第弍拾弍章 楽しい昼食

『これ美味いな! あ、これも! こっちも美味い!』


「はははは、誰も取りはせんでな。ゆっくり食べる事だ」


 芝生の上に広げられたレジャーシートの上でゲルダ達は弁当を使っているのだが、如何にも上流階級で御座いという装いの家族に混じって一際異彩を放っている幼い少女がいた。

 袖口や裾がほつれた僧衣姿の少女が右手にサンドイッチ、左手に握り飯を持って楽しそうにニコニコと笑っている。

 異世界より選ばれし武芸者の魂を呼び寄せ、新たな肉体を与える『異世界転生』の儀によって再誕した転生武芸者と呼ばれる異形の者だ。

 九尾つづらおと名乗ったこの少女も転生武芸者最大の特徴である黒い強膜と赤い瞳、四角の瞳孔を持っているのだが些か気質が幼すぎる嫌いがある。

 転生武芸者の強みは前世で培ってきた武術と知恵を転生後に強化された新たなる肉体で生かす事にあるはずなのであるが、その振る舞いは武人とは思えない。


『美味い美味いうまっ?! んぐぐぐぐっ?!』


「一度に頬張るからだ。ほら、お茶だ」


 喉詰まらせた九尾にお茶を手渡した後、背中を擦っているカンツラーの姿はさながら腕白な姉を世話するしっかり者の妹といった風情だ。


「口元も…じっとしていろ」


 御飯粒やジャムで汚した口元を拭ってやる姿はどちらも幼い姿という事もあって微笑ましい。


「ゼルさんが皇帝を引退したらもう一人子供を作るのも良いな」


「ああ、カンツもそろそろ弟か妹が欲しいだろうしね」


 いやいや、この歳で今更兄弟が欲しいとは思わぬわい。

 まあ、隠居した二人が子育てしたいと云うのであれば弟ないし妹の誕生を祝福するし、面倒を見る事も吝かではないが。


「母者も云っているだろう。誰も取りはしないからゆっくりしょくせ」


『だって、みんな美味いんだからしょうがないだろ。寺ン中だと精進料理ばかりだし肉も魚も滅多に食えないんだからさ。あ、このハムサンドも美味い!』


「ふふふ、これだけ景気良く食べてくれると作った甲斐があったと云うものだ」


 ゲルダは九尾の口元についている御飯粒を取ると自分で食べながら笑ったものだ。

 何故、敵である転生武芸者と仲良く弁当を囲んでいるのかと問われれば、倒れるほどに空腹を訴える九尾をカンツラーが放っておけなかったからである。

 無視をしても良かったのだが、幼い子供が空きっ腹を抱えて腹を鳴らしている様は流石に見捨てるには絵面が悪すぎた。

 カンツラーは九尾を睥睨しつつ数分の沈考の後、上杉謙信が宿敵・武田信玄に塩を送った故事もある事だし、食事を与える事で懐柔出来るかも知れぬと何故か云い訳染みた理屈をつけると九尾を食事に誘ったのである。

 勿論、九尾が飛び付くようにその招待を受けたのは云うまでもない。

 その後、ゲルダが用意した弁当を目の当たりにして、九尾を誘って正解だったとカンツラーは胸を撫で下ろしたのだった。

 カンツラーも両親が腹を空かせた子供を拒絶するとは微塵も思ってはいなかったが、まさか握り飯やサンドイッチに始まり、唐揚げや卵焼きなどが山の様に積まれるとは想像すらしていなかった事である。


「余ったとしても『塵塚』の母者から分け与えられた『塵塚』に仕舞えば無尽蔵に、しかも半永久に腐らせる事無く保存出来るのであるから問題はなかろうて」


 ゲルダの白い指が宙に輪を描くと、その輪の中が夜の闇のように黒くなり中から貧乏徳利が現れた。

 ゲルダは盃に酒を注ぐとぐいっと一気に煽る。


「赤く色付く紅葉と秋の花を愛でつつ呑む酒のなんと美味い事よ」


 子供のいる前で真っ昼間から呑むのは如何なものかと思わないでもないが、母にとって唯一の道楽であり、偵察とはいえ半ば行楽である事もあってカンツラーは口を閉ざしておこうと決めた。


