第伍拾伍章 神殿騎士団長は再起できるのか
「引っ立てい!!」
「ははっ!!」
ゲルダの命令を受けて捕縛された枢機卿一派が連行されていく。
彼らはこれから裁判を受けて各々の罪状に合わせて刑に服する事になる。
「聖女様方の御陰で一気に膿を出すことが出来ました」
「戯け。“膿を出す事が出来ました”ではないわえ」
礼を述べる神殿騎士団長に対してゲルダはジロリと睨みつける。
蒼銀の瞳に呑まれて神殿騎士団長の額に脂汗が浮かんだ。
「本来ならばお主が彼らの襟を正さねばならなかったのだぞ。神殿騎士達の腐敗はお主にも責任の一端はある事を忘れてはならぬ。今後は己らの職務の意義を自問して二度とこのような恥ずべき騎士を出さぬと自戒せい。もし再び神殿騎士による搾取や横暴を見かけたらお主に騎士を導く力が無いものと見做すぞ」
「は、ははあっ! ゲルダ様のお言葉、しかと肝に銘じまする!!」
ゲルダの言葉に神殿騎士団長は跪くどころか平伏した。
部下に情けない姿を晒す事になるが、これまで体験した事がない威圧にそうせざるを得なかった。
「立て、みっともない。肝が据わっておらぬからそのような醜態を晒すのだ。お主自身が鍛錬を怠っておる何よりの証拠じゃ。日頃から心身を鍛えておればワシに睨まれたとしても毅然と対応していたであろうよ」
そのザマで教徒を守れるか――一喝されて騎士団長は再び平伏してしまう。
ゲルダの云いたい事を全く理解していない彼に溜め息が出るのは無理もない。
「愚か者め。そなたは騎士達を束ねる器ではないわえ」
騎士団長は泣いた。顔を上げられずに泣いた。
貴族の三男であった彼は家督を継ぐ事が出来ぬものと剣の修行に明け暮れ、教徒を守る事で修行の成果を見せてきていたはずなのに出世を重ねていくにつれて鍛錬を怠るようになっていく。
職務の多忙さは云い訳にもならない。鍛錬無くして何が騎士だと云うのか。
況してや神殿騎士団長に任じられてからはまともに剣を振った記憶が無い。
「良いか。そなたは神殿騎士達の長である。その威を示す為にも鍛錬を続けていく必要があるのは分かるな?」
「ははっ!」
「今日の事を恥と思ったのであれば本日より心を入れ替えよ。まずは素振りから始めい。一時間、倦む事なく素振りをこなせるようなったら月に一度はバオム王国を訪ねよ。稽古をつけて進ぜよう」
「あ、ありがたき事で御座います」
「その上で騎士達の腐敗にも目を光らせよ。それが団長としての責務である」
「この命にかえましても!」
「おい、今のを聞いたな? “命にかえても”だとよ」
ゲルダがイルメラを除いた聖女達に問うと皆が頷いた。
これで聖女が証人となったも当然である。
神殿騎士団長の肩に巨大な岩がのしかかったように重くなるのを感じた。
ちなみにイルメラは枢機卿の件で別室にて事情聴取を受けている。
ただゲルダを初めとする聖女達や名主達の弁護も聞き入れられているので、それほど辛い思いはしないで済むだろう。
「騎士が一度口にしたのだ。
「は、腹を?!」
「そのくらいの覚悟で臨めと云うておるのじゃ。そもそも騎士や僧侶が民衆を苦しめる事などあってはならぬ。搾取をする方がおかしいのだ。近頃では“どのような罪も許されて地獄行きを免れる”と称して免罪符なるものを売り捌いておるそうな。本来ならばそのような怪しからぬ
「うへへぇ!! か、畏まって
平伏する騎士団長にゲルダは何も云わなかった。呆れ果てたのである。
半年後、神殿騎士は免罪符を発行している司教を摘発するが証拠はアンネリーゼとイルゼによって齎されたのは云うまでもない。
