第弍拾捌章 帝国宰相の怒り

「これは…?」


 捕らえた僧兵も共に孤月院延光を弔っていると、彼の遺体に変化が起こった。

 なんと遺体が黒く変色し崩壊を始めたではないか。

 勿論、腐敗ではない。現に腐臭は無かった。


「これは転生の兆し? よもや延光様は霊薬を服用なされていたのか?」


 僧兵の一人が呟いた。


「これが霊薬の作用と?」


「霊薬を服用した武芸者の死に立ち合った事があるがまさに今の延光様と同じ状況であった。これが霊薬の作用だとしたら次に起こるのは……」


 延光の遺体は既に土塊つちくれの様な有り様であった。

 しかし変化はこれで終わらない。延光が着ていた衣に光が宿ったのだ。

 否、正確には衣の中に光るものが現れたのである。


「おお、延光様は転生なされようとしているのか?」


 僧兵が衣を土塊から剥ぎ取ると光を放つ植物の芽があるではないか。

 芽は瞬く間に生長して蓮の蕾となった。


「おお、延光様…」


 僧兵達は涙ながらに読経を始める。

 ゲルダが“法華経かな”と呟いた。

 やがて蓮の花が開き、中には光に包まれた小さな赤ん坊がいた。


「まさに…まさにこれこそ延光様の魂…」


「なんと」


 僧兵が恭しく延光の魂を手にしようとした刹那、野分の如き一陣の風が起こった。


「ひ、ひひいいいいいいいいぃぃっ?!」


 蓮の花が散り、なんと延光の魂が消え失せていた。

 しかも手を伸ばしていた僧兵の指までもが失われていたのである。


「何者か?」


 ゲルダの見据える先には袖や裾がほつれた僧衣を纏う女がいた。

 身の丈は150センチメートル程か、銀色に光る髪をポニーテールにしている。

 その背中からは半透明の白い尾のようなものが複数揺れていた。

 顔は憤怒で歪んでいるが、それでもなお麗しいと思える美形だ。

 しかも彼女は延光の魂を口に咥えているではないか。

 強膜が黒く瞳が赤い事から転生武芸者であるのだろう。

 だが指揮官である孤月院延光を失った今、ここに来て隠し玉を出すとは思えない。

 それは驚愕している僧兵達の有り様からも見て取れる。


「お主……もしや九尾つづらおか?」


 獰猛に唸っているが、ゲルダはその顔に幼い転生武芸者の面影を見た。

 その推測をゼルドナルが肯定する。


「確かに気配は九尾ちゃんのものだ。だが、おかしい」


「何がだな?」


「今の彼女からは複数の気配がするんだ。それも五人や六人ではない」


「どういう事だ?」


「分からない。だけど、この状況は極めてヤバいだろうね」


 かつてドラゴンの王を斃した英雄の額に冷や汗が浮かんでいる。

 それは魔界軍を相手取りながら首供養を二回も行った聖女も同様であった。


『ぐるるるるるああああ……』


 手を地につけて睥睨している様は人の姿ではあるが四足獣の如き力強さがある。

 僧兵達も延光の魂を取り戻さんと取り囲んではいるものの、腕が立つだけに彼我の実力差を理解させられてしまい動けずにいた。

 動けぬ僧兵達を嘲笑うかのように九尾は延光の魂を呑み下してしまう。


「ああ、延光様!」


 僧兵達が泣き崩れる中、上空より飛来するものが見えた。


「母者! 父上!」


「おお、カンツ!」


 そこへ小さな影が飛び込んできた。龍の翼を発現させたカンツラーである。

 愛息の無事な姿に両親の顔が綻ぶ。


「僧兵を数名取り逃がしましたが天狐てんこ地狐ちこ兄妹の捕縛は成功しております」


「おお、上首尾だね。こちらはゲルさんが敵将である孤月院を討ち、僧兵達を捕らえる事が出来た。けど、念話ではなく直接ここに来るなんて、何かあったのかい?」


 父の問いにカンツラーはちらりと九尾を見て首を横に振った。


「一足遅う御座いました。天狐より九尾の秘密を聞き出し、急いで駆け付けたのですが、もう動き出していたとは……」


「九尾ちゃんの秘密?」


「ええ、九尾には畏るべき秘密があったのです」


「秘密とは?」


 ゲルダとゼルドナルは揃って九尾を見た。

 先程まで唸り声をあげていた九尾であったが、カンツラーが現れてから何故か首を傾げて彼を凝視している。


「四年前、母者により四神衆が斃された事により天魔宗…ああ、寺院の裏の名で御座います」


「存じておる。こちらも孤月院殿からその名を聞いた」


「左様でしたか。その天魔宗は考えたので御座います。転生しただけでは聖女に勝てぬのであれば、一つの肉体に・・・・・・複数の知恵と・・・・・・武の技を組み・・・・・・込んでみては・・・・・・どうか、と」