「流石はゲルさん、ドレスにそぐわないはずの貧乏徳利もゲルさんが持つと途端にしっくりくるのだから不思議なものだね」


「聖女を名乗る気は今も尚無いがな。カイムに勇者と木の精霊の力を制御するすべを伝授し導いている褒美を雷神殿がくれると云うでな。遠慮のう灘酒が無限に出る・・・・・・・・貧乏徳利・・・・を賜った。中々ワシの口に合うものが出来ず、何度も作り直させたが、ここ最近になって漸く完成したのだ」


 雷神ヴェーク=ヴァールハイト曰く、普通、神から賜り物がある際には力やスキル、或いは知恵を希望するのが相場であるらしいが、母としては、修行を続けていればいずれ手に入るのだから、人の世では手に入らぬ物を所望すべきであるという事らしい。


「近日中には美味いワインが沸く酒瓶も完成するそうだ。何とも楽しみな事よ」


 握り飯を肴に杯を傾ける母親にカンツラーは何ともいえない表情を浮かべる。

 聞いた話では、その二つだけでは母が三百年の人生で行ってきた偉業には足りず、味醂や醤油、味噌、酢などの調味料の材料が無限に沸く蔵も近々天界より下賜される予定なのだとか。


「ワシの前世の父上は武士ながら味噌や醤油を家で作っておられたからな。ワシも幼い頃より手伝わせれたものよ。その知識と経験が役に立っておる。持つべきものは玄人跣の技術わざを持つ親であるな」


 仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうの父・仕明二郎三郎じろうさぶろうは武術こそ拙かったそうであるが、知に明るく心優しい人だったそうである。

 また武士としては腰が低く、人からも好かれる質で、味噌や醤油を作る技術も知己となった職人から“売り物にせず自分の家で使うのなら”と教えて貰ったそうだが、いつしか本職さえも唸らせる程の物を作り上げてしまったという。

 それこそ噂を聞きつけた高級料亭が高く買い取るとまで云ってきたそうであるが、父は頑として首を縦に振らなかったという。職人との約束を守ったのである。


『ふーん、そういうの嫌いじゃないぜ。やっぱり人は約束を守ってナンボだよ』


 味噌を塗った焼きおにぎりをぱくつきながらの言葉に一同は九尾を見た。

 指に付いた味噌や御飯粒を舐め取りながら九尾はきょとんとしている。


『何だよ? 俺、変な事を云ったか?』


「いいや、何もおかしな事は云うてはおらぬぞ。それより父上を褒めてくれてありがとうのう。ワシにとって自慢の御方であるからな」


 ゲルダは微笑んで九尾の頭を撫でる。

 それが心地良いのか、九尾も“にへぇ”と笑った。


「一口に転生武芸者と云ってもそれぞれなんだね。育てた人が良いんだろう」


『えー、天狐てんこ兄ちゃんは俺が悪戯するとすぐぶん殴ってくるぜ? 特に地狐ちこ姉ちゃんの風呂を覗いたり胸を揉んだりするとそりゃもう怖いんだ』


「先程も同じ事を云っていたな。だが、やはり自業自得であろうよ。躾であろうと幼い少女を殴るというのはあまり褒められたものではないが、貴様は転生武芸者なのだろう? つまり実際は前世を含めて相当生きているのではないのか?」


 幼い姿にかこつけて地狐とやらに性的な嫌がらせをするのは卑劣なのでは無いかとカンツラーは詰る。

 対して九尾は腕を組んで首を傾げている始末だ。


『んー…みんなも俺の事をその転生武芸者だって云うんだけど、善く分からねぇ。その前世? …の記憶なんて無いしさ。それに俺も何で女の裸を見たいのか、自分で分からないんだ。自分も女なのにおかしいよな』


