第伍拾陸章 二人教皇

「やっと来たか。オリバーの代になって漸くお出ましとは些かニブくなったンじゃないか? いや、無関心が過ぎると云うべきか? え? ゲルダよ」


「そうか…オリバー親子、いや、教皇の後ろで糸を引いていたのは貴様であったか」


 教皇の執務室にてゲルダと対峙しているのは幼い少年であった。

 身の丈は1メートルを少し超えた程度であろうか。

 シニカルな笑みを浮かべていなければさぞや愛くるしかったであろう。

 漆器を思わせる艶やかな黒髪を膝裏まで伸ばし、首の後ろで括っている。

 闇色の瞳は見ているだけで吸い込まれそうだ。

 ただしそれは左目のみで右目は刀の鍔で拵えた眼帯で隠している。

 実際に隻眼なのか、ファッションでしているのかはゲルダに分からぬ。

 小柄な体に純白の貫頭衣を纏い、品の良い装飾品で身を飾っている。

 冠をはすに被っているが無様ではなく、妙に似合っていた。


「せ、聖女殿…」


「テメェはすっこンでろ」


「ひいいいぃぃぃ……」


 何故かサイズの合わない教皇の法衣をたぶたぶに纏っている子供がゲルダに救いを求めるものの少年の言葉に怯えて執務机の影に隠れてしまう。

 その際に法衣が脱げて裸になってしまうが椅子で蓋をするように身を隠した。


「あ、アナタは何者なのですか? それに教皇様はいずこに?」


 身を乗り出して問い掛けるヴァレンティーヌをゲルダが背中で押して退かせる。


「ゲルダさん?」


「お主ら、死にたくなくば下がっておれ……とてもではないが守りながら戦える相手ではないのでな。ワシが対処するゆえ一旦この部屋から出ておれ」


 見ればゲルダの頬を一筋の汗が伝っている。

 しかも僅かではあるが体が震えているではないか。


「兄弟…あの餓鬼の姿形をしたバケモノは何だ? アンタがビビるなんて尋常じゃないぞ。頭ン中で何度シミュレーションしても八つ裂きになった俺様しか見えてこねぇ。おまけに何をされたのか分からないときた」


「御挨拶だな。デカブツにバケモノ呼ばわりされる筋合いは無ェよ。ま、ここは“問われて名乗るも烏滸がましいが”と自己紹介しようか。それともゲルダ、オメェが紹介してくれるか?」


