第弍拾壱章 国立自然公園

「ほう、広いだけではなく四季の花々の彩りも美しいことであるな」


「国立自然公園、年間利用者は延べ百五十万人とあります。“文明と自然の調和”をテーマとし、遊歩道に始まり、アスレチックに屋外コンサート会場、バーベキューにキャンプ場と設備も充実しておりますな。川や池こそ人工のものですが豊かな自然は人々の心を大いに癒やしているとか。ガイラント帝国にあって人気の観光スポットで御座います」


 父ゼルドナルに抱かれたカンツラーが母ゲルダに自然公園の解説をしている。

 近代化が進み、開発の為に失われつつある自然に歯止めをかける為、ある貴族が提案した公園建設を受けてカンツラーの号令で作り上げたのがこの公園であった。

 人工の川や池といった水の流れは『水の都』をヒントにしたという。

 何故なら伝説によれば『水の都』の水路は水の精霊の意見を取り入れて設計したもので、国中・・の隅々まで均等に水が行き渡るようにしているそうな。

 一見、複雑に入り組んだ水路は上空から見下ろせば水の精霊を象徴するシンボルであり、精霊の加護が宿っているとされている。

 故に自然公園の水路は簡略化されてはいるものの澱む事無く流れて草木だけでなく、そこに棲む生き物を育み鳥獣を潤しているのだ。

 更にはその応用で木の精霊の意思に沿った植林をする事により植物の生長を促し、しかも開発による彼らの怒りを和らげたという。

 もしカンツラーが人間であったのなら木の精霊も聞く耳を持たなかったであろうが、半分とはいえこの世界でも最強種であるドラゴンであり、水の精霊に愛されている『水の都』の住人であったが故にオブザーバーにもなって貰えたのだ。

 余談ではあるが自然公園の建設を提案した貴族はカンツラーにより“云い出しっぺの法則というものがあってだな”と環境保護大臣なる役職を与えられ、日々帝国の自然保持の為、激務に追われているそうな。


「それでブリッツ君の別荘はどこだい?」


「あの先の丘を登ると展望台があり、そこからブリッツの別荘を見下ろせます。偵察ついでに別荘を出入りする者全てをマーキングしておきましょう」


 カンツラーはなだらかな丘を指さすがゼルドナルは動こうとはしない。

 不審に思って父の顔を覗こうとするも、小声で話しかけられた。


「俺達の背後を歩く犬を連れた女性が見えるかい?」


 云われてカンツラーは不自然にならぬよう後ろを確認すると確かにいた。

 白い子犬を連れた大きなつば・・のある白い帽子を被った夫人が一人。

 一見すると犬の散歩をしているどこにでもいる中年女だが何かがおかしい。


「人と目を合わさぬように意識するあまりかえって視線の向きが不自然になってしまったのだ。いくら自然豊かな公園とはいえ、視線をずっと横に向けるなど不自然にも程がある」


 違和感の正体は視線それか。


「ふむ、この公園からブリッツ君の別荘を見下ろせるのは敵も承知しているのかも知れないね。だから別荘を見張る者がいないか探っているの可能性もある。謂わば“見張りの見張り”だ」


「つまりは私達を、否、周囲にいる利用客達を疑っていると? だとしたら敵は間抜けですな。そんな事をすれば自分達はやましい事をしていると自ら告白しているようなものでしょう」


「孤月院とやらは余程猜疑心が強いのか、或いは気の利いた・・・・・手下の独断か。どちらにせよ、このままあの丘に行くのはマズいぞ。下手をしたら敵であると見抜かれて逃げられてしまうやも知れぬ」


