第参拾壱章 九尾救済
「善く頑張った…
『うん……
二人が口づけを交わして間も無く変化が現れた。
『なに…これ…気持ち…いい…』
「すぐに終わる」
上気した表情を見せる九尾をカンツラーはその小さな体で抱きしめる。
『あ、ああああ…ああああ…』
九尾の額が盛り上がると皮膚が破れて出血を伴いながら黒い角が一本生えた。
変化は止まらない。僧衣の背中を引き裂きながら巨大な翼まで現れたのだ。
『ぐおおおおおおおおおおん!!』
そして最後に九尾が苦しげに咆哮したかと思えば口から銀毛に覆われた美しい子犬を吐き出したのである。
「これは…
「左様。私のドラゴンの血を与える事で九尾は私と同じ半人半龍となりました。世界でも最上位に位置する超存在の力を用いれば狗神を祓う事が出来ると考えたので御座います。九尾の全身を蝕んでおりましたが龍化した事で体そのものが強化され人智を超えた龍種の力の前では如何に強力な呪物であろうと…所詮は人が作った物…訳も無く除霊する事が出来申した」
「名案であるな。流石はカンツラー、ワシとゼルさんの息子よ」
ゲルダはカンツラーを褒めるとすぐに治療を始めた。
これ以上の出血は如何にドラゴンの生命力を持つカンツラーでも危険だ。
「褒めるなら九尾を褒めて下され。九尾自身が狗神の支配と戦っていなければドラゴンの力は狗神を九尾諸共滅ぼしてしまった事でしょう」
「そうだな。偉い子だ」
ゲルダは九尾の頭を優しく撫でる。
そして銀毛の子犬に目をやった。
『くううううううぅぅぅん』
術者である刑部
ゲルダは子犬の亡霊に手を伸ばすと恐ろしく思ったのか、キャンと小さく鳴く。
「怖がる事はない。お主も辛かったであろう」
ゲルダの掌が光を放って子犬を照らす。
するとその温もりによって癒やされたのか甘えるように喉を鳴らしたものだ。
「来世では幸せになるが良い」
子犬の姿が霞のように揺らいでいき、程なくして完全に消えていった。
「ほっ?」
「如何なされましたか?」
ゲルダが驚いた表情を見せたのでカンツラーが問う。
「あの子犬、成仏する間際に最後の力をお主と九尾に注ぎおったわ」
「最後の力ですと?」
「案ずるな。悪いものではない。それに微弱なものよ。まあ、楽しみにしておれ。近い内に良い事があると思っておれば良い」
「は、はぁ…」
するとゼルドナルがカンツラーの頭をわしわしと撫でてきた。
「どうしたんだい? 折角狗神を祓い、九尾ちゃんも助け出す事が出来たのに浮かない顔をしているじゃないか」
それはゲルダも気にはなっていた。
狗神に勝利して九尾も天魔宗の支配から脱する事が出来たにも拘わらずカンツラーの表情は晴れていない。
「果たして私の選択は正解だったのでしょうか? 完全に手遅れ状態だったにせよ、狗神から救う為に九尾を私と同様の半人半龍にしてしまったのです。恨まれたとしても仕方がないのでは思ってしまいまして……」
「恨んでないよ」
「九尾!」
狗神を吐き出した際に気を失っていたと思っていたが意識はあったようだ。
「ありがとう。カンツ…今までずっと気持ち悪いものが体中を這っているような感じがしていたけど今はもう何も感じないよ。時々自分が自分でなくなる瞬間があったけど、もう二度とそんな事が起きないって自分でも分かるんだ」
九尾はカンツラーと視線を合わせるべく膝立ちとなる。
狗神の支配から逃れて髪も黒に戻ったが伸びた背丈はそのままであったのだ。
「カンツのお陰で
九尾はカンツラーの小さな体を抱きしめる。
「何よりカンツと同じ存在になれたのが嬉しい」
「そうか…受け入れてくれて、ありがとう」
カンツラーもまた小さな腕を伸ばして九尾を抱擁した。
初々しく抱擁をしている二人の邪魔をしたくはなかったが、九尾の現状を知らねばならぬと無粋を承知でゲルダは咳払いを一つした。
途端に二人はパッと離れるものの先程までの自分達を思い出したのか、俯いて顔を赤くさせてしまう。
半世紀以上も生きる愛息であるが根っ子の部分では見た目通りに純であるらしい。
ゲルダは苦笑しつつも九尾に問い掛けたものだ。
「それで今のお主の人格はどうなっておるのだ? 様々な武芸者達の魂が肉体の乗っ取り合いをした末に全て消えてしまったそうであるが」
「乗っ取り合いとは少し違うんだ。軍鬼は私の体に複数の武芸者や軍学者の魂を植え付けるばかりか、人格を統合する為に魂の融合を試みようとしていたんだよ」
「魂の融合とな? 何とも神を畏れぬ事を考えたものよ」
「ただそれは軍鬼の考えじゃなかった。大僧正の命令による実験だったんだよ。
「一つの人格を保ったまま、か……」
つまり九尾の体に押し込まれた魂達は初めから犠牲にされていたのだ。
恐らく軍鬼は狗神に武芸者達の魂を喰らわせて融合を試みつつ才のみを奪い人格を消そうとしたのであろうが、結果として主人格である天狐の父親の自我すらも消し去ってしまったのだろう。
「それが九尾が無垢であった真相か」
「そしてカンツが龍の血で狗神に汚染された体を浄化してくれた結果、無垢なる九尾に『母胎』となった
「一部とは?」
「くわもまた狗神に魂の一部を喰われていたから…それでも残された魂の欠片は私の心を最後まで狗神の支配から守ってくれていた。じゃなきゃ延光の助けがあったとしても最後まで狗神には抗えなかったと思う」
そして持てる知恵を九尾に与えるように彼女の魂に融けていったそうである。
「そうか、母は強し、であるな」
ゲルダは最後の最後まで九尾を守り抜いたくわの為に祈るのだった。
くわなる人物が九尾を娘としてか、夫の生まれ変わりとしてか、そのどちらかは分からぬが深く愛していた事に違いはない。
「武芸者や軍学者の魂達は延光が一緒に天へと連れて行ってくれた。彼らも犠牲者だったのに成仏する間際に謝ってくれたよ」
「そうか、彼らもまた幸せな来世を得られると良いな」
「私もそう思う。だって長年、血の滲むような修行で得た奥義や編み出した技を私に遺してくれたからね。自分の技を後世に遺したいという願望があったとしても中々出来る事じゃないよ。その意味でも私はこれからを大切に生きなきゃいけないんだ」
「大切に生きる。それは確かに重要な事だけど彼らが奥義を托したのはそれだけじゃないんじゃないかな?」
「どういう事?」
ゼルドナルの言葉に九尾は首を傾げる。
「彼らは君に幸せに生きて欲しかったんじゃないかって事さ。これから先、天魔宗が君を放っておくとも思えないし、自衛が出来るようにしてくれたんだと俺は考えている。まあ、様々な流派が渾然としているから遣い熟すには相当の修行が必要になるだろうけどね」
「幸せ…そうなのかな」
自分の胸に手を当てて考える九尾の頭に手を乗せてゼルドナルが微笑んだ。
「カンツは云うまでもないけど俺とゲルさんも君の幸せを願っている。修行をするにしても協力を惜しむつもりはないよ」
「ありがとう」
九尾ははにかむように笑って礼を云った。
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