第参拾弍章 近況報告の裏

「そうですか。殿は今、カイゼントーヤ王国におわすのですか」


「うむ、暫くは冒険者ギルドの厄介になりながら路銀を貯めているのだそうな」


 再び場面は雪の茶室へと戻る。

 ゲルダからの報告にブリッツはカンツラーが無事に旅を続けていると知って安堵したものだ。


「聖都スチューデリアを素通りしてしまうところが何とも殿らしい」


「ま、あの国は宗教国家であるが、これといった特産があるわけではないからな。興味の無い者には見るべき物が無いのであろうよ。美しい絵画や彫刻で飾られた豪奢な大神殿もカンツラーに云わせれば“民の血、信徒の涙で出来上がった俗物の象徴”だそうな」


「世界最大規模の宗教の一つ、星神教も殿からすれば腐敗の温床としか見えないとか。確かにスチューデリアは政治と宗教が蜜月関係にありますからな。政治家としては潔癖な部分もある殿が毛嫌いするには充分でしょう」


  この世界は大まかに分けて五つの大陸が存在し、その聖都スチューデリアは世界の陸地のほぼ四割も占める巨大な大陸、ヴァールハイト大陸の中心部に位置しており、ガイラント帝国からすれば東の隣国である。

 前述したように天空に輝く星一つ一つを神と見立て、常に神に見守られているという考え方を持つ星神教を国教としている宗教国家だ。

 そのヴァールハイト大陸の中心からやや南に大陸を分断するように運河が横たわっており、それを国境として大陸の南部を支配しているのがカイゼントーヤ王国だ。

 カイゼントーヤは世界でも造船と航海の技術に秀でているのが特徴である

 この国は特に貿易に力を入れており、世界各国から珍品奇品を集めて莫大な財産を築きあげてきた。

 どんな時化にもびくともせず、暗礁が多い難所もすいすいと進むことができる船を持つカイゼントーヤは当然ながら水軍も精強で、いつの頃から海路も支配するようになり『海の玄関口』『海神に愛された王国』と呼ばれるようになったという。


「それにしても随分と急がせたものよな。カンツは九尾つづらおに数年は修行をつけてから旅に出るつもりであったそうだが僅か二月ふたつきで修行を終了させたのはお主の手配であったとか」


「朝から晩まで執務、執務で多忙を極めておられるせいか九尾、あいや、奥方様は寂しげにしておりましてな。時折り道場の前を通っても軽く会釈するのみ。祝言を済ませたとはいえ、あれではいくら修行をしても身には入らぬでしょう。そこで愚考致しました結果、“殿は釣った魚にエサをやらぬと仰せか。いつまで寂しい思いをさせておくおつもりか”と雷を落とした次第。流石に殿も思う所がおありの様子で仕事の引き継ぎを手早く済まされて奥方様を迎えにいかれたという経緯があり申す」


 まさか次の宰相に指名されるとは思いませなんだ、とブリッツは自らの額をピシャリと叩いたものだ。


「ま、お主なら上手くやると信じての事であろう」


「ははは、殿を無理矢理送り出した手前、ご帰還された時に拙者の留守居振りを“腑甲斐無し”と叱られぬようにせねばなりませぬな」


「しっかり励む事よ。それより良く送り出した。新婚早々三行半みくだりはんではあまりに情けないからのぅ。礼を云わせて貰うぞ」


「頭をお上げ下され。ゲルダ様に頭を下げられては身の置き場が無くなります」


「して、いつ戻ると云うておった?」


「談合の末、長くて五年、短くても三年は外遊されるよう計画を立てており申す」


「ほう、長いな」


 言外にそれだけの長期間を留守にして良いのかと問う。


「いえ、どうやら殿はその間に行けるところまで足を伸ばし『転移』する範囲を広げるおつもりのようですな。転移魔法は一度行ったところにしか行けませぬからな」


「然もありなん。あの魔法は座標指定も重要だがやはり転移先のイメージが物を云うでな。それにあの子のことだ。もっと云えばガイラント帝国の外交範囲をも広げようとしておるに違いない」


「いかさま。カイゼントーヤ王国も物見遊山に終わりますまい。何せカイゼントーヤの水軍はガイラントの比ではありませぬ。敵対こそしておりませぬが友好的かと問われれれば首を傾げざるを得ず、ならば誼みを結ぶ切っ掛けくらいにはなりたいとお考え遊ばれても不思議ではないでしょうな」