 ゲルダの言葉を受けてカンツラーは一計を案じる。


「父上、私を降ろして下され」


「カンツ? どうしたんだい?」


「相手の出方を見ます。はしゃいで駆け回り派手に転んで泣いて見せれば反応を見せるでしょう」


「分かった。だけど泣く演技は意外と難しいと聞くよ。大丈夫かい?」


 心配する父の言葉に幼げな顔に笑みが浮かんだ。


「私はこれでも三十年近く政治の世界に身を置いているのです。泣きたい時に泣くくらいは当然の嗜みで御座います」


「息子の口から嫌な言葉を聞いたわ」


 ゲルダの尤もな感想にカンツラーは苦笑する。


「では行ってきます」


 遊歩道に降ろされたカンツラーは歓声を上げながら駆け回る。

 ちょこまか走る我が子にすかさずゲルダが声を掛けた。


「そんなに走ると転びますよ!」


 その姿は我が子を心配する母親そのものであり不自然には見えない。

 大丈夫、とずんずん走っていくカンツラーもまた誰が見ても無邪気な子供である。


「あっ?!」


 そうこうしている内にスカート・・・・の裾を踏んで盛大に転んでしまう。

 予定通りカンツラーは立ち上がると全身を振るわせて泣き始めた。


「あぐう……おお…ふぐぅ……」


 天を見上げて震えただただ嗚咽をもらした。

 その様子を見ていたゼルドナルのこめかみにデフォルメされた汗が垂れる。


「あれじゃ男泣きだよ。どこの世界に咽び泣く幼い女の子・・・・・がいるんだい」


 かつて強力な台風がガイラント帝国を襲い甚大な被害を出してしまった事があるのだが、記者会見でその犠牲者に御悔みを述べる際に男泣きしていたカンツラーを思い出したのだ。帝国民に犠牲が出た事自体は哀しかったのは事実であるが、涙に関しては演技であったというのであるから親として複雑な気分にさせられたものである。

 勿論、カンツラーが無情なのでは無い。被災地の救護活動や避難誘導の指揮を取る為に感情を律するあまり悲壮感を表に出せなくなってしまっただけの話なのだ。


「あらあら、云わない事じゃない。大丈夫よ。母様がすぐに傷の手当てをしてあげますからね」


 ゲルダがカンツラーに駆け寄っていくのを見届けるとゼルドナルは、医務室はどこか、と周囲を見渡した。

 周囲にいる人々は何事かとこちらを見ていたが、例の女はなんと泣くカンツラーが目に入っていないかのように通り過ぎていったではないか。

 近くの利用者の中には心配げにカンツラーに声を掛ける者もいたのにである。

 泣く子供に関心が無いのではない。監視している事を周囲に悟られないように集中するあまり咄嗟の事に対処できなかったのだろう。その証拠に今も尚、カンツラーから無理があるレベルで顔を背けていたのだ。

 やはり見張られているのは確実であった。

 ゼルドナルが片眼鏡モノクル越しに女を見ると、彼女と重なるように赤い三角のマークが付いた。『塵塚』のセイラがゲルダ達に与えた眼鏡の機能の一つでマーキングといい、赤い三角は敵ないし要注意人物である事を示している。しかも一度マーキングをすればゲルダとカンツラーの眼鏡にも情報が共有される優れ物だ。

