外伝之㯃 王子殺しにされた令嬢⑥

「お帰りなさいませ。御苦労様に御座います」


「うむ、留守中、変わった事は無かったか?」


 早朝、聖都スチューデリア郊外にある安宿にヴァレンティアの姿があった。

 彼女こそ誰であろうとそっくりに変装する事が可能な殺し屋、『姿見』のシュピーゲルその人である。


「ツェッケどんが昨晩からお待ちで」


「相分かった」


 宿の娘が客人がいると答えるとシュピーゲルは寝起きしている部屋へと向かう。

 一見するとただの宿屋であるがシュピーゲルのような脛に疵を持つ者達を承知の上で泊めている裏社会専用の宿屋であった。


「ツェッケ、何の用だ?」


「旦那、“何の用だ”じゃありませんぜ」


 まんじりともしないでシュピーゲルを待っていた庶民風の男はその素っ気無い態度に憮然として睨みつけた。


「旦那、おやりになりなすったね?」


「何の事だ?」


「とぼけないで下さいよ。聖女グレーテを殺ったのは旦那でしょうが」


「とぼけるつもりはない。グレーテは確かに俺が斬った」


 しれっと答えるシュピーゲルにツェッケは噛み付くように詰め寄る。

 四十路を少し超えた陰気な男で生え際がM字に大分後退していた。

 目の下の濃い隈に苦労が忍ばれるが眼光だけは炯々としている。

 武に生きている訳ではないがそれなりに修羅場をくぐってきた裏社会に棲む人間特有の凄みがそこにあった。


「何でそんな勝手な真似をしなすった?! 人を殺せば役人が動く。それが聖女様ともなれば尚更だ。聞けばグレーテの師匠の聖女ゲルダまで下手人捜しに動いているそうですぜ! 面倒を引き起こしてくれたな、と元締めだってお怒りだ!」


「ほう、『水の都』のゲルダがな。アレを斬れば俺にも箔が付くというものだ。元締めに伝えろ。ゲルダは俺が斬って捨てるから何の心配もいらぬ、とな」


「仕事以外で人を殺すなとおっしゃっているんですよ、元締めは! 勿論、目的の為に犠牲を抑えろってェ慈悲じゃない。人を殺すってのはリスクが大きいんだ。旦那だってそれが分からないような莫迦じゃないでしょうよ」


「確かに泥棒を捕まえるのとは訳が違うだろうな」


 喉の奥からクツクツと嗤うシュピーゲルの不気味さにツェッケの熱が下がる。

 居住まいを正したツェッケが改めて問う。


「何で聖女グレーテを手に掛けなすった?」


「知りたいか?」


「聞かない事には元締めに報告出来ませんし、何より旦那の付き人を仰せつかってるあっし・・・の気が収まらねぇ。聞かせて貰いましょうよ」


アレ・・が優しい母のままだったからだ」


「はい?」


 予想だにしていなかった答えに聞き違ったのかと間抜けな相槌を打ってしまう。


「事件の目撃者となり、第ニ王子が仇討ちの旅に出るハメになった原因として城から出される事になったというのにグレーテは残された二人の息子と共に小さな屋敷で仲睦まじく暮らしておった。王宮での贅沢な暮らしを奪われ、従者もいないというのに荒むことなく子供達を育て、あまつさえ微笑んですらいたのだ」


「旦那、云ってる意味が分かりませんぜ」


 美しいヴァレンティアの顔を憎悪に歪ませるシュピーゲルに気圧されながらもツェッケは理由にならないと突っ込んだ。


「だから俺は長男のヨアヒムに王家から王位が奪われるハメになったのはお前の母親のせいだと教えてやったのだ。本来ならば王宮で何不自由無く暮らせていただろうに可哀想によ、と同情してやれば簡単に信じおったわ。前王、即ち祖父に化けていた事も大きいだろうな。あれだけ慕っていた母親を憎むようになっていく様は愉悦であり、屋敷から追い出した時は快哉を叫んだものよ」