「しかし、これだけの騒ぎが起こっておるのに教皇は様子を見にくる気配は無いな。秘書くらいは差し向けてきても良いと思うのだがな」
「云われてみればご多忙とはいえ無関心にも程がありますわね」
ゲルダの疑問にヴァレンティーヌも同調する。
「今日は外出の予定は無いはずよ。だからこそ今日を大神殿詣でに決めたんだしね」
「先生、
「何故、ワシを見る?」
アンネリーゼの問いにゲルダはジト目で返す。
だが過去に冒険者として様々な人との繋がりを作っているゲルダは思いも寄らぬコネや因縁を持っている事が多いので疑われるのも仕方無いだろう。
「人聞きの悪い事を云うでないわ。
「青瓢箪て…仮にも教皇ですわよ」
ヴァレンティーヌが咎めるがゲルダは一向に意に介さない。
「教皇が偉いのは星神教というコミュニティの中でだけじゃ。真言宗のワシが傅く謂れなんぞ無いわえ」
「かっかっかっかっ! やっぱりゲルダの兄弟は云う事が違うな。俺様も前の教皇は好きだったが今の青瓢箪は確かに好かねぇ。で、どうするね?」
「知れた事。ここまで来たのじゃ。挨拶をしに参ろう。教皇は謂わば看板よ。僧侶共の専横を野放しにする真意を問い質さなければ気が済まぬわえ。機能しない看板なら外してしまった方が良いに決まっておる」
呵々と笑うゲルダにヴァレンティーヌは額を抑えながら云ったものだ。
「分かりましたわ。私にも聖女として働きながらも僧侶の堕落を食い止められなかった責任があります。今後の星神教の在り方を問う必要がありますわ」
「責任などとそう難しく考えるでないわえ。そりゃ上層部が責めを追うべきで聖女が責任を取る話では無いぞ。下が暴走しないよう上からしっかり睨みをきかせておけ、と喝を入れに行くだけじゃ」
ゲルダはヴァレンティーヌの頭をぽんぽんと撫でた。
本来なら小柄なゲルダの手はヴァレンティーヌの頭に届かないのだが、撫でられると察して腰を曲げて撫でやすいようにしているあたり彼女もまたゲルダを慕っているのがよく分かる。
「では青瓢箪殿に挨拶に行こうかえ」
「先生、そんな青瓢箪、青瓢箪と連呼して本人を前にしてうっかり口を滑らせないで下さいやしよ? あんなチンケな野郎でも教皇は教皇なんでやすから」
アンネリーゼが注意をするが顔を見れば笑っているではないか。
いや、そもそも注意なのであろうか。
「青瓢箪だのチンケだの…少しは教皇様を敬いなさいな」
「それは無理な相談だ。敬うべき所が一つも無いんだからな。先代が急逝した時にたまたま坊主の中で家柄が一番良くて童貞だったのが今の教皇なんだからよ。無気力、凡庸でただ悪人じゃないってだけのヤツだぜ。教皇になってからも何をするでも無し。いや、何もしなかったからこそオリバーみたいのをのさばらせちまったんじゃねぇか。兄弟やアンネ親分の言葉じゃないがここらで一発気合を入れてやるべきだと俺様は思うね」
「逆、逆。当時の枢機卿だったオリバーの父親が好き勝手やる為に気の弱い彼を教皇に据えたの。自分に口出しできない者をトップに据えて、それを隠れ蓑に悪さをしていたってワケ。先代が厳しかった分、箍が緩んだのでしょうね。星神教の腐敗は一気に進行していったの」
「御飾りか。憐れではあるが同情は出来ぬ。教皇ならば民の為に死んでみせるのが本当であろうさ」
イルゼの説明に納得はしたが、だからといって今の教皇を許せるはずもなかった。
オリバーの父が怖かったとしてもその子供にまで尻尾を振るとは情けない。
「ま、ここで話していても埒は明かぬであろう。直接捻じ込んでやろうよ」
「ゲルダさん。許せない気持ちも分かりますけど教皇様は御病弱ですわ。老齢でもありますし、あまり過激なことはなさらないように」
