第伍拾参章 聖女六人揃い踏み

「以上が神から降された御告げである。直ちに領地に帰り領民に伝えるが良い」


 “闇”と“安息”を司る『狼』の聖女であるイルメラは星神教の大神殿に集められた名主なぬし、町名主達へ厳かに神託を告げるが内心では暗澹たるものであった。

 その内容というのが、まだ飢饉の爪痕が癒えてないどころかより深くなっているというのに税金或いは年貢の引き揚げであるのだから当然とも云えよう。

 現に彼らからの反発の声は大きく、特に農業が中心の村や町からは、農民が餓えてしまう、また逃散百姓を出す事になるぞ、との意見が飛んできた。


「神託は絶対である。聖都スチューデリアを救うにはこれしか方法が無いと神は仰せなのだ。従わなければ神罰が降ろうぞ!」


 枢機卿が睥睨しながら宣告するが名主達は止まらない。

 当たり前だ。本人は威厳たっぷりのつもりであろうが、そのようにぶくぶくと太っていては説得力に欠けるというものである。

 民衆が餓えているのに貴族や宗教家が私腹を肥やしていて誰が従うものか。

 しかもイルメラが告げた神託は全くの出鱈目でしかなく、枢機卿から渡されたシナリオ通りに演じただけに過ぎない。

 彼女がこのようなイカサマ神託に協力しているのは有り体にいえば借金である。

 父親が事業に失敗した事もあるが有ろう事か方々で妾を囲っており、その手当てで実は家には財産がほぼ無かった為に返済の宛てが無くなったのだ。

 幸か不幸か自分は聖女としての力があったそうで星神教に引き取られる事になったが残された家族は容赦ない取り立てにあっているという。

 強制労働させられているという父親は自業自得であるがこのままでは母親と三人の妹が娼館に売られてしまうと聞かされて絶望するイルメラに枢機卿が十日ごとの利息を肩代わりして差し上げようと持ち掛けてきた。

 イルメラは悪魔の取り引きに応じる他に道は無く、対価として偽の神託を引き受けざるを得なくなったという経緯があったのだ。

 借金は莫大なもので利息も十日に一割という所謂いわゆるトイチというものであったが偽神託による利益を考えれば十分にお釣りが来る。

 しかも元金を減らす事なく利子のみの立て替えという所に枢機卿の“絶対に逃さぬ”という悪意が見て取れた。

 一応、母親はかつての取り引き先の厚意で事務員として働いており、妹達も彼女達なりに働いて少しずつ借金を返しているが元金が厖大であるが為に焼け石に水というのが現状であるそうな。


「落ち着きなさい。神も皆さんを苦しめようとなさっているのではありません。それが後に貴方達の暮らしの助けとなっていくのです。今は試練の時と思って耐えて下さい」


 イルメラが手を広げると全身より柔かな波動が放たれる。


「おお、確かに聖女様の仰る通りだ。神様が我らを苦しめるはずがない」


「そうだ。今は苦しいが踏ん張り所なのかも知れない」


「ああ、救いの手が差し延べられるまで皆で助け合いながら耐えていこう」


 波動を受けた者達の顔から怒りの表情が消え、なんと理不尽な神託を受け入れているではないか。

 この波動こそ『狼』が司る“安息”の力を悪用したもので、人々から怒りの感情を奪い取って従順にさせるという悪質極まりないものであった。

 本来であれば人が抱える不安や恐怖を和らげ憎悪や嫉妬などの暗い感情を宥めるのが役目であるのだが枢機卿は自分の利益を得る為だけに利用しているのだ。

 枢機卿がこれでは星神教そのものが腐敗していると思われても仕方無く、ゲルダやガイラント帝国から背を向けられるのも当然だとイルメラは思わずにはいられない。

 他の聖女に相談は出来なかった。

 借金の事もあるが今の自分はあまりに穢れてしまっている。

 望まずとも神から与えられた力を悪用している自分は軽蔑されているに違いない。

 凜々しく清廉なヴァレンティーヌはさぞや落胆しているだろう。

 初めて顔を合わせた時に“頑張ってください。私に出来る事なら御手伝い致しますわ”と微笑んでくれたが今となってはその笑顔が眩しすぎる。

 イルゼは今、皇子との婚約を破棄されてお城からも追放されて行方不明だというし、“姉と思って頼ってくれ”と頭を撫でてくれたアンネリーゼとベアトリクスにはそれこそ合わせる顔が無い。

