第弍拾参章 神を見限った者達

「御目覚めかね?」


「これは?!」


 ロイエが目を覚ますと椅子に縛り付けられていた。

 その顔を厳つい男達が覗き込んでいる。

 一人は銀縁眼鏡をかけた長身の陰気な男だ。

 歳は五十半ばか、神経質そうな印象を受ける。

 もう一人はずんぐりとしながらも筋肉質な男だ。

 能の武悪面に似た悪相に丸いサングラスが更に迫力を与えている。

 不思議な事に長身の男を見ていると、ある子供を思い出す。

 緑のドレスを着た幼い子供だ。

 その子供のそばには大人がいた。


「思い出したぞ。聖女ゲルダを捕らえようとして…俺達は返り討ちに遭ったのだ」


 恐ろしいという言葉ではとても云い表す事が出来ない。

 瞬く間に聖女ゲルダの峰を返した剣によって四肢を砕かれて意識を失ったのだ。


「ええと、君は聖都スチューデリア無宿のロイエ…歳は三十五で合っているな?」


 長身の男に問われる。

 四肢を見れば有り得ない方向に曲がっていた。

 治療されなかったのではない。折れ曲がったまま骨を接がれてしまったのだ。

 あまりに惨い仕打ちにロイエは打ちひしがれるどころか怒りが湧く。

 訊問に対して不貞腐れた答えを返すくらいの反骨はまだあった。


「さあな、親から誕生日を祝われた事なんて無かったから自分でも歳は分からねぇよ」


「只の確認だ。君の生い立ちまでは聞いていない。余計な事は云わなくて結構」


 そうかよ――ロイエは横を向いて唾を吐いた。

 長身の男は手近にあった椅子を引き寄せるとロイエの前で腰を降ろす。


 無宿とは早い話が戸籍の無い者のことである。

 罪を犯した当人のみならず、その罰を家族や親類にまでも与える所謂いわゆる連座制度により累が及ぶ事を畏れた家族から勘当された者、或いは貧しさから出奔した者、口減らしにされた者もいるという。


「所属は…確か『神を見限った者達』だったか? 御大層な名だが蓋を開けてみれば構成員の大半は僧侶崩れの半グレ集団とはな。ドロップアウトしてチンピラに身を落とすほど戒律は厳しかったかね? それとも修行に耐えられなかったのかな?」


「生憎と俺は生まれて此の方神様を拝んだ事は無いよ。十年前にスチューデリアを襲ったの蝗害を覚えているか? あれで生活が立ち行かなくなってな。しかも作物が全滅しているのに領主の野郎は容赦無く年貢を取り立てやがった。このままでは死ぬのを待つばかりだから逃げたんだよ」


 聖都スチューデリアはガイラント帝国の東に存在する国家である。

 夜空に輝く星の一つ一つを神と見立てた宗教・星神教を国教に定めた宗教国家としての一面を持っており、特に秀でた産業こそ無いが、世界最大規模を誇る巨大宗教の本部がある事から権威なら世界でもトップクラスであった。


「逃散百姓というヤツか。あの蝗害は非道かったな。何が非道いと云えば、ガイラント帝国も救援物資を送ったのだが、食糧や医薬品のほとんどを皇族や貴族の懐にしまわれて庶人に分配されたのは雀の涙にもならなかったと云う事だ」


「分配じゃねぇよ。その少ない物資にすら貴族どもは高値をつけて押し売りしやがったんだからな。しかも払う金が無いヤツらの中には女房や娘を取られたのもいるらしい。そんな国で誰が頑張って働こうと思うんだって話さ」


