参拾参章 いざ聖都へ行かん

「はぁ? 今、何と?」


 ゲルダの報告にバオム王国第一側室レーヴェは呆けたように返したものだ。


「何度も云わすでない。エヴァの実家へと挨拶に行くから暫く指南を休むと申したのだ。既にカイムや騎士達には訓練メニューを渡してあるで問題はないぞ」


「そ、それは良い。いや、良くはないが今は横に置く。その理由が理解出来なかったのだが…」


 レーヴェは頬をひくつかせながらゲルダと腕を絡めるエヴァを指差す。

 人を指で差すとは無礼であろう、とゲルダは咎めた。


「ではもう一度話してつかわす。先日、酒場の閉店後もエヴァと差しつ差されつ呑んでいたと思え」


「“つかわす”…“思え”…」


 レーヴェ付きの侍女カタリナもまた頬をひくつかせている。

 国王ヴルツェルを初めカイム王子も自然と受け入れてしまっているが、やはり王族に対する言葉遣いではない。

 本来なら不敬罪に問われてもおかしくはないが、ゲルダに限って云えばバオム王家が頭を下げて王子の教育をして頂いている・・・・・立場なのでこれで良いのであろう。


「まあ、見ての通りエヴァは震い付きたくなる良い女であろう? ワシも三百年も女をやっておるが、やはり男を捨て切れておらなんだのだろうなァ。豁然かつぜんと女体を欲してしもうてのゥ。つい手を付けてしまったのじゃ」


 ゲルダ、否、かみしも姿の仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうは綺麗に剃り上げた月代さかやきをピシャリと叩いたものだ。


「“しまったのじゃ”って…それでゲルダ殿…いや、ゴロージロ殿か。貴方はエヴァ殿のご実家へと挨拶をしにいくと云うのか」


 ヴルツェルの問いに吾郎次郎は“いかさま”と答えた。


「いや、まさかエヴァが生娘きむすめとは思わなんだでな。エヴァの両親ふたおやは今も聖都スチューデリアにて健在だと云うので挨拶に出向く次第と相成った訳じゃ。ご理解頂けたかな?」


「なるほど…エヴァ殿は本人も高名な魔法遣いであるが、かつて開祖シュタムと共に魔王と戦った騎士と魔法遣いの娘御でもある。義を果たすのも当然であるな」


 表向きは――と続けたので吾郎次郎は些かなりとも驚かされた。


「本人に名乗る気は無くともゲルダ殿が神から聖女と認定されている事実は覆せまい。また老人の一人旅も目立つであろう。若い頃の姿は今のゲルダ殿とほぼ瓜二つなので意味が無いどころか騒ぎの元である。星神教の干渉を防ぎ、尚且つ高名で実績のあるエヴァ殿と行動を共にする事によりスチューデリアからの疑いの目も反らす事が出来ると…中々に考えましたな」


「ほう、流石はカイムの父御ててご殿よ。見破られたか」


 吾郎次郎は珍しく不精髭を剃りあげた顎を撫でて感心する。

 レーヴェは裏の事情を知って驚いていた。

 内心では呆れもしたし怒り蔑んでもいたのである。


「まだまだ修行が足りぬわえ。王妃ならこういう腹芸も覚えねばならぬぞ」


 吾郎次郎がニヤリと笑うとレーヴェは顔を赤くして俯いた。

 剣の腕のみならず知恵や精神でも勝てないと理解したからである。

 何よりゲルダの真意を読めず、口にせずとも内心で罵倒していた己の浅はかさに羞恥を覚えていたのだ。


「カイムの修行に差し支えが無いとの事なので多くは云いますまい。ただ武運と無事の帰還を祈っておりますぞ」


 ヴルツェルはこれからゲルダが苦難の道を行こうとしていると察していた。

 真の理由は聞くつもりはない。引き止めもしない。

 代わりにそばに控えていた大臣に耳打ちする。

 大臣は足早に謁見の間を出て行くとすぐに戻って来た。


「先生、聖都スチューデリアに赴く際にはこれをご持参あれ」


「これは?」


 バオム王家の紋章が刻まれた筒を持たされる。


「もしスチューデリアにて揉め事に巻き込まれた時には遠慮無くその印籠・・を差し出しなされ。中には先生がバオムの密使であると記した密書も封じております。大抵の事は切り抜けられる事と存じますぞ」


