第肆拾参章 傾国の聖女

「はあ、なるほど、なるほど…そいつは災難で御座ンしたねェ」


「まったくよ。御陰で今日にでも旅立つつもりであったのに足止めじゃあ」


 尾張柳生七人衆の一人、姫川三太夫を斃したゲルダは通報を受けて駆け付けた警備兵に連行され番所にて取り調べを受けていた。


「やれやれ、早速、バオム王家から借り受けた印籠が役に立ってしまったわえ」


 ゲルダとしては使わずに済めば良かったのだが、あまり長く拘留されても困るのでバオム王家の紋章が刻まれた印籠を出す仕儀となったのである。


「それにしても聖女ゲルダ捕縛の報を受けて駆け付けた時は驚きやしたぜ。騙りかと思ったら、まさか、まさかの本当がいらっさるとは思いもしませんや」


「ワシもお主が目明かし・・・・の真似事をしとるとは思わなんだぞ。だが、御陰ですんなりと話が通って助かったわえ」


 ゲルダは呵々と笑った。

 取り調べ室にてゲルダと差し向かいで話をしているのは膝裏まで伸ばした黒髪をポニーテールにしている少女である。

 彼女は他人事のように笑っているゲルダに苦笑いを浮かべていた。


「それにしても柳生新陰流やぎゅうしんかげりゅうとは恐れ入谷の鬼子母神で御座ンすねェ。まあ、あっしはやっとう・・・・なんざ知りやせんので柳生の剣士は誰かと訊かれたら柳生十兵衛しか思い浮かびやせんがね」


 手にある十手を弄びながら少女は笑う。


「十兵衛三厳みつよし様の名が出るだけ大したものだわ」


「そりゃどうも…って、茶が無ェじゃねぇか。この御方を誰だと思ってやがる。お医者様でも草津の湯でも治せねェ病さえ治しちまうってェ御人だぞ。しっかり御持て成ししねェか。罰が当たっても知らねェぞ?」


「おいおい、それではワシが人の恋心を消してしまう朴念仁のようではないか、親分・・


 ゲルダに親分と呼ばれたこの少女、名をアンネリーゼという。

 ゲルダが“水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女であるならば、アンネリーゼは“風”と“運気”を司る『龍』の聖女と認定されている。