 ロイエの両の拳が握りしめられて震えている。

 彼もまた僅かなパンを得る為に先祖から代々受け継いできた田畑の大半を奪われてしまったというではないか。

 このままでは餓え死にするのを待つしかないと命懸けで故郷から脱出したそうだ。

 しかし逃げたところで収入があるで無し。戸籍も無い事からまともな仕事に就く事も出来ずに以前にも増して困窮する事態に陥ってしまう。

 ある日の事、ロイエが食糧を得ようと山を彷徨っているとある物を見つける。

 否、見つけてしまったと表現した方が正しいのかも知れない。

 それは干涸らびたヘソの緒をつけたままの赤ん坊の死体だった。

 恐らくは産んだものの飢饉により育てる事が出来ずに捨ててしまったのだろう。

 ロイエは思わず喉を鳴らす。もう何日も食べていなかったのだ。

 許されざる行為であると理解している。しかし彼の飢餓感はもう限界だった。

 すると近くの繁みから一人の男が現れた。非道く険しい顔をしている。


「喰わんのか?」


「えっ?!」


「このままでは死ぬぞ。手伝ってやる」


「お、おい!」


 餓死寸前だったロイエに男を止めるすべは無く、赤ん坊はあっと云う間に解体されて只の肉と化したのだった。

 男は慣れた手付きで火を起こすと赤ん坊の肉を焼き始めたではないか。

 やがて肉の焼ける香ばしい匂いがロイエの鼻腔をくすぐる。


「喰え。死んでしまうぞ」


「し、しかし…こんな恐ろしい事、神様がお許しになるはずがない」


 普段から不信心であったはずだが、最後の理性として神の名を出して逡巡する。

 しかしロイエは既に焼けた肉を美味そうだな・・・・・・と思ってしまっていた。

 それを見透かしているかのように男はロイエの眼前に肉を突き付ける。


「牛や豚は喰らうのに人は喰らわぬという道理があるか。現に俺は何人も喰ってきたが未だに神罰が降った事は無い。ならば神なんぞいないという証明だろう。違うか?  貴族達を見てみろ。あこぎ・・・に高い税金を絞り取り、権力を笠に着て遣りたい放題だ。おまけにこの状況で一切れのパンに高値をつけて暴利をむさぼっている。だが貴族が天罰を受けたという話を聞いたことは無かろう。それと同じだ」


 ロイエはこの世の悪意を凝縮したような闇色の瞳から目が離せなくなっていた。

 相変わらず赤ん坊の肉からは美味そうな匂いが漂っている。


「喰え。このまま聖都スチューデリアに一矢報いぬまま餓え死にするつもりか?」


「一矢報いる?」


「そうだ。餓えている弱みに付け込まれて土地を奪われ、更には妻や娘を手籠めされても下を向いているつもりか。戦え。戦って庶人の意地を貴族に、王に見せねば世の中は変わらぬ。このままでは貴様はどこに行っても虐げられる運命に見舞われる事だろう。そのような運命を受け入れるつもりであるなら、ここで餓えて死ね」


 男の冷たい瞳にロイエは居竦まる。

 と同時にこれまでの理不尽な運命に対してふつふつと怒りが湧いてきた。

 そうだ。俺が、俺達が何故こうも苛まれなければならない。

 税を絞り取るだけで何もしない貴族や王に何の価値がある。

 奴らこそ民がいなければ何も出来ないではないか。

 ロイエは目の前の肉を見る。あれだけ忌避感を覚えていたのに今はこの肉をむさぼりたい。躊躇う事など無い。糧とすればこの赤ん坊の死も意味を持つだろう。

 ひったくるように肉を奪うとロイエは夢中になってかぶりついた。

 既に冷めていたが赤ん坊の命を取り込んでいると思えば極上の味に感じられた。


「まだあるぞ。存分に喰え。喰ってその命を己が血肉とせよ。我々は汝を歓迎しよう。共に肥え太り惰眠をむさぼる王侯貴族に立ち向かおうではないか」


 ロイエは赤ん坊の心臓を咀嚼し、ゆっくりと呑み下していく。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 なんと骨の中にある髄まで喰らい尽くしたロイエは捕食者の如き雄叫びを上げた。

 これがロイエと『神を見限った者達』の主導者フェッセルンとの出会いである。









「なんとも業の深い話ですな」


「あの国は政治と宗教がずぶずぶに癒着しているからな。そのせいか、やたらと選民意識が強くて自分達の行いが悪いとは思ってないのが問題なんだよ。先の蝗害にしても国ぐるみで行っていた魔女狩りに対する魔女達の復讐だそうな。完全に自業自得でしかないのだよ。しかも折角の救援物資を自分のポケットに入れてしまったというのだから呆れた話だ」


「お、俺は魔女狩りなんかしてない! ただ怪しいと思った旅人を教会に告発しただけだ。俺は何も悪い事をしてないのに魔女のヤツら、俺の畑まで襲いやがって!」


「何も悪い事をしてないと云えば魔女達とて同じ事だ。確かに彼女達は魔界の眷属だが人間に対して敵意も悪意も持ってはいなかったと思うぞ。現に我がガイラント帝国は魔女と共同研究をして新たな魔法や技術を生み出している。貴様の云う怪しい旅人も無実だったのではないかね? でなければ貴様の肩に女の怨念が・・・・・取り憑いている・・・・・・・はずが無いからな」


「えっ?」


 ロイエは後ろを振り返るが何もいない。


「常人には見えんよ。だが呪いは確実に貴様を蝕んでいる。近頃、目が見づらくなってはいないかね? 見たところ歯も随分抜けているようだ。手足に痺れは無いか? 胸は苦しくないかね? どうやら恐ろしいスピードで老化しているようだ。可哀想だが後十年は生きられまいよ」


「そ、そんな、当たってる…お、俺はどうすれば? 俺はまだ死ぬ訳にはいかない。聖都スチューデリアに一矢報いるまでは死んでも死にきれない! どうすれば俺は助かるんだ?!」


