第参拾伍章 ご両親へ挨拶をしよう・騎士編

「やあ、良く来てくれた。娘からの手紙に君の名が良く出てくるものだからね。一度会ってみたいと思っていたんだ」


 エヴァのである騎士アルトゥルが差し出した手をゲルダはしっかと握り返した。

 エヴァの実家に着いたゲルダは早速アルトゥルの仕事場へと案内されて顔合わせをすると笑顔で握手を求められたのである。


「む?」


 力が強いなと思っていたが、それが徐々に強くなっていく。


「いや、本当に我が娘の心を奪った・・・・・聖女殿には一言挨拶を云っておかねばと思っていた。会えて嬉しいよ」


「ほう…五百年前に伝説を残した英雄にそこまで云われるとは光栄ですな」


 ゲルダの手にも力が入る。

 二人とも顔こそにこやかであるが、握り合う右手だけが異様な熱を発していた。


「ふふふ……中々やるな」


「何の事ですかな? それにしても流石はエヴァの母御、お優しい手をしておられる。剣を最後に握ったのはいつの事でござるか?」


「何を!」


 言外に稽古をサボっているな、と云われてアルトゥルの目に剣呑な光が宿った。

 片やゲルダの顔は涼しいままだ。まだ半分も力を出してはいない。

 直心影流じきしんかげりゅうは打ち込み稽古こそ竹刀を用いるが、素振りには木刀や金棒を使う事もある。でなければ真剣などとても振れぬ。


「ぐううううう……」


 騎士が用いる剣は基本的に相手を甲冑ごと叩き斬る事を目的としている為に重量があるが、斬る事に特化していると云われる日本刀とて軽い訳ではない。

 しかもゲルダはアルトゥルの呼吸を読んで巧みに力を逃がしている。

 つまり彼女が込めた力ほどゲルダにダメージは無いのだ。


「エヴァが手紙にどのような事を認めたかは存ぜぬが、初めて会う相手に喧嘩を吹っ掛けるのは如何なものでござるかな?」


 ここでゲルダが漸く力を込め始める。


「ば、莫迦な?!」


 骨も砕かんばかりの腕力かいなぢからにアルトゥルは痛みを忘れて戦慄する。

 骨が軋み、手に力が入らなくなっているのだ。

 こんな細い腕のどこにそんな力が、とゲルダの腕を見て愕然とさせられた。

 筋肉は収縮する時に力を発揮し、その力は筋繊維の断面積の大きさに比例する。

 つまり筋力が強くなるほど筋肉が太くなるのが道理というものだ。

 しかしゲルダの腕は確かに細いが筋繊維の一本一本が常人のそれと比べて恐ろしく丈夫で強い為に断面積が小さくとも力が強いのである。

 アルトゥルが驚愕したのはゲルダの細腕が鋼のように硬質化しているのを見たせいなのだ。


「化け物か…」


「御挨拶であるな。人に生まれながら五百年以上も若さを保つ為に神と契約して戦乙女ワルキューレと化した母御殿に云われとうはないわいな」


 ゲルダの力は益々強くなり、五指は握り潰される寸前である。

 だが、それでも尚降参しないのは魔王を斃した騎士としての意地であろうか。


「母様ー! ゲルダー! 食事の準備が出来たわよー!」


 そこへダイニングから昼食が出来た事を告げるエヴァの声がした。

 咄嗟にゲルダは手を離す。


「おお、そうか。では参ろうかの、母御殿」


「う、うむ…」


 喧嘩を売った手前、痛む手を擦る事も出来ずにアルトゥルは同意した。

 それを慮って然りげ無くゲルダは魔力で痛みを和らげる。


「な、何故、手加減をした? あの力、私の手を握り潰せたろうに…エヴァの母だからか?」


 いや、とゲルダはニヤリと笑った。


「母御殿が弱いからだ。脅威に思わぬものを潰すほどワシも残忍ではないわえ」


「な……」


研ぎ師・・・として充分に生計が立っているのは分かるが鍛錬を続ける事を勧めておくぞ。何も騎士に立ち返れとは云ってはおらん。いざという時に愛する者を守れないのでは後悔してもし切れぬであろうと申しておる」


 ゲルダはアルトゥルの肩をポンポンと叩く。


「修行に終わりは無い。騎士を廃業しても剣の道を歩み続けてはいかぬという法など無かろうよ」


 アルトゥルが研ぎ師を生業なりわいとしている事から剣の道に未練があると見越しての言葉であるが、それはまさに正解であった。

 事実、アルトゥルは家族を養う為に研ぎ師を始めていたが胸の内では何かが燻っているような焦燥もまた確かにあったのである。


「料理が冷めるわよー!」


「おお、今、行くわえ」


 再度ダイニングから声がかかりゲルダは仕事場を後にする。

 残されたアルトゥルは笑みを浮かべてさえいた。

 手加減された怒りはある。三百歳の若造・・に説教された屈辱もあった。

 だが、それ以上に愉快で堪らなかったのである。

 勇者シュタムと共に魔王を斃してから些か傲慢になっていたらしい。

 自分より強い者と会うなんて久しくなかった事である。

 差し当たって蔵に仕舞い込んでいた愛用の剣を引っ張り出すとするか。


「ゲルダだったな。見ていろ。貴様、いや、君が目的を果たすまでに私は再び強くなる。手加減をする余地も無く、全力を持って私を潰さざるを得ないまでにな」


 だがアルトゥルは知らない。

 その日の午後、鈍った体でいきなり素振りを始めたせいでぎっくり腰になる事を。

 そしてズレた腰椎をゲルダによって填め直される際に地獄を見る事を。


「自分の身の丈よりも巨大な剣をいきなり振り回すヤツがあるか」


「め、面目ない……」


 以後、ゲルダに頭が上がらなくなり、同じ境遇の女騎士レーヴェと友誼を育む事になろうとは夢にも思わぬ事であった。

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