 少年の目が見開かれると殺気が溢れて聖女達の動きを封じてしまう。


「か、体が動かない……魔王と対峙しても恐怖すら覚えなかった私が……何故?」


「そりゃ単純な話だ。俺が魔王より強いからに決まってンだろ? なんならテメェの神様・・さえも顎で使ってるくらいだ」


 少年が一歩踏み出すごとに威圧が増して体を縛り上げていく。

 このままでは恐怖でショック死しかねない。


「喝っ!!」


 ゲルダの一喝により金縛りが解けた聖女達は転げるように執務室から脱出する。


「せ、先生、教えて下せェ! コイツは一体いってぇ……勝ち目の有る無しじゃねェ! 戦えばあっしらは一人として生き残れねェのが分かる!」


「十大弟子でも彼に敵う者はいやしない! これほどの実力者がまだ隠れていたなんて……それもこんな所に……」


 アンネリーゼとイルゼですら言葉にするだけでも精一杯の様子だ。

 ゲルダのそばに残っているのはイルメラだけである。


「ほう、ゲルダ以外の聖女にも気骨のあるヤツがいたか」


「私は“闇“と“安息”を司る『狼』の聖女イルメラ。アナタは何者なのですか?」


 残るどころか名乗りをあげたイルメラに少年はニンマリと笑う。

 プレッシャーが緩みイルメラの呼吸が楽になる。


「ナリはそんなでもやはり“男”だな。名乗られたからには名乗りを返すのが礼儀というものか」


 一目でイルメラが男であると見抜いた少年は冠の位置を正して一礼した。


「俺の名はミーケ。慈母豊穣会・教皇ミーケだ。御見知り置きを。お嬢さんフロイライン


 教皇ミーケはイルメラの手を取ると手の甲に口づけを落とした。

 仕草は気障だが自然体なので嫌味が無くサマになっている。

 現にイルメラの頬は赤くなっているではないか。


「慈母豊穣会の教皇がこのような幼い少年だったなんて」


「テメェらだって何十年、何百年と生きてるクセに見てくれはわけぇだろがよ。人の事を云えた義理か。って誰がゴマツブみたいだと? ブチ殺すぞ、コラ」


「云ってない、云ってない。アナタ、善く見たら耳が少し長いわね。もしかしてエルフの血を引いているのかしら?」


 ミーケが威圧を控えた御陰で余裕が生まれたのか、イルゼが問う。

 もしかしたら同じ十大弟子にして姉貴分であるイシルを知っているかも知れないと思ったからであった。

 イシルはエルフ族を見限ったと云ってはいるが、時折り郷愁に捕らわれているのは察していたので和解の手掛かりになればと考えての事だ。


「お袋がエルフの王族・ハイエルフとドワーフの混血児だ。エルフとドワーフは大昔から犬猿の仲なのは知っているだろう? どうやらその事を憂いていたハイエルフの皇子とドワーフ族の姫が隠れて逢瀬を重ねていく内に生まれたのがお袋って訳だ。二人はお袋を両種族の橋渡しにしたかったらしい。ま、混血児の一人や二人が出来た程度で埋まる溝じゃないけどな。しかも両種族とも純血を重んじているから、むしろ混血児は忌み児とされてな。あっさりと捨てられた上にドワーフ共は“よくも姫を傷物にしてくれたな”とカンカンになって両者の溝は益々深くなっちまったってンだからお笑いぐささね」


「笑えないって……」


 イルゼはイシル以上に複雑な話に和解どころではないと肩を落とす。


「この話の教訓は“避妊はちゃんとしよう”だな」


「ちょっと違うと思うけど……」


「合ってるだろ? 逢瀬のたんびにえっちらおっちら腰を振ってりゃ嫌でも餓鬼が出来るってもんだ。御陰で捨てられたお袋は随分と屈折しちまったそうだぜ」


 アンタの姉貴分のようにな――歯を見せて嗤うミーケにイルゼはこちらの事情が既に筒抜けになっていると悟った。

 天魔宗も信者を潜り込ませてと呼ばれる密偵に仕立てて情報収集や工作をしているが慈母豊穣会もまた情報戦に力を入れているらしい。

 或いは情報収集能力は向こうが一枚上手かも知れない。


 ここでもう少し教皇ミーケを掘り下げてみよう。

 星神教により淫魔に貶められた地母神は自らを淫魔王と名乗り、侵略により殺された信徒達の魂を自らのはらにて吸精鬼サッキュバス吸血鬼ヴァンパイアといった眷属に転生させて星神教ひいては聖都スチューデリアへ復讐戦争を仕掛けたのだ。

 千年の雌伏を経て力を蓄えた淫魔軍は強大であり、魔王と化した地母神の前には神殿騎士や武装僧侶など物の数ではなかったそうな。

 聖都が間も無く陥落するという時に、魔女に拾われ高名な魔法遣いに育てられていたミーケの母が勇者に選ばれ、更には異世界により召喚された勇者と共に淫魔王に立ち向かったという。

 千日にも及ぶ勇者と淫魔軍の戦いは壮絶なものであり、その余波で滅びてしまった国も少なくなかったそうで、二人の名は歓声と罵声の清濁併せて高まっていった。

 怨まれてなお二人は力を合わせて淫魔軍を滅ぼし、淫魔王を追い詰めていく。

 進退極まった淫魔王は召喚された勇者を還す為に繋がったままとなっていたを通って異世界へと逃げ込んでしまう。

 二人は淫魔王にトドメを刺すべく異世界まで追いかけ、二度と戻る事は無かった。

 結果として二人の勇者は強大な古代神でもあった淫魔王を滅ぼす事は叶わず、封印するのが限界であったそうな。

 後に二人は結婚し、生まれたのがミーケという訳だ。

 しかし淫魔王は復讐を諦めておらず、まだ幼かったミーケを唆して祈りを捧げるように仕向け、復活する為の神官に仕立て上げてしまったのである。

 幼いながらもその身に内包する魔力は母を超えるものであり、ミーケの祈りは日ごとに力を取り戻させ、復活した際には以前よりも力を増してしまった程だという。

 復活した淫魔王はミーケをそのまま配下にしてしまい、勇者である両親は絶望に狂わんばかりとなったそうな。

 復活の褒美に三つの願いを叶えてやろうという淫魔王にミーケは応える。


「取り敢えず淫魔の三下じゃ世間体が悪いから昔操った杵柄で地母神やれ」


 こうして思わぬ形で地母神へと返り咲き、自身の権能である“豊穣”と“子宝”を武器に信者を集め、ミーケの商才によって組織は星神教に匹敵するまでに成長を遂げて慈母豊穣会が誕生したのである。