「はあ?! 長男坊が豹変したのは反抗期になったからと思っていたが旦那の仕込みだったんですかい」


「だが人生というものは思い通りにいかないものであると痛感したわ」


 男の声で怨嗟を吐き出す公爵家令嬢の姿にツェッケの血の気がまた引いていく。


「屋敷を追放されて聖都に流れ着いたグレーテは聖女といえども流石に憔悴していたわ。だが、心を闇に蝕まれているだろうにグレーテは次男のクルトに対して優しい母親のままであったのだ。長男に裏切られ、棲み家を奪われたというのに、その怒りと絶望をクルトにぶつける事はなかった!」


 シュピーゲルは両の拳を握り締めて悶えるように全身を震わせた。

 激怒するシュピーゲルよりもグレーテをそこまでして貶めたい動機が読めず、彼が何かおぞましい人以外の何かに思えてツェッケの背筋に怖気が走る。

 暫く怒りに身悶えしていたシュピーゲルであったが不意にピタリと動きを止めると穏やかな顔になり優しげな声で云ったものだ。


「だから斬った。あれだけ叩きのめされて尚母親であり続けるアレはこの世にいて良い存在ではない。人間ではないのだ。きっとおぞましい怪物に違いあるまい」


「は、はぁ……なるほど……」


 これは下手に否定してはこちらが危なかろう。

 善く分からない理屈を抱えてはいるが殺し屋として優秀である事には違いない。

 シュピーゲルの手綱を上手く操るのが付き人の使命だと己に云い聞かせた。


「そんな事より頼んでいたアレ・・は持って来たか?」


「へい、持って来ましたが安い買い物じゃありませんぜ。折角の報酬のほとんどをソイツ・・・に注ぎ込んじゃあ愉しみなんか無いでしょうよ」


 向こうから話題を変えてくれたのだ。

 ツェッケは透かさず乗った。


「良いから寄越せ」


「へいへい」


 急かすシュピーゲルにツェッケは香水の瓶を数本渡す。

 香水といっても場末の酒場で酔客の相手をしている女達が使っているような安物では無い。貴族の夫人達が大枚を叩いて買い求める高級品である。


「ああ、この香りだ」


 シュピーゲルは瓶の蓋を開けると薔薇の香りを肺に満たすように吸い込んだ。

 次の瞬間、惜しげも無く中身を手の平に取って全身に擦り込んでいく。

 あっという間に一瓶が空になってしまう。

 途端に部屋の中が薔薇の香りで満たされるが、過ぎた香りは悪臭と変わらない。

 ツェッケは顔を顰めて窓を開けた。


「旦那、度が過ぎますぜ。何だってそんなに香水を塗ったくるんですよ。まだ厚化粧した酒場のババァの方が品があるってもんだ」


「この香りが無ければ駄目なのだ」


 我が身を抱くように香りを堪能するシュピーゲルに堪らず後ずさる。


「何が駄目ってんです? まさかと思いますがね。殺したヤツの血の臭いや死臭がするなんてベタなオチは無しですぜ?」


「母の…」


「はい?」


「母の匂いなのだ…」


「……さいですか」


 どこまでも気持ちの悪い男だ。

 あれだけ優しい母親・・・・・とやらを否定して子供から母親を奪っておきながら自分はおっさんの匂いに包まれてご満悦か。


「ああ、母上…俺をもっと強く抱いてくれ…」


 更に自分を抱く力を込めるとシュピーゲルの頭から金髪がずり落ちた。


「旦那、ウィッグが取れちまいましたよ」


 ツェッケの忠告が耳に入っていないのか、禿頭とくとうを晒しているシュピーゲルの恍惚の顔までもがずれていく。


「駄目だ、こりゃ」


 削がれたように低い鼻から薔薇の香りを吸い込み、引き攣れた傷が痛々しい失われた耳には幼い頃に聞いた母の子守唄が聞こえてくる。

 自分には歌ってくれなかったが弟や妹の為の子守唄はどこまでも優しかった。

 鼻が無いというだけで愛してくれなかった母、醜いからと自分ではなく弟に家督を譲った父、俺の顔を見ては嘲笑を浮かべて侮辱してきた妹。

 俺の家族は俺を家族とは認めてくれなかった。









 あれは何時の日の事であったか。

 父に所用を頼まれての帰り道、森の中である少女に出会った。

 少女は鼻を持たぬ自分の顔を見て悲鳴を上げたのだ。


「何が可笑しい?! 云ってみろ!!」


