第拾伍章 運命の出会い

 久々にカイム王子を可愛がった・・・・・昼下がり、ぴくりとも動かなくなった彼に手当てを施したものの目を覚ます気配は無く、仕方無しに寝室へと放り込む次第となった。

 さあ、残った騎士共に稽古をつけてやろうかと張り切ったは良いが、何故か・・・一様に震えて使い物にならなかったので、たまには・・・・休ませるか・・・・・と解散を命じたのがつい先程の事である。

 バオム王国は完全なる士農分離を採用しているので騎士の仕事には当然訓練も含まれている。なので不甲斐無いと一喝するのは簡単だ。

 しかし、あまり根を詰めても良い結果は生まれないから休ませてやって欲しい、と騎士団長のレーヴェから頭を下げられては“左様か”と折れるしかない。

 そういった経緯もあって、ゲルダは騎士達に素振りニ千本を熟してから解散するよう命じて稽古場を後にしたのである。


「素振りを真剣にやったか、いい加減にやったかは明日、貴様達の体を見れば分かるからな」


 そう云い残して…


 さて、手が空いたは良いが、これからどうすべきかと悩む事となった。

 日課としては稽古の後は朋友エヴァが経営する酒場・沈黙の黒杖こくじょう亭で一杯やるところではあるのだが、流石に日が高い内から酒を呑むのは憚りがある。

 かと云って今更稽古場に戻って自身の稽古を始めては騎士達も気を遣おう。

 いよいよ困ったと思案しながらとあるカフェの前を通りかかったその時、鈴を転がすような声を掛けられたのである。


「貴方が噂の聖女様ね?」 


「おお、これは何とも可愛いらしいわらべかな。お嬢さん方、ワシに何ぞ用かね?」


 声の主はたれぞと視線を巡らせれば、如何にも高級感漂うカフェの一角に華やかな一団がいた。

 恐らくは貴族の子女であろう。仕立ての良い服を身に纏う少女達である。

 途端にゲルダは相好を崩して話しかけた。前世から通じて子供が好きなのだ。


「ふふふ、御機嫌よう、聖女様。お初にお目にかかるわ。私の名前はヘルディン! ヘルディン=ナル=ビオグラフィー! 長年、ガイラント帝国を外敵から守り続けてきた誇り高き辺境伯ビオグラフィー家の娘よ! 特別にナルと呼ばせてあげるわ!」


 少女達の中でも中心にいた少女が名乗りを上げた。

 白を基調とし、ふんだんにフリルやレースに飾られたドレスを身に纏っている。

 不敵な笑みを浮かべているその顔は確かに高貴な血筋を想わせ、赤みを帯びた金髪の毛先を巻き毛にしていた。

 腕を組んでの堂々とした名乗りにゲルダは感心させられたものだ。


「ほほう、我が弟子カイムの婚約者殿か。はきはきとした善き名乗りである。では、こちらも名乗ろうぞ。ワシの名はゲルダ、姓は無い。人は“酔いどれ”のゲルダと呼ぶ。まあ、好きに呼ぶが良かろう」


「“酔いどれ”ですって? 韜晦は無用よ。ガイラント帝国の情報網をナメないで頂戴! 既に貴方がどれほどのものか分かっているのよ!」


 ナルはゲルダを指差しながら高笑いを上げたものだ。


「貴方はかつて魔王に、いえ、魔界軍相手に完全勝利を納めている。それがどういう意味を持つか分かっていて? 貴方は魔王を斃すのに・・・・・・・勇者はいらない・・・・・・・と証明してしまったのよ」


「ほう、大したものだ。“韜晦”なんて難しい言葉を善く存じておったな。偉いぞ」


 恵比須顔で頭を撫でるゲルダの手を払いのけてナルは立ち上がった。


「それはどうでも良いのよ! 問題は勇者の存在意義を失いかねなかったって事!」


 ナルの剣幕に苦笑しながらゲルダは宥めにかかる。


「その事はもう勘弁してくれ。三日三晩も天界から苦情が殺到して処理に苦慮した苦い想い出があるのだ。当時の勇者と名乗っておったアレ・・も随分といじけてしもうてな。異世界より無理矢理召喚され、無理難題を押し付けられつつも何とか気を張って魔王退治に乗り込んでみれば、相手は病床の人となり面会謝絶とくればワシでも自暴自棄になるわいな」


 その後、勇者はどう思案を巡らせたのか、誰ぞに何かを吹き込まれたのか、魔王を再起不能にしたゲルダを怨み戦いを挑む事となるのだが、魔界軍との戦いで大きな実戦経験を積んだゲルダに敵う訳もなく、手痛い敗北を喫するどころか神から賜った聖なる槍も輪切りにされた事で更に意気消沈する次第となったのだ。

 逆怨みで襲われたとはいえ、流石に気の毒に思ったゲルダは戦争の賠償として魔界からせしめた秘宝の中から魔王愛用の魔槍グロースシュトルツを渡したという。

 だが、魔王本人か魔王に打ち勝った事で魔槍に認められたゲルダならともかくイジケ根性に染まってしまった勇者が手に取るだけでも不快だと云わんばかりに質量を増していき、ついには勇者を押し潰してしまう事態となってしまったのだ。

