第肆拾伍章 路地裏の決闘

「初めて来たが凄い人だのぅ。イルゼは田舎娘という触れ込みでは無かったか?」


「中央の連中からすれば国境付近はこれ即ち田舎で御座ンすよ」


 そんなものかのぅ、とゲルダは腑に落ちぬ様子で顎を擦った。

 大陸を南北に分断する運河に沿って多くの街が建造されたが、スエズンこそカイゼントーヤ王国と聖都スチューデリアとの関所を兼ねたスチューデリア最大の地方都市である。


「街を三つの区画に分けているのには何か意味があるのかえ?」


「ええ、国境の街、しかも『海の玄関口』と呼ばれるカイゼントーヤとは運河を挟んで隣同士で御座ンす。ご覧の通り様々な国の人間が集う謂わば人種の坩堝るつぼと云っても過言では御座ンせん。当然ながらトラブルが起きやすいので様々な工夫が必要なんですよゥ。まずは我々のいる中央区は船が行き交う関所であり、国内最大の市場があり各国の商業ギルドの支部が立ち並ぶ重要拠点で御座ンす」


「人種の坩堝どころかエルフやドワーフもおるわえ。冒険者ギルドもあるな。それで東側には立派を通り越して厳格で巨大な門があるが何ぞや?」


「門の向こうにあるのはスエズンの住民が暮らす東区で御座ンす。余計なトラブルを避ける工夫とはあれの事でさ。街の人間と所謂いわゆる余所者が接触しないようにしているンで。西区は警備兵の詰め所もありやすが娯楽施設、宿泊施設、後は大使館もありやすね。こちらは外国人に向けた区域とお考え頂ければ宜しいかと」


「なるほど…住民と外国人を離す事で騒動の種そのものを極力減らそうという訳か。なかなかに考えられた区画整理であるな」


「あっしら黒駒一家も一番目を光らせている街でしてね。あっし自身もまめにスエズンには顔を出して褌を締め直させておりやす」


「然もありなん。これだけ巨大な街ならば仕方なかろう」


 うんうんと頷くゲルダに対してエヴァが首を捻る。


「そう云えばアンタってちょくちょく冒険者として旅をしていた割りにはスエズンに来た事はなかったのね。来ていたら馬車なんて使わずに転移で来られたのに」


「まあ、ワシは意図的にスチューデリアを避けていたからのぅ。理由は云わずとも分かるであろう? カイゼントーヤに行くにもガイラントから船に乗れば行けたし、何なら『水の都』の船を使って直接行けるしな」


 星神教を国教とする聖都スチューデリアは神から聖女認定を受けたゲルダに取って煩わしい事甚だしいであろう事は容易に想像出来た。

 今までゲルダが聖女を名乗る事を拒んでいながら無事でいられたのは瘴気覆われた『水の都』を拠点としていた事とガイラント皇帝・ゼルドナルと内縁の夫婦であった事が大きい。


「おお、身形の良い美しい子供がいると思ったらハイゴブリンか。同じゴブリン属でも従来のゴブリンとはこうも違うかえ。下手なエルフより美形じゃのぅ。おお、あれを見よ。筋骨逞しく長身であるがなんと美しい女性にょしょうである事よ。肌が緑という事も気にはならん。否、緑だからこそ麗しい。無骨な革鎧姿ゆえに美貌もまた善く映える。よもやハイオークを拝めるとは長生きはするものだわえ」


 御上りさん宜しくキョロキョロと物珍しげにアチコチを見て歩くゲルダにエヴァとアンネリーゼは苦笑を禁じ得ない。

 鎖国を採用していた徳川幕府の時代に生きてきた仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうを前世に持つ身からすれば世界中を自由に旅するが許されたこの異世界は新たな発見の連続であり好奇心を大いに刺激されたものである。