 そして偉大なる聖女でありながら勇者のように強く、旅人のように自由なゲルダ。

 イルメラが一番憧れている彼女にこそ今の自分を見られたくはなかった。


(私がもう少し強かったら、賢かったら、こんな事になってなかったのかな)


 外道に落ちてから失ったと思っていた涙が零れてくる。


(誰か私を助けて。罪の無い人達を苦しめる地獄から解き放ってくれるのなら私を悪の聖女として退治してくれても構わない)


 『狼』の聖女イルメラを称える人達の声を聞きながら心は絶望に染まっていく。

 その願い聞き届けたのは神か悪魔か。イルメラの願いは今日叶う事となる。

 突如大神殿の巨大な扉が有り得ない勢いで開かれるのだった。

 否、扉はひしゃげて吹き飛んで礼拝堂の扉をも破壊したのである。


「よう、降りたてホヤホヤの神託を届けにきたぜ」


「アンネリーゼ様?」


 恐らく扉を蹴破ったのか、はしたなく足を上げたアンネリーゼが立っていた。


「しかも衆生の皆様にビッグサプライズだ。そこの枢機卿も腰を抜かす程のな」


「ベアトリクス様も?」


 同じく扉を破るのに一役買ったようで腰を落として右手を突き出した格好のベアトリクスまでもが並んでいるではないか。


「貴方達…常人では重すぎて絡繰りを使わなければ開けられない扉を素手で抉じ開ける人がありますか」


「ヴァ、ヴァレンティーヌ様?!」


 頭痛を堪えるように額に手を当てるヴァレンティーヌであった。


「さあ、皆々様、謹んでお迎えなさい。『水の都』にて瘴気の浄化を担っている『亀』の聖女様が神託を届けに聖都スチューデリアまで参ってそうろう


「イルゼ様まで…いえ、御無事だったのですね」


 普段から朗らかであるが今日は更に茶目っ気まで出して入口に左手を差し出してイルゼが最後の人物を迎える。


「ふふん、聖女を名乗るつもりは更々無いがな。神から言葉を托されたからには重い腰を上げてやったわえ。ありがたく思え」


「まさか、ゲルダ様まで? これは夢?」


 イルメラは憧れの人物の登場にとうとう嗚咽まで漏らしてしまう。

 夢でも良い。私の悪行・・・・を糺してくれるのなら斬られたって構わない。


「『亀』の聖女ゲルダ、態々『水の都』から罷り越してやったぞ」


 名主達は暫くどよめいていたが五人の聖女が現れた事を脳が認識すると遅れながらも平伏した。


「おお、ゲルダ様! 突然のお越しに驚かされましたが、ようこそお出で下されました。この枢機卿オリバー、歓迎致しますぞ」


 揉み手をしかねないほど相好を崩して枢機卿がゲルダ達に近寄っていく。

 聖女認定を受けながらも三百年近く拒絶し聖都スチューデリアにすら近寄ろうともしなかったゲルダを迎えた事を自分の手柄としたいのだとかれこれ付き合いが長くなっているイルメラには手に取るように分かった。