 自覚症状があるのか、ロイエは先程まで見せていた不遜な態度とは打って変わって命乞いを始める。

 対して長身の男は銀縁眼鏡越しに冷たく睥睨しているだけだ。


「半グレが一人、魔女に呪い殺されたとしても誰も悲しむものはいないだろう。『神を見限った者達』の噂は耳にしている。強盗、殺人、婦女暴行、詐欺にクスリと何でもござれだそうだな。何が聖都スチューデリアに一矢報いる、だ。むしろ、この場にて即刻首を刎ねてやった方が世の為になるだろうさ」


 長身の男が片刃の剣をスラリと抜く。

 美術品とも思える美しい刀身にロイエの顔から血の気が引いた。


「ま、待て! 俺に何かを聞きたかったんじゃないのか?! 訊問もしないで、いきなり斬るなんて有り得ないだろう!」


「構わん。捕らえた半グレはまだいくらでもいるからな。一罰百戒という言葉を知っているか? 貴様の首を見れば残りの者達の口も滑らかとなるだろう」


「た、頼む。待ってくれ! 俺はそこそこ上の立場にいる。生かしておけば役に立つはずだ! な、何でも訊いてくれ!」


 しかし男達の態度は飽くまで冷たいままだ。

 ロイエが必死になればなるほど彼らは呆れていく。


「こちらが訊く前にペラペラと話すヤツの証言など信用できるか。どの道、これだけの怨霊に祟られている貴様はもう手遅れだ。取り殺される前に一息に首を刎ねられた方が楽だと思うのだが?」


「そんな事を云わずに訊いてくれ! た、頼む!」


「ほう、そこまで云うのであれば聞くだけは聞いてやろう。もし、有用な情報であったなら肩の怨念も祓ってやるのも吝かではないぞ」


「ほ、本当か! 何でも訊いてくれ!」









「こ、これで俺の知っている事は全部話したぞ! の、呪いを早く解いてくれ!」


「それは無理だ。そもそも貴様の体を蝕んでいるのは糖尿病の合併症だからな。三十代でこれほどとは余程、不摂生だったのであろうな」


「どの道、お前は何人も人を殺している。厳しい沙汰があるものと覚悟する事だ」


 ロイエにとってあまりにも理不尽な言葉であるが、彼が今まで行ってきた悪事と比べれば子供の悪戯にもならないであろう。

 しかし、素直に話せば助かると思い込んでいたロイエからすれば手酷い裏切りとしか思えなかった。


「そんな、約束が違う!」


「太古の人間は病を悪霊の呪いと信じていたそうだ。後で糖尿に効く煎じ薬を用意させよう。これで約束は果たしたぞ」


 二人の牢番がロイエの両脇を掴んで連行していく。


「こ、この人でなし!」


「どの口が云うか。云ったはずだ。聞きたい事を聞いた後は罪に応じた罰を与えるとな。貴様の境遇には同情するが、その罪は罪。貴様に殺された者達の無念、その数万分の一でも味わう事だ」


「クソおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 悪態をつきながらロイエは連行されていった。

 後に残されたガイラント帝国宰相カンツラーとその補佐官ブリッツは揃って溜め息をつく。


「殿! 只の半グレと侮っていましたが、先程のロイエとやらの言葉を信じるなら由々しき事ですぞ」


「逃散百姓を掻き集めて各地で一揆を起こし、その対処に追われている隙に本隊がクーデターを起こす、か。いくらスチューデリアが疲弊しているとはいえ、その程度で国家が転覆するとは思えぬが…それに話の内容の割りに些か口が軽すぎる」


「裏を取りましょうか?」


 カンツラーは暫し沈考した後、首を横に振った。


「そもそもガイラントとスチューデリアは古来よりの犬猿の仲。そこまでしてやる義理もあるまい。ただ書簡だけは送ってやれ。この話を信じるも信じぬもヤツら次第。後の対処は自分達でやらせろ。それで滅びるのならそれまでの話だ」


 自国の民を救わず己の欲を満たすことばかり考えている聖都とは名ばかりの魑魅魍魎の巣窟に救いの手を差し延べるほどカンツラーもお人好しでは無い。

 むしろ今後、聖都スチューデリアが立て直す事が出来るのか、良い試金石になるとさえ思っていたのである。


「左様でござるか。では、拙者は再び連中の見張りに戻りましょう。何かあればお知らせ致します」


「気を付けろ。孤月院が呼んだ天狐てんこ地狐ちこ、そして九尾つづらおは父と母に匹敵する手練れだ。特に九尾は動物並に勘が働く。油断をすればすぐに気付かれるぞ」


「承知してござる」


 ブリッツは一礼してから音も無く去っていった。

 カンツラーは先の国立自然公園での戦いにおいて、嬉々として半グレ達の耳や鼻を素手で引き千切る九尾の無邪気故の残酷さと怪力を思い出して身震いをした。


「相手にとって不足無し。貴様達が霊薬奪還に動いた時、勝負を決しよう」


 祖母、『塵塚』のセイラから賜った黒鞘の刀を抜いた。

 その刀身に映るカンツラーの目は笑っている。

 やはり彼もまた武に生きるおとこであったのだ。

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