 転生から三百年経った今も尚、旺盛な好奇心はゲルダの旅心を奮わせていた。


「そんなにはしゃいでキョロキョロしてたら迷子になるわよ」


「子供扱いするでないわ。手を握らんでも良い。お主と親分の気配は感知しておるし、マーキング済みだわえ。はぐれたとしてもすぐに合流出来る」


「えっ? 私、手なんか握ってないわよ?」


「何? では、この手は…って、ぬおっ?!」


「ゲルダ?!」


 何者かに手を握られたゲルダは凄まじい力で引っ張られて、あっという間に人混みの中へと姿を消してしまう。


「お、おい? お主、誰かと間違えとりゃせんか? あたたたたたた…」


 戸惑うゲルダであったが人に揉まれて抵抗する事もままならない。

 顔を見てやろうにも背の低いゲルダは人に埋もれてしまってそれも叶わない。

 やっと人の波から抜け出したと思えば、ゲルダの身は路地裏にあった。

 メインストリートと離れるだけでこんなにも人の通りは違うものなのか。

 この場にはゲルダと細身の男の姿だけがあった。


「ご無礼をお許し下さりませ」


「随分と無粋な誘いじゃな。お主、尾張柳生か?」


 口にしたもののゲルダは心の内で“否”と答えを出していた。

 立ち振る舞いこそ隙は無いが武に生きる者ではあるまい。


「いいえ、私はただのに御座います。さる御方が是非にと貴方様との逢瀬を望んでおられまして、何卒お付き合い願います」


「何が“何卒”だ。それが人に物を頼む態度か」


 口振りは慇懃であるが相手に対する敬意はまるで感じられない。

 ゲルダは男に背を向けて歩き出す。


「お待ち下さい、ゲルダ様。それでは私が叱られます」


「叱られる、な? 叱られるついでにお主の云うさる御方に云うておけ。人を誘いたくばそれなりの礼儀を尽くせとな」


 振り返ることなく男に告げる。

 男がゲルダを逃すまいと追いかけてくるが承知の上であった。

 これで殺気の射線から・・・・・・・隠れる事が出来る・・・・・・・・

 ゲルダは振り返りざまに『水都聖羅』を抜き付けた。

 亡き剣友、神夢想林崎流しんむそうはやしざきりゅう今堀重之いまぼりしげゆきに学んだ居合である。


「あ、あう…」


 男の鼻先を掠めて血が滴った。

 表情の無い慇懃無礼な男の顔が初めて恐怖に歪んだ。


「失せろ。次は鼻を斬り落とすぞ」


「ひいっ!」


 短く悲鳴を上げて男は一目散に駆け出した。

 先程までとは打って変わって無様な有り様である。

 “失せろ”と云いながらゲルダは闇雲に走る男の後を追走した。

 路地の暗がりに潜む敵の武器は飛び道具であると踏んでいた。

 剣士ならば路地裏に引き込まれた時に姿を見せているはずだ。

 先日、尾張の迫上さこがみ邸を強襲してきたエルフと無関係ではあるまい。

 ゲルダは敵の出方を伺いながら弓を引き絞る音を聞いた。


(老獪なヤツめ!)


 天魔宗・十大弟子の一人、イシルはの影に身を隠しながら迫るゲルダに舌打ちしたくなったが堪えた。それだけで集中力を欠く事になるからだ。

 必殺の矢を片手で掴んで見せた相手に僅かでも隙は見せられなかった。


(何とか聖女を射線上に出さなければいけない)


 弓弦の音がいや・・に響く。


(邪魔だ。どけ!)


 密偵・ヨーゼフは恐怖に胸を締め付けられて闇雲にゲルダから逃れようとした。

 普段から商家の番頭を演じていることから慇懃な態度は染み付いているが今や化けの皮は剥がれ落ち、何故か追ってくるゲルダを振り切ろうと必死だ。


「い、イシルさ…」


 暗がりに潜むイシルを見たヨーゼフの顔に笑みが浮かんだ。

 しかし、真の敵はイシルの方であったのだ。

 矢鳴りを聞いた瞬間、胸に激痛が走って体が後ろへ飛んだ。


「な…ぜ…」


(警告はしたよ)


 事実、イシルは小さく顎で“横に避けろ”と命じていた。

 イシルも非情であったが、恐怖に駆られていたとしてもサインを見逃していたヨーゼフにも非が無かった訳ではない。

 いつの間にか空を見上げていた。

 自分が倒れたと自覚した時がヨーゼフの命が消えた時であった。

 の背を突き抜けた鏃に見覚えがある。

 やはり迫上邸で毒矢を射った者であったか。


 イシルはヨーゼフが倒れて射線上にゲルダが現れるのを見るや、右手の指に挟んだ矢を流れるような動きで弓に番えて、胴造りに移る。すぐさま斜の弓構えから打ち起こしに入った。ここまで全く無駄の無い美しい所作である。

