第肆拾弍章 払暁具足武者

「やあやあ、我こそは尾張柳生七人衆が二番手、姫川三太夫さんだゆう! 仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうの亡霊を打ち斃してくれん!」


「端から見れば幽霊と思われるのはお主の方だと思うがな。化けて出るには刻限を間違えとりゃせんか。丑三つ時はとうに過ぎて夜明けだわえ」


 空気が張り詰めている。

 冬の早朝の空気と刺客からの殺気がゲルダの肌を打つ。

 東の空からは陽が昇り始め、姫川を照らしていた。

 ゲルダが姫川を幽霊と呼ぶ訳である。

 なんと当世具足とうせいぐそくを身に着けていたのだ。

 泰平の徳川とくせんの世にあって武士が具足を着用するのは生涯に一度あるかないかであろう。異世界の景色に全く合わず異彩というより違和感が非道い。


「抜けい、仕明! 正々堂々の勝負を所望!」


「南蛮兜に頬当を着けて正々堂々は無いとは思わぬのか」


「遺恨は無いが死んで貰う!」


「ああ、どうやら人の話に耳を傾けぬ手合いのようだな。新右衛門殿も説得にはさぞ骨を折った事であろう」


「我が剣の錆にしてくれよう!」


 腰には赤鞘の大小を差していたが姫川は朱色の槍を扱いている。

 穂先には足に掛けて倒す為の鉤がついていた。


「剣はどうした」


 普段は飄々としているゲルダですらついに突っ込んだが、姫川は槍を扱きながら“おりゃ”だの“そりゃ”だの五月蠅いだけで答えない。

 ついてないのぅ、と心の内でぼやきながら何がいけなかったのかを反芻する。









 習慣で払暁前に目が覚めたゲルダは仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうに変身すると腰に愛刀『水都聖羅』を差して散歩に出た。

 日は昇ってはいないが東の空はうっすらと白み始めており完全な闇ではない。

 近くにある青果市場は既に灯りが灯されて各地から集められた新鮮な野菜が並べられて競りが始まるのを待っていた。

 飢饉と聞いていたので“おや”とも思ったが、近くを通りかかった老婆に問えば、高級住宅街用に上物の野菜を金に物を云わせて掻き集めているそうで、口に入るのは金持ち連中かエヴァの両親のように功績を残した特権階級の人間だけだそうな。

 庶民の口に入るのは傷がついていたり曲がった所謂いわゆる“訳あり”だそうであるが、得てして美味いのはそうした野菜である。

 老婆は庶民を憐れんでいたが高い金を払って良い・・野菜を買うのと見かけは悪いが美味くて安い野菜を口にするのとではどちらが可哀想なのやら。

 答えが出ないであろう疑問を頭から払うと吾郎次郎は散歩を再開した。

 足の向くままに歩いていると、いつしか星神教の教会の前に辿り着く。

 高級住宅街にあるだけに荘厳で立派な建物で見事なステンドグラスに感嘆の声を上げたものである。

 施錠はされていない。中に入ると数人のシスター達が掃除をしていた。


「おはようござる。日も昇らぬ内から精が出ますな」


「おはようございます。朝の礼拝ですか? 御苦労様です」


 互いに頭を下げると吾郎次郎は奥へと通された。

 高級住宅街の住人達はその街に住まうだけに多忙の人間が多く不規則な生活を強いられているらしく、そうした人達の為にいつでも礼拝が出来るよう一日中開放しているそうである。

