住んでいる。

 『水の都』はかつて潤沢な水に恵まれた美しい国であったが数百年前に魔族に滅ぼされており、それ以来、瘴気に満ちた危険地帯となっていた。

 『亀』の聖女の使命は病や怪我に苦しむ人々を救う癒やし手となる事であるが、同時に『水の都』を蝕む瘴気を浄化する運命を神より与えられていたのである。

 並の者なら触れただけで全身が腐り蕩ける瘴気をその身に取り込み、体内で浄化して安全な水や空気にする過酷な役割である。

 だが慣れてくれば浄化した魔王の魔力をそのまま己の魔力にする事も可能となるので、むしろ全身に厖大な魔力が漲って健康どころか強大な力を得られた『亀』の聖女ことゲルダは“こんな役得・・はそうそうに譲れぬわな”と宣っている。

 しかも民衆からは“聖女の中でも一番過酷な仕事を押し付けられながらも常に微笑んでおられる『亀』の聖女こそ慈愛の極み”と称えられているのだから事実というものは面白いものだ。


「わあ、すごいごちそうっ!」


 幼い少年がテーブルの上に並べられた料理の数々に目を輝かせている。

 彼の名はカンツラーといい、ゲルダの息子である。

 ゲルダは結婚こそしていないが内縁の夫がおり、彼との間に生まれた愛息と共に『水の都』で仲睦まじく暮らしていた。


「ひょっとして父様が来る日? でも父様が来る時ってお手紙をくれるよね?」


 故あって共に暮らす事は出来ていないが頻繁に手紙の遣り取りはしており、ゲルダは勿論、カンツラーも彼からの手紙を楽しみにしていた。


「ああ、残念ながら父様じゃない。だがワシにとっては父様と同じくらい大切なお客様じゃ。カンツも仲良くしてくれると嬉しいのぅ」


「大切なお客様? 母様のお友達? だったらボク、会ってみたい」


「そうか、良い子じゃ、良い子じゃ」


 ゲルダはニコリと微笑みながらカンツラーの頭を撫でる。


「今夜、お主には『泣きべそライオン』を見せてやるでな」


「泣きべそ? 泣き虫なの?」


 コテンと首を傾げる幼い愛息の可愛らしさにゲルダの頬もつい緩む。

 ゲルダは中腰になってカンツラーと目線を合わせて答えた。


「そうだな。じゃが人よりは善く泣くが弱虫ではない。誰よりも優しい娘じゃよ。そして誰よりも一生懸命に生きておる。お主も気に入るはずじゃ」


 『泣きべそライオン』こと『獅子』の聖女グレーテはゲルダの直弟子である。

 聖女に認定されると里心を抱かぬように実家は潰されて家族は聖都と呼ばれる都に移される。

 聖女の家族は豪奢な屋敷と高額な手当てを与えられるが、常に監視の目が光っており、聖女の家族に相応しい振る舞いを強要されるのだ。

 生活こそ誰もが羨む水準であるが、窮屈な暮らしが果たして幸せかどうかはまた別の話であろう。

 現にグレーテの妹は本来なら奔放な性格であったが結婚相手も自由に出来ず、仮に粗相でもしようものなら教育・・を施されるので、今では塞ぎ込むようになってしまい、昔は仲が良かったはずであるのに今ではグレーテへの怨み節が絶えない有り様だという。

 そして家族から離された聖女は聖女に相応しい教育を施される。

 それと同時に聖女の力を悪心ある者達に利用されぬよう護身術の修得も義務付けられているのだ。

 グレーテの場合は先輩の聖女であり武芸百般の達人でもあるゲルダに護身の技を教授されたという訳である。

 ゲルダの稽古は厳しく、男の弟子でも根を上げるような修行をグレーテに課した。

 夜も明けきらぬ内から叩き起こされて『水の都』の外周を走らされる訳だが、前述の通りおぞましい瘴気に満ちた場所で走らされる過酷さは筆舌に尽くしがたいものがある。何せ自らの身を守る結界を張るのではなく身に纏わせるという常軌を逸した技術を強要される上に常人の全速力以上の速さで走らされるのだ。

 いくら聖女に選ばれるだけの魔力を保有していようと限界があるのだが、ゲルダはグレーテの限界ギリギリを見極めて難題を課すのである。

 世界に六人しかいない聖女ゆえに力を悪用しようとする者達は後を絶たず、地獄の苦しみを味わわせる事になろうとも自らの身を守れるだけの力量を身に着けて貰わなければ困るという事情もあった。