「なんと! つまり九尾は」


「はい、肉体こそ一つですが、その身には多くの武芸者達のみならず有識者達の魂が渾然一体となっているのです。しかし、所詮は人の体、複数の魂が入り切る訳もなく、あの様に食み出した魂の緒が揺らめく事になりました。そして、それこそが九尾と名付けられた由来だったので御座います」


 今、明かされた九尾のおぞましい秘密に然しものゲルダも絶句させられた。

 云われてみれば確かに九尾の背で蠢く白い緒は尻尾のように見えなくもない。

 しかし、それが人の魂の一部であるとは想像もしなかった事である。


「そればかりか、九尾に宿った魂達は肉体の主導権を争い、喰らい合った結果、全ての人格が消滅してしまったそうです。それこそが九尾の心が無垢である理由だと天狐が申しておりました」


「何という事だ。では女性である九尾ちゃんが女性の裸に興味を持っているのは、消滅した武芸者達の名残か」


 ゼルドナルの言葉にカンツラーは首肯した。


「その潰し合いで消えた人格の一人が天狐兄妹の父親だったそうです。彼はとある暗殺組織の首領であったそうで、我が子が暗殺者として生きる事を不憫に思い天狐、地狐を連れて自らの組織から逃げたのです。しかし、すぐに追っ手がかかり子を守って戦っていく中で重傷を負ったそうです。そして新たな首領となった弟に天狐らを連れていかれるその刹那、天魔宗に救われ、その代償として転生武芸者となった経緯があったとか」


「九尾が天狐と地狐に懐いていた理由がそれか。だからこそ天狐は前世の記憶が無い事を歓迎していたのだな。折角生まれ変わったというのに前世の辛い記憶を持ったままでは不憫であるからのぅ」


 哀しげに自分を見詰めるゲルダに九尾はきょとんと首を傾げる。


「しかし、殿。では今の九尾の様子は如何なる仕儀で? まるで獣ですぞ」


 ブリッツの問いにカンツラーは表情を変えずに眼鏡の位置を直す。

 この仕草でブリッツはカンツラーが怒りを堪えている事を悟る。

 これこそ感情を表に出さぬ為にカンツラーが編み出した処世術なのだ。


「無垢のままでは敵は斃せぬ。無邪気ゆえの残酷さもあるが、それとて人を斬るとなれば手は鈍るであろう。それ故に天魔宗は更なるおぞましい実験を試みたのだ」


「と云いますと?」


「日本には犬蠱けんこなる呪物があるそうでな。犬を首だけ出して生き埋めにし、目の前に食べ物を置いて放置し餓死寸前となった時に首を斬り、その怨念を持って人を呪うのだそうだ。天魔宗はそれに手を加え、霊薬を与えた犬でそれを行い、その怨霊を九尾に憑かせたのだという」


「な、なんとおぞましい……」


「天狐と地狐が“九尾が苦しんでいる”と云うので文字通り飛んで来てみればこのような事が起こっていたとはな」


 カンツラーは銀縁眼鏡を外すとそこには蒼銀の瞳を怒らせる凶相があった。

 見た目こそ幼いが、これまでの人生経験が剣客としての貫禄を与えているのだ。


「孤月院の死で憤ったか? いや、違うな。私は貴様・・を善くは知らぬが、そのような情を持ち合わせていない事は予測できる。ガイラント帝国での布教計画が潰えた事で方針を切り替えたのであろう? “ならばいっその事、ガイラント帝国を破壊し尽くしてしまえ”とな」


「殿? 一体、と話しておられるのです?」


 カンツラーはブリッツの問いには応えず、愛刀『飛龍聖羅』を居合腰に構える。


『くくくく……』


 九尾の口から男の含み笑いが漏れた。


「なんと」


『ガイラント帝国宰相カンツラー……聞きしに勝る若さ、否、幼さよな』


「ハッ! 狗神いぬがみとやらを通さねば話も出来ぬ臆病者か。十大弟子もピンキリよな。母者と真正面から戦った孤月院殿は尊敬に値する僧兵であったが、憑き物遣いというものは陰でこそこそと小賢しく立ち回るしか能が無いらしい」