 ちなみに残り二つの願いは“ギャーギャーうるせぇから両親と和解しろ”と“面倒だから復讐に巻き込むな”であるのだから復活し甲斐の無い話だ。

 ミーケも人の子である。人並みに欲はあるのだがハイエルフの血ゆえか、プライドが高く“他人から施しを受ける事”と“チートで強くなる事”を何よりも嫌う。

 エルフとドワーフの血を引いた影響でその体は小さく非力であり、今でこそ技術で力を制する事が出来るが、未熟だった頃は復活した淫魔王に対処すべく召喚された勇者にやっつけられる事もしばしばあった。もっとも非力の身では神から力を授かった勇者に敵わないのは当たり前であろう。

 しかし“与えられた力で勝つくらいなら裸一貫で負けた方がマシ”“チートで得た勝利は敗北以下の屈辱”との信念により実家の道場での鍛錬と冒険による実践を積み重ねていくのである。

 勇者も基本は善人であり、許しもしたし時には仲間に誘われる事もあったそうであるが、プライドの高さか意地であるのか、“さあ、殺しゃあがれ”と居直るので勇者も手に負えなくなって逃げるよりなかったそうな。

 御陰で一時期は『さっころミーちゃん』という渾名がついたという。

 ところがその信念を武の神に気に入られたのか、日頃の鍛錬の賜物か、勇者であった父ですら会得出来なかった奥義に到達し、ついには主を狙う当代の勇者と聖女を全滅させるという偉業にして大悪行を達成してしまうのだった。

 彼らには魔王及びその眷属に対して優位になる補正も与えられていたのだが、身一つで奥義に辿り着いたミーケ相手では役に立つはずもなく完膚無きまで叩きのめされる事となったのである。しかも母を超える強大な魔力もあるにはあったのであるが“なんかチートっぽくて嫌だ”との理由で戦闘に魔法を用いた事は一度も無いというのであるのだから呆れた話だ。


「それで慈母豊穣会の教皇サマが星神教の総本山で何を企んでおる?」


 ゲルダが問うも緊張しているのか愛刀に左手が添えられている。

 鯉口こそ切ってはいないが話し合いの態度ではない。

 普段は飄々としているゲルダにしては珍しく余裕の無い様子に五人の聖女達は驚かされてしまう。

 問われたミーケは何故か考え込むように暫く上を見上げると机につかつかと近付いて隠れている子供の首根っ子を掴みあげた。


「子供になんて乱暴な!」


「落ち着け。コイツはお前らからすれば裏切り者・・・・だぜ?」


「裏切り者?」


 非難するヴァレンティーヌに対してミーケは髪を掻き揚げながら子供の顔を見えるように突き出した。


「おい、往生際が悪いぞ」


 目を瞑って首を振る子供の首を左腕で締め上げると右手で無理矢理瞼を開く。

 子供の目の強膜は黒く瞳は赤い。しかも瞳孔は四角であった。


「こ、コイツは…転生武芸者か? 何者だ?」


「何者も何もコイツこそお前らの親玉だよ。星神教の最高指導者・教皇キルフェさね。童貞の戒律を破って秘書を母胎にして転生したンだよ。枢機卿オリバーの支配から逃れる為に天魔宗に降ったそうだぜ」


 ミーケが顎で示す先では暖炉があり、中には人の焼死体と思しきモノがあった。

 恐らくは母胎にされた秘書の成れの果てであろう。


「何て事を…教皇様、戒律はまだしも秘書を犠牲にしてまで…」


 ヴァレンティーヌの顔に浮かぶのは非難よりも哀しみであった。


「それで教皇が天魔宗に転んだ事とお主にどう関わりがある?」


「何、俺はたまたま教皇キルフェ殿に頼みがあっただけさね。ところが下で騒ぎが起こったじゃねェか。聞けば聖女が殴り込みをかけてきたと云うだろ? いやもう、聖女がテメェの本拠地にカチコミをかけるって状況だけで俺は笑わせてもらってたンだがよ。その内、笑い話にならなくなった」


「何があった?」


「キルフェ殿が胸を押さえて倒れちまったンだよ。恐らく聖女全員で自分を糾弾しにきたと思ったンじゃねェか? 顔が恐怖に歪ンだかと思ったら泡を噴いてそのまま卒倒さ。チアノーゼも出ていたし、何より“これで自由になれる”と笑ってやがったから助けはしなかったぜ。まあ、苦痛だけは取り除いてやったがね」


