第伍拾章 公爵の講釈

「良いぞ~! 爺さん!」


 天魔宗・十大弟子の一人、青葉武左衛門はげんなりしていた。

 周りの酔客からやんややんやの大喝采を受けながら仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうが手拭いを捻り鉢巻きにして踊っているからだ。

 酔っ払っていながら体の軸が全くブレていないのであるから大したものだと感心させられ、また武芸者としての力量も見せつけられた気分である。

 聖都スチューデリアにおける聖女ゲルダのイメージは、『水の都』にて孤独の中で瘴気を浄化している薄幸の乙女であるというのが主流だ。

 多くの画家達が想像のみで描いたゲルダの肖像画があるのだが、その殆どが可憐な少女が毒々しい泉の中で健気に瘴気を浄化している姿なのだそうな。

 このパワフル爺さんの正体がその・・“水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女だと知ったら芸術家達はどう反応を見せるのか見てみたいものだ。


「わっはははははははははははっ!!」


 ゲルダが大酒を喰らうのは構わないし上機嫌なのも結構な事であるが、馴染みの居酒屋でかっぽれ・・・・を踊るのは勘弁して欲しいところだ。

 幼馴染みが経営していた居酒屋で聖女となってからもちょくちょく寄らせてもらっては宮仕えで溜まった鬱憤を吐き出していたものである。

 その幼馴染みも年を取り腰を悪くしてから息子に店を譲っており、店にはめっきり顔を出さなくなっていた。今では孫と遊ぶ毎日だという。

 それを寂しく思うイルゼであったが、彼の本心を云えば聖女の力で老いが遠いイルゼに老いていく自分を見られたくなかったのである。

 遠慮がいらないはずの二人であったが急に姿を見せなくなった理由を述べるのは野暮天というものであろう。


「いやぁ、すっかり馳走になってしもうたわえ」


 酔客達の奢り酒ですっかり気を善くした吾郎次郎が武左衛門の横に戻ってきた。

 吾郎次郎は踊りだけではなく唄も上手ければ芸も出来たので一見いちげんにも拘わらずまるで古くからの常連の如く人気者になっていたのである。


「『葉隠』では“芸事上手は馬鹿上手”とあってな。武士が芸事を上手と褒められるのは莫迦と云われているのと等しいと好まれておらなんだ」


「じゃろうな。芸事とはお遊び。遊びに貪欲に執着している愚かさを揶揄されていると同じにごわす。それだけの事しか考えておらぬから上手くなったに過ぎぬ。武士として何の役にも立たないと罵られて当然でごわす」


「ところが仕明吾郎次郎は元々旅回りの倅でござる。人の顔は忘れても仕込まれてきた芸事だけは体が覚えておってのぅ。酒が回れば自然と踊り出してそうろう


 呵々と笑って杯を灘酒で満たす。

 まだ呑み足りないのか、と武左衛門は呆れを通り越して感心したものだ。


「ほっほほほほ…見事な舞いでおじゃった。馬鹿上手とはとんでもない。まさに“芸は身を助く”でおじゃるな」


 はんなり・・・・とした言葉に振り向けば貴族で御座いといった装いの男が扇子で口元を隠して笑っていた。

 安酒場にはとても似合わぬ高貴な佇まいである。

 吾郎次郎や武左衛門も長身であるが、白塗りの貴族は頭二つ分ほど高かった。

 幽鬼を思わせる痩身からこの世の者とも思えぬ気配が漂ってきて二人の背筋に悪寒が走ったものである。


「面白き座興を見せて貰った礼でおじゃる」


 貴族が目配せすると、家来なのだろう。執事らしき男が革袋を吾郎次郎の座るカウンターに置いた。


「受け取る謂れはないが」


「気持ちでおじゃる。麿まろもこれまで様々な舞いを見てまいったがこれほど愉しげに皆を喜ばせるものは見た事がない。格式張った詰まらぬ巫女の舞いよりよほど面白かったし、何より所作が美しかったでおじゃるよ」


「受け取ろう」


 革袋の中身は恐らくは金貨であろう事は察せられた。

 懐に入れる際に幽かに血の臭いを嗅いだがそのまま気付かぬ振りをする。


「ワシはゴロージロ。そなたは?」


「グレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス…ヴァイアーシュトラス公爵家当主でおじゃる。よしなに」