 これは過去に護衛に守られてばかりで護身の力を持たなかった聖女が魔王に攫われた事件に起因していた。その後、勇者が聖女の救出に成功したが彼女は既に拷問により重要な情報を漏らしていたばかりか精神が破綻していたという。

 以来、同じ境遇に陥らせないよう聖女にも護身の術を学ばせる慣習が出来上がったのは必然であった。

 つまり早朝の結界マラソンは不測の事態に陥ったとしても自らの身を守りながらひたすらに逃走する為の訓練だったのである。

 元々聖女を戦力に勘定してはいない。だが敗北したとしても逃げ果せる事が出来たのなら再起ができるという考えからきているのだ。

 マラソンが終わったら今度は武術の指南に移る。

 その時もゲルダは非情の師匠としてグレーテを忖度なく叩きのめす。

 魔王は云うまでもないが、魔界の住人、それに同じ人間といえども盗賊などの悪人が手心を加えた・・・・・・という話は聞いた事がない。

 だからこそゲルダは実践形式でグレーテと打ち合うのだ。

 だが、そこは『泣きべそライオン』の由来通りにグレーテは泣きじゃくりながらもゲルダに喰らいついてきた。

 何度も何度も打ちのめされようとも何度も何度も竹刀を拾って討ち掛かる。

 竹刀ダコどころか手の皮が擦り切れようと泣きながら打ち込むのだ。

 確かにすじ・・は悪かったが、この不屈の精神でゲルダの修行にしがみついてくるグレーテの姿に獅子の如き気高さを見たゲルダは彼女に『泣きべそライオン』という二つ名をつけた。

 そう、これは決して蔑称ではなく、どのような惨めを晒そうとも最後までやり遂げる誇り高き姿を称えた愛称なのである。


「へえ、母様の修行に耐えられるライオンさんか。ボクも早く会いたい」


 生傷が癒えぬ右頬の貼り薬の端が捲れるのも構わずにカンツラーが笑う。

 ゲルダの激しい稽古は愛息であろうと手加減は無かったのである。


「よしよし、今夜、会えるでな。楽しみにしておれ」


 ゲルダは恵比寿顔で貼り薬を直してやったものだ。

 しかしとっぷり日が暮れて食堂以外が闇に包まれても客人は現れなかった。


「遅いのぅ」


「うん、ボク、もうお腹がペコペコだよ」


「すまぬが、後もう少しだけ待っておくれ」


 それからもかつての愛弟子からは梨の礫であった。

 もし遅れそうになったり、やむを得ぬ事情で来られなくなった時は使者を送るだけの義理堅い人物であるはずだ。

 やがて眠くなったのかカンツラーが舟を漕ぎ始めたのを見てゲルダは愛弟子の来訪を諦めると決めた。


「仕方無い。我らだけで食べてしまおう」


「いいの?」


「ま、何か事情があるのであろう。温め直せる物は温めるでな。カンツはサラダやオードブルを摘まんでおれ」


「はぁい、頂きます」


 ご馳走が食べられるとあって眠気が吹っ飛んだカンツラーが料理を食べ始める。

 愛息の元気な食べっぷりに微笑ましいものを感じながらシチューを火に掛けるゲルダであった。









「ごめんくださりませ。聖女ゲルダ様のお住まいはこちらか?」


 翌朝、カンツラーと早朝の走り込みをすべく準備運動をしていたゲルダに声を掛けるものがいた。


「ゲルダはワシじゃが、そなたは?」


 見れば立派で美しい純白の甲冑を纏った三十代中頃の男であった。


「私は冒険者のオイゲンと申します」


 話を聞けば昨日、ゲルダ宛てに手紙を届けるように依頼が舞い込んできたそうだ。

 しかし『水の都』は瘴気に覆われて並の人間では近づく事さえ出来ない。

 そこへ呪いや魔界の瘴気を弾く甲冑を持つオイゲンが名乗りを挙げたという。


「それはわざわざすまなんだのぅ。して手紙は誰からじゃ?」


「フレーンディアの第ニ王子殿からです」


「なんと、フレーンディアから?」


 手紙を受け取ったゲルダは封を開けて中身を読む。

 そして読み進めていく内に顔がだんだんと険しくなっていく。


「母様? お手紙には何て書いてあったの?」


 母親の様子から不穏なものを感じたのだろう。

 カンツラーが心配そうに声をかけた。


「うむ、手紙にによればじゃ…グレーテが斬られたらしい」


 カンツラーに答えたゲルダの顔は歴戦の冒険者であるオイゲンでさえ戦慄する程の凶相であったという。

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