第肆拾壱章 尾張評定
「ちょっと正気なの? アンタが突拍子もない事を云い出すのは今に始まった事じゃないけど、星神教にバレたら面倒じゃない?」
エヴァが心配するのも無理は無い。
ゲルダはこれまでも星神教から聖女としての使命を果たせと何度も要請されてきたのを無視してきたからだ。
そこへのこのこ姿を現せば何を云ってくるか知れたものではない。
「うむ、ワシが“水”と“癒やし”を司る『亀』の聖女なら“土”と“豊穣”を司る『虎』の聖女もおってな。そやつが今、聖都スチューデリアにおるだが、それにも拘わらず飢饉が続いておるのが、ちと気になっていたのよ」
「そういえば十年前の蝗害以来不作続きなのよね。けど“豊穣”の聖女がいながら飢饉が続いているというのも確かに考えてみればおかしな話だわ」
「“豊穣”の力を遣えば台風が来ようと日照りが続こうと豊作は間違いないはずじゃ。それなのに民は餓えておる。何かあったと考えた方が自然じゃわえ」
ゲルダはそこへ宗春をちらと見る。
「何だ? 余の顔に何かついておるのか?」
不躾な視線に宗春は憮然と云ったものだ。
「いえ、飢餓に喘ぐ極限の中で、国が悪いと煽る者が現れる。更には百姓に戦う
「それがどうした? 半士半農の戦国初期ならまだしも、信長公により士農分離が広まり、秀吉公の刀狩りによって戦闘能力を奪われた農民が正規の軍に勝てるものか。異世界とやらがどうかは知らぬが騎士とかいう者達がいると聞く。恐らくは士農分離が主流なのではあるまいか。お主が分析したように一揆は失敗に終わろう」
「ご明察にござる。しかし拙者は異世界の民を利用した
「まどろっこしい。端的に申せ」
宗春が顔を顰めて扇子を振った。
「拙者はこの演習を元に一揆の流れを掴み、
「莫迦な。まさに愚考よ。そのような方法で天下を獲ったとしても残るは荒れ果てた日本と民の怨嗟だ。とても統治など出来ぬわ。下手をすれば群雄割拠の戦国の世へ逆戻りとなろう。いや、日本が滅びてしまうわ」
「はい、それがしもそう結論を出しまして御座います」
「そ、そうか…うむ、そうか」
宗春はゲルダの意図は読めずとも尾張への疑惑が無くなった事は察して一応の納得を示した。
「まさにそれ。やはり目的は国盗りではなく国を滅ぼす事にあると確信してござる。新ちゃ…新右衛門殿から話を聞くに百姓は示現流剣士が調練を施しておるようです」
「示現流? 薩摩の藩外不出の御留流ではないか。異世界に流出しているのも驚いたが、百姓に教えるなどあってはならぬではないか。露見すれば薩摩藩から命を狙われる仕儀と相成ろう」
薩摩に生まれた独創の示現流は
その源流は香取に起こった天真正自顕流と云われ、更には香取神道流にまで遡る。
示現流の名は当代薩摩藩藩主が重位の齎した実戦剣法を薩摩の御留流とする為に観音経にある示現神通力から二文字を選んでつけたという。
薩摩藩は
示現流は単純にして明快であり、「絶対の攻撃は絶対の防御なり」であった。
些末な技は不要。迅速果敢に一太刀で敵を斃す。これに尽きた。
稽古に立ち合いは無く、防具も要らず。木剣を『蜻蛉』と呼ばれる構えてから絶叫とともに袈裟に打つ。これだけである。
「チェスト」
示現流の掛け声として有名であるがどうやら剣客小説などの創作によって定着した俗説であるらしい。
しかし示現流を表すにこれ以上ない表現であるので採用を許されたい。
「しかしながら百姓が甲冑を纏った騎士に勝つにはこれ程有効な流派はございますまい。また示現流はいかなる時でも敵と対峙出来るよう平服での稽古が許されており申す。百姓にとって稽古に参加しやすいでしょう。また複雑な技は不要とされ、一太刀に全てを賭けるという崇高な剣は育成もしやすいものと思われます」
「良く薩摩の御留流の事を存じておるな」
「お忘れですかな? かつての刺客の中には示現流の遣い手がおりましたぞ。その遣い手に対抗すべく上様の御紹介で特別に薩摩藩の許可を得て示現流について調べた事があったのです」
「そ、そのような事があったかな…そ、そう睨むな。許せ」
ゲルダの金に光る瞳は美しくもあるが猛禽の如き鋭さも同居していた。
宗春は蛇に睨まれた蛙ならぬ、鷹に睨まれた鼠の如く身を振るわせたものだ。