「?!」


「ほう? 公爵様がこのような酒場にな」


 とんだ名が出てきたものである。

 聖都スチューデリアの次期聖帝と目されている第一皇子・ローデリヒの寵愛を受けているローゼマリーの父親が目の前にいるという。

 思わず席を立とうとする武左衛門の足を踏んで制し、吾郎次郎も内心の動揺を出さずに笑いかけた。

 偽者ではあるまい。王侯貴族の詐称は理由の如何を問わず無条件で死刑だ。

 高が老人一人を騙す為に間尺が合わないにも程がある。


「スエズンは我が領土。麿がどこにいようと勝手…そうではありませぬか」


「ここは庶民の憩いの酒場。領主が姿を見せれば気を使おう」


「確かに気を使っておじゃるな」


 いつの間にか騒がしかった店内は静寂に包まれていた。

 客は一人もおらず、店の人間も姿を消しているではないか。


「感心せぬな。それで人払いまでして用件は何じゃ」


「警戒しやるな。少し話がしたいだけでおじゃる」


「ほう、話を、な」


「左様」


 公爵は吾郎次郎の許可を得ずに隣に座った。


「スエズンはお気に召しましたかな」


「魚は旨い。だが年が明けたばかりなのにこの暑さは鬱陶しいな。冬服しか用意しておらなんだから困っておる」


「カイゼントーヤは赤道直下の常夏の国。運河を挟んですぐ隣のスエズンもまた一年を通して気温が高い。同じスチューデリアでも北と南とでは大分違うでおじゃる。麿は慣れておりますがな」


 親切心か、ヴァイアーシュトラス卿が扇子で仰いでやるが送られてくるのは生温かい風ばかりである。


「本題は娘御の事か」


「これはまた単刀直入」


 ヴァイアーシュトラス卿が声も無く笑った。


「ではこちらも単刀直入に云おう。この一件から手を引けと申したら何とする?」


「何の話か分からんな」


「この際、探り合いはやめようぞ」


 どうやら公爵はこちらが聖女であると知った上でいるらしい。

 だが、まだこちらから正体を明かす状況ではない。

 取り敢えず今は先方の望む通り探り合いはやめてやろう。


「そなたの娘御は慈母豊穣会の帰依しておるそうな。そなたもそうなのか?」


「我が領土が実り溢れているのは『虎』の加護にあらず」


「飢饉が続くスチューデリアにおいてこの近辺が豊作であるのは気候と豊かな水の御陰かと思っていたが、そういう事か」


「はて、『虎』の加護を賜っておらぬと申しただけでおじゃるが」


「さよか」


 吾郎次郎が杯を空けた。


「娘御は死ぬ事になるぞ」


「禁教に手を染めたのでおじゃる。仕方無き事」


「この期に及んでそなたは慈母豊穣会とは関わりが無いと申すか」


「手を引きなされ。星神教に煩わされるのは嫌でおじゃろう?」


「知らぬ存ぜぬでは通らぬ。ヴァイアーシュトラス家にも累が及ぼう」


「第一皇子が失脚した上でヴァイアーシュトラス家が改易になればスチューデリアは二度と立ち直れますまい。帝室では残った皇子達で帝位を争い、貴族は己が推す皇子を擁立するのに必死となり領内の政治まつりごともままならぬであろう。そして我が手を離れた地位と領土の後釜に誰がすわるか諍いも起こるであろうな。この地域はカイゼントーヤと交易をするに有利ではあるが逆に云えばカイゼントーヤが刃を向けた時に盾とならねばならぬ。カイゼントーヤが攻めてこないのはスチューデリアとの同盟があるからと思われているが事実は違う」


  ヴァイアーシュトラス卿が扇子で口元を隠して優雅に笑う。


「カイゼントーヤ国王の正室は我が妹。実際にカイゼントーヤと結び付いているのは麿でおじゃる。その麿を失脚させればスチューデリアは彼の国との繋がりが失せような。その時には我が土地にあるもの全てをカイゼントーヤ王国にそっくり売り渡す密約もかわせされているのでおじゃる。その事実を知るのはスチューデリアでは聖帝のみ。聖帝が愚かでなければ麿に手出しは出来ぬという絡繰りよ」


 吾郎次郎は再びぞっとさせられた。

 ヴァイアーシュトラス卿は既に捨て身であったのだ。

 その上で帝室が公爵家を改易したくても出来ぬであろうと予測もしている。

 彼の目を見ているとまるでうろを覗いているかのような気にさせられた。

 

