参拾肆章 聖女、聖都に推参する

「ふふふ、聖女ゲルダ、会えるのが楽しみだよ」


 麗しのエルフ・イシルはガイラント帝国と聖都スチューデリアの国境を守る関所近くでゲルダが現れるのを今や遅しと待ち構えていた。

 如何にゲルダといえども正式な手続きを踏まずに転移などでスチューデリア入りするとは考えられない。それは関所破りに等しくスチューデリアで活動するに当たって支障を来す事は火を見るよりも明らかだ。

 世界を股に掛ける冒険者とて関所を通るには手形が必要であり、その際には顔と荷物を改められる事になる。


「やれやれ、国境の監視が厳しいのは仕方ないが毎度面倒じゃのぅ、婆さんや」


「ほんにのぅ。特にスチューデリアは通行税が高くて困るのぅ、爺さんや」


 イシルの目の前を一組の老夫婦が通り過ぎる。


「はあ、嫌だねぇ…歳を取るとああも醜くなるものか。ボクなら老いる前に美しく若いまま自らの命を絶つけどね。いや、寿命が短い人間だからこそ老いて尚生き足掻くのかも知れないねぇ。あー、嫌だ嫌だ」


 腰の曲がった老人達を嫌悪感すら隠す事なく見送った。


「醜いのは貴様の性根であろうが」


 咎の無い老夫婦を侮辱するイシルの背を呆れながら見詰める集団がいた。

 柳生七人衆を名乗る尾張柳生新陰流の遣い手達である。

 昨夜、いきなり現れたかと思えば、地狐を救出する為に聖女ゲルダが出張ってくる仕儀となったから責任を取って彼女を討て、と一方的に要求してきたのだ。

 青葉らは小賢しく農民を煽って一揆を起こすつもりであるらしいが尾張柳生からすれば知った事ではない。勝手にやれというのが彼らの認識だ。

 元より農民が蜂起し、国家元首である聖帝とやらを討ったところで転覆するとも思えない。聖帝に後継者がいる事もそうであるが問題は聖都軍だ。

 長年に渡りスチューデリアを外敵から守り抜いてきた大将軍と彼が率いる聖都軍は百戦百勝の精強な軍隊だ。複数同時に蜂起したとしても百姓一揆風情など鎧袖一触であろう。聖帝を暗殺するいとまさえ得られぬに違いない。