 食糧事情もそうであるが教会までも高級階級に合わせねばならぬのかと同情した。

 吾郎次郎は礼拝堂にある星神教の主神・太陽神アポスドルファとその妻にして月の女神アルテサクセスの像の前に通された。

 慈愛の頬笑みを湛えた薄い衣一枚の女神が裸の少年を抱えている姿は夫婦というよりは親子にしか見えないのだが、これは星神教の神話に基づいているそうな。

 この世の始まりは何も無く、最初に生まれたのが光であるという。

 それが後に太陽神アポスドルファとなるのだそうである。

 やがて孤独に耐えかねたアポスドルファは自分の影から月の女神を創造したとか。

 彼の分身であるアルテサクセスは後に妻となり多くの星を生み落とした。即ち星神教でいう神々だ。

 最後に地球を生み落とし、自らに似せた種族、つまり人間を創造して守護する事になったそうである。

 色々とツッコミどころはあるが日本神話も無茶なところがあるので得てして神話というものはそういう物なのであろうと納得した。

 吾郎次郎は太陽神と月の女神にニ拝、ニ拍手、一拝をして旅の安全を祈願すると案内をしてくれたシスターに志を渡して教会を後にした。

 法外です、と金貨を返そうとするシスターであったが、恥を掻かせてくれるな、と握らせて足早に逃げたのである。

 教会を出るとまだ太陽の姿は見えないが大分明るくなっていた。

 散歩をする人影も増え、若者がジョギングする姿も見える。

 空腹を覚え、さてそろそろ戻ろうかとした矢先に不審な人影を見た。


(折角清らかな気持ちになったというのに台無しじゃ)


 長年、尾張の継友。宗春兄弟から送り込まれてくる刺客を排除してきた吾郎次郎にははっきりと暗殺者の匂いを感じ取っていたのである。

 刺客の位置は高級住宅街の入口にあった。避けて通る事は出来そうにない。

 がちゃがちゃとやかましい刺客は朗々と声を張り上げる。


「やあやあ、我こそは尾張柳生七人衆が二番手、姫川三太夫さんだゆう! 仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうの亡霊を打ち斃してくれん!」


 宗春と和解はしようとも剣客としての宿業として勝負は避けられないであろうと覚悟はしていたが流石に鎧武者が待ち構えているとは予想外であった。


「新右衛門殿から宗春様との和解を聞かされなんだか? もはや宗春様に将軍への執着は無い。ワシを斃しても尾張柳生に栄達は望めぬぞ」


「かつて貴様に斃された者達の中には尾張柳生の剣士達がいたのを忘れたか」


「復讐か。ワシは吉宗様に振りかかる火の粉を払ったまでの事。また斃された剣士達も命を落とす事は覚悟をしていたはず。否、命を捨てて戦いを挑んできておったわ。貴様の云わんとしている事は先達の覚悟に泥を塗るに等しき事と心得よ」


「そうかな? それに宗春様も貴様と相対した事で動揺されているに過ぎん。貴様の首級を手土産にすれば目を覚まされよう」


「これ以上の問答は無意味か」


 ゲルダの姿に戻り『水都聖羅』を抜く。


「最後に一つ答えろ。このゲルダ、吾郎次郎であった頃から数多あまたの刺客を斃し、転生して三百年、屠った敵は数知れず。貴様に討たれても不思議とも思わぬし、死すとて未練も無い。だがワシを狙う本当の狙いは何だ? ワシの死に何の意味がある? 既に吉宗様をお守りする任は解かれおるし、異世界まで追って先達の怨みを晴らそうとは貴様自身思ってもいまい」


 ゲルダも姫川からの返答を期待していた訳では無い。

 日が昇り始めている。時を稼げば人が通りかかれば鎧武者も姿を消すのではないと考えたのだ。


「そうよな。冥土の土産に教えてくれよう」


 ああ、これがベロニカが云っていた死亡フラ…フラッペであったか?

 脳裏にて、食べたら死ぬかき氷ですかな、というベロニカのツッコミを聞き流す。


「貴様が大御所様の為に朝夕祈りを捧げている事は知っている」


「んん? それがどうしたな」


「貴様は大御所様の菩提を弔っているつもりであろうが、貴様の祈りは聖女の祈り、それが時空を超えて大御所様を守護し、あらゆる刺客や巧妙な罠を防いでいるのだ」


「なんとワシの祈りが吉宗様を…」


 死した事で吉宗との縁は切れたものと思っていたが、自分の祈りが今尚吉宗を守っていると知ったゲルダの目に熱いものが溢れてきた。


「だがある日の事だ。近藤源之丞げんのじょう様が一人の老僧を連れてきて云うのだ。あの憎き仕明吾郎次郎が異世界に転生して聖なる乙女となったとな。その祈りが大御所様を守っているのだと聞かされた時は、連也斎様の最後の直弟子もいよいよ狂ったかと嘆いたものであったが、こうして実際に異世界に連れて来られた事で信じるよりないであろうな」