 他にも怪しい動きをしている者がいないか探るが少なくとも目に入る範疇には敵はいないようである。隠れている様子もない。

 取り敢えずカンツラーの治療が終わったようなので、声をかけてくれた老夫人に礼を述べるとくだんの丘を目指す事にした。


「展望台と云っても櫓に毛が生えたものと思っておったが、なかなかどうして立派なものであるな」


「海抜百メートルの大展望台、螺旋階段を登るのは大変ではありますが、頂上の展望ラウンジからの眺めは最高ですぞ」


「ほう、これは確かに絶景だね」


 展望ラウンジは総ガラス張りとなっており遠くまで景色が善く見えたものだ。

 階段を登るのはキツイがその労力に見合う大パノラマがあった。

 一行は遙か遠くに見える海や山々を堪能しながらブリッツの別荘が見える位置まで移動する。


「あれがブリッツ君の別荘か。自然公園の近くに建てただけあって景観を損ねない良いデザインだけど、敷地にいるのは総じて頭を丸めた厳つい男ばかりだなぁ」


「武器は所持していないが手練れであるのが一目で分かるな」


「ブリッツが別荘を提供してくれたからこそ奴らは集まっているのです。もし散り散りとなったり地下に潜られなら面倒な事になっていたでしょうな」


 口では「高いねぇ」とか「鳥さんがいるよ」とか微笑ましい家族を演じているが、脳内では念話で繋がっており、互いに気付いた所を報告して情報の共有をしていた。

 一通り観察とマーキングを終えるとカンツラーは非常階段まで移動する。

 出口の扉には施錠を施されていたが、あらかじめマスターキーを用意していたので鍵を開けると素早く外に出た。


「他の客の死角になるよう扉の前にいて下され」


「何をするつもりだな?」


「別荘の真上から偵察してみようと存じます。指揮官と目されている孤月院の顔だけでも確認しておきたいのですよ」


「相分かった。気を付けよ」


「無理だけはしてはいけないよ?」


「承知」


 カンツラーは非常口から外に出ると階段を登っていく。

 屋上に出たカンツラーはワンピースの腰のあたりから出ている紐を引いた。

 すると服の背中部分が外れて白い肌が露出したではないか。


「周囲に人の気配は無し…では行くか」


 カンツラーは龍の翼を展開すると大きく羽ばたいた。

 なんとその一回だけで彼の姿は遙か上空にあったのだ。


「さてさて、孤月院殿はいらっしゃるかな?」


 風を切る音も無くカンツラーは一キロメートルも離れたブリッツの別荘上空まで一瞬にして辿り着いた。


「うぅむ…空からでは見えないか?」


 銀縁眼鏡にはブリッツから提供された別荘の映像が立体的に映し出されていた。

 別荘をあらゆる角度から撮影した写真数千枚を解析して立体モデルを起ち上げるフォトグラメトリという技術らしいが、『塵塚』のセイラお祖母ばあ様はどこでそのような技術、否、概念を得たのか聞いてみたいものだ。

 カンツラーは立体モデルを元に上空から捜索するが、別荘の奥にでも引っ込んでいるのか留守なのか、孤月院延光の姿を見つける事はできなかった。


「空振りか。あまり深追いし過ぎてこちらが見つかってしまっては本末転倒というもの。戻るとするか」


 別荘に背を向けて展望台に戻る。

 ワンピースの背中部分を拾い、非常階段を降りようとする背中に声がかかる。


『なあ、その翼は本物か?』


「何だ?!」


 振り返ると長い黒髪をポニーテールにした小さな子供がいた。


「敵か?! まさか見つかった?! 上空五百メートルを飛んでいたのに?!」


『お前、空を飛べるなんて良いな! 面白そうだ!』


 無邪気に笑う子供の顔を見て愕然とする。

 目の強膜は黒く、瞳は赤い。話に聞いていた転生武芸者だ。

 やはり孤月院は四神衆の仲間だったのか。

 確信を得たのは良いが目の前に脅威が迫っている事には変わりは無い。


「貴様は一体何者だ? あの別荘にいる者達の仲間なのか?」


『んー…仲間…なのか? あいつら弱っちくて面白くないからどうでも良いよ』


 ポニーテールの子供はニッカリと笑った。


『俺は九尾つづらおっていうんだ。お前、俺よりチビだし強そうには見えないけど翼は生えてるし角もあって面白そうだよな!』


 迂闊! 高所を飛行していた事で慢心が生じていたか。

 九尾と名乗った子供は楽しそうな雰囲気を崩さず、笑いながら手を差し延べる。

 その手の意味がわからずカンツラーは困惑した。


『なあ、今から俺と喧嘩しようぜ。面白い喧嘩ができたら子分にしてやるよ』


 どういう理屈だ?

 殺気こそ見せていないが自分と戦いたがっているのは理解出来た。

 マズい。このまま戦闘を始めては公園の職員や利用客も巻き込みかねない。


『行くぞ!』


 打開策を見出せない中、九尾が一気に間合いを詰めてきた。

 速い。これは万事休すかと思ったその刹那、盛大な腹の虫が鳴り響き、九尾はその場にて倒れてしまったのだ。


「へ?」


『腹減った……天狐てんこ兄ちゃん、昨日から何も食わせてくれないんだもんなぁ。地狐ちこ姉ちゃんの風呂を覗いただけなのに…ほんの可愛い悪戯だと思うよな?』


 知らんよ。そもそも天狐と地狐とは誰だ?

 ただこれだけは云える。同性相手でも・・・・・・覗きは覗きだろう。

 食事抜きは妥当な罰ではないのかね。


『そんなぁ……でも地狐姉ちゃんは笑って許してくれてたんだぜ? 天狐兄ちゃんが一人で怒ってるんだよ。あーあ、夕べは好物のカレーだったのになぁ』


 だから知らんよ。

 呆れていると幼い少女の腹の虫が再びカンツラーの耳朶を打った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る