 無情とも云えるがミーケとしても助ける義理は無かったのだろう。

 ゲルダとしてもそろそろ教皇も代替わりの時期だと思っていたのでそこを非難するつもりは無かった。


んじまったからよ。ここは同業者・・・として供養にと般若心経を唱えていたら体が崩れて土みたくなったじゃねぇか。すると秘書の姉ちゃんが急に苦しみ出したと思いねェ」


「思ったぞ」


「思ったか。流石に俺も焦ったぜ。教皇キルフェ殿の死因が心臓発作と証言してくれるヤツまで何かあったら面倒になると思ったらよ。いきなり裸になりやがって、“教皇の死にイカれたか”と心配していたらどんどん腹が膨れやがった。どうやら元々妊娠していたようだが胎児が急激に成長しちまったらしい」


「それで教皇の死体から光る蓮の花が咲いたか」


「ああ、咲いたよ。中に小さな赤ん坊がいたのを見た時は流石に肝を潰したね。あんなに驚いたのは親友だと思っていたヤツがホモで俺に告白してきた時以来だったぜ」


「告白?! そこ、もうちょっと詳しく」


「イルメラさん、今は大事なお話をしているので黙ってましょうね」


 何故か食いついたイルメラをヴァレンティーヌが後ろから抱いて止める。


「そしたら秘書のヤツが赤ん坊を飲み込ンじまった。唖然としていたら笑いながら“これで人生をやり直せる”って暖炉に突っ込ンだンだよ」


六右衛門ろくえもん殿から聞いた転生の儀そのままだな。アレの話では護摩の火にくべていたそうだが」


「やっぱり秘書は操られていたのか。で、黒焦げ死体の中から赤ん坊が這い出てきたんだが、その光景は下手なホラー映画より怖かったぜ。しかもずんずん成長してこの通り可愛いちんちんぶら下げた餓鬼になっちまった。で、法衣を拾って纏って“生まれ変われた、生まれ変われた”とニタニタ笑ってやがったから訊問していたンだ」


 なっ?――変わらず首を締め付けながら子供―教皇キルフェ―に笑いかける。

 その瞳は獰猛であり教皇キルフェは怯えて小さな陰茎から黄色い雫を垂らした。

 慈母豊穣会はその教義から子供と母親を特に守護対象としている。

 自分の転生の為に秘書を母胎にして犠牲にしたキルフェを許せる筈が無かった。


「聞きたい事を全て聞けた俺は“今度こそまっとうに転生しろ”とぶっ殺そうとしたンだがな。タイミングが良いンだか悪いンだかお前らが現れたってワケよ」


「そうであったか。では教皇、否、キルフェをこちらに渡して頂こう」


「渡すと思うか? 慈母豊穣会にとって目の上のタンコブである星神教弱体化の千載一遇のチャンスでもあるンだぜ?」


「そうか、やはりローゼマリー、いや、ヴァイアーシュトラス公爵の裏で絵を描いていたのは貴様か」


「だったら? 黒幕である俺を斃して教皇サマを奪い返してみるか?」


 ゲルダの口が笑みを形作る。

 歯を剥いて口の端が耳まで裂けたように聖女達は幻視した。


「やってみせようか?」


 全身に脂汗を浮かべながらもゲルダは獰猛に笑う。


「やっても良いが…いくら俺でもお前相手に無傷で勝つのは無理だな…」


 ミーケは思案げに上を見る。

 

(クソ! 視線を外されておるのに隙が無い。キルフェを抱えながらでもミーケにとっては障害にもなるまい)


「そもそもゲルダと戦ってもメリットも無いンだよなァ。どうしたものか」


 すると何かを思い付いたのかミーケがニタリと笑う。


「じゃあ、こうしようぜ。俺はこの餓鬼を渡す。その代わりゲルダ、お前が来い」


「人質交換か。ま、良かろう」


「ゲルダさん?!」


「先生、正気ですかい?!」


「行く事はないぜ、兄弟! 教皇は殺されても仕方ねぇ! あんな野郎の為に人質になることなんざないぞ!」


「そうですよ、ゲルダ様!」


 ヴァレンティーヌ達が騒ぐがゲルダは微笑む事で止める。


「ミーケは女、特に子を持つ母親に無体をする男ではない。心配は無用だ。それに知らぬ仲でもないしな」


「そう云えばゲルダさんは教皇ミーケを知っている口振りでしたわね。もしや知己の間柄でしたの?」


 ヴァレンティーヌの問いにゲルダは複雑そうな笑みを浮かべる。

 云いづらそうにしているゲルダに代わってミーケが苦笑しながら答えたものだ。


「昔、ちょっと縁があってな。所謂いわゆるワケアリの仲ってヤツよ」


 ミーケは右手の小指を立てていた。

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