 悪鬼・悪霊・悪魔に穢された空間を風で祓い清めて運気を呼び込む事から『幸運の聖女』とも呼ばれているが、一方で『傾国の聖女』と畏れられてもいるのだ。

 とは云うもののアンネリーゼは艶やかな黒髪に緑色に光る神秘の瞳を持つが、その美貌を持って王を誑かし国を傾ける類の女ではない。

 どういう事かと問われれば彼女にはどうしてもやめられぬ悪癖がある。

 ゲルダが“酔いどれ”と呼ばれる大酒呑みならアンネリーゼは博打に目が無いのだ。

 誤解を避ける為にもあらかじめ述べるが、幸運を呼ぶ『龍』の力を悪用しているのではない。自らの運否天賦と駆け引きによって勝利を呼び込んでいるのだ。

 このアンネリーゼ、それは綺麗に遊ぶ。勝てば喜び、負ければ萎れる。

 予算はこれと決めたら負けが込んでもすっぱりと諦め、勝てると踏めば一度に大金を注ぎ込んで大勝負に出る度胸もある。

 そして勝てば大量に食糧と菓子を買い込むのが常であった。

 それというのもアンネリーゼに親は無く孤児院で育った過去があり、自分を育ててくれた孤児院への恩返しに何かと援助をしているのだ。

 傾国の話はどこへ行ったと思われているであろうがもう少しお付き合い願いたい。

 アンネリーゼは博打も強いが腕っ節も強かった。

 賭場でトラブルが起こると持って生まれた腕力で押さえ付けてしまうのだ。

 また剣術こそ道場で習ってはいないが実戦で学んだ独自の剣を遣った。

 鉄火場で鍛えた剣は型にはまったへなちょこ剣士など相手にならない。

 実践は理論を陵駕する事例の典型である。

 それだけの力があれば慕う者も現れるのも自然の成り行きであり、義兄弟、親分子分の盃を交わしていく内に気が付けば一大勢力を築き上げていたという。

 しかしながら聖女といえどもアウトロー集団を纏め上げているような存在を危険視する者が現れるのもまた当然の流れであるといえよう。

 現にアンネリーゼは勢力の解散か国外退去をしばしば迫られ、子分衆を見捨てる事が出来なかった彼女は三度笠を被って放浪の旅に出るのが常である。

 アウトローを引き連れて国から出て行ったアンネリーゼに国の上層部は、肩の荷が下りたと安堵したものだが、そこから地獄が始まるのだ。

 アンネリーゼがいた事で国中の穢れが祓われていたのだが、彼女がいなくなった事で穢れが溜まるようになってしまい結果として凶事に見舞われる事になるという。

 それまでアンネリーゼに祓われていた悪霊達が反動で一気に押し寄せて来るのだ。

 空気は澱み、草木は枯れ、人を含めた動物達は活気を失う事になり、あれよあれよと国全体が病んでいく事になる。

 アンネリーゼによって齎される清浄な空気に慣らされた人々には悪霊に対抗するすべは無く、蹂躙されて滅亡の一途を辿るのだ。

 アンネリーゼが去った直後に国が滅びていく事が繰り返されされている事実から、いつしか彼女の仕業ではないかという噂が流れ始め、本人の与り知らぬところで『傾国の聖女』と畏れられるようになったそうな。

 そんな彼女が何故、聖都スチューデリアに腰を下ろして子分共々十手を持って街の治安の維持に貢献しているのかと問われれば、聖都軍を統括する大将軍に“聖都の闇に手を差し延べて欲しい”と請われたからである。

 子分衆を引き連れての股旅渡世に限界を感じていたアンネリーゼは差し出された大将軍の手を取ったという経緯があった。

 現在は多くの手下を従え、裏社会に睨みをきかせる黒駒一家・・・・の大親分として聖都スチューデリアの闇に君臨しているのだ。

 余談ではあるが、「飲む」「打つ」と来れば色に精通した「買う」聖女も当然のようにいるというのであるから世も末である。


「それで先生・・は何故、スチューデリアに? あれだけ星神教と関わる事を煩わしく思ってらっしゃっていたじゃありやせんか」


「うむ、聖都スチューデリアが十年前に蝗害に遭ったのは存じておるのだが、“豊穣の”がいるのに未だ飢饉が続いているのがちと気になってのぅ。彼女に何かあったのではあるまいか、と様子を見に来たのじゃよ」


「そういう事ですかい」


 アンネリーゼの表情が僅かに曇ったのを見逃さずゲルダはすかさずに問う。


「何か事情を知っておるのかえ?」


 途端にアンネリーゼの顔が嫌悪に歪んだものだ。


「先生、今の『虎』の聖女がイルゼどんじゃなくなっているのはご存知で?」


「何? 初耳だぞ。代替わりをしたのか?」


「そうじゃありやせん。イルゼどんは聖女の資格を剥奪されたンでさ」


 アンネリーゼの顔に凄みが増した。

 今、目の前にいるのは聖女とはとても呼べぬ。

 百年以上も聖都の暗黒街を仕切ってきた顔役がそこにいた。


「イルゼどんが長年、弱き者達を救ってきたのは先生もご存知でしょう。それなのに有ろう事か婚約者を寝取られた上に聖女の称号を奪われてスチューデリアから追ン出されたンで御座ンすよ」


「そう云えばスチューデリアの皇子と婚約しておったな。結婚式には呼ぶと云っておったのに、いつまで経っても招待状が来ぬからすっかり忘れておったわ」


 婚約者であった第一皇子はゲルダの見た所、次期聖帝と目されていた事もあってか少々選民意識はあったが、帝室に生まれついていた事を思えば許容出来るものであったし、民を慈しむ心とイルゼを愛する気持ちは本物だと感じていた。

 だがアンネリーゼの言葉通りならば他の女に寝取られていたらしい。

 まあ、寝取られてしまったのは仕方無い。

 解せないのは聖女を剥奪された事だ。


「聖女は神によって宿命づけられるものであろう。時には神の代弁者を務める事もある、云ってしまえば神のお気に入りだ。おいそれと剥奪できるものではあるまい」


 本音を云ってしまえば出来る事ならワシの称号も奪ってくれとも思ってしまう。


「皇子を寝取ったのは公爵家のご令嬢でしてね。それで満足していれば良いものを“聖女になりたい”と抜かしゃあがった。それで帝室と星神教が働き掛けてイルゼどんは聖女の称号を奪われて身一つで叩き出されたって話でさ」


「身一つ? 一方的に婚約を破棄して国外追放にしておきながら慰謝料の一つも寄越さなかったというのか?」


「イルゼどんは元は平凡な田舎娘でやしたからね。帝室が“出て行け”と云ったら大人しく聖女の称号を開け渡して出て行くのが当たり前なんだと思っていやがるンで御座ンすよ」