「それは教皇次第だわえ。優しくするも厳しくするもヤツの出方一つよ」
「それで結構ですわ」
そこへ事情聴取を受けていたイルメラが戻って来た。
「皆さん、何の相談をされていたのですか?」
「おお、もう話は済んだのかえ?」
「ええ、まずは枢機…オリバーの取り調べを先に行うそうで私は簡単な質問で許されました。本格的な取り調べは後日にしてくれるそうです。ゲルダ様と名主方の擁護の御陰で異端審問会も私を被害者側として扱ってくれました。本当にありがとうございます」
「そうかえ。それは良かった」
元気良く頭を下げる仕草が可愛らしくて、それまで顔を顰めていたゲルダは相好を崩してイルメラの頭を撫でる。ウィンプル越しであったがゲルダの手は温かく、心地良さにイルメラは目を細めた。
「それで我らは青瓢箪に挨拶に行こうと話していたのだがお主も来るか?」
「青瓢箪?」
首を傾げるイルメラを見てヴァレンティーヌがゲルダに苦言を呈する。
「ゲルダさん! イルメラさんに悪い言葉を教えないで下さいませ!」
「では
「同じ事です! イルメラさん、ゲルダさんは教皇様の御病弱を揶揄されているのです。決して人前では使ってはなりません事よ?」
「教皇様ですか……」
教皇と聞いてイルメラの顔色が変わる。
「どうしましたの?」
「いえ、前に“一度だけ、先っちょだけ”と抱きつかれた事がありまして」
「何ですって?!」
「当て身で気を失わせて逃げる事が出来ましたが、それからちょっと教皇様が苦手になってしまって…って皆さん、どうしました?」
イルメラの目には聖女達の周囲の空間が歪んで見えた。
怒りで魔力が抑え切れなくなってしまったのだ。
「やはり一度締めるか」
「童貞を拗ら過ぎて頭がイカれちまったようでやすね」
「
「いや、もう世間には病死と発表して埋めた方が良いわよ、きっと」
「ふふふふ…“希望”あるところに“絶望”あり。イルメラさんの清い体を穢した罪は地獄すら生温いですわよ」
「あ、あの…皆さん。もう十年も前の話ですから…というかヴァレンティーヌ様、それって“希望”を司る聖女が云っていい台詞じゃありませんよ?!」
おろおろしているイルメラにゲルダは笑ってみせたものだ。
「冗談じゃ。だが一度は顔を合わせるべきであろうな」
「分かりました。私もいつまでも怖がってはいられません。お供します」
イルメラは“むん”とガッツポーズを取るが、その仕草は大変に可愛らしいものとなっており場を和ませた。
「では行くぞ」
「あ、あの…聖女様方、アポイントは?」
神殿騎士団長が確認を取るがイルメラを除く聖女達に睨まれて硬直する。
一応職務として当然の対応であるのだがゲルダの云うように肝が据わっていない為に咎める事を放棄してしまったのだ。
「要るのか?」
「いえ、ごゆるりと」
情けなく一礼して見送る団長にゲルダは一瞥すらしなくなっていた。
はらはらと泣く団長の肩をベアトリクスが優しく叩く。
「本気で見限っていたら“失せろ”と追い出されてるさ。これからは自分を厳しく律して頑張りな。いずれは見直してくれると思うぜ。人間、再起をするのに歳は関係無いさ。たとえ五十路を過ぎてもな。要はやる気だよ」
「はい、ありがとうございます。ですが私はまだ四十です」
「そうだったのか? そりゃ悪かった。騎士団長の地位にいるし顔もゴツイから五十はいってるかと思ったぜ」
そんなに老けて見えるのかとショックではあったが、これしきでしょげていては、それこそゲルダに見放されてしまうと奮起して再起を誓うのであった。
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