「騎士と百姓、まともにぶつかり合えば最終的には騎士が勝ちましょう。なれど百姓が短期間でも示現流の稽古をつけられたとしたならば騎士の方にも甚大な被害が出るものと思われます。結果として国の
「だが腑に落ちん。スチューデリアとやらをそこまで貶めて何の得がある? 先の
「旨味は無くても怨みなら?」
「何だと?」
エヴァの言葉に宗春が目を向ける。
「それはワシもちらと考えたが天魔宗が誰かの復讐に手を貸すか? 新右衛門殿の話ではその作戦には十大弟子が四、五人も投入されておるそうだ。それだけ大きな作戦を進めながら理由が復讐とは組織としても間尺に合うまい」
「依頼なら?」
「依頼とな」
「例えば魔女は古くから星神教によって迫害されてきたわ。時には大規模な魔女狩りを決行して多くの魔女が殺された事もあった。それもたった十年前よ? 蝗害という形で復讐したけど、それでも魔女の怨みは晴れてはいない。魔女が団結してスチューデリアや星神教に戦争を仕掛けても聖都軍や神殿騎士の物量の前では一溜まりもない。だけど魔女達の代わりに天魔宗が復讐を請け負ったとしたら?」
「復讐の代行か。考えもしなかった事よ。孤月院殿が心ある人物であったから信念に基づいた組織であると思っていたが
魔女なら報酬も期待できるであろうし、金品でなくとも魔法や呪術のノウハウの提供も考えられる。魔女そのものとのコネを作る事も出来るだろう。
「単純に人員の確保という見方も出来るな」
新右衛門も話に加わった。
「百姓を調練している青葉という男なのだがな。何度か話をする機会があったのだが稀に会話が噛み合わぬ事があったのだ」
「と云うと?」
「練度が上がっていく農民達を見て、度々ヤツの口から“これで西南戦争をやり直せる”と漏れる事があってな。だが、そんな
「ほう、それは面白い事を聞いた。もしかするとその青葉とやらベロニカのように未来の日本から来たのではあるまいか」
「柳生が転移しているように青葉もそうだって事? けど違う時代の人間が異世界とはいえ同じ時代に転移できるものなの?」
「延享に死んだワシが転生して三百年経っておるのに日本では一年も経っていない事を考えれば有り得なくもないだろう」
「それはそうだけど…ああ、やめましょう。判断材料がないのにあれこれ考えても答えなんて出る訳ないわ」
「であるな」
ゲルダとエヴァは推測をやめるが宗春に至ってはまさに遠い世界の話であり既に口を出すのをやめていた。
「それで話は戻るけどアンタが大神殿に行くって本気?」
「本気じゃ。“豊穣”の聖女がいるにも拘わらず未だ聖都に飢饉が続いているのが腑に落ちん。彼女に何かがあったと思うのが自然であろう。ま、選民気取りの星神教上層部を揶揄ってやるのもまた一興だわえ」
「そうだったわね…魔王を足腰が立たなくなるまで打ち据えて以来魔界から時候の挨拶が送られるようになったアンタに怖いものなんて無いでしょうね」
そう褒めるな、と笑うゲルダに宗春と新右衛門は呆れたという表情を見せた。
流石は吉宗に送られてくる刺客の悉くを討ち果たし継友・宗春兄弟を悔しがらせ、また心胆寒からしめた老獪な剣客の生まれ変わりであると云えよう。
「当分は尾張柳生とエルフを敵に回し、星神教を揶揄いながらの道中となろう。ついて来てくれるかえ?」
「水臭い事を云わないで。むしろこんな面白そうな旅に誘わなかったら怨むわよ」
「俺はお主と打ち合わせた通り柳生七人衆の説得をしてみるつもりだ。宗春様とゲルダが和解したと伝えれば止まってくれるやも知れん」
「任せよう。但し道中で勝負を挑まれた時は武人として躊躇う事なく斬るつもりじゃ。その時は怨んでくれるなよ」
「それは仕方無い事だ。飽くまで剣士としてお主と戦いたいと願う者まで止めるつもりはない。俺が云う事ではないが気を付けろ。強敵が
相分かった、とゲルダは請け合った。
するとゲルダとエヴァの二人が光に包まれる。
異世界へと転移する術式を展開したのだ。
「では宗春様、さらばでござる。これからは吉宗様と共に日本をより良くして下され。遙か異世界で祈っておりますぞ」
「ふん、さっさと行け。云われずとも尾張をもっと豊かにしてやるわ。吉宗の倹約令に負けぬ政策を編み出してな」
最後まで我の強い宗春に苦笑しながらゲルダ達は異世界へと戻っていった。
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