「はぁ……で、残されたのが聖女気取りの公爵令嬢という訳か。納得したわえ。そりゃ飢饉が収まらんに決まっとる」


 遣る瀬ない気持ちになったゲルダは亜空間より貧乏徳利を出して杯に酒を注いだ。


「おい、ここを何処と心得るておる?! 酒など…ヒッ?!」


 役人がゲルダから徳利を奪い取ろうとしたがゲルダ・アンネリーゼの両名に睨まれた事で短い悲鳴を上げて硬直する。


「莫迦! 聖女様方に難癖つけるヤツがあるか。それにゲルダ様の嫌疑だって晴れているだろう。お前、いや、俺達はお二人に近づくことさえ烏滸がましいと心得ろ!」


 別の役人が固まる同僚を連れて取り調べ室から出て行った。

 これで聖女二人きりの差し向かいとなる。


「それでイルゼがどこに行ったか知っておるかえ?」


「イルゼどんが聖都を追い出された時、丁度あっしは一つの事件やまを追ってやしてね。ほら、知人の声色を真似て商家の戸を開けさせて押し込ンでいた野郎でさ」


「ああ、覚えておる。しかも押し込みと見せ掛けて実は商家や貴族の主を狙った暗殺者であったというオチがついていたヤツだな」


「ええ、あっしもねェ、あんな凄腕を相手にしながら片手間にイルゼどんの様子を見てやれませんでしたから…殺し屋・虹のレーゲンを取っ捕まえた時にはイルゼどんは影も形も無かったってワケでさ」


「それは仕方無いわさ。お前さんは何も悪くはなかろう」


 ゲルダは杯を増やしてアンネリーゼに灘酒を注いでやる。


「ゴチになりやす」


 アンネリーゼは杯を傾ける。

 折角の灘の生一本きいっぽんであるがイルゼに何もしてやれなかった事を思うと美味いとは思えず、ただ酒精が喉と胃の腑を灼いただけであった。


「そうか…聖都スチューデリアを怨んでおるのは魔女だけにあらずか…」


「先生? 何か云いやしたかい?」


「いいや、イルゼはどこで何をしておるのかのぅ、と呟いたまでよ」


「本当で御座ンすよ」


 ゲルダは特にイルゼとは親しくしていなかったが、婚約者と聖女の称号を奪われた挙げ句に裸一貫で追い出されたとあっては国ごと滅ぼしたい程に怨んでもおかしくはないのではあるまいかと考えていた。

 もし国を追われた聖女が天魔宗と繋がっていたとしたら?


「酒が不味いのぅ…」


 一目を置いていた訳ではないがそれでも人々の為に命を張ってきた乙女である。

 それなのに不幸になったイルゼに対して同情よりも疑念が先に出てくる己の性分にゲルダは“自分はつくづく戦術家であるのだな”と自己嫌悪に陥っている。

 だがイルゼへの疑心を晴らすという意味でも彼女を追わなくてはならなくなった。


「イルゼの故郷は確かスチューデリアの最南、運河に建造された街・スエズンであったな。縁があるのぅ」


 スエズンは愛息・カンツラーが尾張柳生新陰流の天才・柳生今連也いまれんやに襲われた地でもある。


「先生、行かれるンですかい?」


「ここまで来たら運命のようなものであろう。何かに呼ばれているのかも知れんて」


「なら、あっしも御供しやしょう」


「無駄足になるやも知れんぞ」


「なァに、無駄足上等でさ。事の真相を知るには結局足で稼ぐしかありやせん」


「尾張柳生が待ち構えていないとも限らぬ。巻き込む事になるかも知れぬぞ」


「水臭ェ。先生がイルゼどんの為に動こうとなされてるってのにあっしが動かないなんて有り得ないこってすぜ」


「そうか、親分が来てくれるのなら百人力じゃ。頼めるかえ」


「合点承知! では明日の早朝にお迎えに上がりやす。色々と準備がありやすのであっしはこれで失礼しますぜ」


 アンネリーゼは風のように番所を飛び出していった。

 あっと云う間に消えたアンネリーゼにゲルダは首を傾げたものだ。


「はて、あやつにワシがどこで寝起きしているのか伝えていたかな?」


 翌日、案の定、アンネリーゼはゲルダを捜して城下町中を駆け回る事となり、ゲルダが役人に寄宿先を言付けていた事に気付いた時には太陽は南天にあったという。

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