第肆拾肆章 礎となった者達

「誠にもって相すいやせん」


「良いから頭を上げろ。酒が不味くなる」


 ちょっとした不手際により出発が午後となったせいで行程に遅れが生じてしまった事はもう覆しようもないが、だからといってゲルダもエヴァもアンネリーゼを責めるつもりは毛頭ない。

 むしろ足の速い馬車を用意してくれた事に感謝しているくらいである。

 現在彼らは城下町とスエズンの中間にあるロッツァーという街で宿を取っていた。

 乗り合い馬車の中継基地である事から多くの馬車が行き交い、また宿場町としても栄えている街である。

 近くに馬場がある事も関係しているのかも知れない。

 食事を終えて部屋で寛いでいると何を思ったのか、アンネリーゼが土下座を始めたものだからゲルダとしても面喰らう訳である。


「出発の時にお主は謝ってワシらも許した。それで話は終わったはずであろう。スエズンは逃げやせん。ゆるりと参ろう、ゆるりと参ろう」


「いえ、先程は先生にはお見苦しいところをお見せしてしまったばかりかご迷惑をおかけしちまって…面目次第もありやせん!」


「気にするな…と云ってもお主は聞かぬであろうな。さて、どうしたものか」


 アンネリーゼがここまでゲルダに詫びを入れるのには訳がある。

 馬車での移動中、アンネリーゼは馭者に急がせていたが、馬に無茶はさせるのは良くないし急ぐ旅ではないとの事でまだ日は沈んではいないがロッツァーの街で宿を取ろうとゲルダが提案した。

 アンネリーゼはもう一つ二つ先の宿場街で宿を取りたかったようであるが、慣れぬ馬車で尻が痛いとゲルダが云い出した事でロッツァーでの宿泊が決まった。

 アンネリーゼは馬車の中継基地よりも温泉のある次の宿場街か、手下から高名な吟遊詩人が滞在していると聞いたその次の宿場街を推していたがゲルダの勘がロッツァーを素通りしてはいけないと訴えていたのだ。