 ゲルダは四十間(約72メートル)先で静かにヨーゼフを見下ろしていた。

 万が一にも外す距離ではない。

 イシルが弓を引き絞る。大僧正から賜った重籐しげとう弓が大きな弧を描く。

 かい

 イシルの心と体は弓と矢と一体となっていた。

 狙いを定めるまでもなく、イシルの脳裏にはゲルダの胸に矢が刺さっていた。

 今まで命中のイメージが外れた事は無かったことである。

 離れ。

 その時のイシルは無心であった。

 殺気も無く、殺意も無く、自然と離れているものである。


(なまじ毒を塗ったから隙が生じたのだ。本気のボクを見ろ)


 暗殺者ではなく武芸者としての思いが矢から指を離れさせた。

 同時にゲルダが走る。

 狼の如き突進から『水都聖羅』を地擦りに構えた。


(南無八幡大菩薩!)


 実在する雷神ヴェーク=ヴァールハイトを崇拝する事は決してないが前世から信仰している軍神に祈りながら『水都聖羅』を斬り上げて矢を両断した。

 イシルが弓矢と一心同体ならばゲルダもまた『水都聖羅』とは一心同体である。

 神速の矢を斬るイメージ通り見事に截断せしめたのだ。


(最後の勝負だ)


 だがイシルには動揺はない。

 正確には動揺はしたが一瞬の後には心を凪いで見せたのだ。

 流石は十大弟子の最古参にして天魔大僧正の一番弟子と云えよう。

 剛弓・重籐弓を静かに打ち起こし、引き分けた。

 ゲルダが感嘆の息を漏らすほどのかいを見せる。


(関所で見たエルフの娘か)


 ゲルダは漸く襲撃者の顔を見た。

 衒いもなく『水都聖羅』を上段に構えて待つ。


(さあ、生きるか、死ぬか)


 離れに移り、遠くに聞こえる雑踏の音の中で矢音が響く。

 矢は三本。一呼吸の間に矢を三本放つ奥義『流星三連』。

 今となっては生きていようと死んでいようと構わぬ母であるが、唯一教わった弓だけがイシルにとっての誇りであった。

 イシルは心静かに残心の構えで最後の矢を見据える。

 渾身の矢はイシルの魂が形となったかのようにゲルダの目に映った。

 矢に宿ったイシルの魂魄がゲルダの気力を吸い取っているようだ。

 見る見る鏃が大きくなるに連れてゲルダの全身から力が抜けていく。


「ええいっ!」


 自らを鼓舞して裂帛とともに愛刀を振り下ろした。

 魂魄と魂魄のぶつかり合いを制したのは『水都聖羅』であった。

 見事にエルフが剛弓から放った全力の矢を両断したのである。


「そんな…」


 イシルは師から授かった弓と母から受け継いだ奥義が破れたのを呆然と見ていた。

 『流星三連』はただの三連射ではない。その一射一射に全身全霊を込めて必殺の一撃とする事に極意があった。

 腕に当たれば腕が吹き飛び、頭に当たれば頭蓋が砕ける。

 先のヨーゼフも胸を射抜かれた痛みこそあったが、一撃で胸骨と心臓、肺を破壊されて苦しむ間もなく絶命している事からも威力の程は知れた。


(嗚呼、奥義『流星三連』破れたか…)


 ゲルダは残心の構えのままはらはらと泣くイシルに歩み寄る。

 恐るべき、否、素晴らしき弓の遣い手であった。

 特に三射目の気迫は凄まじく、よもや気を抜かれる・・・・・・とは思いも寄らなかったことである。


(あの男が恐慌をきたして射線上におらなんだら一射、ニ射を防ぐ事で精根を使い果たし、三射目で斃されていたであろうな)