『き、貴様! この刑部おさかべ軍鬼ぐんきを愚弄しよるか!!』


 軍鬼と名乗った術師は憤るがカンツラーは逆に平静を保っていた。

 否、怒りの度が過ぎて落ち着いているように見えているだけである。

 さながら嵐の前の静けさだ。


「無垢なる少女に狗神を憑かせて操るような愚物だ。愚弄もしたくなる」


 口元では笑みを形作ってはいるものの、カンツラーの無理矢理怒りを押し込めた目の力に一同は九尾を相手にしていた時以上に怯えてしまう。

 ゲルダやゼルドナルですら二の腕を擦り、最良の相棒であるブリッツも初めて見る怒りように胆を冷やしたものだ。

 カイム王子に至っては声すら出ない有り様である。


「天狐、地狐ほどの者達が何故、天魔宗の云い成りになっているのかを知った私の気持ちが分かるか? 天狐達は九尾の幸せを願っている。父親の生まれ変わりであり、その転生の為に犠牲になったのが母親であるならば尚更だ。しかも母親が『母胎』となることを受け入れたのは夫を生まれ変わらせたかっただけではないぞ。天狐達の暮らしの生計たつきを立つようにする契約だったそうだな。そりゃ天狐達が九尾を可愛がる訳だ。それを実験動物のように無数の魂を植え付け、結果として心が無になると狗神を取り憑かせて操るときたか」


 カンツラーのこめかみの血管が別個の生物のように脈打つ。


「貴様はそうやって九尾ばかりか、あの娘を愛する天狐と地狐までも操ったのだ。さあ、教えてくれ。そのような外道、どうすれば尊敬できるのかを、な」


『黙って聞いていれば云いたい放題云いおって! こうなったら我が最高傑作、九尾の力を存分に味わうが良いわ!! 行けい、九尾よ!!』


 軍鬼に命じられるが九尾は動かない。

 先程と同様にカンツラーをじっと見詰めているだけだ。


『九尾よ。何をしておるのだ?!』


 自らの口から軍鬼の命令が再度飛ぶがそれでも九尾は動かない。

 そんな九尾に先程まで見せていた怒りが嘘で有るかのようにカンツラーは微笑む。


「九尾、暫し待て。すぐに助けてやる。天狐と地狐も一緒だ」


 すると九尾の目から一筋の涙が零れる。


『カ…カン…ツ…カン…ツ…カンツ…』


 何度もカンツラーの愛称を呼ぶ。

 国立自然公園の出会いが九尾にとって大きなものとなっていた証拠だ。


『ええい! 云う事を…カンツ…聞けい!! ヤツを…カンツ…ころ…ころ…カンツ…くる…しい…たす…けて…』


 狗神を通して軍鬼に操られながらも九尾はカンツラーに手を伸ばす。

 たった一度の出会いでと驚くなかれ。無垢ゆえに愉しかった出会いは鮮烈に九尾の心に刻み込まれていたのである。


「ああ、待っていろ。少し痛いかも知れぬが我慢してくれ」


『わか…った…がんばる…』


「いい子だ」


 カンツラーはニコリと微笑んだ後、剣士としての冷徹な顔となる。

 同時に九尾も無垢なる子供の顔から獣の如き形相へと変わる。


『てこずらせおって! さあ、ガイラントの宰相を殺せ!!』


 九尾のポニーテールを結んでいた紐が千切れ、銀の髪が伸びて彼女を覆い尽くしてしまう。差し詰め銀の繭といったところか。


「何を企んでいる?」


 繭はすぐに破れ、中から九本の尾を持つ狐ならぬ犬が現れた。


「父上! 母者! 手出しは無用に願います!」


「分かっている。思うがまま戦え。母は決着まで見ているぞ」


「ああ、この戦いは君の戦いだ。僧兵達にも手出しはさせない。心行くまで戦いなさい。そして九尾ちゃんを必ず助けるんだ。君なら出来る!」


 両親だけでなくブリッツも戦いに赴くカンツラーを見送る。


「殿! 敵に捕らわれている女性を救うとはまさに男の本懐! セッティングはお任せあれ! 不肖ブリッツ、媒酌人を御引き受け致しますぞ!」


「何の話だ!」


 ブリッツの声にカンツラーは怒鳴り返す。

 だが、これによりカンツラーの肩から余計な力が抜けた事は確かだった。

 やはり、この二人は良い相棒同士なのであろう。


「あ、あの、カンツラー殿…ですよね?」


 更にはカイム王子も戸惑いながらも声をかける。

 それを流し見てカンツラーは鼻を鳴らす。


「いたのか、バオムの小倅」


「小倅って…いや、バオム王国・第一王子カイム=ケルン=バオム。余計な事は云いません。貴方の戦いをしっかりと拝見し、勉強させて頂きます!」


「ふん! 婚約した事で少しは男の顔をするようになったか。ならば、こちらも恥ずかしくない戦いをせねばな」


 一瞬だけではあるがカンツラーが微笑んでみせたのは目の錯覚か。

 だが、それでもカイム王子はどこか晴れやかな気持ちになったものだ。


「さあ、九尾を解放して貰うぞ! 来い!!」


 この日、最後の大勝負が始まったのだ。

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