 しかし強烈な打撃音と共に枢機卿の体が吹っ飛び、奇しくも自らの肖像画に激突して額縁諸共無様に床へと落ちていったではないか。


「無礼者。汚い顔を近づけるでない。不快であるし不敬である」


 ゲルダは小柄ながらも武芸百般の達人だ。

 重い脂肪の塊である枢機卿を殴り飛ばす程度は朝飯前である。


「な、何をなひゃるのでひゅか?!」


 立ち上がった枢機卿の言葉を紡ぐたびに歯と血がポロポロとこぼれ落ちる。

 その枢機卿を睥睨しつつゲルダの唇が動く。


「神の言葉を申し付ける」


 蒼銀の瞳に射抜かれると同時に枢機卿の体が一瞬にして凍りつく。

 否、首から上だけは無事であり、恐怖と痛みと冷気に震えている。


「その方、枢機卿の身でありながらそこな聖女イルメラの力と立場を悪用し、偽の神託を持って民を苦しめ私腹を肥やすとは重々不届きである。依って枢機卿の任を解き、私財の一切を召し上げ民に返却するものとする。食糧は現金で計算するものとし不足分と会わせて一時的に聖女アンネリーゼ及び聖女ベアトリクスが立て替えるが、その返却はオリバーに命じる」


「お、お待ち下され! 全てはそこにいる女の企て! 私はイルメラに唆され、いや、騙されたので御座います! 罰するべきはイルメラですぞ!」


「黙れ。神託は絶対である」


 枢機卿は自分の罪をイルメラになすり付けようとするがゲルダの絶対零度の瞳に睨まれて口を閉ざす。


「貴様がイルメラの力を初めから利用せんと父御ててごの事業に手を回しして潰した事は調べがついておる。そしてイルメラを借金で雁字搦めにして操っていたことは明白。神は全てを見通しておる。そして事が露見しないと考えたのは即ち貴様自身が神の存在を信じていない証明とも取れよう。枢機卿の資格を剥奪するにこれ以上の理由があるか?」


 勿論、枢機卿の罪の証拠はイルゼが支援物質横流しの証拠と共に確保したものだ。

 ちなみに借金元は『神を見限った者達』であり、先の作戦で借用書も灰となった事でイルメラの借金も無かった事になっていた。


「さて、イルメラよ」


「は、はい!」


 イルメラはゲルダに対して思わず膝をつく。

 望まぬとも偽神託で民衆を苦しめていたのは自分も同じ事である。

 イルメラの中では既に罰を受ける覚悟が出来ていたのだ。


「すまなんだ」


「え?」


 まさか謝られるとは思っていなかったイルメラは一瞬ぽかんとする。


「そんな、頭を上げて下さい! 私が罰を受けるならまだしも何故ゲルダ様が?!」


「ワシがもう少し仲間・・に気に掛けておればお主をここまで苦しませず済んだであろう。これは聖女である事を疎むあまり真に苦しんでいる者がいるに気付く事が出来なかったワシの罪でもある。苦しかったであろう。許しておくれ」


 再び頭を下げるゲルダにイルメラは駆け寄る。


「私の罪は私の物で御座います。どうか私の為に頭を下げないで下さい!」


「相分かった。だが、これは頭を下げたままでは話をする事が出来ぬと判断したからじゃ。お主への償いはしなければなるまい」


 ゲルダはやや呆然と成り行きを見守っていた名主達に向かって云う。


「聞いての通りじゃ。偽の神託を利用していた悪党は成敗した。なので利用されていただけのイルメラへの罰はワシに預からせて貰えまいか?」


 この通り――名主達に頭を下げるゲルダに彼らの方が恐縮した。

 幾度となく恐ろしい流行り病を防いできたゲルダに頭を下げさせてその願いを無下にしたとなれば逆に自分達がどのような祟りに遭うか知れたものではない。

 ゲルダは意図した訳ではなく誠意を示したつもりであったのだが長年聖女としての立場を拒否してきたゲルダには自分が頭を下げる事がどういう意味を齎すのか理解していなかったのだ。