 これまで家族に蔑ろにされて生きてきた鬱憤は気付かぬ内にシュピーゲルの心を蝕んでいたのである。

 我に返った時には幼い少女は全身が斬り刻まれていた。


「こ、これは俺がやったのか?」


 取り返しのつかないことをしてしまったと後悔するが後の祭りだ。

 自らの罪を認めて出頭するか、いや、自刃して詫びるべきか。


「否! 断じて否だ! 俺はこれまで蔑まれて生きてきたのだ。その俺が不幸のまま最期を迎えて良いものだろうか? いや、良くない!」


 幸い、薄暗い森の中だ。

 何の為に少女がこんな所にいたのか知らないが目撃者はいない。

 埋めてしまえば罪が発覚することは無いだろう。


「おお、見たぞ、見たぞ。お貴族様が罪もない子供を殺してしもうた」


 頭上からの降ってきた老人の声にシュピーゲルの心臓が大きく跳ね上がる。


「だ、誰だ?!」


「その表情かおは斬った子供を埋めてしまおうと思ったかえ? お貴族様というのは何と恐ろしい事を平気で考えるんだろうね」


 艶かしい年増女の声が揶揄うように四方八方からこだまする。


「ど、どこにいる?!」


「さて、どうしたものか。見れば子供とはいえ人間を容易く斬り刻む剣の腕前、役人に突き出すのは惜しい」


「ヒッ?!」


 先端を斜めに截断して鋭い穂先にした竹槍がシュピーゲルの股の間に突き立った。


「ヒョヒョヒョ、兄さん、役に立ててあげるでゲスよ」


 揶揄うような中年男の声と共に竹槍が無数に飛んで来る。

 瞬く間に竹槍はシュピーゲルを取り囲み、檻のように閉じ込めてしまう。


「ひ、卑怯者! 姿を見せろ!」


「こんな幼い子供を怒りに任せて斬るお貴族様に云われたくないよ」


「あわわわ…」


 バラバラに解体された少女の体が浮き上がってシュピーゲルの目の前まで迫る。

 その顔は彼を怨むでもなく愉悦の笑みを浮かべていた。


「さあ、お主は今日よりこの竹槍仙十たけやりせんじゅうの仲間となるのだ」


 嗄れた老人の声が宣言する。


「ば、莫迦な! フレーンディア王家に連なる公爵家の俺が貴様のような妖物の仲間になるものか!」


「いや、お主は仲間になる」


「何だと?!」


「我らの仲間になるならばお主が欲しいものを何でも与えよう」


 姿を見せぬ声の提案にシュピーゲルはせせら笑う。


「莫迦な! 貴様のような妖物が貴族の俺に何を与えると云うのだ!」


「母を」


「何?」


「妹を」


「い、妹…」


 この妖物は何を知っている?

 自分が何を求めているのか分かってるのか?


「愛してくれぬ母を…兄を蔑む妹を好きにするが良い」


 四十路を過ぎてなお瑞々しい肢体を誇る麗しの母、小生意気だが徐々に女の体・・・になりつつある美しい妹…それが手に入る?

 知らずシュピーゲルの喉が生唾を呑んだ。


「そして弟を傀儡にして公爵家を牛耳るが良かろう」


「公爵家が俺の物に…」


「否ッ!!」


 突如降った一喝にシュピーゲルの体が震える。


「フレーンディア王家に政治の才は無い。それはこの国を見てきたお主が善く知っておろう? なればよ、フレーンディア王国も丸ごとお主の物にしてしまえば良い」


「そ、そんな事…」


「出来る! この竹槍仙十が後見となれば容易き事」


 シュピーゲルは思わず妄想する。

 愚弟を操りフレーンディア王国を裏から支配する自分を。

 そして夜ともなれば麗しい母娘おやこを我が手で…


「さあ、我らが仲間になる意思、有りや無しや!」


 暫しの沈黙の後、絞り出すようにシュピーゲルは答えた。


「……有る」









「俺は今やフレーンディア王国の主…母上も我が妹ヴァレンティアも我が手に…」


「へいへい、では元締めへ報告に行って参りますよ。良いですかい? これ以上の勝手な真似は勘弁ですぜ?」


 自分の世界に閉じ籠もってしまった変装の名人を尻目に溜め息をつくとツェッケはグレーテ殺害の動機を報告すべく宿を後にするのだった。

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