 ゲルダは勝負を分けたのは幸運もあった事を悟った。

 幸運を齎したのはアンネリーゼかと友に感謝する。


「お主は天魔宗か? それ以外にエルフに狙われる覚えが無いでな」


「天魔宗・十大弟子が一人、イシル」


「ほう、孤月院殿のご同輩か。手強かったのも頷ける」


「奥義は破られ、エルフとしての誇りは地に落ちた」


 イシルは残心の構えを解いた。

 自失から立ち直ったらしい。


「弓術だけがエルフではあるまい」


「ボクに取っては弓だけがエルフとの繋がりだったんだ」


 イシルは弓を投げ捨てる。

 ついでとばかりにケピ帽までも捨てると笑みを浮かべていた。


「これでやっと未練が無くなった。礼を云わせてもらうよ」


 イシルは腰の剣を抜いた。

 拵えこそ新しいが業物の日本刀である。


「お主は弓手ゆんでばかりではないのか」


「ボクの父は今堀重太郎」


「なんと…」


 イシルは剣友・今堀重之の父親であり、勇者として召喚されながらもゲルダによって魔王を斃された事で面目を失った男の名を父であると告げた。


「だけどボクは居合なんて遣えない。教わったって遣ってやるもんか」


 自分と母を捨てた男の剣を継承するなど真っ平御免だと嗤う。

 笑っているがゲルダの目にはイシルが泣いているように見えた。


「ありがとう。漸く踏ん切りがついたよ。もうエルフ族に未練はない。父親への情も今堀姓もこれで捨てられる。今のボクは天魔大僧正様の弟子…それで良い」


 イシルが正眼に構えた。

 矢が尽き、弓が折れた時の備えではない。

 彼女は一端の剣客である。


(むしろ弓を構えている時よりも気迫が増しておる)


「これがボクの切り札にして本当の姿…陰流かげりゅう・イシル」


「何? 陰流とな」


 数多の武術がある中で最も起源が古いものの一つが陰流である。

 流派の発生は応仁の乱の頃で、創始者は伊勢の愛洲あいす移香斎いこうさい久忠ひさただとされる。

 上泉かみいずみ伊勢守いせのかみ信綱がこの流派を元に新陰流を開いた事は有名であろう。


(またとない機会かな)


 ゲルダの武芸者としての心がイシルとの対決を望んでいた。


「何を…してるの?」


 両者の間に緋袴の巫女が現れた。

 目の前に現れるまでゲルダは全く気配を感じる事が出来ず、冷や汗が浮かんだ。


「何をしてるはこっちの台詞だよ。ボク達の勝負の邪魔をするというのなら十六夜いざよい、キミであろうと容赦はしないよ」


 奇妙な少女であった。

 両の手首、足首、そして首に鉄の枷が嵌められているのも異常であるが、枷からは鎖が伸びて男でも持ち上げるのは困難であろうと思われる鉄球と繋がっている。

 少女は重力に逆らうが如く宙に浮いており、鉄球もまた浮かんでいた。

 鉄球にはそれぞれ『木』『火』『土』『金』『水』と光る文字で書かれている。


「貴方は…貴方の…役目が…あるはず…」


「ボクの役目は」


「地狐が…奪還された…今…貴方の…出番は…もうここには…無いはず…」


 不思議な間の取り方、否、外し方をする口調である。

 わざとなのか、素であるのか、御陰で耳に入りづらい。


「けど、ゲルダを討つ千載一遇のチャンスだってキミも分かるだろう?」


 イシルの言葉に十六夜は首を横に振る。


「もうすぐ…『龍』の…聖女が…人を…大勢…つれてくる…もう潮時…」


「チッ! ゲルダ、勝負は預けたよ」


 イシルがマントを翻して姿を隠すと、そのマントが地に落ちた。

 すると、もうそこにはイシルの姿は影も形も無い。

 マントを使った転移術なのか、転移をするのにマントを使って演出したのかは分からないが気障な事をするものだとゲルダは呆れた。


「ゲルダ…」


「何だな?」


 振り返った十六夜は前髪を斜めに切り揃えており右目が隠れていた。


「ゲルダ…」


「だから何…だと…」


 次の瞬間には十六夜の顔が目の前にあった。

 まただ。またしても気配を感じられなかった。


「吾兵衛」


「何…むぐっ?!」


 前世の名は兎も角、幼名で呼ばれた事に驚いた隙にゲルダは十六夜に唇を奪われてしまう。


「お、お主はいったい…」


「また…逢いましょう」


 十六夜は一瞬だけ微笑むと霞むように姿が薄れていき…やがて消えた。

 残されたゲルダは唇に残る感触にただ呆然と立ち尽くす。

 手下を引き連れたアンネリーゼの呼ぶ声に応える事も出来ず、いつまでも自らの唇に指を当てていた。

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