「俺が思うに百姓共は生贄なのではあるまいか。表向きは星神教を払拭して天魔衆の布教を行うと宣っておるが歴史が違う。そう上手くいくとは思えん」


「くかか、あの・・お優しい大僧正殿の考えそうな事よ。犠牲にするにしても信徒を斬るより他国の農民、軍人という訳か」


 三十歳前後と思しき美丈夫の言葉に五十絡みの男が笑い混じりに同意した。


「ま、真実がどこにあるのかは大僧正殿の胸三寸であろう。もっとも仮に農民を生贄にするとしてヤツらの魂が何かの役に立つとも思えんがな」


 違いない、と七人衆は笑った。


「何を笑ってるんだい? いつゲルダがここに来るか分からないんだ。もう少し気を引き締めてくれないかな?」


 イシルが振り返って苦言を呈する。

 それに軽く手を振って返すが顔からは笑みが引っ込んでいなかった。

 するとイシルはジロリと睨んだ後、関所を通過する者達の見張りに戻ってしまう。


「見ろ。亜人殿が呆れてござるぞ」


「可愛いものよ。自分こそ呆れられている事に気付いていないのであるからな」


 柳生七人衆が呆れる理由は、ゲルダと接触する為に自分達に無頼を演じさせてイシルを襲わせるという子供騙しの策に狩り出されたからである。

 その後はゲルダの懐に潜り込んで巧みに地狐を捕らえている場所に誘導するといううのだが果たして百戦練磨の聖女に通用するのか疑わしいものだ。

 ゲルダが乗り込んできたというのであれば我から姿を見せて勝負を挑むまでの事。

 カンツラーの場合はカイゼントーヤ王国に逃げ込まれたからこそスチューデリアに引き戻す為に地狐を使って脅しをかけたまでだった。


「そう云えばカンツラーは如何であろうか」


今連也いまれんやの話では傷が元で高熱を発しているとか」


「では三日後に勝負などとても出来ぬであろうな。であるならばだ」


「的をゲルダに絞るか」


「うむ」


 話が纏まった彼らはイシルに背を向けて歩き出す。

 要はゲルダに一揆を気取られる前に斬れば良い話である。

 否、仮に知られたとしても斬ってしまえば同じ事だ。


「あっ?! 君達、どこにいくんだい?!」


 イシルが慌てているが知った事ではない。

 十大弟子が最高幹部といっても小さな新興宗教の中での話だ。

 我ら尾張柳生が従う義理など無いというのが彼らの理屈であった。

 天魔衆の総意に背きさえしなければ亜人の猿芝居に付き合う必要すら無かろう。


「ちょっと待ちたまえ! このままではボクの作戦が!」


 イシルに答えることなく柳生七人衆は関所から立ち去るのであった。


「何やら騒がしいのぅ。喧嘩か?」


 先程の老人がイシルと柳生七人衆の諍いを遠くから眺めていた。


「さてね。それよりもう良いかしら? 腰を曲げて歩くのって結構キツいのよ」


 その隣で老婆が曲げていた腰を伸ばしてストレッチをしている。

 いきなりきびきびと運動を始めた老婆に周囲はギョッとして見ていた。


「中々の演技であったぞ。それはもう老後、二人して縁側でゆっくりと茶を飲むのも悪くないと思わせる良い年寄りぶりであったわ」


「冗談じゃない。アンタより年上だけど私はまだまだ老けちゃいないわよ」


 ニヤリと笑う老人の言葉を受けて老婆はその背中をパシンと叩いたものだ。


「ほら、アンタもしゃきっとなさい」


 云われて老人も腰を伸ばす。

 こうしてみると二人とも背が高い事が分かり更にざわついた。


「む、いかんな。人の目が集まってきよったわ」


「そうね。騒ぎになって役人が駆け付けても面倒だし行きましょう」


 二人は老人とも思えぬ健脚ぶりを見せて関所を後にするのであった。

 聖女ゲルダ、魔法遣い『沈黙』のエヴァ、苦心のスチューデリア入りである。


「それにしてもあのエルフ、ジロジロと通行人を見ていたけど見張りのつもりだったのかしらね? あの子も天魔衆なのかしら?」


 近くの農家にいくばくかの小遣いをやって風呂を借りた二人は変装を解いている。

 もっともゲルダは吾郎次郎ごろうじろうの姿のまま着流しになっただけである。

 エヴァは『加齢』の魔法を解いて黒いローブに着替える。

 流石に高名な冒険者であったからか様になっていた。


「だとしたら間抜けだな。あのように凝視してしまっては子供でも不審に思うわえ。むしろその後ろにいた一団、あれらの方が恐ろしい」


「そうね。立ち姿に芯が入っていたもの。剣を帯びてなかったけど恐らくは剣士ね」


「もしやあやつらが地狐を攫った柳生今連也の一味やも知れんな。なるほど態々目立つエルフに杜撰な見張りをさせて人の目を引き付けておいて、別の位置からさりげなく見張るか。中々考えたものだな。これは変装して正解であったようだ」


 捕らえても良かったが関所で騒ぎを起こせぬし他に仲間がいないとも限らない。

 下手に接触をして仲間に連絡をされては万事休すである。

 況してや柳生の一味であるかの確証も無かった。


「ま、焦らずじっくりやろうよ。既にエルフの娘も含めてマーキング済みだ。今はヤツらの動向を見て拠点を特定し夜になったら遊びに行ってやろう・・・・・・・・・


「そうしましょう。でも、その前に私の実家に寄って荷物を預かって貰った方が良いんじゃない?」


「それもそうじゃな」


 吾郎次郎はエヴァの実家へと向かう事となった。


「あんれまぁ、女は化けると云うが化け過ぎじゃあ」


 農家を辞する際、老婆から美女となったエヴァを見た親爺おやじが面喰らう様を見て吾郎次郎は笑いを堪える事が出来なかった。


「そう云えばスチューデリアでは一揆を煽り国家転覆を目論む奸賊がいるらしいな」


「ああ、神を見失ったとか神に見殺しされたとかって半グレでしょ? アンタの事だから干渉する気なんでしょう?」


「うむ、ガイラントとスチューデリアが隣同士よ。国が半グレに乗っ取られるとも考えにくいが面倒の元は少ないに限るからのぅ。捕らえた者の話では集めた農民に訓練を施しているというでな。それが柳生である可能性は高い。ならば同じ日本人・・・・・として止めねばならぬ。だが、まずは地狐よ。地狐を捜すという事は柳生を捜すという事でもあるからな。その時に事情を聞く事も出来よう」


「そうね。でも、まずは落ち着きましょう。実家に案内するわ」


「頼む。ああ、それと」


「分かってるわ。母様はお酒造りの名人よ。きっとアンタ好みのお酒を提供してくれると思うわよ。手紙でも“是非、自分が造ったお酒を飲んで欲しい”って書いてあったしね」


「おほっ、それは楽しみな事よ。善は急げじゃ。はよう案内せい」


 案内役のエヴァを置いていきかねない勢いの吾郎次郎に彼女は苦笑を禁じ得ない。


「それと母様はお酒に強いのよ。母様のペースに巻き込まれて酔い潰れないように注意してね」


「なんと! それは望むところよ。さあ、早う、早う」


「目的、忘れてないでしょうね?」


 好きなだけ美味い酒が呑めると聞いて子供のようにはしゃぐ吾郎次郎に呆れながらも憎めずに追いかけるエヴァであった。

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