「前世の記憶が無いとな? それで天狐とやらは何ぞ云うてはいないのか?」


 ゲルダの問いに九尾は上を見上げつつ人差し指を顎に当てて考えている。

 やがて思い至ったのか、やはり首を傾げて答えた。


『天狐兄ちゃん、こんな事を云ってたな。“前世の記憶が無いのは普通の事だ。有る方がおかしいのだ。今のお前は九尾、それで良いじゃないか”って、今にして思えば俺に前世の記憶を思い出して欲しくないようにも受け止められるよな?』


「どういう事だ? もしや天狐と貴様の前世には繋がりがあるのではないのか? それもあまり良い関係ではなさそうであるな」


『そうなのかな? そういや地狐姉ちゃんも“女同士になったんだし、私の胸くらいいくらでも見せてあげるし触らせてあげますよ”って云ってたな』


「女同士になった、な。天狐らが貴様の前世と関わりがあるのは間違いなさそうだ」


『うーん、でもお前の話じゃ俺の前世と天狐兄ちゃんと地狐姉ちゃんの仲は悪そうなんだよな? じゃあ、なんで二人は俺に良くしてくれるんだ?  そりゃ天狐兄ちゃんは怒ると怖いけど普段は善く遊んでくれるし、寺の連中には内緒で美味い飯を食わせてくれるんだぜ。特にカレーは最高だな!』


「仲が悪かったのでは、というのは飽くまで私の推理だ。天狐とやらを善くは知らぬから貴様の言葉から推察しているに過ぎん。実際に会えば……ッ?!」


『あ……』


 四人はほぼ同時に一方を見る。

 そこにいたのは僧衣を纏った二人組であった。


「まったく、どこへ雲隠れしたのかと思えばこんな所で何をしているのだ?」


 背丈はゲルダとほぼ同じくらいか。

 小柄でクセっ気のある黒髪を腰まで伸ばした若い女が九尾を睥睨している。

 腰の帯に小刀を二本差している事からソレが得物なのであろう。


「て、天狐兄ちゃん…ごめん」


 否、どうやら男であるらしい。

 九尾の謝罪に天狐はばつが悪そうに頭を掻いた。


「飯抜きを昨晩だけにすれば良いものを朝も与えなかったのはやり過ぎだった。もう怒ってないから帰って来い。そちらの御家族にもご迷惑をおかけ申した」


「いや、お弁当は沢山用意していたからね。むしろ楽しい昼食になった。九尾ちゃんには感謝しているくらいだよ」


 九尾の頭を撫でるゼルドナルに天狐は恐縮する事しきりだ。

 その様子に大柄の人物も前に進み出た。では、こちらが地狐か。

 身長はゼルドナルをも優に超えている。190センチ程か、下手をすれば2メートル前後まであるやも知れない。

 顔立ちが深窓の令嬢を思わせる上品な美形だけに余計に異様である。


「九尾、兄様あにさまは貴方がいなくなったと知って、それは心配して方々を捜していたのですよ。勿論、私もです。他にも心配して下さった方達もいます。もう勝手な事をしてはなりませんよ」


『地狐姉ちゃんもごめん』


「分かって貰えたのなら良いのです。そちらの御家族様におかれましては九尾に食事を与えて下さった事も含めて厚くお礼を申し上げます」


「いや、夫も云った事だが楽しかったのはこちらも同じ事。九尾の食べっぷりは見ていて気持ちの良いものであったぞ。それよりもである」


「ええ、囲まれています」


 地狐が六尺はあろうかという鉄製の六角棒を手にして振り返る。

 見れば多数の男達が八方から輪を狭めるように近づいてきていた。

 男達の中にはマーキングされた者も散見する。

 しかも赤い三角に“01”とナンバリングされていた者までいた。

 それは本日最初に敵としてマーキングされた事を意味し、つまり先程犬を連れていた夫人であったはずなのだが、今の姿は匕首あいくちを手に下卑た笑みを浮かべる男であった。


「貴方達、九尾はこの通り無事に見つける事が出来ました。そのような物騒な物は仕舞って退きなさい」


 男達は地狐の言葉を聞くどころか更に輪を狭めてくる始末だ。

 ブリッツの別荘に出入りしている者達と天狐らは仲間ではないのか?