 ゲルダとしては聖槍に代わる強力な武器を補填しようとしたつもりであったが、結果として勇者にトドメを刺した形となったのである。

 一命は取り留めたものの、“受けた傷を治療不能にする“魔槍の特性により、存在意義どころか利き腕と生殖機能を失った勇者は名誉を回復する事すら出来ずにいずこかへと去ってしまったという。


「可愛そうな事をしたと今でも思っておる。グロースのヤツも“何でも命じて下され”と云っておったから、“勇者を主とせよ”と命じたのだが、まさか拒否するとは思わなんだわ。しかも巨大化して押し潰すとは予想も出来んかったわえ」


「あ、貴方、魔槍の気持ちになってみなさいよ。魔王を超える新たな主を得たと思ったところへ、かつての主君の宿敵だった勇者の物になれと云われれば拒否するに決まっているじゃない。勇者も災難だったわね」


「う、うむ、あの後、『塵塚』の母者より“物にも持ち主を選ぶ権利がある”と叱られて、グロースが怒るのは無理も無いと大いに反省したものよ」


「そっち?! 勇者には何も思うところは無かったワケ?!」


 ナルの言葉にゲルダはきょとんとした表情を見せた。


「逆怨みで襲ってくるような者に何を思えと云うのだ? ワシを殺すつもりで槍を向けておいて命があるだけ有り難いと思えとしか思わぬわえ。ワシがあの喧嘩・・で罪悪感を抱くとすれば、苛立ちに任せて罪の無い槍を破壊した事よ。更に云わせて貰えば、ワシはアレ・・を勇者だと認めてはおらぬ。行く先々で仲間となった女子おなご達と乳繰り合うばかりで修行もせずに聖槍の力に頼って戦ってきたヤツよ。それ故に武人の思考を持つグロースに鍛え直して貰えという意味もあったのだが……善く善く考えれば誇り高いグロースが拒絶するのも当然よな。ワシもまだまだ修行が足りぬと恥じ入ったものだわえ」


 ゲルダは正直な気持ちを吐露した。

 子供相手に嘘を吐きたくは無かったし、何よりこのナルという少女目だ。

 傲慢な気質であると聞かされていた。確かに勝ち気そうな強い目をしているが、云い方を変えれば真っ直ぐな目の持ち主であるとも云えよう。

 下手に云い繕えば途端に見破ってしまうだろうとゲルダは見て取ったのだ。


 そしてナルもまたゲルダを理解した。

 ガイラント帝国の優秀な諜報機関によってゲルダが前世の記憶を持って転生しているらしいとの情報を得ていたが、『塵塚』のセイラなる生きた人形に育てられ、魔界軍に滅ぼされた『水の都』に巣くう怨霊達に囲まれて生きてきた彼女の思考は人間とは大きくズレてしまっているに違いない。況してや三百年以上も生きているとなれば尚更であろう。

 そして世間では“聖女様”と呼ばれているが、人間離れをした治療技術と解呪能力をもって人を救う事が出来るだけであって、聖女に祭り上げて・・・・・・・・都合良く操れる・・・・・・・ような甘い・・・・・存在ではない・・・・・・とはっきりと認識したのである。

 加えてナルは敏感にゲルダから血の匂い・・・・を感じ取っていた。

 彼女が多くの命を救ってきたのは間違いない事であろう。

 だが、同時に彼女は敵と認識した数多の者達を斬り捨て、屍山血河の中を生き抜いてきた事も確かであると悟ったのである。


(いけない…護身用に拳銃を持って来たのが仇になったか)


 ゲルダの分析をしている内に知らず汗をかいていたナルは、それによって太腿に装着したホルスターの感触を思い出してしまう。

 己を律しなければ殺気が漏れてしまいかねない。

 魔王と勇者を歯牙にも掛けない武人を目の前にして血が昂ぶっていくのが分かる。

 莫迦め。それでもお前は辺境伯ビオグラフィー家の一員か。

 自分を叱責するという屈辱的な行為までしてもこの気持ちを抑えきれない。

 幼く見えても既に二十歳を超えた・・・・・・・武官である・・・・・

 バオム王国に潜入する為に被った傲慢な箱入り娘の皮・・・・・・・・・を脱ぎ捨てて、帝国で培ってきた砲術があの・・ゲルダ相手ににどこまで通じるか試してみたいという欲求は今やはち切れんばかりに膨らんでいた。


(何やら殺気だっておるのぅ。表向きには“田舎”と蔑んでおっても、勇者の血筋であるバオム王国に嫁ぐだけあって、本当は勇者に憧れを持っておったか?)


 突如、殺気を醸し出したナルにゲルダはズレた推察をしていた。


(それにしても惨い事をする。子供かと思っていたが、ありゃ魔法薬で無理矢理成長を止められておるな。しかも相当鍛え込んでおる。実際の年齢は二十歳前後といったところかのぅ)


 だが、ナルの肉体に何が起こっているのかは正確に見抜いていた。


(ま、何にせよ。この娘との婚姻が成立してカイムの求婚が収まってくれれば云う事ないのだがのぅ)


 これが後に使命を果たす為なら“追放された酔いどれ”や“王子を寝取った偽聖女”といった汚名を被る事も辞さない二人の運命の出会いであった。

 後世の歴史家に、親兄弟でもここまでお互いを理解し合う事は出来ないだろうと評され、また互いの幸せを祈り合うほどの仲の良さから『一卵性義姉妹』という異名をつけられようとは出会ったばかりの二人が知る由もなかった。

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