「これは何よりの物をかたじけない」


「なんの、ゲルダ殿には並々ならぬ助力を賜っておりますからな」


 ヴルツェルは莞爾として笑ったものだ。


「聖都スチューデリアには友人がおりましてな。手紙を認めておきますので宿に困った時はご利用下され」


 大臣も云い添える。

 貴族としては珍しく腰の低いこの人物は城内にて心筋梗塞の発作に苦しんでいた際にゲルダに救われて以来のシンパとなっていた。

 後にゲルダが婚約を破棄されて辺境に追放される策を講じる時にも暮らしに困らぬように便宜を図るなどゲルダに尽くしていくのである。


「相分かった。その時は世話になろうよ」


「そうして下され」


「では行って参る」


 吾郎次郎が背を向けると今まで下を向いていたレーヴェが顔を上げた。


「あ、あの…」


「何だな?」


「ご帰還後に私も稽古をつけて頂けますか?」


 騎士として、否、一人の人間として修行をし直したくなったのだ。

 吾郎次郎はそんな心情を察し呵々と笑って答えたものである。


「騎士達と同じ扱いで良ければいつでも道場に来い。心行くまで揉んでやるわえ」


「ははっ! 有り難き幸せ!」


 レーヴェは立ち上がって胸に右手を当てて一礼する。

 それを横目で見つつ吾郎次郎はエヴァを伴って謁見の間を出ていった。









 一方、その頃……

 とある山中にある朽ちかけた寺院の本堂にて車座となっている者達がいた。


「やはり孤月院どんの死は痛か。十大弟子を纏める者がおらなくなったせいで好き勝手に行動する者が出始める仕儀と相成ったわ」


 鎧の様な筋肉に覆われた巨漢が溜め息混じりに云った。

 全身が多くの刀傷や火傷で引き攣れていて彼の戦歴を物語っている。

 十大弟子の一人であり薩摩示現流の遣い手・青葉武左衛門ぶざえもんという。


「尾張柳生…案の定、巧を焦って独断専行を始めた様子…」


 鮮やかな緋袴を履いた巫女風の少女・十六夜いざよいが続く。

 喉元と両手首、両足首の五カ所に鉄の枷が嵌められており、そこから鎖が伸びて重々しい鉄球と繋がっていた。

 長い前髪が斜めに切り揃えられて右目だけが隠れている。

 彼女もまた十大弟子の一人だ。


「しかも人質を取ったのであるから頂けぬ話よ。これでは計画に支障が出かねん」


 姿は見えないが天井からしわがれた声が降ってきた。

 十大弟子の一人で竹槍仙十せんじゅうといい、敵を屠るに名刀は要らず。竹槍などその場で拵えた簡易の武器で相手を仕留める畏るべき遣い手である。

 その姿は同じ十大弟子ですら見た事はなく、声を聞くのみだ


「ちょっと待ってよ。『神を見限った者達』だったっけ? 彼らが抱き込んだ逃散百姓を利用してスチューデリア各地で一揆を一斉に起こす計画…オワリヤギュー? の人達がどう動いたって支障は無いんじゃないの?」