「そなたに何があったのだ? 地位も名誉も娘の命をも捨ててまで呪うほど聖都スチューデリアが憎いのか?」


「元々この地域は地母神様から我ら一族がお預かりして治めておった。だが実り溢れる豊か大地を星神教が奪い取りスチューデリアを建国したのでおじゃる」


「天罰が降ったと聞いたが」


「確かに罰は降った。祟りを畏れた星神教徒どもは祖先に土地を返したがそれは一部でしかなかった。しかも公爵の地位を授けたという所が巫山戯ておるではないか。宜しいか、授けた・・・でおじゃるぞ? スチューデリアは解体されず、結局は我ら一族は星神教の下と位置付けられたのでおじゃる。怨みが残らぬ方がおかしな話であるとは思われませぬか?」


「それは先祖の事であろう。ワシはお主に何があったのかを訊いておる」


「代々怨念を受け継いできた…では納得いきませぬか」


 ヴァイアーシュトラス卿はこの日初めて朗らかな笑みを浮かべた。

 演技ではない。ついに彼は素の表情を見せたのだ。


「勿論、個人的な怨みもあるでおじゃるが…今、この場にて全てをつまびらかにしては味無い味無い。いずれ分かる時が来ようぞ。何代も重ねてきた怨み憎しみを麿が何故今になって解き放ったのかをな。その時を楽しみにしておじゃれ」


 ヴァイアーシュトラス卿が席を立つ。


「ではまたどこぞで会う機会もおじゃろう。その時は美しい尊顔を見せてたもれ」


 笑いながらヴァイアーシュトラスは酒場から出て行った。

 途端に店内に喧騒が戻り、消えたと思われていた店員と客の姿が見えた。


「ゆ、夢でも見ていたのであろうか」


「いや、そうではなさそうだ」


 吾郎次郎が懐から革袋を取り出した。

 ヴァイアーシュトラス卿から貰ったものである。


「こ、これは…」


「ワシの踊りの値打ちは命二つ・・・と解釈すべきかな」


 革袋の中には血に濡れた人の頭蓋骨が二つ入っていた。

 しかも額には帝室とヴァイアーシュトラス家の紋章が刻まれているではないか。


「お主の生家にあった髑髏と同じであろうな。ローデリヒとローゼマリーに見立てておるようじゃ。しかし呪いの類では無い。はて、他人の髑髏を二人に見立てて何を企んでおるのやら」


「おいどんの家?」


 武左衛門が首を傾げる。


「何じゃ、自分の家なのに気付いておらなんだか? お主の家で山伏風の男が死んでおってな。大事そうに桐箱の中に二つの髑髏を入れておったのよ。ご丁寧な事に桐箱に二人の名前が書いてな」


「そんな事が…ではゲルダどんはおいどんの部屋の机に置いた手紙を読んで秘密道場に来てくれた訳ではなかったでごわすか」


「手紙? それは気付かなんだわ。ワシは寝具の下に隠された怪しい入口を見つけ、単身にて乗り込んだのじゃからな」


「そういう事でごわすか。しかし髑髏を使って敵は何をしよごたっとか。否、そもそも誰の敵・・・なんじゃ?」


「少なくとも青葉武左衛門の味方ではないのは分かるな」


 吾郎次郎は店の者に見つかる前に革袋を懐にしまう。

 そうなると誰が山伏を斬ったのかという話になるのだが、ややこしくなると察して吾郎次郎はその事に関しては口を噤んだ。


「ヴァイアーシュトラス公爵か。あやつが関係しておるのは間違いなかろう」


「これからどう動く?」


「決まっておろう。当初の予定通りまずは『神を見限った者達』を叩く。本来なら新興の反社会組織程度と思っていたがガイラント帝国に入り込んでいた事とロッツァーの街での件もある。ちと目障りになってきおったし、張角の黄巾党よろしく力をつける前に潰しておくべきであろうよ」


「潰すとはどげんして? 新興とはいえ既に千人規模となっており申す」


「なぁに規模が大きかろうと所詮はチンピラの集まりじゃ。お主が折角纏めた農民達に悪影響が出ぬうちに出る杭を打っておこうよ」


 吾郎次郎は“馳走になった”とカウンターに金を置いて店の外へ出る。

 多過ぎると店の主が声をかけるが、“取っておけ”と笑ったものだ。


「おお、そうだった」


「何でごわす?」


「アンネの親分が随分と心配しておった。後で謝っておけよ」


「それは承知しちょっが今ゆ事か?」


「ああ、親分に出張ってもらうからな。ベアトリクスの船長にもだ。顔を合わせる事になるのだからきちんと落とし前をつけて蟠りのないようにしろ」


「何を企んでいるの?」


 吾郎次郎の意図が読めず、つい武左衛門のまま元の口調で問いかける。


「ワシが味方で良かったと思う事になるとだけ云うておこうかな」


 イルゼは後に語る。

 その時の吾郎次郎は実にい顔をしていたと。

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