第弍拾玖章 帝国宰相対狗神

『ぐるらあああああああああっ!!』


 四足歩行となった九尾つづらおが襲いかかる。

 カンツラーは居合腰のまま九尾の出方を見極めようとしていた。

 爪か? 牙か? それとも体当たりか?

 巨大な犬の姿となって人と同様の攻撃は可能なのか?

 いずれ九尾が攻撃を始める出鼻を挫くと決めていた。


『ぐらあっ!!』


 なんと肉薄する寸前に九尾が身を翻し、九本の尾の一本が筋骨隆々の男に変じて右肩付近にて刀を立てるという構えを取った。


『ちぇーーーすとおっ!!』


 銀毛に覆われた巨漢が九尾の尾を振り下ろす勢いをも利用して独特の構えから刀を振り下ろす。


(この初太刀を受けてはならぬ)


 と察したカンツラーは懐に飛び込んで刀を抜き付けた。

 同時に腰を捻る。『飛龍聖羅』が車輪となって銀毛の巨漢の胴を薙いだ。

 『擬態』している時はまだしも本来のカンツラーは矮躯である。

 腕だけでは到底抜けるものではなく体全体を使って抜刀するのだ。

 これは何もカンツラーの工夫ではない。居合術のほぼ全ての流派においての常識であり、左半身を使って鞘を引く事で抜刀の所作を短縮しているのである。

 また片手斬りである為に間合いの利があるとされた。

 

「せいっ!」


『ぐるらああっ!!』


 抜き付けた『飛龍聖羅』が巨漢を斬ると再び一本の尾に戻って截断された。

 しかし、これで終わりではない。居合術は一度ひとたび抜かれれば終わりであり、初撃を躱せば良いと思われているのであればそれは誤解である。

 初太刀で仕留められなければ、すぐさまニの太刀に移行するのは当然であり、況してやカンツラーは直心影流じきしんかげりゅうも学んでいる。

 故に『飛龍聖羅』は斬られた尾が地面に落ちた時には大上段にあった。


「せりゃっ!!」


 裂帛の気迫と共に弓を引き絞っていた別の尾が化身した男を両断する。


『ぐぎゃああああっ!!』


 九尾が反転して立ち上がると口を大きく開いて噛み付こうとするも、既にその場にカンツラーの姿は無く、背後に回り込んで鎖分銅を振り回す男に化けた三本目の尾を根本から断ち斬り、跳躍して投網を打とうとしていた男を逆袈裟に斬り上げた。

 まだ止まらない。落下しながら二刀を持っていた化身を斬り伏せるや、次の瞬間には札のような物を持って唖然としていた男の首を刎ねたのである。

 これで六本の尾が使い物にならなくなった。それでもカンツラーは止まらない。

 瞬く間に残る三本の内、ニ本を斬り落としたのだった。

 これぞカンツラーが多勢を相手に戦う為に編み出した秘剣『疾風はやて』である。

 一所に留まらず常に動き続けながら攻撃に有利な位置を見つけては敵を斬り、斬ればすぐに動いて翻弄する事を極意とする秘剣だ。

 強靱な肉体と無尽蔵の体力を持つカンツラーならではの発想から成っている。


『莫迦な! 我が最高傑作である九尾が何故こうも容易く?!』


「確かに九尾に取り憑いている武芸者は手練れではあったのだろう。だが肉体の主導権を争って喰らい合い、自我を失った者がまともに戦えるはずがなかろうさ。今は貴様が操っているようだが、複数の武芸者を同時に操れるだけの器量は持ち合わせていなかったようだな。それとも多勢なら私を斃せると思ったか?」