「世に云う“陸軍のガイラント、海軍のカイゼントーヤ”であるな。互いに強大な軍を持つが故に抑止力となっておるのだったか」


「左様にござる。ただ殿もガイラントとカイゼントーヤとの同盟までは考えてはおられぬでしょう。恐らくは対等な貿易をする友好・・に留めるものと思われます」


「であろうな。このニ強国が同盟を結ぶ事となれば変に勘繰るものも出てくるであろう。先のスチューデリアなど特に警戒をしてこようよ」


「あの国は自分の考えが正しく、自分の理解を超えるものは敵ですからな。自分達の与り知らぬところでガイラントとカイゼントーヤが誼みを結ぶとなれば“何を企んでいる”と介入してくるでしょうな。星神教をも巻き込んで」


「権威ばかりの国というのも困ったものよな」


 ゲルダは苦笑しながら煉り切りを口に入れるのだった。


「御意にそうろう


 ブリッツも同意しつつ茶を飲んだ。

 底冷えのする雪の日には茶が何よりの馳走である。


「さて、日も暮れてきたな。ワシはそろそろ暇乞いをするとしよう。馳走になった」


「ははっ、またのご来訪を心よりお待ち申し上げまする」


 ブリッツは引き止めない。

 いつもなら夕食まで饗するのであるが、態々暇乞いまでするのだ。

 きっと大切な用事があるのだと弁えているのである。


「ではな、今度は『水の都』に遊びに来い。冬の川下りも乙なものだ。雪に彩られた川景色を屋形船で楽しみながら熱い鍋でも突こう。炬燵も用意してあるから寒い思いはさせぬと御内儀や子供達にも伝えておくれ」


「きっとで御座いますよ」


「うむ、ではな」


 再会の約束をしたゲルダは躙り口から出て行った。

 見送ったブリッツはゲルダの気配が遠のくと首を傾げたものだ。


「はて…去り際のゲルダ様、僅かであるが殺気が漏れていたような…」


 ブリッツは知らなかった。ゲルダの懐に一通の手紙があった事に。

 本来の来訪の目的はカンツラーの近況報告ではなく、実は手紙の内容による相談であったのだが、息子の代わりにガイラント帝国を支えてくれているブリッツにこれ以上の負担はかけられまいと飲み込んでしまったのだ。


「ワシが動くしかないであろうな。だが雷神殿より聖女認定されておるワシが如何にして星神教の総本山である聖都スチューデリアに乗り込んだものか……」


 頭を悩ますゲルダの懐にある手紙は天狐によって齎されたものであった。

 聖都スチューデリアとカイゼントーヤ王国に挟まれた運河に建造された街スエズンにて柳生やぎゅう新陰流しんかげりゅうの鬼才・柳生厳包としかね、即ち連也斎れんやさいの流れを汲むと自称する剣士、柳生今連也いまれんやなる者と対峙したのだという。

 驚くべき事に今連也は秘剣『野分のわき』を盗んでいたそうで、『野分』同士のぶつかり合いの結果、双方共に深手を負う痛み分けに終わったそうである。

 そこへ柳生七人衆なる今連也の弟子達が現れ窮地に陥ったものの天狐、地狐が殿しんがりを引き受け、九尾がカンツラーを背負って船に乗り込んでカイゼントーヤ王国に逃げ込む事に成功する。

 何とか敵を撒く事が出来た天狐はカンツラーと合流出来たが地狐とはぐれてしまったというではないか。

 宿屋にてどうしたものかと思案していると部屋の中に矢文が打ち込まれたという。

 手紙の主は今連也であった。内容は一週間後、スチューデリアにて余人を交えずに一騎討ちをしたいというものだが、もし指定した日時に決闘場に現れなければ地狐を陵辱した後に死体を晒すとも記されていたのである。

 一週間の有余は今連也の傷を癒やす時間であろうが、カンツラーは失血が激しく、しかも高熱に倒れてしまい、とても一週間後に戦える状態ではないそうだ。

 己の腑甲斐なさに泣く天狐を宥めたゲルダであったが手紙を読み進めるにつれて怒りがふつふつと沸いてきたものである。

 ブリッツらの手は借りる事は出来まい。

 ガイラントとスチューデリアは古来から犬猿の仲だ。

 のこのことガイラント兵が入れる訳がない。

 既に三日が経過している。残るは四日、それまでに地狐を救出せねばならぬ。

 その上、自分も顔が売れているので聖都スチューデリアでは動きを制限されてしまう可能性が高い。いや、きっと星神教は“聖女としての宿命に殉じよ”といらぬ干渉をしてくるに違いない。

 僧兵は論外、天狐も隠密に長けているとはいえ一人で三日以内に広大な国の中で地狐を見つけ出す事は不可能だ。

 このままでは地狐は男達に蹂躙され…待てよ? 蹂躙?


 物は試しであるな――ゲルダはバオム王国へと転移するのであった。

 

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