「九尾? そんなのはどうでも良い。俺達はそこにいる女に用があるのだ」


「このご婦人に?」


 訝しむ地狐に男達は小莫迦にするような笑みを浮かべる。


「そんな近くにいてまだ分からないのか? その女こそ四神衆を斃した聖女ゲルダよ。どこの世界に転んで男泣きする餓鬼がいる。怪しすぎて調べてみれば女は噂の聖女様じゃねぇか。しかも様子を見れば宰相補佐官とかの別荘を見てやがったよな?」


 男が凄むがこの場にいる者で怖気付く者など一人もいない。

 むしろゲルダは呆れ果ててしまっている。


「無粋な。我らは行楽の最中だ。一家の団欒を邪魔するつもりか」


 瓶底眼鏡を外すと金の瞳が現れる。

 途端に男は金縛りにあったかのように全身が硬直した。


「それに俺達は展望台から景色を見ていただけだ。確かにブリッツ君の別荘は見えたが、アレだけ離れているのに見るも何もないと思うけどね? 何か見られると都合の悪いモノでもあるのかい?」


 彼らの眼鏡には望遠機能もあるのだが、端から見れば確かに景色を楽しんでいるようにしか見えない。彼らの行為は知らぬ者が見たならば自意識過剰な云い掛かりにしか思えないだろう。

 ゼルドナルが立ち上がり、家族を守る為に前に出る。


「天狐殿で良かったかな? 見れば仲間のようだが家族に手を出そうとするのであれば俺も黙ってはいられないんだけどね」


「連中は上層部うえの中でも過激な一派が戦力として金で手懐けた半グレどもだ。そこそこ腕は立つが躾がまるでなってない野良犬のようなやつばらだ。遠慮はいらぬ。存分に叩きのめして構わない。元々拙僧にとっても奴らは不快であったのだ。ご助勢致す!」


 なんと天狐が腰の小刀を抜いてゼルドナルと並んだではないか。

 しかも地狐も六角棒を手に彼らの背後を守っていた。


「テメェら、裏切るのか?!」


「裏切るも何も貴様らを仲間と思った事は無い。それに九尾の事で迷惑をかけてしまった手前もある。いずれは戦う事になるであろうが、今は義により助太刀するのだ」


「お気を悪くなさらないで下さい。四神衆の白虎殿は兄様と将来を誓い合った仲だったのです。無論、私とも仲良くさせて頂きました。この場は手をお貸し致しますが、日を改めれば聖女ゲルダ様に勝負を挑ませて頂きまする」


「相分かった。今が味方であると確約してくれるのであれば、それで良い」


 ゲルダも愛刀を召喚して戦列に加わる。


「な、何だ、その余裕は?! こっちは百人いるんだぞ?!」


 男が吠えるが六人とも涼しい顔だ。


「カンツと九尾はじっとしておれ。この程度の連中、お主らの手を汚す値打ちも無い。くだらぬ掃除はワシらに任せておけい」


「母者、ここは万人の憩いの場、斬れば穢れます。話も聞きたい事ですし、手捕りに願います」


「おお、心得ておるわえ」


 ゲルダは既に峰を返していた。


「我らも同意しよう。だが、こやつらからは大した情報を得られぬと思うぞ」


「かといって半グレどもを放置する訳にもいかん。一網打尽にして他に仲間がいないか、じっくりと話を聞かせて貰う。その後は罪に応じた罰を与えるだけだ」


「テメェ! 既に勝った気になってンじゃねぇ!!」


「吠えるな。みっともない。むしろ足らんくらいだ。その程度の数でこの場に現れた事を後悔するんだな」


 愛息との行楽を邪魔されたゼルドナルは怒り心頭である。

 カンツラーは今から行われる蹂躙劇を想い、知らず合掌するのであった。

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