 そして、その勘は当たっていたのである。

 馬車から降りると何やら怒号や罵声が聞こえてきたではないか。

 何事かと騒動が起こっている場所へと急げば大通りで無頼達が暴れていた。


「今日からこの街は俺達『神を見限った者達』が仕切る! お前らは今月から毎月みかじめ料を払って貰うぞ! 払えねぇヤツはこうだ!!」


 無頼達は近くにあった露店の商品を踏み潰し始める。


「何をするんだ!!」


 溜まらず店主が止めようとするが袋叩きに遭ってしまう。

 無頼達は見せしめとして露店の一つを生贄にしたのだ。


「やめろ! 黒駒一家の縄張りシマで好き勝手してくれるじゃねぇか!!」


 透かさずアンネリーゼが止めに入るが無頼達は鼻で嗤う。


「そのクロコマ一家がこのザマなもんだから頼りにならねぇってよ」


「す…すいやせん…親…分…」


「お前、ハンスか?!」


 無頼の一人が蹴り転がしたのはアンネリーゼの子分でロッツァーの仕切りを任せていた男であったが、顔は腫れ上がり血塗れだった為に一瞬誰だか分からなかった。

 辛うじて声と髪の色で判じられたほどの非道い有り様である。


「許さねぇ。テメェらはこの黒駒のアンネリーゼが一人残らず地獄に叩き落としてやらぁ!! 覚悟しやがれ!!」


 袖を捲って十手を構えるアンネリーゼに無頼達は更に嗤う。


「早速、御大のお出ましとは驚いたが丁度良いや。“クロコマの”ォ、大人しくこの街の利権を渡せや。さもなきゃこの餓鬼の命は無ェぜ」


「貴様っ!!」


 なんと無頼の腕の中に幼い少女がいるではないか。

 少女の首には短剣が突き付けられている。


「どうする、クロコマァ! 餓鬼を助けたくはねェのかよォ?」


「ワシは興味があるのぅ。その子はどうなるのじゃ?」


「あん?」


 無頼が振り返るといつの間にか一人の老人が背後に立っていた。


「何だ、爺? お呼びじゃねぇよ。引っ込んでやがれ!」


 無頼が老人に凄むがどこ吹く風と笑っている。

 別の無頼が老人に掴みかかろうとするが空を切った。

 いや、正確には掴もうにも手首から先が無かったのである。


「ひぎゃああああああっ?! 俺の腕があ?!」


 鮮血を撒き散らしながら無頼が無様に転がる。


「て、テメェ! 動くんじゃねぇ! この餓鬼を殺すぞ?!」


「だからお主の云う餓鬼とはどこじゃ・・・・・・・・?」


「何?」


 なんと無頼が人質にしていた子供は老人の横に立つ女の腕の中にいた。


「い、いつの間に?!」


「ほうれ、余所見をしていて良いのか?」


「あ?」


 凄まじい殺気を感じて目線を戻すと怒りの形相を浮かべたアンネリーゼが十手を振り上げていた。


「あっ」


 アンネリーゼの十手は容赦無く無頼の頬骨を砕くのだった。


「ここから先は見ちゃダメよ」


 エヴァが子供の目を手で隠す。

 途端に無頼達の悲鳴がロッツァーの街に響き渡った。


「うわぁ…容赦無いわね。あれじゃもう一生流動食生活を送るしかないわ…こっちは大事な所を蹴り上げられて痛そ…もう使い物にならないわね」


「安心せい。生きてる内はどんな傷でも治してやるわえ」


 暴力の嵐と化したアンネリーゼを見て尚ゲルダは笑っていた。

 致命傷にならない限りはどんな傷でも癒やす事が出来る聖女は云い替えれば致命傷にならない限りは止める必要は無いという事である。

 肉片すら飛び散る酸鼻極まりない光景にロッツァーの街の人々は改めて黒駒一家に街の仕切りを任せようと心に誓った。


 数十分後、アンネリーゼに地獄を見せられた無頼達はゲルダに治療を施されたものの心と体に刻み込まれた恐怖と苦痛にすっかり縮こまっていた。


「相手が悪かったのぅ。暗黒街のに喧嘩を売るには百年早いわえ。これに懲りたら『髪が乱れた者達』とかいう半グレから足を洗うのだな」


「違うわよ。『神が淫らな者達』よ」


「…『神を見限った者達』ッス」


「どっちでも良い!」


 訂正した半グレの頭をアンネリーゼがぼこりと殴る。


「テメェらが飢饉のせいで逃散したのは知っているし同情もすらァ。だからって人の物を盗んだり、理不尽にみかじめを取って良いワケが無ェだろうが」


「すんません! すんません!」


 元農夫だった半グレが語るには『神を見限った者達』は手下に“生きる為なら何をしても許される。みかじめ料を取るのも国が税を絞り取るのと同じだ”と教育しているとの事だ。


「同じなワケ無いだろ! そもそもみかじめ料は用心棒代だろうが! ぶん殴って巻上げるのはカツアゲって云うンだよ!」


「ひいいいいいいぃぃぃぃ…すんません」


「まあ待て。お主相手では怯えちまって話にならん。ワシに代われ」


 アンネリーゼは物云いたげにゲルダを見ていたが、暫くすると後ろへ下がった。

 ゲルダは、すまんの、と笑うと半グレ達の前に出る。


「元農夫はどいつじゃ?」


「は?」


「じゃから飢饉に喘いで仕方無く半グレとなったのは誰かと訊いておる」


「お、俺だけど」


「嘘じゃな」


 名乗ろうとした半グレに被せるようにゲルダは否定した。


「お主からは農夫特有の土の匂いがせん。匂いと云っても鼻で感じる匂いではないぞ。懸命に田畑を耕していた者なら土の精霊から愛されその身に“土”の魔力が与えられているはずじゃ。なのにお前さんからは魔力を感じぬ。農業に携わっていた者なら五年、十年、農作業から離れていても幽かな残滓はあるはずなのにな」


 そもそも農夫の手ではないわえ、とゲルダは呆れて鼻を鳴らした。


「いや、その…」


 半グレの目が泳ぎ始める。


「むしろお主は精霊から嫌われておる。そればかりではない。人を殺しておるな。それも生きる為ではなかろう。遊ぶ金欲しさに人を傷つけてきた根っからの半端者だよ、お前さんは! 恐らく日々勢力を増してきておる新興の組織ならのし上がれると思ったのではないか? え? 違うか?」