 頬当の下かたくぐもった笑いが漏れた。


「つまり尾張柳生七人衆は吉宗様をお守りする結界を破壊する為に送り込まれた刺客という訳か。異世界くんだりまで御苦労な事よ」


「少し違うな」


「違う?」


 訝しむゲルダに姫川の全身から殺気が漲らせた。


「我らをこの異世界に送る術は一方通行。尾張への連絡役つなぎである迫上さこがみ新右衛門以外の六人は日本に帰るすべは無い。源之丞様がそのように術を施されたのだ、天魔宗にそう命じてな。仮に新右衛門の術式を奪っても日本へは帰れぬ。我らが帰る唯一の方法は仕明吾郎次郎こと聖女ゲルダの首を取る事のみ!」


「そうであったか。なれば新右衛門殿の説得には応じまいな」


「そういう事だ」


 改めて姫川三太夫が槍を構えた。

 ずっしりと腰を落とす安定した構えである。


「一つ提案なのだが一層の事この世界に住むという選択肢は無いか? 住めば都ではないがなかなか住みよい世界ではあるぞ。まあ、向こう・・・と違って龍や幽霊、悪魔が実在するがどうとでもなるであろう。どうだな?」


「魅力的な誘いではあるがな。それでも日本が恋しいのだ。それにな」


「それに?」


「貴様の首一つで仕官が叶う。それも千石だ。慣れぬ異界の地で宛ての無い職探しをするより余程魅力的だと思わぬか?」


「命一つで千石か…安いな」


「抜かせ。二百石取りの馬廻りの首で千石は破格であるわ」


「いや、千石の為に命を落とすお主が不憫と申しておる」


「云うたな!」


 鎧武者が間合いを詰めてきた。

 ゲルダは前後する槍の穂先に注視しながら不動のままだ。

 がちゃがちゃと迫る姫川の槍が大きく引かれた。

 呼吸を読んでいたゲルダはするすると前に進み出る。

 目にはゆっくりに見えたが実際には獲物に襲いかかる牙狼の勢いがあった。


「ぐっ!」


 槍の間合いを外されたがそのまま槍は突き出された。

 ゲルダは槍の鉤に『水都聖羅』を打ち込んだ。

 穂先がドレスを貫くがゲルダの身には届いていなかった。

 槍の勢いが殺された事を考慮しても恐るべき膂力である。

 刀と槍による力比べが始まった。

 姫川は柄の長さを利用して突き上げようと狙っている。

 ゲルダは鉤に絡めて穂先を横に反らそうとした。


「何事だ、こりゃ?!」


 大八車に似た荷車に大量の野菜を乗せた男が現れて叫んだ。

 不意に鎧武者が槍を引いた。

 ゲルダの動きは姫川の意表を突いたものであった。

 引かれる槍に逆らう事無く鎧武者に肉薄したのである。

 姫川は扱かずに再び槍を突き出したがゲルダの方が早い。

 切っ先が具足の上部、満智羅まんちらの襟の間に突き立った。

 姫川が呻きと共に立ち竦む。


「尾張柳生七人衆・二番手・姫川三太夫を討ち取ったり」


 喉を抉った『水都聖羅』を引き抜くと血が噴き出して具足を赤く染めた。

 姫川の手から槍が落ちた。


「ぐぼっ…」


 決着かと思われたが、姫川は腰の刀を抜いて見せたのだ。

 しかしゲルダは構えない。


「終わったのだ。楽になれ」


 ゲルダは愛刀を鞘に納めるとゆっくりと近づいていく。

 姫川の刀を持つ手は上がらない。そのまま具足同様に自らの血で染める。

 ゲルダの手が姫川の喉に触れると優しげな光が放たれた。

 もはや致命傷である。姫川は助からないがせめて傷を塞ぎ痛みを消したのだ。


「吉宗様との絆が切れていなかった事を教えてくれた事、礼を云う。ありがとう」


 姫川三太夫が最期に見た物はゲルダの頬を伝う一筋の涙であった。

 痛みも無く、怨みも無く、そして未練も無く、姫川三太夫は異世界に散った。

 鎧武者の体が傾くと冬の空気を裂いてどさりと転がる。

 ゲルダは右手を掲げ姫川を弔う。

 般若心経を一通り唱え終わったゲルダの目が開かれると、そこにあったのは怒りの炎であった。


「己の目的の為に尾張柳生の高弟七人衆を巻き込み、ワシと戦わざるを得ぬ状況を作り上げた近藤源之丞…貴様だけは決して許さぬ」


 ゲルダは近藤源之丞との戦いは避けられぬ運命であると定め、その名を胸に刻むのであった。

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