「わ、分かりましたから頭を上げて下され。我らに異存はありませぬ。ゲルダ様であれば納得のいく裁きを下さると信じておりますれば、何卒、何卒、頭を」


 他の名主達からもイルメラの事はゲルダに一任すると声が挙がった。


「そうか。皆の衆の理解を嬉しく思うぞ。場合によってはお主らに体を開かねばならぬかと覚悟をしていたがそうならずに済んで良かったわえ」


「わ、悪い冗談です。そ、そんな事をすれば我らは一族郎党晒し首となりましょう。ゲルダ様が早まった判断をされずに済んで良かったのは我らの方で御座います」


 名主達は全員生きた心地がしないといった面持ちであった。

 仮にゲルダがドレスから肩でも覗かせただけの姿であろうとも目にしたならばヴァレンティーヌは名主達全員の目を潰していただろう。


「では折角であるし教皇にでも挨拶をして参ろうか」


「“にでも”って教皇も先生かかれば形無しで御座ンすねぇ」


 近くに寄ったから友達に会いにいこうといわんばかりの気楽さに聖女達は苦笑を禁じ得ない。


「出会え! 出会ええぇい!!」


「ぬ?」


 枢機卿が叫ぶと奥から甲冑を纏った騎士や僧侶が入り交じって現れた。

 どうやら神殿を守護する神殿騎士や武装した僧侶の混成部隊であるらしい。


「この者達は畏れ多くも大神殿の扉を破壊した狼藉者である。斬れ! 斬り捨てい!!」


 しかし彼らは狼狽を見せた。


「枢機卿様。この方々は聖女様に見受けられますがどういう事ですか?」


「こやつらは聖女を騙る偽者だ! 異端者だ! 斬っても構わん!」


「なんと! 聖女様を騙るとは不届きな! 火炙りにしてくれる!」


 明らかに枢機卿の言葉は嘘であるのだが、神殿騎士達から困惑が消えバケツのような形状の兜を被って武器を構えた。


「阿呆か、コイツら? 普通はこっちの言葉も聞くだろう?」


 アンネリーゼが呆れつつも十手を構える。


「カルト洗脳の賜物に金貨五枚だ」


 ベアトリクスが腰から海賊が好んで遣う短い刀所謂いわゆるカットラスを抜き、左手には拳銃を持って獰猛に嗤う。


「ベアトリクスさん! 仮にも自分が信仰する宗派ですわよ。カルトとは何ですか、カルトとは! きっと枢機卿の息が掛かった者達に違いありませんわ!」


 ヴァレンティーヌがサーベルを優雅に構える。


「では、アタシもヴァレンティーヌに乗って枢機卿の手下に金貨五枚」


 イルゼがイルメラを背に庇いながら木刀を立てて『蜻蛉』に構えた。


「イルゼさん?! それでは私までお金を賭ける事になりますわよ?!」


「まあまあ、たまには賭けも悪くないでやすよ。じゃ、あっしもカルトの洗脳に金貨五枚で」


 賭けに目が無いアンネリーゼは先程まで神殿騎士に呆れていたのも忘れて楽しげに賭けに参加した。


「お主ら経験が足りぬよ。半分は状況が掴めておらず成り行きで戦闘に参加している、に金貨十枚じゃ。で、残ったヤツらが枢機卿の手駒と云ったところだな」


 するとゲルダが大きく息を吸い込んだ。


「ガイラント帝国皇帝・ゼルドナルが内縁の妻・ゲルダである!! 枢機卿の悪事に加担していないものは去れ! さもなくば容赦無く叩き斬る!! いざ!!」


 するとほぼ半数がゲルダの気迫に圧倒されて逃げ出してしまったではないか。


「ほぅれ、後は枢機卿が失脚すれば身が破滅する同じ穴のムジナばかりよ。遠慮無く叩き潰してしまえ。あと親分と船長、金貨五枚ずつ忘れるでないぞ」


 この時、五人の聖女と名主達は奇しくもこう思ったという。


(凄いな、この人)


「さあ、年は明けたが大掃除じゃ! 星神教の膿を出し尽くすぞ!」


 ゲルダはまず目の前にいる神殿騎士の胴を薙いだ。

 あまりの速さに反応できなかったのだ。

 チェイン・メイルという鎖帷子を着ていたがその衝撃は肉体にまで貫徹していた。


「やっぱ先生は凄ェ! よっしゃ! 行くぜ!」


 アンネリーゼ達もゲルダに続いた。

 こうして星神教の腐敗部分と聖なる乙女達との戦いが始まったのである。

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