「……たら」


「ん?」


「だったら何だってんだ?! ワルになりきる事も出来ない垢抜けねぇ百姓共に生きる方法を教えてやってやったんだ。御陰で俺は『神を見限った者達』の中でも“いい顔”ってヤツさ! 分かってんのか? テメェらは幹部の俺に手を出したんだ。どうする? こうなったら仲間が黙ってねぇぞ? この街のヤツらは皆殺しだ!!」


「テメェ……って、ハテテテテテ……何すンだ、先生?!」


 鬼の形相を浮かべるアンネリーゼの頬をゲルダが摘まんだのだ。


「イキるな、イキるな。お主は百年以上もスチューデリアの裏社会に睨みをきかせてきた大親分だぞ。こんなチンピラの言葉にいちいち目くじらを立ててどうする。どんと構えておれ、どんとな」


 笑いかけるゲルダにアンネリーゼも幾分落ち着きを取り戻したようだ。


「すいやせん。ではお訊きしやすが先生ならこの連中、どう仕置きするおつもりで?    まさか見逃すってワケじゃ御座ンせんよね?」


「いつまたチンピラがこの街を襲って来るか分からんからな。そうならない為にも“いい顔”のお兄さんにご協力願うのさ」


「あ? この街を襲わねぇように仲間を説得しろってのか? そいつは出来ぇ相談だな。テメェらは俺達を怒らせたんだ。この落とし前はきっちりつけさせて貰うぜ」


「何を!」


 せせら笑う半グレにアンネリーゼは身を乗り出して詰め寄ろうとするがゲルダに宥められた事で一応は止まった。


「何、説得などいらん。になって貰うのじゃよ」


「いし…ずえ?」


「ひい、ふう、みい…五人か。この街の入口も五ヶ所だから丁度良いわえ」


「な、何を云って…ん? 急に寒くなってきやがったな?」


 半グレ達が二の腕を擦り始める。

 冬ではあるが日差しはある。きちんと上着を着ていれば凍えるほどでもない。

 震え始める半グレ達にロッツァーの住人達は訝しむ。


「良いか。お主らは今日からこの街の守り神となるのじゃ。お主らの姿を見て半グレどもは震え上がるばかりか、悪意を持ってロッツァーの街に入ろうとする者を拒む結界の礎となるのじゃ」


 ゲルダの瞳が蒼銀に輝くと半グレ達は悲鳴を上げる間もなく氷の像と化す。

 あまりの光景に人々は恐れるのも忘れて断末魔の表情で固まった彼らを見た。


「こやつらを街の入口の脇に置いておけ。“この者達、黒駒の縄張り荒らしの咎により街を守護する結界となるなり”という高札もあれば尚結構じゃな」


「結界で御座ンすか?」


「うむ、上手い事に入口を線で結ぶと五芒星になるでな。強固な結界となろう。悪しき者が近づけばこの者達同様にたちまち凍りついてしまうであろうよ」


「分かりやした。おい、聞いたな? 先生の云われたようにこいつらを入口に運べ! 高札も忘れるンじゃねェぞ」


「へい!」


 アンネリーゼの命令に子分衆は半グレ達の氷像を運んでいった。


「半グレ達から生命の波動を感じたんだけど、まだ生きてるの?」


 エヴァの問いにゲルダは頷いた。


「勿論、生きておるわい。剣客としての勝負なら兎も角、切った張ったの博徒でもあるまいに喧嘩程度で殺しはせんわえ。きちんと改心すれば自然と氷は融ける。勿論、凍傷など後遺症も残らぬぞ」


「あんな状態で改心出来るの?」


「それはあやつら次第じゃよ。ま、あの状態でも“考える”“凍える”“痛む”事は出来るでな。きっちり反省をして貰いたいものじゃて」


「本当に改心出来るの?」


「博徒よりエゲツないッスわ」


 エヴァとアンネリーゼは揃って引き攣った笑みを浮かべていた。

 ちなみに一番早く氷が融けた者が目を覚ますとなんと百年もの時間が経過しており、時代に取り残されるという更なる地獄が待っていたが、凍らされた怨みすら忘れて改心した彼は人に尽くして生きた事で人からは愛され、それなりに幸せに生きたという。

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