 愚か者が――一喝と共にカンツラーは最後の一本を斬ろうとするが突如大きく後ろに跳んだ。その刹那後、彼がいた場所を十文字槍が貫いていた。


『おお、孤月院! もう九尾の中で蘇ったか!』


 なんと九尾の背に銀毛によって上半身を構成された孤月院延光がいて最後に残された尾を守ったのである。

 その勇姿に刑部おさかべ軍鬼ぐんきが喜びの声をあげた。


『さあ、孤月院! 邪魔者共を殺せ! さすれば九尾の肉体を貴様にくれてやる!』


『邪魔…者…?』


『そうだ! 早く致せ!』


『相分かった』


「くっ!」


 想像すらしていなかった延光の登場にカンツラーは唸らざるを得ない。

 矮躯の自分では十文字槍を自在に操る巨体が相手では分が悪かった。

 しかも先程まで相手をしていた化身共とは違って延光の目には理性の光が有り、九尾の肉体を十全に操る事が可能であった。


『では覚悟を致せ』


「へっ?」


 目の前の光景に誰もが言葉を失った。

 それもそのはずだ。延光の十文字槍は九尾に指を落とされた僧兵の胸を貫いていたからだ。


「な、何故……?」


 若い僧兵は口から大量の血を吐いて延光を見る。

 延光は汚物を見るかのように僧兵を見下ろしていた。


『邪魔者は貴様だ。愚僧に霊薬を盛った事は不問にしてやるが、我らは既に敗北している。潔く去るならまだしも恥知らずな事をしおって』


 僧兵は涙を流しながら延光を睨みつける。


「貴様…この刑部軍鬼・・・・を…天魔宗を裏切るか……」


『天魔宗だからこそ愚物を排除し襟を正すのだ』


「く…そ…ぼう…ず…が…」


 軍鬼は延光を呪いながら自らの血溜まりに沈んだ。

 それが九尾を操り、天狐・地狐兄妹を苦しめていた憑き物遣いの最期だった。


『聖女の子よ』


 延光がカンツラーに語りかける。


「何だ?」


『術師である軍鬼が死んだ今、間も無くこの娘に取り憑いた狗神いぬがみは暴走しよう。狗神は九尾の肉体を完全に支配しておる。下手に除霊すれば九尾の命をも脅かすであろうな』


「そうか」


 天狐から狗神が強力な呪物であると聞いていたカンツラーは平坦に答える。

 無論、カンツラーも九尾を救いたいと思っているのではあるが、自分の力では太刀打ち出来ない事も、あらゆる呪いを祓う母ゲルダでさえも除霊は困難である事を知っているがゆえに絶望に揺らぐ感情を押し殺しているのだ。