 首を傾げたのはまだ年若い青年、否、少年であった。

 若いが巨木の枝に一跳びで飛び乗る事が出来る驚異的な身体能力とあらゆる動物と意思の疎通が可能な神通力を武器に十大弟子にまで登り詰めた異才である。

 名をフェーといい、天魔宗が信徒の中から才覚を見出し十大弟子に取り建てたという経緯があった。


「その人質が問題…地狐は今では聖女ゲルダの身内…下手をすれば藪から蛇が出てくる事になりかねない……そうなったら蜂起は難しくなる…」


 地狐を救出する為にゲルダが出張れば彼女の事である。

 農民達からきな臭い空気を感じ取り干渉してくるかも知れぬとフェーを窘める十六夜であったが如何にも理解していないのか、彼は更に首を傾げる始末であった。


「ゲルダって大僧正様が邪魔に思ってる人の事でしょ? だったら大丈夫だよ」


「あら? 坊やに何か良い考えがお有りかえ?」


 脳天気に請け合うフェーに天井から艶かしい女の声が問う。


「僕がそのゲルダって人をやっつけてあげるよ。そうすれば大僧正様も喜んでくれるでしょ?」


「こんたわけがっ! ゲルダは孤月院どんを負かした相手や。わい・・ん敵う相手じゃなかぞ。馬鹿な事ゆちょらんで引っ込んでおれ!」


 ニコニコと笑いながらゲルダ打倒を宣言するフェーであったが武左衛門に怒鳴られる結果となってしまう。

 するとフェーとて笑っていられない。腰の刀に手をかけて睨みつける。


「そんな傷だらけになって漸く勝ってきた不細工なオジサンこそどうなのさ? ゲルダどころかボクにも勝てないと思うよ」


「ようゆうた! ならば試してみるか、小僧!!」


 武左衛門は刀を抜いて顔の横にて天に向かって立てる。


「ああ、待った、待った。君達、剣を向ける相手を間違えてないかい?」


 今の今まで沈黙を保っていた人物が武左衛門とフェーの間に立った。

 上は軍服を着て下は丈が短いスカートを合わせた少女である。

 絹糸のように滑らかな長い銀髪を後頭部に纏めており、脇に円筒状の帽子、所謂いわゆるケピ帽を脇に挟んでいた。

 特徴的なのは長い耳を持っている事だが転生武芸者ではない。

 蒼い瞳は常人の物である。


「今日、集まったのは独断専行に走る同胞達をどうしようかって話じゃなかったのかい? それなのにここで仲間割れをしてどうするんだい」


 彼女の言葉に我に帰ったようで武左衛門は刀を納め、フェーも素直に頭を下げた。

 本日集まった十大弟子のトリを飾るのはエルフでありながら天魔宗に籍を置くイシルだ。エルフの言葉で“月”を意味するらしい。


「それでイシル殿は尾張柳生について意見はあるのか?」


 見事、喧嘩を仲裁して見せたエルフの少女に天井裏から凜々しい青年の声が問う。

 イシルは人差し指をピンと立てて微笑んでみせたものだ。


「なぁに、簡単な事さ。テンコが『水の都』に逃げ込むのを防げなかった時点でゲルダがチコの救出に来るのはほぼ確実だ。ならば一層いっその事だよ。彼女が蜂起に気付く前にチコの元へ導き、さっさとお帰り願うんだ」


「それは名案にごわす。だが尾張もんが大人しゅうしちょっか?」


「そこは話の持って行き方次第かな? 彼らの最終目的はカンツラーではなくゲルダだからね。チコをエサにカンツラーを釣り、そのカンツラーをエサにゲルダを釣るのは流石にオワリヤギューだってまどろっこしいはずだよ」


「それは…確かに…」


 十六夜も頷いた。


「だからこうご注進するんだ。“聖女ゲルダが出張ってきた。我々の手に余るので君達で斬って欲しい”ってね。すると自尊心の強い彼らの事だ。必ずゲルダと衝突するって寸法さ。後はどちらが勝っても計画に支障は無いってワケ」


「「「「なるほど…」」」」


 感心したような声を上げる四者にイシルは顔を背ける。

 その顔は嗤いを堪えていた。

 先程は仲間割れは良くないと諭した彼女であるが、実際には自分より知恵に劣ると思っている他の十大弟子を心の底では侮蔑しているのだ。


「で、誰がゲルダと接触するんだい?」


 天井から婀娜あだっぽい女声が問うた。


「それは云い出しっぺのボクが行くよ。ゲルダとはボクも会ってみたかったしね」


「おいどんに依存は無か」


「私もイシルなら信用出来ると思う」


「異議無し」


「ボクもイシルさんなら任せても大丈夫だと思う」


 満場一致でゲルダの導き手はイシルと決まった。


「ありがとう。では早速聖都スチューデリアに向かうとするよ」


 イシルは微笑んで優雅に一礼するとマントを翻して寺院から出て行った。

 残された四人は押し黙っていたが、彼女の気配が完全に消えた途端に口を開く。


「ふん! 知恵者気取りの亜人がのこのこ行きおったわ」


「エルフ…頼りになるけど、あの過剰な誇り高さは苦手…」


「ボクもちょっと…嫌いとまではいかないんだけどね」


「まま、そのお陰で操縦しやすいんでやんすから怒らない、怒らない」


 幇間たいこもちめいた言葉が三人を宥める。

 分かっちょる――武左衛門が立ち上がった。


「では、おいどんも行き申す。百姓共の調練はまだ不十分じゃっで」


「私も行く…ゲルダの目を眩ますにはイシルだけでは不安…」


「ボクも行かなきゃ。お百姓さんに配る武器の製造を急がせないと」


 三人も各々の仕事を熟す為に去っていく。


「あーい、皆様、良い首尾を」


 最後に鈴を転がすような声と共に気配が消えた。

 或いは気配など最初から無かったのやも知れぬ。

 こうしてゲルダのみならず多くの思惑が聖都スチューデリアへと結集する事となったのである。

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