『しっかり致せ。希望はある』


「何?」


『正確に云えばお主は既に九尾を救うすべを持っている。だが逡巡しているだけだ。違うか?』


「それは…」


 延光の指摘通りカンツラーは九尾を救う方法を持ち合わせている。

 しかし、それは九尾を確実に不幸にすると分かっているが為に躊躇しているのだ。


『それはお主の主観であろう? だが愚僧に云わせれば九尾の、否、お主と九尾・・・・・に取っても救い・・・・・・・であると思っておる』


「ば、莫迦な……」


 カンツラーは延光の言葉を否定しようとしたが出来なかった。

 何故なら延光の言葉は正鵠を射ていたからである。


「いや、それ・・をしたら私は外道だ…」


『喝ッ!!』


 尚も逡巡するカンツラーに延光の喝が飛んだ。


『ならば九尾がこのまま苦しんで死ぬのが良いのか? それがお主の望みか?』


「ぐっ……」


『今は愚僧が狗神を抑えているがそう長くは持たん。しかもその間も九尾は狗神の呪詛に冒されて苦しんでいるぞ。お主はこのままで良いのか?』


「九尾……」


 カンツラーは思い出す。国立自然公園での出会いを。

 初めは困った敵の出現だと思ってはいたが、共に食事をし語らった事でその心証も変わってきたのだ。

 確かに好戦的で無邪気さに由来する残酷さもあるが、それは武芸者である自分も同じだ。敵の鼻や耳を千切る事はしないが、やむなく屠った敵は数知れない。

 時には命乞いをする凶賊を怒りのままに斬り捨てた事もある。

 九尾の言動に幼いものがあるのは否定しないが、それでも幼いなりに哲学を持っており、良心や優しさも持ち合わせていた。

 正直に云えば裏表のない彼女に惹かれるものがあったのだ。

 魑魅魍魎の跋扈する政治の世界に長年生きてきたカンツラーに取って癒やしにもなっていたし、何より邪気のない笑顔に魅力を感じていたのだ。


「九尾……」


 いつしか俯いていたカンツラーが顔を上げる。

 その顔からは迷いが消えていた。


「手間をかけたな、延光殿。今から狗神を排除する」


『うむ、良い顔だ。この延光、お主の大悟をしかと見届けた。さあ、これが愚僧に出来る最後の手助けよ!』


 延光が不動明王の火界咒かかいしゅを唱え、右手を九尾の背中に叩きつける。

 途端に延光も含めて九尾の体が燃え上がった。


『ぐおおおおおおおおおおおん!!』


 九尾、否、狗神が苦し紛れに吠えると炎はすぐに消えてしまうが、九尾の姿は先程とは全く違っていた。

 全身を覆っていた銀毛と延光の姿は消えて無くなり、人間の姿へと戻っている。

 記憶の中の九尾と違いがあるとすれば一本だけ銀毛に覆われた尻尾が残されている事と身の丈が伸びて美しく成長している事か。


『ぐるるるるるるるる……』


 二足歩行に戻っているが狗神はまだ健在であり、威嚇するように唸っている。

 九尾は腰の刀を抜き、下腹部から切っ先を突き上げるように構えた。

 まるで刀を一物に見立てているかのような構えに、今まで勝負を黙って見守っていたカイム王子は顔を顰めて“卑猥な”と漏らした。

 だが対峙しているカンツラーは下段から槍を喉元に突き付けられたような恐怖を覚えていたのである。

 これは天狐より話に聞いていた父親の必殺剣『曙天しょてん』に違いない。

 我流ではあるが、この喉を突くという意図が全く隠されていない殺意そのものが敵対者の首に絡みつき動きを封じてしまうのだという。

 これにより数多の武芸者を屠ってきたまさに必殺剣である。


「よもや記憶が戻ったか?」


 問い掛けるが帰ってくるのは唸り声だけであった。

 だが表情に憤怒は無く目には理性の光が戻っている。

 恐らくは九尾も戦っているのだ、狗神と。

 その理性が技となって表れているのではあるまいか。


(九尾は剣士としての戦いを望んでいる)


 九尾の構えからそう受け止めたカンツラーもまた構える。

 居合腰ではあるが、鞘をやや前に出し、自身も前傾だ。


「秘剣『野分のわき』を遣う」


「おお、いよいよ遣いおるか」


 カンツラーの呟きにゲルダが反応する。

 ゼルドナルは何も訊かない。愛息の集中を途切れさせない為だ。


『ぐるるるるるるる……』


 カンツラーから勝負の気配を感じ取ったのだろう。

 九尾の唸り声が警戒するように低くなった。

 間合いは四間(約七・ニメートル)だ。


「いざ!!」


 カンツラーの気迫に九尾の体が僅かに跳ねる。

 だが次の瞬間、なんと彼女の口から意味ある言葉が紡がれた。


『尋常に!!』


「『勝負!!』」


 両者は同時に駆ける。

 間合いは三間……二間…一間半。


「せいっ!」


 カンツラーが九尾に向けて跳んだ。

 同時に『飛龍聖羅』を抜き付ける。


『?!』


 跳ぶことで一気に間合いを詰めてきたカンツラーに一瞬たじろぐが、彼の体が一間を越えた時には平静を取り戻して刀を突き上げた。

 『曙天』の間合いは破られたがまだ殺傷は可能だ。

 加えていくら間合いに利のある片手斬りでもカンツラーの体はあまりに小さい。

 更には予想を遙かに越えて突き上げが伸び上がってきたのだ。

 だが予測を越えてきたのはカンツラーも同じ事である。

 なんと跳びながら小さな腕を伸ばし、上半身を前傾させる事で更に間合いを伸ばしたのだ。狙いは首の血管。外せば無防備な体を空中に晒す事になるが、決まれば一撃必殺の必殺剣だ。

 普段は『擬態』により長身の姿を取っているカンツラーであるが、いざ実戦となればまやかしなど些細な事で破れて元の矮躯へと戻ってしまう。

 そうなれば、間合いの利は完全に無くなってしまう。

 そこで母ゲルダと神夢想林崎流しんむそうはやしざきりゅうの師の三人で工夫を重ね、敵の間合いの外から一気に間合いを詰めて一撃で斃すという結論に至った。

 それこそが秘剣『野分』であり『花鳥風月』三番目の奥義である。


『ぐは……』


 『曙天』の間合いを外された九尾の首筋に赤い線が走り、そこから噴水の如く鮮血が噴き出した。切っ先が首筋の重要な血管を捉えたのだ。


「ぐっ……」


 しかしカンツラーの首にも浅く抉られた傷があり、止めどなく血が溢れていた。

 間合いこそ外されたが九尾の剣もカンツラーの喉を捉えていたのである。

 勝負は相討ちだったのだ。


『…カンツ』


 九尾が最後の力を振り絞ってカンツラーに歩み寄る。

 その顔は穏やかであり狗神の支配を受けているとは思えなかった。


「つ…つづ…ら…お…」


 カンツラーもまた残る力を出し切るように九尾に歩み寄った。

 その顔には絶望は無く、むしろ希望が見える。


「『かはっ!』」


 二人は同時に血を吐き、膝から崩れ落ちる。


「九尾」


『カンツ』


 それでも二人は這うように近づいていく。

 半ば呆然とカイム王子は死にゆく二人を見詰めていたが、すぐさま正気を取り戻してゲルダを見る。

 あらゆる傷を癒やす彼女なら二人を助けられるかも知れない。

 しかしゲルダは、ゼルドナルは黙って二人を見守っているだけだった。

 何故だ。カンツラーは愛する息子ではなかったのか。

 ゲルダは決着がつくまで見守っていると云った。これはもう決着ではないのか。

 それとも彼女の中では死ぬまでが勝負なのであろうか。


「善く頑張った…私達の勝ち・・・・・だ」


『うん……俺達が勝ったんだ・・・・・・・・


 二人は安らかな顔で微笑み合うと口づけを交わすのだった。

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